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雨、晴れる時  作者: サトウ・レン
15/20

旅行先の海では、雨が降っていて。

「ねぇ、海、見に行こう」

 と、唐突に葉瑠が言った時、僕たちはもう高校二年生だった。春を過ぎて、時期は夏になっていた。首すじの汗を手の甲でぬぐって、意味ありげにほほ笑んだ。

「岐阜に海なんてないよ」

「知ってるよ。もちろん。だから、遠出をしましょう」

「遠出?」

「そう、福井」

 こんな会話だったから、僕はふたりで行くものだ、とばかり思っていた。真実を知って、緊張を返せ、と言いたくなったのを覚えている。

「残念だったね。ふたりで旅行できなくて」

 僕の内心を察したのか、それともただからかってみただけか、助手席に座っていた傘原が振り向き、後部座席の僕に言った。

 僕と葉瑠、そして傘原の三人を乗せたワゴン車が海沿いの県道を駆けていた。車窓越しに見える海面は、大きく波打って、荒れていた。前日までの快晴続きの空が嘘のようだ。真夏に雨が降り、葉瑠は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていた。

「雨女、本領発揮しちゃった。ごめんね」

「いいよ、いいよ。私は、葉瑠と一緒に泊まれるだけで、嬉しい」

 と、慰めるように傘原が言った。

 僕たちの高校が夏休みに入ってすぐ、葉瑠から連絡があった。すこし話したいことがある、と。葉瑠の自宅近くの市立図書館で落ち合う約束になった時、僕はこんな話になるとも思わず、別の不安を感じていた。

 いくつか本を選んで借りた僕たちは、図書館の前のベンチに座って、そして、海に行こう、という話になったのだ。ふたりきりの海。そんな勘違いは、ほんのわずかな間だけだった。

 そもそものきっかけは、叔父が海沿いの街で民宿を経営している、なんて、傘原が葉瑠に話したことだった。叔父さんから良かったら来ないか、って言われているんだけど、葉瑠も行かない、と誘ったらしい。海なんて人生でほとんど見たことがない、と葉瑠は嬉しそうだった。岐阜は周囲に海もないので、実は僕も片手の指で数えるほどしか、海を見たことがなかった。

 福井駅を出ると、傘原の叔父さんが待っていた。車に乗せてもらって、叔父さんの運転で、民宿に向かう道中のことだった。

 雨女。

 小学生の時から葉瑠はよく、自分のことを雨女と言っていた。実際、葉瑠との想い出にある特別な日は、雨が多かった。

 雨が好きだったことはない。ただこの雨も含めて、彼女との想い出、と言うなら、ひっくるめて好きになれそうな気がした。

 民宿に着いたら、当初は海へ向かう予定だった。だけど、さすがに海水浴場に向かうには、天気が悪すぎた。

 僕たちは民宿の中で、のんびりすることにした。三泊四日、滞在することになっていたので、そのうちに晴れるだろう、と軽い気持ちだった。

 傘原の叔父さんは、四十を過ぎた、冗談の多い無邪気なひとだった。二十代後半くらい、と聞かされても、納得できそうな若い外見をしていて、年上に対して失礼を承知で言えば、友達みたいな雰囲気だ。

 部屋は当然、同部屋になることはなく、僕と彼女たちで、二部屋に分かれた。

 三畳の部屋だ。一番ちいさな部屋とは聞かされていたけれど、これだけあれば、僕としては、じゅうぶんだ。一応無料ではないけれど、サービス料金、ということで、ほとんど無料と変わらない値段で泊まっているのだから、これで文句を言えば、罰が当たってしまう。

 畳に荷物を置き、僕は横になって、持ってきた文庫本の続きを読みはじめた。山本文緒の『恋愛中毒』だ。これは彼女のお薦めだった。いまは夏休み中なので、これといった文芸部の活動があるわけでもないのだけれど、気付けば何か小説を読んでいるのだから、僕も立派な本の虫になりつつあるのかもしれない。

 旅行中、部屋にこもって読むのも、と思いつつ、気付けば没頭してしまった僕は、ノックの音にも気付かなかった。

「わっ」

 と耳もとで大きな声が聞こえて、僕は思わず飛び上がってしまった。

 声の主は傘原だ。

「びっくりした……」

「ごめんごめん。全然気付いてくれないから」

 傘原とは、最初に会った頃は、そこまで良い関係ではなかったけれど、二年生に進級するくらいには、お互いに打ち解けあった感じがある。

「それにしても、やりすぎだ……。いや、まぁいいや。それで、どうしたの?」

「せっかくだし、リビングに来たら。叔父さんお手製のアイスがあるから、良かったら一緒に食べようよ。部屋にこもってないで」

 リビングに行くと、そこには傘原の叔父さんがいて、葉瑠の姿はなかった。

「あれ、葉瑠は?」

「外に散歩だって。一緒に行く? って聞いたら、断られちゃった。こんな雨の中、悪いから、だって」

「というか、こんな雨なのに、なんで外に行ったの?」

「海沿いの景色なんて、めったに見れないから、できる限り、見たいんだって」

「そうなんだ。葉瑠、楽しみにしてたからね。……美味しい。そう言えば、話変わるけど、傘原の叔父さんの外見、ってすごく若く見えるよね」

「うん。私のお兄ちゃん、って言っても、ぎりぎり通りそうな気もする」そこで傘原は、声を潜める。「お母さんはただの若作りだ、って馬鹿にしてるけど。……あんまり仲良くないんだ。むかしからふらふらとしてる、って。でも、私は自由な感じが好きなんだけど」

 あとになって聞いた話だが、傘原の叔父さんは彼女の親戚のほとんどから、あまりよく思われていなかったらしい。ただ傘原自身はこの叔父さんのことが好きで、この民宿を定期的に訪れていたそうだ。だからこの時、僕は事前に、彼女が両親に許可をもらったうえで、ここに来ている、と思っていたのだけれど、内緒にしていたみたいだ。

 自由に生きる、と言葉にするのは簡単だ。だけど実際に行動に移すのは、思いのほか、難しい。傘原の叔父さんは実際に行動をしたひとで、その姿に憧れたのかもしれない。

 傘原は高校卒業後、周囲の反対を押し切って、この民宿で働きはじめた、と聞いたからだ。

「でも口調とか雰囲気とか、すこし傘原と叔父さん、って似てるよね」

 僕がそう言った時、傘原は苦笑いを浮かべながらも、どこか嬉しそうだった。

 テーブルを挟んで対面に座る僕たちはアイスを食べながら、すこしの間、無言だった。そして沈黙を破るように、傘原が言った。

「葉瑠と結城、って付き合ってる?」

「急に、なんだよ」

「いや、気になって。こう、ほら葉瑠のいるところだと聞けないから。ねぇ、教えてよ」

「もちろん……付き合ってないよ」

「そっか……、あぁうん。本来なら、ほっとしたほうが良いんだろうけど。実は、ちょっと気になる噂を聞いて、さ」

「噂か、たぶん、その噂、僕も知ってる」

 夏休みがはじまる前に耳にした。聞けるならば葉瑠に直接聞きたいけれど、いまだに聞けずにいることだ。葉瑠の口から飛び出す答えが怖くて。

「私、たぶん誰が葉瑠と付き合ったとしても、嫌な気持ちになった、と思う。前にも言ったけど、私はそれぐらい、彼女のことが好きだから。……でも、もしも誰かと付き合うんだとしたら、私は結城が良かったかな、って、そう思ってる」

 私は結城が良かったかな。

 その言葉は意外な音となって、僕の心に届いた。


 俺、さ。彼女に告白しよう、と思ってる。

 言葉がふいによみがえる。彼からその話を聞かされたのは、彼の所属する野球部の、春季大会が終わってすぐのことだ。城阪はその大会の時点で、すでに野球部のエースになっていて、春季大会では、優勝候補だった私立の強豪校を相手にノーヒットノーランをした、とちょっとした話題になっていた。優勝こそ逃したものの、準決勝まで進んだ。

 学内という枠をこえて、当時の城阪は名の知れた高校生だった。

 ただ春季大会が終わって以降の彼は、どこか表情が荒んでいた。教室にいる時も、以前に比べて素っ気なくなった。野球部のほうが大変なのだろう、と思っていた。実際、その考えは間違ってはいなかったのだろうけれど、それだけでもなかったのだ、きっと。

 あれは五月の中旬頃だった。

 梅雨の時期で、小雨が降る中、僕は補習のために放課後も学校に残っていた。終わって、帰ろうと校門を出ると、もう雨は止んでいた。グラウンドの前を通って歩く僕の姿を呼びかける声が聞こえた。

 グラウンド端のネットまで走ってきたのは、城阪だった。泥の付いたユニフォームを着ている。

「結城! 俺も、もうすぐ終わりなんだけど、ちょっと待っててくれないか?」

「えっ、あ」

「もしかして急いでる?」

「いや、そんなことないけど……。まだ練習、終わってないだろ」

「終わる終わる」

 と言って、彼が監督のもとに走っていった。

 仕方ない、と僕は正門玄関の段差部に座って、すこしの間、彼が来るのを待つことにした。急いでユニフォームから変えたのか、制服は着崩れている。練習の後らしく、城阪からは、土と汗の混じったようなにおいがした。

「ごめんな。待たせて。実はちょっと話したいことがあったんだ。どっか、行かないか?」

 そんな話になって、僕と城阪は近くのちいさなスーパーマーケットに行くことになった。店の前の庇の下に置かれたベンチに座り、彼が僕にコーラを一本奢ってくれた。ベットボトルのふたを開けると、ぷしゅり、と気の抜ける音がした。彼は手にブラックの缶コーヒーを持っている。ジュースの類は野球部の監督から禁止されているそうだ。

 時間帯のせいだけではなく、もともと流行っていないこともあり、店を出入りするお客さんはほとんどいなかった。

「永瀬のことが、好きだ」まわりくどい言い方はせず、彼は単刀直入に言った。「俺、さ。彼女に告白しよう、と思ってる」

 その素直さは僕にはないもので、心底、羨ましい、と思う。

「そうか……頑張れよ」

「怒らないのか?」

 そう言った彼の口調のほうが、どこか怒りを感じる。

「なんで?」

 僕はできるだけ何気ない態度を心掛けた。ちいさな自尊心が邪魔をして、僕は彼のように素直になれなかった。

「だって、永瀬のこと、好きだろ」

「前も言ったけど、僕たちは変な関係じゃないよ」

「ふぅん」

 僕と彼の間に、わずかな沈黙が流れた。短かったけれど、その時の雰囲気はすごく嫌だった。彼がどう思っていたかは分からないけれど……。

「本当だよ」

 重ねるような僕の言葉は、かすかに掠れていた。

「心のどこかで思ってたんだ。俺、自分が優しいやつだって、ね。だけど違うみたいだ。お前たちふたりを見てると、さ」

 自分の持っていた缶コーヒーを飲みほした。そしてベンチの背もたれに体重を預けると、大きな息をひとつ吐き出した。

「優しいやつは、そんなこと言わないよ」

 すこし冗談めかした口調を意識して、僕は言った。

「それも、そうだな」

 あの時の会話を思い出しながら、ずっと考えていたことがある。僕に抜け駆けして、葉瑠に告白をしようとする自身の行動を、優しくない、と評していたのだ、と。僕はそんなふうに捉えていた。

 だけど僕はその意味を取り違えていたのかもしれない。それこそ、幽霊になった葉瑠を前にして、過去を回想する、いまのいままで。

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