銀色の衝撃
「ひっかかったんちゃうのー⁈」
雄叫びを上げながら、遅れて来たヘニーが全速力で堤防を駆け降りてくる。
重く弧を描く竿を握りながら、僕は焦りを隠すように「地球をゲットだぜー!」と冗談半分に叫び返した。
タケもミチモも、呆然とこっちをみてる。
水中に伸びた糸はピタリと止まって動かないーーー
*
観月橋の向島大橋のすぐ近く
屋形船が停泊してるポイントで僕たちは魚釣りをスタートした。
と言っても、ルアーフィッシングの道具を手にしているのは僕だけ。
ミーハーなオトンが、最近流行り出したばかりのルアーフィッシングの道具を家の事務所のロッカーにしまっていた。
「これ使っていい?」「勝手にせー」
僕は、赤い竿とリールのセットを持って自転車で駆け出した。
つい先日、おとんに教えてもらって琵琶湖でルアーを初めて投げた。
広い湖に向かって力いっぱいルアーを投げてリールを巻くというのが、ただ楽しくて、僕は友達を引き連れ自転車を飛ばし近所の川「宇治川」にやってきたのだ。
一級河川の宇治川は、琵琶湖からなみなみと大量の水を運ぶ大河だ。
水量と流れの強さは凄まじい。毎年何人もの人を飲み込んでいる恐ろしい川だ。
ナイルブルーの流れはとても深く、水深はどれくらいあるのか分からない。
流れの奥を見つめていると、深い深い宇治川の底に吸い込まれてしまいそうになってヒヤッとする。
観月橋の向島大橋の麓に、五十隻舟という旅館があった。
旅館の屋形船が停泊している場所は少し入江になっていて流れが緩んでいる。足場もよく、僕たちは何となくの雰囲気でこの場所を選んで釣りを開始したのだった。
「釣り行こうや!」と僕の誘いに乗ってくれたのは、タケとヘニーとミチモだった。
ルアーフィッシングという言葉さえ、まだ馴染みのない僕たちの中で、釣りに行こうと誘ったみんなは各々家にあった仕掛けを持ってきていた。
ルアーフィッシングの道具を持っているのは僕だけ。
「この竿でルアー投げんねん。」ルアーを糸に結びながら自慢げにみんなに見せた。
みんな初めて見るルアーフィッシングの道具に興味津々。
いち早く準備を済ませた僕は、早速第一投を宇治川に投げ入れた。
シュルシュル〜と音を立ててリール から勢いよく糸が出ていく。
20mほど飛んで、宇治川の激流が入江で緩み水流が渦を巻いているあたりに落ちた。
見慣れない釣り方に、みんな目を丸くして一部始終を見てる。
前日の夜、テレビでビックフィッシングを見た。
オール阪神師匠が、大海原に浮かぶボートに乗って大きなルアーを沈めて、竿を何度もしゃくり上げながら「くーるまにポピー!ポピー!」って言いながらリールを巻いていたので、僕も何となく阪神師匠を真似てみた。
竿先を上げたり下げたりしながらリールを巻いて糸ふけを取る。
調子乗って僕は面白半分にお尻も振りながらリズミカルにリールを巻いていた。「くーるまにポピー!ポピー!」
「なんやねんそれー」ってみんなが笑ってくれて、満足していた瞬間、リールを巻く手がグンと止まった。
「あれっ…?」
一瞬の出来事に時間が止まる。
大事なルアーを引っ掛けてしまったのか…
ルアーは宝物。
ルアーを取り返すためなら潜ってでも取りに行く。
小学生にとって1,000円もするルアーは、命の次に大切なものなのだ。宇治川の底深くに引っ掛けてしまったら、取り返せるのだろうか…最悪だ。
「ひっかかったんちゃうのー?!」
雄叫びを上げながら、遅れて来たヘニーが全速力で堤防を駆け降りてくる
重く弧を描く竿を握りながら、僕は焦りを隠すように「地球をゲットだぜー!」と冗談半分に叫び返した。
タケもミチモも、呆然とこっちをみてる。
水中に伸びた糸はピタリと止まって動かないーーー
と思ったとき、グーっと静かに動く感触が糸から竿に、竿から手に伝わってきた。
まるで宇治川が、こっちに来いと僕を引っ張っているかのように。
引っ張る力は更に強まり、ジーッとリールが唸りだした。
リールは、糸が切れてしまわないように、強い力がかかると糸がゆっくり送り出される仕組みになっていた。
「ジーッジーッ」と甲高い音が響き、緊張感が高まる。
糸がどんどん送り出される。
予想もしていなかった展開に、僕はどうして良いのか分からず頭の中が真っ白だった。
ただ、竿を握り、力一杯振り上げて、リールを巻く手を止めなかった。
水中に伸びた糸が、「ギュンギュン」という水切り音を立てながら右へ左へと走る。
ナイルブルーの川底で銀色の何かが光った。これは、魚であることは間違いない。子供ながらに悟った。糸から生命感がビンビン伝わる。相手は生きようと必死にもがいている。
力を振り絞り、竿を精一杯持ち上げると、銀色に反射する平たい物体が水飛沫と共に水面を割り飛び出した。
僕は思いっきり、陸地側に銀色を竿ごと投げ飛ばした!
ドサっ!
陸地の枯れ草の上に落ちた銀の魚体が、ズリっ、ズリっと砂を掻くような鈍い音を立てながら飛び跳ねている。
何だこれは。何が起こったのだ。
「ヒラメちゃうかー?!」
ヘニーがまた叫んだ。
「違う!ブラックバスやー!」
僕は叫んだ。
「うそやん!マジで!」
唖然と立ちすくんでいたみんなが駆け寄ってきた。
僕の体は震え上がっていた。
手はブルブル震え、膝までもガクガク。恐怖でもない、なんとも言えない感覚。僕は痺れてしまった。完全に。
全身全霊で魚釣りの魅力を体感してしまった瞬間だった。
釣れたのはブラックバス。なんと43センチの大物だった。
まるで鯛のように平たく鎧のような鱗を纏った力強い体。
拳が入るほどの大きな口をルアーの針がキレイに貫通していた。
大きな丸い目で僕を見ている。
黒い瞳に僕の顔が映っていた。
針を外し、ブラックバスを抱えて宇治川の流れの中にそっと離した。
僕の手と手の間で少しの間、エラを大きく動かしたと思うと、ゆったりと尾ビレを振りながらナイルブルーの深みの中へ、彼は消えて行った。
完全なビギナーズラックで大物を釣り上げたのだけど、その日から僕は学校でヒーローになった。




