プロローグ〜凡人と吸血鬼〜
少年ロアは凡人であった。
数々の天才を輩出してきた家系に生まれたにも関わらず一切の才を持たず、周りからは「出来損ない」や「クズ」扱いされ冷遇されていた。
決して彼が努力を怠ったわけではない。むしろ彼は人一倍努力した。周りかからの罵りにも負けず、ただ一人、手の皮がめくれ血が出ようとも、体を泥だけになろうとも、少しでも天才たちに近づけるように。
しかしその差は埋まるどころか離れていくばかりだった。
そしてロアは初めての家出した。
それは自分の無力さを恨み、誰にも必要とされない孤独に絶望したゆえのことだった。
そしてロアが家出したその日は7月9日、奇しくもロアの7歳の誕生日にして運命の出会いを果たす日でもある。
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それは天を埋め尽くすほどに星がさんざめく美しい夜だった。
春の夜はまだ少し冷たい。
小高い丘の上で少年は一人、膝を抱えて丸め込んでいた。
彼はまるで暗黒に身を投じている気分だった。自分の存在意義も生きる意味もわからなく。毎日人格否定のような言葉を投げかけられ、虐待にも似た教育を施される。
一切の拠り所はなく。完全なる孤独。
まるで自分から死ぬように仕向けられているような仕打ちだった。
「どうしたら、いいんだよ」
少年は静かにまるで夜に溶け込むようなか細い声で呟いた。
彼は地獄の中にいた。決して覚めぬ悪夢だ。
努力しても届かぬ才能。足掻こうとしても殺される努力。自分の非力さを知り無力さを魂に刻む、圧倒的才覚には凡人など木偶でしかないのだと知る。
その事実を知ってしまったらそこからは地獄だ。覚めぬ悪夢だ。直視することのできない世界だ。
決して逃れることはできない。
その事実を噛み締めながら咀嚼し、時間をかけてでも飲み込むしかない。
そうしなれけば訪れるのは『死』だ。
周りが少年が望む『死』だけが待っている。
7歳の少年にはあまりのも残酷すぎる事実だと言えよう。
嘆き悲しみ苦しむ少年を影が覆う。
それは月明かりを背に舞い降り一対の人影。月光とともに地上に降りる姿は、いつか見た神話の一説『希望の光』に出てくる天使を思わせる。
少なからず少年にはそう見える。
しかしその天使にはえる羽は決して白く純白の白鳥のようなものではない。
それはさながら悪魔の象徴、夜を我が物顔で跋扈する闇の住人。そう闇に住まい光を見守るコウモリのようで。その色も、深夜よりも深海よりも、深く暖かい冷徹の色。黒ではなく漆黒。漆黒ではなく暗黒の色だ。
赤と青の双眸が微かに月明かりを反射し輝かせる。
少年は思わず、立ち上がる。
それは無意識の行動。超自然的、合理的行動だ。
そして一対の人影は少年に声をかけた。
「ねぇ。君、何してるの?」
「泣いてるの?大丈夫?」
優しく輝かしいその声は少年の鼓膜を震わす。
少年はいつの間にか流れていた涙の跡を拭い、強がった声で言い張る。
「泣いてない!ただ考えていただけだ!」
あまりにも酷い言い訳。
それは少年にもわかっていた。涙の跡が見られている以上、どうあがいても言い逃れはできない。
しかし彼は矜持や誇りよりも、誰にも縋れない弱みを見せることのできない環境が少年にそう言わせているのだ。
7歳の少年にしてはあまりにも重すぎる重荷だ。
その重さで少年が潰れしまいそうだ。
人影は少年の顔見て、「そっか……」というばかりで特に何もいうわけでもなく。
ただのその暗黒色の羽を羽ばたかせる。
そして静かに地上に舞い散る花びらのように静かに水面を打つような優雅さで地面に降り立つ。
それは本能かはたまた直感か。
少年は彼女らを目の前にした時、瞬時に理解した。
白い陶磁のような肌は儚くも美しく、赤……いや、紅と青の双眸は人類離れした美麗さ、整った顔立ちはまるで人形のような造形美、どんな美人を持ってしても叶うことはない。そしてその口元に写る純白の牙。
決して人間では存在し得ないものだった。
今、目の前にいるのは人知の存在ではない。人の理から外れ、決して人と合間見れず、永遠に殺し合い、奪い合い、罵り合う存在。
<魔族>
だと、理解するのに時間はいらない。
一瞬だ。
そんな人類の仇敵に出会ったというのにロアは実に冷静だった。
騒ぎ立てることも逃げ惑うこともなく。ただただ彼女たちを見ていたんだ。
恐れず嘆かず、狼狽えず。
その姿はむしろ人間のものではない常軌を逸した冷静さといって差し支えないだろう。
それは拷問的、虐待的教育の末と言っても差し支えないだろう。
はたまたロア自身が元から狂っていたのかもしれない。
少なからず彼は動じず、臆せず、大の大人が逃げ出すような魔獣の前に一人立っていた。
魔族はロアに話しかける。
「初めまして人間さん。私、ルティア」
「私、レティア。あなたの名前は?」
ルティア、レティアと名乗る二人の少女はロアに名前を聞いてくる。
「僕の名前はジエル。ロア・アストラング」
それは彼が両親からもらった唯一の贈り物。
いつの日か受け取った最初で最後のプレゼントだ。
「ロア、ロア・アストラング……うん、覚えた」
「それじゃあ」
「私たちのために」
『死んでね』
それは条件反射。虐待のような教育が脳を介さず脊髄で行動させる。
とっさの跳躍。ロアが立っていた場所に大穴ができる。
それは認識の問題ではなく反射の問題だった。
何も見えなかった。一体何で攻撃されたのかも、なぜ避けることができたのかもわからなかった。
しかし彼は拳を構える。
それは本来抜刀術の構え、剣術の構えで行われる体術の姿勢。
体を落とし、腰に拳を構えは、彼の祖父が提案した体術の一つである。
抜刀拳。一切の防御を捨てた。完全な攻撃特化の体術である。
ルティアが動く。
その手には赤と黒、そして紫の稲妻が走る。
全てを飲み込んでしまいそうな闇の波動が、万物全てを恐怖させる。
予備動作はない。圧倒的殺意だけがロアを襲う。
地面を這うようにそれはロアに近づき、1秒とかからず足元に届く。
気づいた頃にはもう遅い。全てを破壊し、崩壊し、瓦解させるその攻撃が虚空さえも消し去る。
ゆえにロアは認識ではなく、気配で動いた。いわば反射、いわば直感だ。
彼は天才ではない。凡人だ。ただ普通の凡人ではない。努力してきた凡人だ。
その努力と暴力的教育で得た知識と経験がその魂に刻まれている。
咄嗟の裏拳。
抜刀の構えから放たれるその裏拳は見切れる早さではない。
ルティアの頬に当たり宙を翻り、体を無重力のような軽さで吹き飛ばす。
数度のバウンドの上、ルティアは受け身を取り、踏ん張る。
頬が切れる。
赤い血が顔を伝い地面に滴る。
そこまでは普通だ。しかし彼女は少し違った。
その傷が数秒もしないうちに再生したのだ。まるで時間が巻き戻ったように綺麗に。
それを見たとき相手の魔族に気づく。
暗黒のコウモリのような羽を持ち、その微かな月光も逃さない双眸、そして人にはない発達をした牙。
それらに合致する魔族はこの世に一つしかない。
その圧倒的魔力に敵うものはいなく。
その圧倒的身体能力に不可能はなし。
不死にしてして不老。
生と死をも支配する絶対王者。
闇を統べ、夜を統べ、すべての魔族を統べる存在。
<吸血鬼>
そのものだと。
そしてこの思考がロアに少しの隙を作る。
そのために気づけなかった。
ロアに周りを剣が覆う。
何十や何百など行った生半可な数ではない。何千、何百といった殺意の塊だ。
「ごめんなさい」
レティアが囁いた。
それと同時に一斉射出される剣。
一瞬にしてロアは剣の山の下敷きになる。
あまりにも酷い。あまりにも酷い。
串刺しではないミンチだ。
おそらくロアの原型は残っていないだろう。
残っていても微かな肉片。
それが免れない光景だった。
「……死んだの?」
「多分……」
剣の山となった物を見て二人は呟く。
その表情には哀愁、恐怖、後悔、懺悔、動揺といった色が濃く見られる。
そしてレティアがゆっくりと慎重に近づく。その姿は脱力し、力がない。心ここに在らずといった具合だ。
ゆえに気づかない。
窮鼠は猫を噛むこともあるということに気づかないのだ。
追い詰められた鼠ほど恐ろしく強いものはない。もはや捨てるものがない敵は盾を捨て、その身を矛とする。
蛮勇ではなく大勇、無謀ではなく可能性。
絶望に沈むのではなく一片の希望にすがるのだ。
それは完全な無意識からの攻撃。殺気を隠し、敵意を隠し、気配を隠す攻撃だ。
レティアが剣の山の前に立った時、それは動いた。
全身を血に濡らし、刺し傷、切り傷を負いながら一本の剣を神速で打ち出す。
認識はできない。
その刺突は本来、傷をつけることすら難しい吸血鬼の体をいともたらすく貫いて見せる。
「レティア!!!」
ルティアが叫んだ時には、レティアは音速を突破し後方100メートルまで吹き飛び、木々を粉砕した末、岩に叩きつけられやっと止まる。
「貴様ぁッッッッ!!!よくもレティアを!!!」
激昂したルティア、それは冷静な判断力を奪い。吸血鬼としての本能を解放する。
紅く光る双眸が月夜に一つの軌跡を残す。
瞬間、感じた死の気配。少年は身をよじり、後ろへ跳躍。
先ほどまで少年が立っていた場所の『空間』が消える。
『空間』という概念がその部分だけ消滅したのだ。それは万物の消滅を意味するのと同義だった。
長期戦は不利と悟った少年は短期決戦に持ち込むため覚悟を決める。
ロアが剣の山から飛び散った時、周辺に散らばった剣を手に取り、左手に握る。
そして口の横から息を吸い吐く独特の呼吸法で息を整える。
それは合図だった。
これから始まる無呼吸の戦いの。
縮地。数メートルの距離をロアは一瞬にして詰め。
左手を鞭のようにしならせた斬撃を縮地で発生した運動エネルギーを乗せ放つ。
それをルティアは腕の骨で止める。捨て身の防御。
しかし致命には至らず。
本来、金剛さえ切断する攻撃を受け止めるルティアの腕はメキメキという音を上げながらも、すぐに再生し、再生した時に巻き込んだ剣を乱雑に引き抜き、遠くへ投げ飛ばす。
ロアの左手から剣がなくなる。
しかし闘志は消えず、燃え盛る炎へ飛び込む虫のごとく、無謀な覚悟で拳を握る。
ロアはルティアの下腹部を蹴り上げ、攻撃と同時に後方へ跳躍。間合いを取ることに成功する。
しかしルティアもそれをみすみす見逃すような性格ではない。
それは吸血鬼の異常な身体能力が可能にする技。
拳を握るよりも先に間合いを詰められ、その勢いを保ったまま、手のひらを胸に打ち込む。
何かが砕ける音と激しい痛みに耐えながら空中三回、地上で七回の回転を見せ、足で地面を掴みやっと止まる。
そしてそれを好機と見たルティアがさらなる追撃を放つ。
ロアもまたそれを見越していたかのように左足を半歩下げ、拳を握る。
そして二つの攻撃が交差する瞬間、声が聞こえた。天使のような美声だ。
「待って!!!」
その声にロアとルティア、両者の手が止まる。
二人とも技が決まる寸前のところだった。
声の先に視線を向けるとそこにはルティアと瓜二つ、先ほどジエルの攻撃によって体を貫かれたレティアの姿があった。
貫かれた穴はすっかりふさがり、穴の空いてしまった服だけがロアの放った攻撃の破壊力を物語っている。
「お姉ちゃん、やっぱりこんなことやめよ?」
それは意外な言葉だった。
「この一線を越えたら命がけで私たちを守ってれたお母さんやお父さんたちに顔向けできないよ……」
「ダメだよ、レティア。こいつはすでに私たちの顔を見てる。今、殺さないと仲間を呼ばれて、私たちが殺される」
「でも!!!」
「レティア!お母さんの遺言、忘れたの?」
「それは……」
「私たちは『生きない』といけないの。それがみんなの最後の望みなんだよ」
押し黙るレティア。下を向き沈黙するその姿はもはや何をいうわけでもなく言葉すら失ったように感じる。
ルティアはジエルに向き直り、声をかける。
「そういうわけだから、ごめんね」
ルティアはその超人的破壊力を持った拳を振り上げた。
しかしそれが星が美しい夜に鮮血の華を咲かせることはなかった。
ルティアはジエルに攻撃を当てる寸前、攻撃の手を止めた。
風圧が疾風となりロアの頬を突き抜けていく。
そしてルティアの表情には困惑や嫌悪、侮蔑といったなんとも言えない表情を纏っていた。
その理由は明らかだった。
ロアが動かなかったのだ。
先ほどまで殺しあっていた人間が動かない。防御を解き、構えも辞め、殺気も敵意も消え去った。
それはもはや侮辱の域だった。
憤慨したような声音でルティアが問いかける。
「なんで抵抗しない!なんで反撃しようとしない!」
それは心からの叫び、怒りの叫び、嘆きの叫び、自責の叫びだった。
自分の苦しみから逃げるようなその声は美しい夜に似つかわしくないほど響き渡る。
「僕は生きることを望まれてないから」
少年は告げた。
残酷で苦しいまでに理解できる完璧な理論。
それは彼が思うに最も最善の答えだった。生きることが望まれている人間が生き、生きることを望まれていない人間が死ぬ。
ならこの命、生きるべき人間に捧げよう。
生きる屍が持っているのではなく。これからを生きる者に。
ルディアはどこか苦しそうな表情を見せてから、再び拳を振り上げた。
ロアは静かに目を瞑る。
鮮血が夜空に赤い雨を降らす。
野原の草花が血に塗れ、それは彼岸の園のような背景に様変わりした。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
面白いと思ったらブクマや感想をしてくれと嬉しいです。
この作品は作者が息抜きとして製作したものです。息抜きのため唐突に設定が増えたり最初の二、三話はキャラの性格、設定諸々がブレまくります。そのことをご容赦ください。
書き溜めはありますがあくまで息抜きなので不定期更新します。




