実験カルテ 1
ヴィヴィエッタはオペラグラスを使いながら東屋を食い入るように見ていた。
オペラグラスはちょうどリーリエがルイに紅茶を注ぐ場面を映していた。今回の実験は3段階構成になっている。そして、まだ今はハイライトなんかではない。
リーリエが紅茶を注いでから東屋を出ていく。きっとあれこれ理由をつけたのだろうが、ルイは笑顔を崩さずにそれを見送った。そのまま紅茶を口に含んだ。
「かかったわね」
ヴィヴィエッタは嬉しそうに笑う。彼が今飲んだものは少し前に調合した薬品だ。相変わらず効き目はバッチリだ。
東屋で狼狽えるルイを見ながらヴィヴィエッタはくすくすと笑う。
「あら、随分可愛く仕上がったわね」
さて、これからあの王子はどう対応するのだろう?
ヴィヴィエッタは第二段階の準備に取りかかることにした。
***
なんだこれ。
驚きすぎてそんな声すら出なかった。いや、正しくはあまりに聞き馴染みのない声に驚いて声が出せなかった。
高い声、小さい身体、ぶかぶかすぎる制服。
信じられなかったが、ルイは自分が女性、というより少女の姿になっていることを察知した。
悲鳴をあげようにも違和感しかない声が出てきて口を窄める。
(なんだろう、あの紅茶か……)
毒を盛られた、はたまた性転換か何か病気の類だろうか。
ルイは必死に考えを巡らせる。
けれど流石にぶかぶかのシャツ一枚では心もとなくて、くしゃみをしてしまった。
「……あなた、大丈夫?」
うっすら聞いたことのある声に顔を上げると、黒髪の女性が見下ろすように立っていた。見覚えがある、とルイはようやく彼女が自分の婚約者であることに気がついた。
「迷子かしら。自分の名前は言える? どこから来たの?」
「んー、んー!?」
ルイはそこで自分の名前が言えないことに気がついた。それならば、と目を指差して確認するよう言うもラリアは困ったように眉を下げるだけだ。
「…………目、何色に見える?」
「え、茶色、かしらね」
王家の象徴である群青の瞳まで失ってしまったら、自分が王子だと証明する術がない。
もはや、第四王子を亡き者にする、もしくは社会的に抹殺しようとした陰謀としか思えなくなったルイは愕然としたまま動けなくなってしまった。
「大丈夫。一緒に行きましょう。きっとどこかのご両親についてきたのね。すぐ見つかるわ」
ルイはなんて呑気な女だ、と罵りたくなったが頼れるのが彼女だけだと思い直し口をつぐむ。
「それにしてもどうして男性用の制服を……? あなた、スカーレットの髪色が素敵ね。私が好きだった方にそっくりだわ」
「君が好きだった方……?」
ルイは「もう好きじゃないのか」と続けて尋ねようとしたが、あえて深掘りすることではないと口をつぐむ。スカーレットの髪など、国に数えるほどしかいないのだ。ましてや、幼い頃から王族の婚約者として過ごしてきたラリアが別の男性に目を向けているなど考えられなかった。
(当然、だな)
俯いていたルイを迷子になって心細いのだと判断したラリアは頭をそっと撫でた。それから軽々とルイを抱き上げてみせた。
「は、おろ、下ろせ」
「レディがそんな粗雑な言葉遣いをしてはいけないわ。さあ、行きましょう」
取り乱すルイに全く動じることもなくラリアは歩き始める。
もちろん彼の親が見つかるはずはない。困ったラリアが教員にルイを託そうとしたとき、目の前を水色髪の美しい令嬢が通りすぎていく。
「ヴィヴィエッタ様!」
「……あらあら、随分可愛らしい少女ですこと。どうなさったの?」
ヴィヴィエッタはわざとらしくとぼけてみせる。嘲笑とも取れる腹黒い笑みはルイに向けられている。
ルイは一瞬目を疑った。彼は今まで兄の婚約者としての、美しい誰よりも完璧な令嬢という印象しかない。いつも麗しく笑っていて、決して意地の悪い表情なんて見せないはずだ。
ルイはそこで、ヴィヴィエッタの輝かしい功績の数々を思い出し、解毒薬を作ってくれるよう頼もうと声を上げようとした。
「でしたら、ラリア様が面倒をみられてはいかがです? ほら、そんなに抱きついて、とても懐いているように思いますわ」
いや、違う、腕力で押さえつけられているだけだ、と言いたかったルイだったが、ラリアが「では、そうします」と思いの外嬉しそうに返事をしてしまったので、項垂れるしかなくなった。
せめて、この不可思議な現象だけでもなんとか伝えられないか。
ルイはラリアの腕の中で必死に考えるも、ヴィヴィエッタは既に別れの挨拶をし終えていた。
「ごきげんよう、数日の間、どうぞ元気でいらして」
ヴィヴィエッタはそうルイに向かって微笑んだ。
けれどそこでルイは今度こそ目を見開いた。
ヴィヴィエッタは確かに「ごきげんよう、ルイ殿下」と口を動かしていた。
決して、これも、先ほどのだって見間違いなんかではなかったのだ。そう気付かされた。




