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SAD  作者: もつれに
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02 プロローグ②


 そんな生活を続けて半年ほど経った、ある日の夜のこと。

 いつもであれば彼女が部屋を訪ねてくる時間……なのだが、幾ら待ち構えていても一向に来る気配がない。


 断っておくが、決して彼女の訪問を心待ちにしていたわけではない。寝込みに部屋をノックされては安眠することも出来ない。

 しっかりと拒絶して彼女が去ったのを確認し、こっそりと扉を開けて扉前に置かれた飯を取る。そして、嫌いなものは残して外にほっぽりだして寝る……今思えば屑にも程があるが、それが当時の俺の一日だった。


 彼女が毎日朝昼晩に俺の部屋をノックしにくるのは、もはや日常の一部と化していた。



(もう来ないかな……。お腹空いたけどまあいいか)


 日中何をしているのかというと、ベッドで寝転がっているだけだ。一日分の飯を抜くことくらい大したことではない。

 そう考えて、布団を被り、目を閉じようとしたその時だった。

 

 引き摺るかのような足音が部屋に近づいてきたと思うと――


 コンコン……


と、いつもより弱々しいノック音が静かな部屋に響いた。


 時間帯、いつもとは異なる足音、ノック音……怪訝に思った俺は、音を立てないよう忍足で扉に近づいた。

 すると、扉の向こうから何やら荒い息遣いが聞こえた。まるで走ってきたかのように呼吸が乱れている。


 ――どうも様子がおかしい。


「なに?」


 警戒しながらそう尋ねた。

 すると、返ってきたのは、まるで別人かと思うほどに掠れた彼女の声だった。


「ご飯を……持って……参りました」


 途切れ途切れに口にしたのは、いつもと全く変わらない内容だった。

 屋敷で何か大事(おおごと)が起きて、それを伝えに走ってきたのではないか、そう思っていたが思い違いのようだった。 

 俺はため息をつくと――


「いらないから帰って」


と、お決まりの拒絶文句を返して、寝床に戻った。


 すると、数秒の沈黙ののち、彼女は口を開いた。


「でも……食べないと――」


 と、言葉が途切れたと思った次の瞬間。


 ――ドタンッ!


 扉の向こうで何かが倒れ込むような大きい音が聞こえた。


「……⁉︎」


 俺は、ビクッと肩を跳ね上がらせた。


「ねえ、どうしたの⁉︎」


 そう尋ねるも返事が返ってこない。

 

(今の音は一体……?)


 躊躇はしたものの、返事が返ってこないのだから仕方あるまい。何があったのかを確かめるため、俺は扉を開ける覚悟を決めたのだった。


 ごくりと息を呑み込むと、鍵を開け、ギィと軋む扉を一気に内側に開いた。

 すると――


 ドサッ……


 部屋に一人の女性が倒れ込んできた。


 髪の色やメイド服といった容姿から、例の使用人ということは分かったが、彼女の様子は見るからに普通ではなかった。

 額には大量の脂汗が滲み、顔は青白い。苦悶の表情を浮かべて浅い呼吸を繰り返す彼女は、とても辛そうだ。

 

 どうやら、先程の何かが倒れ込むような音は、彼女が言葉の途中で気を失い、扉にもたれかかるように倒れた時の音だったようだ。

 息が絶え絶えだったのは走って来たからではなく、いつ倒れてもおかしくないほどに体調が悪かったから……というわけだ。


 そんな彼女を見て見ぬふり出来るほど、俺は屑ではなかったようだ。


「ねえ、ねえってば! しっかりして!」


 彼女の華奢な肩を掴んで体を揺すると、俺はそう叫んだ。

 すると、呻き声とともに意識を取り戻した彼女の虚ろな目は俺を捉え


 ――笑顔を浮かべた。


 倒れるほど体調が絶不調……そんな状況でなんと彼女は笑ったのだ。そして彼女は弱々しくこう呟いた。

 

「やっと……お部屋から、出て……きましたね」


 酷くやつれた顔で浮かべる笑顔は不気味に感じられた一方で、俺はその微笑みをどこか綺麗にも感じた。

 そして彼女は、糸の切れた操り人形のようにガクンと再び意識を失うのだった。


 その後、俺は慣れない廊下を走って祖父母を呼びにいった。


 俺の知らせを聞いてやってきた祖父母の二人がかりで介抱されている彼女を見て、俺の心の中にとある疑問が生じた。


(あの人……なんで俺のためにここまでするのだろう)


 彼女は風邪で高熱を出していたようだ。

 祖母に「代わりに部屋へ夕食を届けに行こうか」と提案されたのにも関わらず、彼女はその提案を突っ撥ねてまで俺の部屋を訪ねたという。それも、高熱で重い体を引き摺って。


 なんなら今日に限らず、毎日毎日俺の部屋に飯を届けに来ていたのは、彼女の意思でのことだったという。


 てっきり、主人である祖父母から命令されて仕方なく来ていたのかと思っていた。謎はますます深まるばかりだった。


(なぜ? 分からない……)


 彼女からしてみれば、俺は毎日飯を持ってきてやっても突き放すような態度をとってくる年下のクソガキだ。

 ましてや、彼女とは一度祖父母を訪ねた時に小一時間話をしただけで、関係性はゼロに近い。

 もし俺が彼女の立場に立たされたならば、初日で見放していることだろう。


 彼女が俺に構う理由が本当に分からなかった。

 

 その日の夜は、彼女のことをずっと考えたせいか、なかなか眠ることが出来なかった。

 


 ***



 翌日、目を覚ました俺は、部屋を出て祖父母の元に向かった。自分でも驚くほどに、自然と部屋の外へ出ることが出来た。

 理由はなんとなく分かっていた。


 ――彼女のことが気になるから。


 純粋に彼女の行動原理を知りたくて。

 そして、ああまでして部屋を訪ねた彼女を突き放したことに一丁前に罪悪感を感じていて。

 

 ――彼女と面と向かって話がしたい。


 そう思ったのだ。

 祖父母に案内されて彼女の部屋に入ると、気絶しているかのように眠りこける彼女の姿がそこにはあった。

 倒れてからはずっと眠っているという。

 髪を解いた彼女は、眠る姿も美しかった




 俺は彼女が起きるまでずっと側で待った。


 薄暗い部屋で半年間過ごした俺にとって、彼女が目を覚ますまで待つ程度、大した苦にはならなかった。




 どれくらい経っただろう。二時間くらいだろうか。

 とうとう彼女は目を覚ました。


 長い睫毛が震えたかと思うと、ゆっくりと瞼が上がる。

 アメジスト色の瞳はしばらく虚空を見つめていたが、やがて意識が戻ってきたのか、顔をゆっくりと動かして周りを見渡し始めた。


 ――そして、側にいた俺と目が合った。


 見つめ合うこと数秒。

 長く思えた沈黙ののち、彼女はポツリと――


「サイラス様……」


 そう俺の名前を口にした。


「様なんてやめてよ、僕の方が年下なのに……」

「いえ、あなたはご主人様のお孫様です。サイラス様と呼ばせていただきます」


 彼女は首を微かに横に振ってそう言った。



 ――そういえば、初めて彼女と会った時もこんな会話をした覚えがある。


 いくら呼び捨てにしていいと言っても、様付けで呼んできて……押し問答の末、俺が根負けしたのだった。


 そのことを思い出すとくだらなくて、そして何でもないあの日が懐かしくて。

 自然と、フッと軽い笑みが(こぼ)れた。

 と、同時に俺の瞳からは涙も零れ落ちた。


 まじまじと俺の顔を見つめている彼女に気付いた俺は、気恥ずかしくなってつい顔を逸らしてしまった。

 すると彼女は――


「サイラス様」


と、俺の名前を再び呼んだ。今度は呟くようにではなく、俺の耳に届くようにしっかりと。


「……なに」


 彼女の方を向くと、そこには今まで見た中で一番優しい笑顔があった。


「やはりあなたには笑顔がお似合いです」




 それから、俺らはポツポツと会話を交わし始めた。


 俺は真っ先に、今まで強い言葉で拒絶してきたことを謝罪した。毎日飯を持ってきてくれたことに対する感謝も、今更ながら伝えた。

 人と話すのなんて久しぶりだったから、自分でも辿々しいという自覚はあった。


 それでも彼女は気にする様子もなく、柔らかな笑みと共に俺の謝罪、感謝の言葉を受け入れてくれた。


 俺の謝罪と感謝が終わると、会話は円滑になったように感じた。半年間かけて作られた、二人を隔てる何枚もの心の壁が、一枚薄くなったような……そんな感覚だった。


 長らく人と会話していなかったせいか、言葉に詰まることが多かったが、彼女が話題を提供してくれたから会話が途切れることはなかった。


 俺は彼女に色々なことを教えてもらった。

 

 彼女の名前はクリアーということ。

 彼女の両親は早くに亡くなったため、彼女も俺と同じように祖父母によって引き取られたこと。

 ……などなど。


 彼女の生い立ち、境遇といった真面目な話題から、特技や食事の好き嫌いといった自己紹介のようなことまで……。


 会話は昼食の時間になるまでずっと続いた。



 ――ただ、俺の部屋を訪ね続けた理由だけはいくら聞いても教えてくれなかった。


「さあ、なんででしょうね。私にも分かりません」


 彼女は、曖昧な笑顔を浮かべてそう誤魔化すのだった。




 この一件は俺の心情に大きな変化をもたらした。


 その日以来、俺は段々と両親の死から立ち直り始めた。

 

 当然、両親を失った悲しみや、あの男に対する憎しみが消えることはなかった。

 それでも、彼女と一緒にいるとそんな暗い感情に完全に飲まれることなく、どこか前向きになれるように感じた。


 ――なぜ俺を気に掛けてくれているのか。

 彼女にとって恩人である祖父の孫だから?

 自分と境遇が似ていて同情したから?


 そんな理由がいくつか思い浮かんだが、そんなことはもはやどうでもよかった。

 

 理由はどうあれ、闇の中で一人咽び泣いていた俺の手を取ってくれたのは、他でもない彼女だ。

 俺はそんな彼女の見せる笑顔を失いたくない……いつまでも見ていたいと思うようになっていった。

 

 その頃からだろうか。


 ――気付けば俺は、彼女を一人の女性として意識するようになっていた。


 


 それなのに……今の彼女ときたら……。



 ***



 コンコン。


 聞き慣れたノック音によって、追憶から現実に引き戻される。


「ただいま戻りました」


 使用人の声が部屋の外から聞こえる。


 両親の死から約10年が経ち、俺の身の回りは目まぐるしく変化した。

 祖父母は亡くなった。住む家も変わった。


 ――そして、俺と彼女の関係も"主人の孫と使用人"から正式に"主人と使用人"へ変わった。


「……入っていいよ」


 ノック音にそう応えると、「失礼します」という声と共に扉が開き、使用人――例の彼女――が部屋に入ってきた。


 あの頃と変わらず……いや、あの頃よりずっと美しくなった彼女は――



 酒臭かった。


 

「……もしかしてまた飲んできた?」

「はい。ご主人様に折角いただいたお休みなので。お酒を少々嗜んで参りました」

「少々って……。それに休みとか関係なく毎日飲んでるだろ」


 酒にやたらと強い彼女だ。

 見た目からは酔っているかどうか判断しづらいが、この酒臭さからして、少々どころでは済まない量を飲んできたのは明らかだ。




 ある時から――具体的には、祖父母が亡くなり前の家を出て現在の家に越してきた頃くらいから――彼女は変わった。


 仕事人間の彼女だったが、趣味を隠さないようになった。

 

 ただの酒好きというだけならまだ許容出来る。

 それよりも絶望的なのが……


「で? 今日も行ってきたのか?」


 そう聞くと、彼女は笑みを浮かべた。


「はい。ヨミくんは今日も可愛らしかったです」

「ああ……そう」


 ヨミくん……。

 彼女の行きつけの酒場で、店主の手伝いをしている10歳前後の少年……らしい。

 彼女がその酒場に通う理由は、酒が安いからという理由の他にもう一つある。そのヨミくんとやらが働いている姿を拝みたいからだ。

 

「はあ……」


 俺は大きなため息をついて、頭を抱えた。

 酒を飲みたいのはこっちだ。

  

 ――そう、儚げな雰囲気を宿す清楚な年上メイドな彼女は、生粋の()()()()()()()()だったのだ。


 彼女がそんな趣味を持っていたなんて聞いてない。この趣味を知った時の衝撃は凄まじかった。



 ……そして、俺はとある仮説に辿り着いた。それは――

 

 俺を気に掛けてくれていたのは、当時の俺が、彼女の好みの年齢だったからではないか……つまりは、下心によるものだったのではないか。


 というものだ。道理で、拒絶されてまで俺の部屋を訪ねに来た理由を頑なに教えてくれなかったわけだ。

 本人に少年が好きだからです、なんて言えるわけないからな。



 そして、その仮説から自ずと導かれるのは――


 あくまで少年が好きなだけで、大人に成長した俺は彼女の恋愛対象外なのではないか。


 というものだった。

 今日だって休日を与えたとはいえ、主人の俺をほったらかして、ヨミくんとやらを拝みに酒場に行っていたくらいだ。

 この恋は片想いのままで終わってしまうのだろうか。


「はあ……」


 本日何度目かの大きなため息が出る。

 

「どうかしましたか?」


 気遣うように俺の顔を覗き込んで、そう優しく微笑む彼女。その笑みに当てられた俺は思わず目を逸らした。

 彼女の笑顔には相変わらず弱い。


 俺にとって、彼女の趣味はあばたもえくぼ……とはならなかったが、それでも彼女に恋してしまっていることには変わりない。


 幻滅しこそすれ、彼女に対する長年の積もり積もった想いを、簡単に拭うことなど出来やしない。

 これが惚れた弱みというものなのだろうか。


(体だけ子供に戻ることって出来ないかな……)


 彼女の話に適当な相槌をうちながら、そんなくだらないことを考えるのだった。




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