01 プロローグ①
一次創作作品の投稿は初めてなので、ご容赦ください。
あらすじで書いたところまで展開が進むのには、少し時間がかかる予定です。
俺には好きな女性がいる。
彼女との初めての出会い……それはなんてことのない日常のワンシーンでのことだった。
***
遡ること約10年、あれは俺が11歳の時のこと。
その日、俺は祖父母の屋敷を両親と共に訪れていた。祖父母が家を訪ねてくることは何度かあったが、こちらから出向いて会いに行くのは初めてのことだった。
初めて見る祖父母の家は田舎ということもあって敷地に余裕があるのか、俺と両親の三人で住む家より随分と大きかった。そんな中でも、手入れの行き届いた広い庭は都会住みの俺の目には特に魅力的に映った。
「おばあちゃん、お庭で遊んでもいい?」
俺は祖母にそう尋ねると、祖母は「いいわよ」と穏やかな微笑みを湛えてそう言った。が、すぐに困ったような笑みを浮かべてこう続けた。
「でも……おばあちゃんたち、大事なお話があるから少しだけ待っていて貰えるかしら」
両親の用事で訪問したのであって遊びに来たわけではない、ということを俺は両親から事前に聞かされていた。だから特に不満はなかった。
「分かった、待ってる!」
やがて、祖父母と両親の四人は、俺を一階の居間に残して二階に引っ込んでしまった。俺の同席すら許してくれないとなると、余程大切な話なのだろう。
特にすることもなかった俺は、人の捌けて静かになった居間から一人庭を眺め出した。
(あの花はなんて名前なんだろう……。それにしても、芝生ふかふかだなあ。今日はあったかいし寝転がったら気持ちいいだろうなあ……)
そんなことを考えて過ごすこと約5分。
……ギィ
背後で扉の開く音が聞こえた。
思わず振り返ると、そこには一人の女が立っていた。
濃紺色をした地味で丈の長いメイド服を身に纏い、両手には黒い長手袋をはめた女だった。
祖父母の屋敷には使用人がいることは知っていたため、彼女がまさにその使用人であるということはすぐに理解出来た。
理解は出来た……が、俺は彼女を見て言葉を失っていた。
というのも、彼女は幼い俺が見惚れるほどに美しかったのだ。
背中まで伸ばした長い髪は、メイド服とは対照的な白とも青ともとれるような透き通る色をしており、後ろで一つにまとめられている。
儚さを感じられる端正な顔立ちに、アメジスト色の瞳、雪のように白い肌……どれをとっても美しい。
成熟した大人の女性というよりは、大人びた美少女……そう感じられた。年齢も自分と五つ程しか変わらないだろう。
彼女の方も、俺が話すのを待つかのように黙っていたため、しばらくの沈黙が続いた。
やがて、我に返った俺は彼女に尋ねた。
「えっと……メイドさん?」
「はい。お暇のようでしたので、私で良ければお相手致します」
彼女は耳触りの良い澄んだ声でそう答えた。
「お庭って出ていいのかな?」
「よろしいかと」
彼女は大人組の話が終わるまで、遊び相手をしてくれた。
幼い俺の世話役として祖母に呼ばれたのか、それとも一人で退屈している俺を可哀想に思ったのか……どんな意図で彼女が俺に接してきたのかなど、当時の俺には知る由もなかった。
そして、何を隠そう。彼女こそが後の想い人となる女性である。
とはいえ、彼女の美貌に一目惚れしたわけではない。そこまで当時の俺はませてはいなかった。
(冷たそうな見た目のわりに意外と優しかったな……)
小一時間遊んでもらっても、彼女への印象の変化はその程度だった。
大人組が二階から戻って来てからというもの、俺と彼女が会話をすることはなかった。いつの間にか彼女は姿を消しており、お礼も言えなかった。
そして最後の最後、俺たちが屋敷を後にする際に見送りで姿を見せた……それだけだった。
だから、そんな彼女に恋焦がれることになるなんてこの時は思いもしなかった。
***
そんな彼女との関係に大きな変化が訪れたのは、それから約1年後のことだった。
彼女との関係以前に、俺の人生の中でも最も激動かつドン底だったと断言できる、まさに暗黒時代。
俺の身に襲いかかった悲劇……今でも夢に見るほどに凄惨な記憶だ。
***
9年前――
12歳を迎えた俺はその日、父から社会勉強としてお使いを任された。ところが、父が俺に握らせた金を見てみると、お使いにしては多すぎる。
「これでママにプレゼントを買って来ておいで。今度父さんのと一緒に渡そう」
不思議そうな表情をする俺に、父はいたずらっ子のような笑顔でそう囁いてきた。
誕生日が三日後に迫る母にサプライズをしようという、父の何とも粋な計らいであった。
大きな仕事を二つ任された俺は息巻いていた。
お使いの後に寄った店で悩みに悩んだ挙句、紅茶をよく飲む母のためということで、おしゃれなカップとソーサーを買った。
(父さんはどんなプレゼントを買ったんだろう。母さんは喜んでくれるかな?)
そんな期待や逸る気持ちは、帰路についた俺を早足にさせた。
子供が両手に荷物を抱えてせかせかと歩く様は、近所の大人達には微笑ましく映ったらしく、彼らとすれ違う度に「お手伝い偉いね」と褒められた。
そして、やっとの思いで家に着くと、俺は家の扉前で「ただいま!」と叫んだ。
それほど広くない家だ。父か母のどちらかが駆けつけて開けてくれる……はずなのだが、出てくるどころか返事すら返ってこない。
首を傾げていると、ガチャリとドアが開いた。
――しかし、ドアからぬっと出てきたのは父でも母でもなく、無精髭を生やした見知らぬ中年の男だった。
男は長身で、鍛えられた筋肉質の身体をしていた。
呆気に取られた俺だったがすぐにハッと我に返り、男を睨みつけた。
「おじさん誰?」
家から見知らぬ男が出てきたのだ。12歳といえど、知らない男が家から出てきて警戒しないはずがなかった。
当の男は、睨みつけられているというのにどこ吹く風といった様子だ。
「そんなに睨まないでくれよ。坊主の親父さんに頼まれて荷物を運び込んでいただけさ」
「ほ、ほんとに?」
「ああ、『ママの誕生日プレゼント』……とか言ってたかな」
母のプレゼントのことを知っているようだし、言っていることはどうやら本当のようだ。そう判断した俺は警戒を解いた。
俺の思い違いだったようだ。
「そ、そうなんだ。疑ってごめんね」
「いいってことよ、それじゃあな」
そう言って男は立ち去ったのだった。
扉を引くと、中からなにやら不思議な匂いがした。何の匂いかは分からなかった。
違和感を感じたのは匂いだけではない。いつもなら笑い声や話し声が聞こえるはずの居間は妙に静かだった。
不思議に思い、靴をその場に脱ぎ捨てると、居間に急いだ。
(靴を脱ぎ捨てると母さんに怒られるんだよな。後で直しておこう)
廊下をペタペタと早足で歩きながらそんなことを気にしていた。
そして、居間の扉を開いて元気よく「ただいま!」と口にした。
そんな俺を迎えたのは――
長い剣で床に串刺しにされた、血だらけの父と母だった。
剣は、母に覆い被さるように伏した父の背中を貫き、母の胸から背中、そして床へと垂直に突き刺さっていた。
目を見開かせて口からドス黒い血を流した二人の姿は、あまりにも普段の様子とかけ離れている。
二人分の夥しい量の血は床一面を真っ赤に染めており、やがて俺の足にまで届いた。
突然目に飛び込んできた惨状に俺は言葉を失い、呆然とした。
何が起きているのか理解するのに何秒、何十秒かかっただろう。
やがて、目の前に転がる二人分の死体が自分の両親であることをようやく理解した俺は、一人残された家に喉を潰さんばかりの悲鳴を響かせた。
それからのことはよく覚えていない。
悲鳴を聞きつけた人達にあれやこれや訊かれたが、俺はそれに答えられる状況になかった。
ただただ我を失い、ひたすらに涙を流し続けたのだった。
***
こうして独りぼっちになった俺は、まもなく祖父母に引き取られることとなった。
12歳の少年にはあまりにも惨すぎる光景を目の当たりにした俺に、祖父母は優しく接してくれた。
しかし、そんな悲劇からすぐに立ち直れるほど俺は大人じゃなかった。あの脳裏に焼き付いた光景を簡単に忘れられるほど馬鹿でもなかった。
引き取られてからというもの、与えられた部屋に鍵をかけて塞ぎ込み、外に出ることはおろか、食事も碌にとらない生活が始まった。
無力な自分は誰を頼って生きていけば良いのか。
何故自分だけこんな目に遭わなきゃならないのか。
そんな思考が頭の中を堂々巡りした。
絶望に打ちひしがれ、暗澹たる思いで過ごす日々は、今思い返してみても本当に辛かった。
ただただ時間だけが無為に過ぎていった。
塞ぎ込むようになって以来、俺は人との関わりを完全に断つようになった。
そんな中で、いくら対話を拒んでもしつこく俺に話しかけてくる者がいた。
――それは、祖父母の屋敷で雇われているという例の使用人だった。
彼女は毎日三回、朝昼晩の決まった時間に俺の眠る薄暗い部屋をノックしてくるのだ。傷心状態だった当時の俺にとって、それは酷く鬱陶しく感じられた。
「うるさい」、「一人にして欲しい」、「もう来るな」……扉を叩く耳障りな音に苛立ち、何度もそう怒鳴った。
そんな拒絶に対して彼女は決まって――
「体が弱ってしまいます……ご飯を食べましょう」
と返してくるのだった。
励ましの言葉でも慰めの言葉でもない。
そして俺に部屋を出る気がないと分かると、彼女は扉の前に持ってきた飯を置く。そして、次に来た時にそれを回収して同じ言葉を口にする……それの繰り返しだった。
毎日毎日、彼女は自分よりも年下の子供に強い言葉で拒絶されても、やってきたのだった。
(なんなんだよ……。ほっといてよ……)
当時の俺は彼女をも憎く感じたのだった。