二章・世界の始まり(1)
「そっか……ヒメちゃんとしても受け入れてもらえたんだ……」
ベッドで包帯まみれになって寝かされているクルクマは、そう呟いて微笑みました。なんだかこれも懐かしい光景。
「ええ……皆、許してくれました」
「違うよ、許すまでもないんだ。あの人達にとって“スズちゃん”はちょっとやそっとで嫌いになれるほど小さな存在じゃないんだよ、もう」
「……そうかもしれません」
本当にその通り。馬鹿ですよね、私は他の誰よりも私という存在を過小評価していたのです。お母様達は、あんなに私を愛してくれているのに。
「ところで、明日は行けそうですか?」
「行くさ。完治しなくても必ず。最後の最後で仲間外れとか勘弁だし」
「ふふ、それもそうですわ」
クルクマはあの魔素の海の中でモモハルを守って戦い続け、かなり無茶をしたようです。モミジを着陸させた時にはすでに気絶していて、すぐにここへ運び込まれました。
「私のあの力が使えれば良かったんですけど……」
生命神の力。あれは聖域に戻ってすぐ使えなくなりました。私だけでなく雨楽さんもだそうです。彼と雨音さん曰く“崩壊の呪い”によって界球器が覆われ、例のネットワークとの接続が断たれたからだろうと。
『だから、もう一度あの青い光のやつを撃ってください』
昼の会議の席で雨音さんにそう頼まれました。彼女もなかなか難しい注文を付けてくれます。撃ちたくても、ソルク・ラサは……。
でも問題を解決する案はすでに思いついています。私も彼女のことは言えません。また、とびきりの無茶をやらかそうと言うのですから。
「その顔、何か思いついたね?」
「ええ」
「あーしも手伝える?」
「いえ、今回の作戦はナスベリさんとオトギリ、それから雨音さんに手伝ってもらいますわ。貴女はモモハルや他の皆とここに残って」
「チェッ、結局留守番か。一昨日はあまり良いとこ見せられなかったし、ここで挽回しておきたかったんだけどな」
「すぐに出番は来ます。ところで、今の貴女の言葉で思い出したのですけれど」
「お手柔らかにね」
「それじゃあ意味がありません」
バキッ! という音が響き、外にいた看護師さんが駆け込んで来ました。
「どうしました!?」
「ちょっと、ぶん殴っただけです」
痛む右手を振り振り答える私。クルクマは頬を腫らして鼻血も流しています。
「な、何をしてるんですかスズラン様!? 重傷者ですよっ!!」
「いや、いいんです看護師さん、私が悪いので。いてて、いいパンチ打つようになったねスズちゃん」
「ミツマタさんの組手に散々付き合わされましたもの」
「あの人も余計なことしてくれたなあ」
「と、とにかく治療を」
事情は不明ながらいがみ合っているわけではないのだと察し、治療を始める看護師さん。余計な手間を増やしてしまいましたね、すいません。
私は説明も兼ね、手当てを受けるクルクマと向き合い、言いました。
「自分を小さく見ているのは貴女もですわ。二年前にも教えたはずです」
「うん……」
お互い北の大陸での一戦を思い出します。冷静になってみれば、あの時も本当ならこのくらいで良かったんですよね。我ながらやり過ぎでした。
(もちろんクルクマが情報神の影を止めてくれなければ、私達はあの場で死んでいたかもしれません)
それでも、やったことは許せません。
「自分を犠牲にしようなんて、二度と思わないでください」
「わかってるよ。愛弟子を置いて死んだりするもんか」
その意気です。
「なら、明日は先に行って待ってますわ」
「うん、もう心配無いから行っといで。こんなところにいたらせっかく用意してもらったご馳走を台無しにしちゃうよ」
「ええ、貴女達の分はここに置いておくので、看護師さんと一緒にどうぞ」
「わざわざありがとう」
ベッド脇のテーブルには私の運んで来た食事。ちゃんと貴女好みの品を選んでますのよ。退室しようとすると、ドアノブに手をかける直前で呼び止められました。
「スズちゃん」
「なんです?」
「絶対勝とうね……今度こそさ」
「もちろんです。勝ちますよ、明日こそは」
「期待しております」
看護師さんの言葉にも微笑み、頷きました。
誰もいない廊下を歩き、外から聴こえてくる宴の喧騒に耳を傾けつつ、ひとりごちる。
「必ず勝つ……か」
勝算はあります。けれど、細い糸を手繰るような頼りない可能性。
あの時もそうでした。遠い遠い、古い記憶が脳裏に蘇ります。
「まったく……人生というやつはままならない」
やっと全ての秘密を明かせた。そう思っていたのに、また新たな秘密を抱えてしまいましたわ。
まあ、明日には誰もが知ることとなるでしょう。でなければとても勝てる相手ではありませんもの。
立ち止まり、窓ガラスに映る自分の顔を見つめます。
少しずつ昔の私に近付きつつある、その顔を。
「さあ、行こう」
最後の戦いの前にパーッと騒ぐといたしましょう。
その夜、聖域では大宴会が開かれました。ありったけの食料をかき集め、お酒も惜しみなく放出して、最終的に十万人も集まった避難民全員で飲めや歌えの大騒ぎ。ムオリスとカウレ、モモハルの料理も堪能した私は木の杯を掲げて笑いました。
「あはは、勝ったらやるはずの宴会を先にやってしまいましたわ!」
「前祝いだよ前祝い。負けたら死ぬんだし勝った時のことだけ考えてればいいさ」
「だったら余計駄目じゃないですか! 勝って戻って来た時に食べるものが、なーんにも無くなっちゃいましたよ!」
「いいのいいの、なんとかなるって!」
そう言って再び私の杯に葡萄酒を注ぐナスベリさん。普通なら飲んではいけない歳なのですが状況が状況ですし、なにより実年齢は三十路間近ということで今夜だけ特別に許可を頂きました。
ヒメツルだって明かして良かった! お酒なんて昔は全っ然美味しくないと思いましたのに、皆と一緒に飲むと案外いけますのね! ふひゃ~!
「僕も飲んでみたいなあ……」
「貴方は駄目よ。もっと大きくなってから飲みなさい」
すでにトロンとした目でモモハルに釘を刺す私。本当の子供はお酒なんて飲んではいけませんの。こんな時だからって甘やかしませんよ?
「って、スズランさんも子供でしょう」
「いや、ほら雨音ちゃん。あの人、本当は……」
「あ、そうでした。見た目が小さいから……ややこしいですね」
嘆息する雨音さんと人が多くて委縮している雨楽さん。そんな二人の会話を聞いていたお父様が目の前にあったお酒をグイッと呷り、立ち上がりました。
「スズ!」
「な、なに、お父さん?」
珍しい行動にうろたえる私。するとお父様は突然ガバッと私に抱き着いて来たではないですか。
「愛してるぞ! お父さんも、君を世界一愛してるからね!」
「ばぶっ」
「もちろんショウブも世界一だ!!」
あ、なるほど、昼の時にはいませんでしたからね。お父様もいつ私に愛情を示そうかとタイミングを計っていたのでしょう。
それでなかなかチャンスを見出せず、普段は飲まないお酒の力を借りたと。
たった一杯で酔っ払ってしまった父に、私も力一杯抱き着きます。
「私も、お父様が世界で一番大好きですわ! 男性ではっ」
「あぶう……」
「もちろん、ショウブも世界一です!」
「あーう!」
「あららら、あれはスズちゃんも酔ってるわね」
苦笑するレンゲおばさま。
「知らなかったわ……酔うとカズラにそっくり」
嬉しそうに笑うお母様。
「血は繋がってなくても、やっぱり親子なんだなあ……」
自分とアイビー社長の関係について思うところがあるのか、なにやらしんみり考え込むナスベリさん。
「ははは、久しぶりにあれをやろう、スズ!」
「やってやって!!」
父は私を肩車しました。さらにショウブを抱き上げようとして足をもつれさせます。
「おっととと」
「ちょっとあなた、危ない!」
「なにやってんだ、ショウブはオレがだっこしてやるからオメエはちゃんとスズちゃんを担げ」
サザンカおじさまが優しい眼差しで私達を見つめ、ショウブを抱き上げます。
そして私達は最後になるかもしれない宴を楽しむ人々の間を、ゆっくり歩き始めました。お父様は声高らかに自慢します。
「見て下さい皆さん! うちの娘です! とっても良い子で器量も良くて、凄い才能まで持っている!! 僕と妻は鼻が高い! いや、それだけじゃない! 優しく明るく、いつも前向きで──」
その時、お父様の顔に雨が一滴、落ちました。
おや? 見上げたら、また一滴。
「……そして、ちょっとだけ泣き虫です」
「泣いてません」
袖で涙を拭い、目の前にある父の頭にしがみつく私。
「私ね、お父さんの子になれて良かった」
「僕も、君のお父さんになれて良かった」
他の人には聞こえないように、小声で囁く父。
「幸せな人生をありがとう、ヒメツル」
「こちらこそ、ですわ」
お父様の肩の上からは皆の笑顔が見えました。
オトギリはご両親と食事中。ルドベキア様とハナズ様は酔い潰れたユリ様を介抱。ムスカリさんはたくさんの信徒に囲まれ、彼等の不安を打ち消すための説教を続けているようです。時折笑い声が上がりますから、きっと楽しいお話なんでしょう。
サルトリおじいちゃんのカウレは大人気で、すぐに鍋が空っぽになりました。モモハルが作った牛肉の煮込みも好評のようです。
アサガオちゃん達三姉弟が他の避難民の子達と一緒に走り回っています。私もしばらくしたら混ざりましょう。
(ああ、ここにロウバイ先生やスイレンさんもいたらいいのに)
ミツマタさん達もきっと盛り上げてくれたでしょう。ストレプトさんは、私やお父様と同じでお酒には弱そうです。アカンサス様とシクラメン様、クチナシさんにも一緒に楽しんでほしかった。アイビー社長にも。
「ショウブ、お姉ちゃんにもだっこさせて」
「おいおい、大丈夫かスズちゃん?」
「大丈夫です、ほら」
私は酔っ払ったまま弟を抱き、ホウキに乗って飛翔しました。そして会場を一望できる高さに達したところで気が付きます。
「星が見えないのは寂しいですね」
「ぶうー」
弟も同意。ここはやっぱり、あの魔法の出番。
「眩く輝き天を満たせ」「小さき星々!!」
銀の夜空に金色の星屑が舞って人々の目を楽しませます。
大きな歓声に称えられ、さらに夜空を旋回する私。
「だーうー!!」
きゃっきゃと喜ぶショウブ。赤ん坊の時、同じ魔法を見て喜んでいたモモハルの笑顔を思い出しました。
きっと、そのせいでしょう。私はおかしな行動に出たのです。
「モモハル!」
地上に戻った私はショウブをお母様の手に返し、レンゲおばさまの隣で食事中の彼へと近付いて行きました。
途端、慌てるモモハル。はは~ん、予知しましたね?
「ス、スズ!! ちょっと待って!?」
「いいからいいから」
何がいいからなのかわかりませんが、私は彼の前髪をかき上げると、おでこに軽くキスしました。周囲からまた歓声が上がり、モモハルは顔を真っ赤にして失神。
「モモ!?」
「ちょっ、なっ、どうしたのスズ!?」
「あはは」
私もコテンと後ろ向きに転倒。そして急速に眠りに落ちて行きます。
意識が完全に途絶える直前、言ってやりました。
「本当に私なんかでいいなら、これからも、もっと頑張りなさい! 諦めなければいつか道は拓けます!!」
──その言葉がモモハルに届いていたのかどうか、私にはわかりません。私もそのまま眠りに落ちてしまったのです。




