結華の龍
荘厳な空間だった。
神秘的というというよりも異界的、どこまでも透き通るような結晶でできた空間が脳の空間把握を狂わせる。
そしてその空間の中心にいたのは一匹の龍。
淡い緑を体に宿した龍である。
その姿は伝承や言い伝えで聞くものとは似ても似つかない。
腹を割り肋骨を手足とし、有機物と無機物の融合体のような見た目をして、身体中から結晶のかけらを突き出している。その中で唯一顔だけが生物らしさを保っている。
嫌悪感を抱く見た目だ。しかし同時に神秘性を感じる。
音が響く。それはノイズが混ざった不透明な音。不協和音のような頭が痛くなるような音だ。
しかしその音が次第に形を持ち、確かな意味がわかる言葉となって頭に響く。
まるで脳の中を直接舐められているような不快感が全身を襲う。
『なるほど、お前たちはその小娘の妹を助けるためにやってきたのか。私の涙を狙って』
そう体をうねらす龍。
心を読み取ったのか一部始終を見ていたのか龍はここにくるまでの経緯と狙っているものさえも言い当てた。
結晶のかけらが砕け散り空間内に撒き散らされる。
『笑止千万。愚かなり。私に叶わぬと気づけぬか!ロア・アストラング!』
そうジエルはかつてこの場所に来たことがある。
思い出したくもない記憶。しかし思い出さざる得ない。この場所そういう場所だ。
何年か前、ロアは確かにこの場所に来た。もちろん進んで来たわけでない。この場所に強制的に送られたともいうべきか。二人の兄と一人の姉に湖に蹴り落とされこの場所に送られたのだ。
修行という名を冠した一種の嗜好的行為である。
形態化した習慣的な日常の一部でもあった。
だがその日の行動だけは常軌を逸していた。自他ともに認める<凡人>を竜のいる場に突き落とすなど正気の沙汰ではない。虐待やそれに準ずる行為ではない。もはや拷問だ。
心を失ったか。
誰もが死ぬと思った。むしろ周りからは死んでくれと思われていただろう。その方が厄介払いできて楽だと。
ロア本人ですらそう思っていた。生き延びれるはずがない。
だが生きた。生き延びた。当時の記憶はない。だけど生き延びていた。生きていたんだ。
ただ唯一わかるのは別に僕の隠された力が覚醒したわけでもチートじみた能力が開花したわけでもない。
鈍臭く戦い。生にしがみつき。死神から逃げ切ったということだけだ。
奇跡だろう。奇跡としか言いようがない。あの時の生き延びたのは。あの時場からは多分自分に運が世界が味方したのだと思う。
そう思うのだ。
「過去に未練はない。この場を我が死に場所としましょう!いざ尋常に結華の龍、ガルバイン!」
始まる雌雄を決する一世一代の大勝負。
決着はどちらかの命が尽きるまで。
もはや二度目はないだろう。龍相手にその命を持って帰ることができるなど。それこそ世界を三度は救える奇跡が必要だ。
ゆえにこの場所で刺し違えても龍の秘宝もとい龍の涙をいただく。
そしてそれを託すのだ。それが今、僕にできる最後のことだ。
両者ともに動く。
地面を蹴り神速の速さで龍の腹元に詰め寄るロア。それを阻もうと龍が結晶で出来た槍を一斉射出。
カカカカカ、そんな音が槍が地面に刺さるたびになる。
そしてその槍は次第に精度を上げ確実に着実にロアの背中を付け狙う。
たまらず横に回避、一度距離を取る。
しかし間髪入れなず龍が攻撃する。
それは獄炎。並の人間ならその熱だけで全身を焼かれかねん熱量を持った炎だ。
それが龍の口から放射される。扇型に放射された炎はいともたやすく地面を溶かし溶岩へと変える。
かすりでもすれば一瞬で人型の隅ができるだろう。
しかしここで止まることはできない。止まればおしまいだ。何も為す事なく終わってしまう。
前へ進め、臆せず前へ、未来を捨て前へ。
息を吸い止めた。
疾走、溶岩により足が焼けるより早く足を離し、前へ進む。それは毎日の厳しい鍛錬と人間離れした技術でなし得る神業だった。
腰を落とし片足を踏み出し、もう片足を引く。
全てのエネルギーが剣先に乗るように重心と体感に意識しながら剣を振るう。
ロアは足を止めた。
その時、全ての運動エネルギーが剣へと移動する。それは彼の家に伝わる抜刀術の一つ、止刀術<椿撫『静』>。かつて金剛でできた山すらも両断して見せたという絶対剣だ。
半月状の斬撃が壁を一キロもの距離にわたって切り裂く。
その威力は語るまでもない。
しかし肝心の龍には一切の効果が見られなかった。
一切の傷もなく一切の懸念すらないそんな様子。
傷の一つでも入ればと思って撃ったけど、やっぱり僕の攻撃じゃあ傷一つつけらないか。
結晶でできた地面が荒れた海のように波打つ。
立っているのすら難しい状態だ。
そこに火炎。確実な殺意がジエルを襲う。
「やば」
そんな言葉が自然とこぼれた。
ここで死ぬのはダメだ。時間をまだ時間を稼がねば、もっと龍の意識をこっちに向けさせなければ。確実に奴の命を奪うためにも。
決死の覚悟だった。文字通り決死だ。
剣を下から上へ振り抜く。
斬。火炎が見事に両断される。ジエルの左右を川のように激しく流れていく。
安心したのもつかの間、龍が徹底的にロアの命を奪おうと攻撃してくる。
四方を見るのもやっとな細さの結晶を作り出す。
長く鋭いその結晶は返しがついており、刺さっても重傷、抜けばさらに重症になる事間違いなしだ。
息つく暇もない。
この時ばかしは自分に魔法の才がないことを恨む。もし魔法が使えたらどれほど楽か。
正確には魔法を使うことはできる。しかしそれは見るに耐えない未完成の未熟なものだ。とても人前に出せたものではない。
兄弟たちならこの程度の攻撃、瞬きする間に防御しきるだろう。いとも簡単に、まるで朝食にコーヒーを飲むように。
しかし仕方がない。彼らは天才で僕は凡人だ。なら凡人なりの知恵と工夫で乗り切って見せよう。
一斉に襲いかかる極細の結晶。
致命傷になり得るものだけを剣で砕き、それ以外は風圧を使って軌道を逸らす。
何本かは当たるだろうけど戦闘不能になる事だけは避けられる。
軌道をずらされた極細の結晶がロアの体をかすめていく。
すでに傷だらけの体、もはや一つや二つ、傷が増えたところで気にするようなものでもない。
この作戦が功を奏し、無数の切り傷を体に作ることにはなったが、一本も刺さることなく凌ぎ切った。
子供のようなふざけた小細工だが時にはどんな名将の作戦よりも頼りになるものだ。
だがやはり龍。間髪入れず次の攻撃に打って出た。
結晶のかけらを混じらせた火炎を発生させる。熱風が渦巻き、その中に熱気と結晶が閉じ込められ、それはまるで燦々と地上を照らす太陽のようにも見えた。
それもそれが無数に存在している。
この攻撃で決めるつもりだ。
あんなものが一斉に爆ぜれば、龍以外の全ての生物は即座に死に絶えるだろう。
それはいかなる能力を持ってようともどれほど強い再生能力を持っていようともだ。
爆ぜた勢いで放出された結晶に体を貫かれ死ぬのが先か、熱風に体を焼かれて死ぬのが先か、はたまたその両方か。
どちらにせよこの攻撃の先に未来はないのは確実だ。
あまりにも絶望的状況。
だがロアはこの時を待っていた。
耐え、耐え、耐え続け、この時を待っていたのだ。
走り出す。
右手に握られた剣に力が入る。
この機を逃せばそれこそもはや勝機がなくなる。最初で最後のチャンスだ。
絶対に失敗できない。
しかし足取りはいつになく軽やかだ。
飛んだ。
踏み込み龍の顔めがけての跳躍。
予想外の行動に龍の思考に一瞬のノイズが走る。
その動揺が刹那の隙を作る。
その隙が欲しかった。
手を挙げ引いた。それは突き刺す体勢。
龍の眼中に浮かぶのは愚かだと笑った人間が自分に一矢報いようとする姿。
皮肉なものだ。この作戦は生態系から逸脱した力を持ち、生物界の絶対的王者たる龍種だからこそ成立した作戦。その力にうつつを抜かし、自分たちを脅かす存在などいないと胡座をかいた結果。その慢心からくる人への侮りを逆手にとったものだ。
ゆえにこの作戦が成立するのはたった一回。油断し本気を出さないこの一回のみ遂行を可能とする。
天上天下<破滅月『絶対淘汰』>
その突きは唯一、ロアが龍に対しダメージを与えられる可能性のある攻撃。
地を裂き、天を穿つその技はかつて初代アストラング家当主が使ったとされる。
光すら置き去りにし、次元や時間、空間さえも超越しうる防御不可の攻撃である。
まさに『絶対淘汰』の名を冠するにふさわしい技だ。
通った。攻撃が通った。
ロアの突きは龍の瞳を貫き、血しぶきを放射状に天を舞う。
いつぶりの傷か。龍は苦悶の表情とともに声を上げる。
『人間風情が私に傷をつけるなど!』と叫ぶ。
横から結晶が伸び、ロアを突き飛ばす。さらに追撃しようとするもその攻撃がロアに届くことはなかった。
左目を潰されたことによって生まれた死角。
その死角から一つの影が飛ぶ。
空高く飛び靡く金の髪が踊り狂う。
青の双眸は龍の心臓を見据え、冷たくも暖かい視線で彼の者に慈愛と惨劇を送る。その翼は天使のように美しく儚げで、しかし悪魔のように暗く冷酷な黒の色。
その名を語るものは少なく。魔族の王として君臨しうる唯一の種族。夜を統べ、闇を統べ、魔族を統べる地上界の帝王<吸血鬼>。
龍に対抗する唯一の牙だ。
その瞳に青き炎が宿る。
拳に残った黒の残滓が赤と紫の紫電を帯び、死神を呼び寄せる。
それは光の残像。全ての飲み込む特異点の誕生。
そしてその力は生物界の頂点である龍すらも恐怖させる。
ロアへの攻撃を中止し13枚の結界を作り出す。
ルディアの拳に残った黒の残滓と結界が衝突する。
高魔力同士が衝突した時に起こる特有の衝撃により体が後方へ引っ張られる。
パリン、一枚。
パリン、二枚。
パリン、三枚。
パリン、四枚。
パリン、五枚。
パリン、六枚。
パリン、七枚。
パリン、八枚。
パリン、九枚。
パリン、十枚。
パリン、十一枚。
パリン、十二枚。
十二枚割れた。しかし最後の一枚。最後の一枚だけが割れない。
龍の鼻先を寸前に一枚の薄い結界で触れることすら叶わない。
理を超えた存在だからこそできる異常な魔力量が注がれたその結界はもはや世界そのものをこちらとあちらで分かたれている。
次元や空間の問題ではない。世界そのものを分断されたたら必要になってくるのはもはや世界を超える力だ。破壊の力ではない。
龍が向こう側から話しかけてくる。
『その力……『原罪』によるものか!』
龍が笑う。
意地汚い笑いが頭の中に響く。
気持ち悪い。
『しかしいかなる『原罪』持ってしてもこの結界を破ることはできぬ!これにてしまいだ!』
龍の口に熱気が帯びる。
あの炎が来る。
しかし防御することはできない。もしここでこの結界を破ることができなければ、この攻撃を避けることができたところで二度とこんなチャンスは巡ってこない。慢心をやめた龍に勝つことは不可能。ここで何としても仕留めなければ。決めなければ。
次第に思考に焦りが生まれ頬を冷や汗が流れる。
近づいて来る死への恐怖ももはや隠せない。ここに立っているのはもはや意地だ。
自分を鼓舞するように声を上げる。
「もう一発!」
左手にも黒の残滓を生成、結界に当てる。
魔力の波動で空間が歪む。
だが結界を破ることはできない。さらに魔力を送るもヒビすら入らない。
『無駄だ。貴様のような矮小な存在にこの結界を破ることは不可能!ここで散って行け!』 龍が口を開けた。それと同時に火炎が放出される。
終わりだ。そんな言葉が頭ののなく駆け巡った。
ごめんね、レティア。お姉ちゃん、レティアを助けてあげれなかった。
最初に出てきたのは妹への謝罪だった。聞こえていなくても届かなくても考えずにはいられなかった。
次に出てきたのはともに戦ってくれた一人の少年のことだった。
彼が龍の気を引き、ここまでやってくれたのに私はそのチャンスを物にできなかった。ごめん。
ルディアは静かに目を閉じた。
「まだだ!まだ終わってない!」
そんな言葉が聞こえてきた。
ばっと声が聞こえた方を見る。そこには剣を握った少年の姿。ロアの姿があった。
あの結界斬れるか。いや斬らなくては。斬らなくてはいけない。
剣を構える。そして振り下ろす。
剣と結界が火花を散らしぶつかる。
せめて刃先だけ、刃先だけでも入ってくれれば。
もう一度振るか?いやだめだ刃こぼれするだけで意味がない。
どうする。どうする。
思考の結果。行き着いた答えはひどく幼稚なものだった。
自分の魔力隅々からかき集め刃先に集める。そしてその魔力を一点に集中し、結界の魔力と相殺させ、無理やり結界内に剣をねじ込む。
脳筋。脳筋すぎる方法だ。
しかしその脳筋すぎる方法が功を奏した。本当に少しだが刃先が結界の中に入り込んだ。
その技は虐待じみた教育の賜物。
いつの日か読んだ家の剣術に関する記述の中にあった一つの記録。
名もない技の一つ。
しかしその名もなき技がこの結界を断つ。
柄を掴み持てる全ての魔力を持ってして可能にする技。
剣の刃から全力でそして高速で魔力を放出する。
その魔力は斬撃の波状となってまるで結界を分かつ光の剣となり、切り裂いてみせる。
弾けるように消える結界。それと同時に止まっていたルディアが動き出す。
黒の残滓が膨張する。それはまるで一つの銀河を見ているような気分。
走る紫電がまばゆい光を発生させる。
『惑星崩壊』
黒の残滓を纏ったルディアの拳と龍が触れた。
破壊、消滅、崩壊、瓦解。
そこにあったはずのものが無へと帰す。
それは尋常ではない苦痛と虚無感を生み出す。それこそ龍ですら悲鳴をあげてしまう方に。
その悲鳴に空間が揺れる。そして結晶にヒビが入る。
刹那の時であった。
心臓があった部分にはぽっかりと穴が空き、絶え間なく続いていた絶叫が止む。
龍の体に空いた穴の先で立ちすくむルディア。放心している様子だ。
ロアも静かに三回深呼吸する。乱れた呼吸を整え、確認する。
龍はピクリとも動かない。
どうやら倒したらしい。
「やった!!!」
その事実に喜ぶルディアを横目にロアもその場に腰を下ろす。
まさか生き残れるとは思えなかった。
どうやら二度も龍と戦い生き残った俺は随分と運がいいらしい。
とりあえず今は面倒臭いことは考えず龍を倒し生き残ったという達成感に浸っていたと思った。
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