実験カルテ 3
「ああ、よかった、お加減はいかがですか」
視界いっぱいにラリアが飛び込んできて、ルイは心臓が飛び跳ねそうになった。なぜか学園の療養室で眠っていたらしい。
ルイの頬にあるはずの手のひら形の腫れはすっかり消えている。
ラリアによると、学園の教室で眠っていたところをヴィヴィエッタとリアンが見つけてここまで運んできたらしかった。ラリアはその知らせを受けてやってきたのだという。
「おかしいな。なぜ学園に……」
そこまで言いかけて、自分がヴィヴィエッタに会うために学園まで走ってきたことを思い出す。なぜか優しいヴィヴィエッタを怖いと思ったことは鮮明に思い出せるのに、肝心の会いに行った理由が不鮮明だ。
「まだ休んでいてください。ヴィヴィエッタ様も様子を見た方が良いと言っていましたから」
「あ、ああ。そうするよ」
ついと目を逸らして答える。
今まできちんと意識することのなかったラリアにドキドキするのだ。昨日まではなんともなかったはずなのに、なんだか変だ。
「では、わたくしはこれで……」
ラリアは少し眉を下げて部屋を出て行こうとする。
引き止めて、何か言わなければ。そんな思いだけが頭を支配していた。
「待ってくれ、俺、俺……」
俺は女性を軽く扱いすぎた。懺悔の気持ちはやたらありありと思い出せる。婚約者のラリアを蔑ろにしたこと。リーリエを弄ぶような真似をしたこと。
『都合のいいやつだ』とリアンが頭の中で言う。けれど、自分にはこうすることしか今はまだ思いつかないのだ。
ルイはベッドから起き上がって、きちんと頭を下げた。
それからラリアの目をしっかりと見て口を開いた――
***
「実験は成功かしらね。自分が幼い女の子になって、ラリア様に世話をしてもらっていた記憶も平手打ちされた記憶も消えたみたい」
「成功してなかったらやばかったけどな」
リアンは半ば呆れ気味に言った。
療養室でのやりとりを見届けたあと、2人は人気のない廊下を歩いていた。
王族への投薬、ビンタ、到底許されることではない。自分に落ち度のあるルイが騒ぎ立てたとは考えにくいが、それでも危険なことはたしかだった。
「ヴィーにしては今回は人助けに近かったな? だって結局実験だってルイにしか行ってないじゃないか」
元々ヴィヴィエッタは「ラリアからルイの記憶を消す」という依頼を引き受けたのだ。それが、実際はルイから幼女になっていた記憶を消しただけだ。いつものヴィヴィエッタなら関わった3人分の記憶を消すぐらいの所業はするはずなのだ。
「あら、考えなしに行ったとでも?」
「……まあ、何かあるだろうとは思っていたが」
「最初からわたしの目的はルイ殿下でしてよ」
ヴィヴィエッタは「前からルイ殿下の行為は目に余るものがありましたの」と肩をすくめた。
「一国の第4王子があんなでは困りますわ」
「じゃあ、ヴィーは今回は国のために動いたってことか?」
国から逃亡する予定のヴィヴィエッタがわざわざそんなことをするメリットはないはず。リアンは訝しげにヴィヴィエッタを見つめる。
「……ルカがルイ殿下の側近になるから」
「え?」
「ですから、ルキウスがあのルイ殿下の側近になるからですわ」
リアンは顔を赤くしたヴィヴィエッタに呆気に取られてしまった。けれどブルーベル公爵家の長男であるルキウスは王太子を補佐する宰相のポジションが決められているのに、なぜ。
「近い将来、ルカの出生が露呈しますわ。それで……」
地位を下げられてしまう、ということかとリアンは察した。未来視か何かの魔法で知ったのだろう。ヴィヴィエッタから弟であるルキウスの話はあまり聞かないが、ルキウスは公爵の血筋ではない。おそらくそれがバレてしまうのだろう。
もちろんヴィヴィエッタが止める術を考えなかったわけではない。けれど噂の発生源は掴めなかった。おそらく公爵夫人の間男あたりだとは思うが、口封じに存在を消す、など物騒な考えはなんとか封じた。
「あんな体たらくではルカが困るでしょう。女遊びを嗜める役柄など、わたしの弟にさせるわけにはいきませんから」
「……つまり、ヴィーはルカくんのために今回の実験をしたんだね?」
にやにやと揶揄うように言うと、ヴィヴィエッタはぷいっとそっぽを向いてしまった。珍しく照れている。
「もちろん、最重要事項は記憶を消す薬の完成でしてよ」
「でもルイが目的だったと最初に言っていただろ?」
「あんまり言うとリアン様の記憶も消しますわよ?」
「怖い怖い」とリアンはわざとらしく言ってのける。ヴィヴィエッタの形相は鬼のように変化しかけた。
「ヴィーのことだ。国直しと弟以外にも利益があるんだろ。全部教えてくれよ、面白いし」
「面白くはありませんわ」
ヴィヴィエッタは鬼から麗しい令嬢顔に戻すと平然と言ってのける。
「性転換薬と子供化の薬の効果確認もできましたし、あと使いぱしり……いえ、優秀な召使いのスカウトにも成功しましたし。ああ、あとバラの専売権も得ることができましたわ」
「相変わらずえげつないな……」
そういえば、とリアンはルイ幼女のことを思い出す。思い出すだけで笑ってしまいそうだが、自分もやられたら面倒なので澄まし顔で尋ねた。
「ラリア様には学園のどなたかの令嬢に付き添っていた侍女の子供だったと説明しましてよ。ラリア様ったら、随分信じやすくって心配になるくらいですわね」
「はは……けどまあ、あの薬はあの薬ですごかったけどな。何のために作ったんだよ?」
「あれは完全に趣味の一環ですわ。簡単でしたのよ」
趣味ってなんだ、とリアンは心の中でツッコんだ。ヴィヴィエッタの男の姿は見てみたい気もするが、自分より逞しそうで気が引ける。幼いヴィヴィエッタは……そこまで考えてリアンは思考を止めた方がいいと判断した。
「召使いってのはリーリエ嬢のことか?」
「没落して田舎に行くのとわたしの元で働くのどちらがいいか尋ねましたの」
「それはまあ、そっちの方がいいだろ」
「彼女には主にベイリー伯爵領の騎士団へのお使いをさせるつもりでしてよ。あそこまでわたしが薬を届けに行くのは大変ですから」
それに材料も必要だったら取ってきてもらえるし、とヴィヴィエッタは笑った。きっちり働かせるつもりらしい。
「それに彼女は可愛らしいですから、騎士団の皆さまも喜びますわ。傷心中の女性はなんとも儚く映ることでしょうし」
「ぜひアルバート殿と良い仲になってほしいな」
リアンは乾いた笑みを浮かべる。あれからアルバートがヴィヴィエッタに手紙を送っていることを知らないリアンではないのだ。明らかに不機嫌になったリアンを見てヴィヴィエッタは少しだけ笑う。
「で、バラの専売権ってなんだよ。初耳だが」
「ああ、言ってませんでしたわね。といってもリアン様はあの日パーティにはいらっしゃらなかったから知らなくて当然でしょうけれど」
「行きたいとは思っていたんだ、ヴィーが出るって言うから。っていうか、誰のエスコートで入場したんだよ、なあ」
ヴィヴィエッタはリアンの追撃を華麗にスルーして鞄から紙を取り出した。そこにはバラの輸出に関する契約情報が書かれている。
「あの日隣国ウェルティアから親善大使様がお忍びでいらしていたのですわ。それでわたしが育てていたバラを大層気に入ってくれたそうで」
隣国ウェルティアという言葉にヴィヴィエッタは若干眉を顰めたものの話を続ける。
「どう宣伝しようか迷っていましたの。そうしたら偶然ラリア様のドレスを手直しすることになりまして」
うふふとヴィヴィエッタは楽しげに笑う。パーティには参加していなかったリアンだが、ラリアのドレスの話は耳にしていた。瞳やドレスの色に合う美しいバラを纏っていたと。
「逃亡計画の資金集めか? 全く、相変わらずよくやるな」
「武器は多い方がいいですからね」
驚きを通り越して呆れ気味にリアンは言った。その際にリアンはヴィヴィエッタの表情を盗み見た。
(契約内容……ルキウスが契約を継ぐことが記されていたな)
小さい文字ではあったが、はっきりそう書かれていた。
つまり、これも全て自分がいなくなった後のため、ということになる。
(姉として残していく弟が心配なのだろうが……そこまでして国を出ていこうとするのはなぜだ?)
ヴィヴィエッタは相変わらず楽しそうに今回の利益について話をしている。リアンには上手く彼女の表情が読み取れなかった。
ただ、違和感だけが妙に渦巻く。
「記憶を消す薬は――誰に使うつもりなんだ?」
ヴィヴィエッタは小さく笑うだけで、何も答えなかった。




