実験カルテ 2
ルイはラリアと共に侯爵家へと帰ってきていた。
少女の姿なので、ラリアの幼い頃を懐かしがったメイドたちに良いように着飾られてしまったのは不本意だが、仕方がない。
(ベイリー侯爵家にきたことはあまりなかったな)
ルイは広い邸宅を散策していた。ラリアと婚約関係を結んで随分経つが、ここを訪れたのは数回しかない。
そもそも、ラリアが学校以外の時間をどのように使っているかなどさっぱり知らなかった。もちろん、休日にどこかへ誘うなんてこともなく。
「お嬢様、もっと姿勢良く。顎はひいて、まっすぐ」
ふいにそんな厳しい声が聞こえてきて、ルイは声がする方を向いた。うっすら開いた扉の隙間からは何やらマナーのレッスンをしていることが窺えた。
好奇心に駆られて覗き込むと、ラリアの姿が映った。
直すところなど見つからないが、ラリアは講師の言うことに耳を傾けて自分の所作を見直していく。
その凛とした姿があまりにも美しくて、ルイは息を呑んだ。
今まで何となく見ていたマゼンタの目が伏せられている様がどうしようもなく綺麗だったのだ。
視線を感じたのか、ラリアが扉へ顔を向けた。ルイはその瞬間に飛び退いて勢いよく走り去ってしまった。
それから数日間、ルイはラリアと共に過ごした。
一緒に朝食をとり、夕方頃は勉強をする。たまにカードゲームをしたりもした。
王宮は王子が失踪して大変なことになってやしないか、と思ったが上の兄たちがよく3、4日ほど執務で引き篭もることがあるためあまり大事にされていないことだろう。
早く戻りたい、なんて考えはどこかへ消え、存外今の生活を楽しんでいた。
ある日、学校から帰宅したラリアはドレス合わせをしていた。
ルイはその様子を少し頬を赤く染めながら眺めていた。そうしてふいに、
「君はどうしてそんなに頑張るの?」
と尋ねてしまった。
あまりにも抽象的な質問に顔を赤くしたルイだったが、ラリアはなんとなく察したようで、はにかんだ。
「ふさわしいレディになりたいの。誰よりも綺麗な……ヴィヴィエッタ様がいるからそれは不可能だけれど、堂々と立っていられる強くて美しい令嬢になりたいと、そう思うのよ」
「もう十分なんじゃないかと思うんだけどな」
「全然よ。まあ……もしかしたらもうわたくしが立っていられる場は無くなってしまうかもしれないけれどね」
それは暗に第四王子の婚約者ではなくなると、そう言っているように聞こえた。けれど自分はまだ婚約を解消したわけではない。
まさか、彼女の方から?
「わたくし、ずっと好きだった方がいらしたの。けれどその方はわたくしなんて見てもいないわ。あなたは、素敵な方と添い遂げられるといいわね」
「……別に、その人は君との婚約を解消しようとなんて思ってないよ」
口走った言葉にラリアは一瞬眉を顰めた。けれどすぐにこの少女は自分と第四王子が婚約関係にあることを知っているのだと判断した。それから眉を下げたまま諭すように続けた。
「でも、もういいのよ。もう忘れることにしたの」
「忘れるって、どうやって」
ラリアは苦笑しただけで答えなかったが、ルイの中には1人思い当たる人物がいた。
それはおそらく自分をこの姿にしたであろう令嬢だ。
彼女の嘲笑を思い出すと、全てが繋がっているように思えた。なぜ彼女がそんなことをしたのかはいまいち理解できなかったが。
「俺、ちょっと出かけてくる!」
「ちょっと……!」
部屋を飛び出していったルイを、ラリアは呆然としたまま「俺なんて言ってはダメよ……」とこぼしたのだった。
***
ヴィヴィエッタとリアンが空き教室で談笑していると、突然ドアがひどい音を立てて開いた。
うるさい来訪者にヴィヴィエッタは眉を顰めつつ振り返る。
そこにはスカーレットの長い髪の毛をくるくるに巻いてもらった随分と可愛らしい少女がいた。
リアンが思わず吹き出したのは言うまでもない。
「どうしたんですの、随分慌ててらっしゃるようだけれど」
「ヴィヴィエッタ義姉さま。なぜこのようなことをなさるのです!?」
「あら、お気づきになりまして?」
ヴィヴィエッタがくすくすと、以前のような嘲笑を浮かべた。
ルイは未だにその現実が受け入れられなかった。兄の婚約者であった彼女はいつも美しかったから。
「女は美しいだけではありませんわ。ましてやあなたの快楽のための道具でもありませんし、わたしたちにだって意志というものがございます」
ヴィヴィエッタが強く言い放った。ルイは咄嗟に顔を伏せてしまった。全て思い当たることがあったからだ。
「まだあなたはわたしの言葉の意味を理解していませんわ。一生少女の姿でいたいのなら構いませんけれど」
「やっぱり、義姉さまの薬でこの姿になったのですね……どうしたら戻るのですか」
「ええと、真実の愛、かしら?」
ころころとヴィヴィエッタは笑ってみせた。
ルイの脳裏にはラリアの姿がぼんやりとうかぶ。ルイはすぐさま方向転換をしてドアノブに手をかけた。
「『よし、じゃあラリア嬢の元へ行って愛を伝えてこよう! それで万事解決だ!』か? まったく、虫がいいな」
「ふふ、今のルイ殿下の真似ですの? ちょっと似ていて笑ってしまいましてよ」
あからさまに馬鹿にし合うヴィヴィエッタとリアンに思わずルイはキッと睨む。
「もちろん、そーんな生ぬるい温情措置は取りませんわ」
ヴィヴィエッタは楽しげに笑う。ルイはその笑みが悪魔の微笑みに見えて後ずさる。
「知ってまして? 真実の愛にも色々ありますのよ。たしかに絵本の中のような男女の美しい恋模様だけがそうかと思いがちですが……捨てられた愛、忘れた愛。それだって全て真実の愛でしてよ」
ヴィヴィエッタはそう言うと、おもむろに立ち位置を変えた。ヴィヴィエッタの奥には可憐なアイボリーの髪の令嬢が腰掛けていた。
いつからその場に彼女がいたのだとルイは青ざめる。
リーリエは長い髪をまるで幽霊のように揺らしながら、ふらりと立ち上がった。その足先は真っ直ぐルイへと向けられている。
「リーリエ嬢はルイのことが好きなんじゃないのかよ?」
「あらあら、まだまだですわねリアン様」
完全に傍観者として楽しんでいる2人はヒソヒソと声を交わす。
「恋をする乙女は盲目と言いますが……恋から覚めた後はそれはもう視界が鮮明になるのですわ」
女って怖い、とリアンは震えた。
まもなく、部屋には頬が弾かれる音と、ぎゃっと汚い高音が響き渡ったのだった。




