三章・反撃の始まり(2)
『何をする気?』
母が結界を抜け近付いて来る。それを察知したミナの影は歓喜しつつ到着の時を待っていた。
だが、やがて不可解さに首を傾げる。同行者は少数。例の木が変化した船に乗り、凄まじい速度で飛んで来ながら一向に速度を落とす気配が無い。
ママは何をしたいの? 地上から見上げていた彼女の頭上でようやく船が急減速を行い停止した。そして数秒後、いきなり世界中から“銀の霧”が吸い寄せられ巨大な水の球を形作る。
『まさか、追い出す気!?』
そのまさかだった。
「今です、皆さん!!」
「はいっ!!」
スズランの声を合図に“魔素使い”達が力を合わせ水球の維持を引き受ける。護符による強化を受けてなお凄まじい負担が彼等の脳に襲いかかった。
「ぐっ……!?」
「う、おおおおおおっ!!」
数十人の魔素使い。その全力をもってしてもせいぜい一分が限界。なにせ海そのものを持ち上げているようなものだから。
だが彼等が操っているのは水ではなく、水と結合した魔素の方だ。以前、たった一人の魔素使いが洪水を生み出して一つの村を壊滅させたように、この力は少量の魔素で膨大な量の水の操作を可能とする。だからこの人数でも短時間ならなんとかなる。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
彼等に水球の維持を明け渡したスズランもまた“無茶”を実行した。超巨大水球の直径を上回る超巨大魔力障壁を展開し、変形させ、漏斗状にして先端を空の穴に突っ込ませる。つまりは魔力障壁を使ったじょうご。
「モミジ!!」
『行きます!!』
モミジがスズランの放射した魔力を吸収し船の舳先に別の魔力障壁を広げて前進を再開する。後方に魔力を噴射し水球をスズランの展開した漏斗型巨大魔力障壁の中へ押し込む。それによって膨大な量の水を結合した魔素ごと界壁の外へ放出していく。
(無駄なことをするのね、ママ)
ミナの影は呆れた。そんなことをしたって魔素ならいくらでも創り出せる。けれど好機だとも思った。希望を打ち砕けば母はこちらへ戻ってくれるかもしれない。
『ママも絶望したらいいんだ』
永遠に生きる苦痛。どんなに精神をすり減らされても狂うことさえ出来ない地獄。あの人もそれを知っている。思い出させてやればいい。
『龍道さん!』
『……』
生命神・大森 龍道の影が呼びかけに応じて現れ、スズランの生み出した超巨大水球を見上げ両手をかざす。すると水球の中から魔素の一部が分離し、例のワイバーンもどきを大量に生み出した。
「なっ!?」
「来たぞ、六柱の影が来た!!」
驚き、周辺を警戒する魔素使い達。怪物の群れは翼を羽ばたかせ、口中の不気味な触手を動かしながら甲板の彼等へ襲いかかる。
ところが──
「させるかっ!!」
連射された宝石弾が敵を撃墜した。さらに灰色の炎が烈風と共に斬撃となり残りの怪物をことごとく切り裂く。
「やっと出番ですね!」
愛刀・嗚角を抜いた雨音がナスベリと共に甲板の上で大立ち回りを演じる。二人は魔素を排出する作業の護衛役として着いて来たのだ。
『邪魔な奴等……!!』
それならさらに情報神と時間神の影を送り込もう。そう思った瞬間、逆に赤い翼がミナの影めがけ急降下して来る。
『えッ!?』
「邪魔はさせません!」
サルビアの手刀が龍道の影を貫き、超高熱を発して焼き尽くす。
『また貴女なの!?』
忌々しい。今まで数多の世界を滅ぼして来たが稀にこういうイレギュラーな個体が出現する。魔素に害されるのでなく、逆にその力を利用して進化する者。呼び名は世界により様々だが、六柱の影は単純に魔素適合体と呼んでいる。
もっともこの女は、この世界にいた適合体本人でなくその眷属らしい。能力的には数段劣るだろう。かつて戦った“二者択一”や“渦巻く者”には遠く及ばない。
『邪魔なのはそっちよ!!』
「ふっ!!」
ミナの影が放った無数の魔力弾を強力な魔力障壁によって防ぐサルビア。母・ナデシコの与えてくれたこの力が一昨日の大破壊の際、クルクマとモモハル、そして彼女の弟妹であるペルシアとウェルを救った。
「では、お互いさまということで」
『兄さん!』
呼びかけに応じ、今度は破壊神カイの影が現れる。彼女の兄を象ったそれは拳に赤光を纏い、サルビアとの間合いを一足に詰めた。
「あ、く……うっ……!!」
「あああああああああああああああっ!?」
「ぎ、い……ぃ」
延々続く放出作業。護符による補助を受けてなお悲鳴を上げる魔素使いの皆さん。自分自身、頭が割れそうに痛みます。
「やっ……ぱり、無理、が……ありまし、たか……!!」
私の魔力をもってしても、この巨大な障壁の維持とモミジへの魔力供給で精一杯。少しでも気を抜いたら術が解けてしまう。
「諦めるな……勝つんでしょう、スズラン!!」
「当たり前、です……!!」
そうだ、無理でもなんでもやるしかない! オトギリ達と私は歯を食い縛り排出作業を続けました。
ところが、そこへ──
「な、なんだ!? 押し返っ、されるっ!?」
「向こうからも敵が来た……!!」
サルスさんとエリカさんの悲痛な声。空の大穴から黒い粘液状の“呪い”が噴出して私の魔力障壁ごと水を押し返そうとしているのです。他の穴からも粘液が流れ込み蛇のように鎌首をもたげました。
「これじゃあ、いくら外に出してもキリが無い!!」
「構いません! この水球だけでも追い出してください!!」
強烈な毒性を持たされた魔素。これさえ排出してしまえば勝ち目はあります。
──ですが、やはり限界は訪れてしまう。
「う、ぶっ!?」
オトギリが血を吐く。眼や鼻からも出血しました。無理をし過ぎたのです。
「だ、駄目……だ」
「すみ、ません……」
さらに続々と倒れる魔素使い達。オトギリはそれでもまだ頑張っていますが残りの人数ではどうにもなりません。操作を維持しきれなくなり水球の形は崩れ始めました。
「お前達!?」
「しっかりして!!」
オトギリの両親が叫んで叱咤するものの、この二人も他の面々もとうに限界。まだ半分以上残っているのに、このままでは──
その時、私の中に突然“あの感覚”が蘇りました。
「あっ」
それまで何も出来ず甲板の一角で震えていた雨楽さんも声を上げます。
『いけます、スズラン様』
「ええ!!」
「僕も!!」
何故かはわかりませんがネットワークへの接続が復活したようです。私とモミジと雨楽さん、三者から放たれた橙色の光が力尽きて倒れていた方々まで含め、全ての魔素使いを蘇らせました。
「これは……あの時の光」
「さらに大きな力が湧いて来る!」
「スズラン様の護符とこの力があれば、いける!!」
立ち上がり両手を掲げ、一旦は崩れかけた水球を再形成する彼等。この世界に入ろうとしている“呪い”と鬩ぎ合い、徐々に押し返し始めます。
「周りの分は任せて!」
「このおっ!」
触手のように伸ばされた黒い粘液を宝石弾で爆破し、滅火で消し去る護衛の二人。
「ここが我等の正念場だ!! 死力を尽くせ!!」
「私達の……四百年、を……侮るな!!」
目から出血し、美しい顔を汚しながら、それでも毅然と敵を睨みつけるオトギリ。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
雄々しく叫び、私と互角とまで言われた魔力で残りの水を蛇のような細長い形状へ変化させる彼女。
「オトギリ!?」
「私達も続きなさい!!」
驚きながらも彼女の両親と他の魔素使い達は瞬時に意図を汲み取り形状変化をサポートしました。
「残り少しよ、一気に決めましょう!!」
「わかった!!」
空の穴より直径の小さくなったそれは一気に穴の向こうへ。私も障壁を消し、モミジに注ぎ込む魔力を増加させ船速を上げます。
「いっけえええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」
そして、とうとう蛇の尾が穴の向こう側へ──行かない!?
「う、ぐうっ」
「またっ!?」
そう、またしても粘液が放出したばかりの水を押し返してきました。私は障壁を再展開して空の穴を包みます。
「ぐっ……くっ!?」
その障壁に亀裂が走る。
私も、もう限界。
でも──
「スズラン!」
水の操作から解放されたオトギリがやって来てホウキの柄を掴む私の両手に自分の両手を重ねました。
「一緒にやりますよ!!」
「はいっ!!」
私の障壁にも自分の障壁を重ねる彼女。モミジをさらに加速させる私。後方に長く光の尾が伸びます。船の前面に展開されたモミジの障壁が私とオトギリの二重障壁にぶつかり、水と黒い粘液をまとめて穴の向こうへ押し込んで行く。
「この世界から──」
「私達の故郷から、出て行け!!」
さらに加速。とうとう私の作った超巨大水球が全て穴の外へ。ところがその勢いで自分達まで空の穴から飛び出してしまうことに。
そして私達は見ました。
「こ、これが世界の外!?」
「辺り一面、魔素だらけじゃないか!!」
魔素使いの一人が言った通り全天が銀の光で満ちています。その中に浮かぶ無数の球は並行世界。ここから見る限り、もうほとんど残っていません。
そして、その絶望的な光景の中に彼等がいました。
「あれは──」
「四方の神々!!」
『スズラン!? 来たのかっ』
「あなた達!!」
眼神アルトライン、鍛神ストナタリオ、知神ケナセネリカ。アイビー社長と共に大陸を守っている盾神テムガミルズ以外の下位神全てがこの空間で戦っていました。酷く傷付き、ボロボロになった姿で。
そう、彼等はずっとここで界壁を守ってくれていたのです。
『ママ……自分から出て来てくれるなんて』
嬉しそうな声が響き渡ります。四方の神々はかつて聖都シブヤの周囲に現れた時と同様、途方も無く巨大に見える。なのに、そんな彼等よりさらに圧倒的な大きさの黒い影が立ち上がりました。
『さあ、私達と一緒に、全てを終わらせよう』
「ミナ……」
創造神ミナの影。私達の世界へ侵攻した“崩壊の呪い”の核が大きく両腕を広げ、語りかけて来たのです。