一章・軌跡の結実(2)
その建物の裏ではいくつもの即席かまどを使い、避難して来た人達が様々な料理を調理中でした。こんな状況なのにやっぱり楽しそうな雰囲気。
「お、スズ坊じゃねえか」
「あらほんと」
今度はモモハルとノイチゴちゃんの父方の祖父母・サルトリさんとイヌタデさん。サルトリおじいちゃんは、あのココノ村名物のカウレを生み出した伝説の料理人です。
「この香り、もしかして……」
「おう、カウレだ。楽しみにしててくれよ」
「わあ……」
まさかこの状況でカウレが食べられるとは思いませんでした。これは期待するしかありませんね。
「これがカウレ……」
鍋を覗き込み独特な香りに食欲を刺激され、ゴクリと喉を鳴らすオトギリ。もしかして、あなた──
「食べたこと、ないんですか?」
「そ、僧侶でしたから、これでも。贅沢は出来ません」
「別に高いお料理ではありませんよ。安価でなおかつ健康に良い食材が多く入ってますし、手軽な薬膳だと言えるかもしれません」
「そうなのですか?」
「美味しいよ~」
物欲しそうな彼女の顔をニヤニヤ見つめるナスベリさん。ふふ、ココノ村出身者特有の余裕ですね。
「ああ、カウレっ! 私も以前一度だけタキア王主催の晩餐会で頂きました。素晴らしい料理ですよね」
感動に打ち震えるユリさん。ここにも意外なカウレ信者が。
「お? その眼帯、もしかしてあん時の姫さんか?」
「え? あっ、よく見たら晩餐会の……」
「おじいちゃん、ユリさんと知り合いなの!?」
「知り合いっつうか、十年くらい前、国賓が来るからカウレを出してくれって王様に依頼されてな。そのお客さんがカウレをえらく気に入ってくれて、呼ばれて挨拶に出向いたら、この眼帯の姫さんから急に『うちの国へ来なさい!』って言われちまって」
「待ってください、その話は──!!」
止めようとするユリさん。でも、おじいちゃんは鍋をかき回す手を止めず、左手一本で軽くあしらいながら話し続けます。そういえばこの人、包丁一本で盗賊団を制圧したとか聞いたことが……。
「んで断ったら怒り出してよ、あん時ゃ肝が冷えた。周りからもミヤギと戦争になったらどうすんだって散々なじられたしな」
「そ、その節は大変なご迷惑を……」
「いいっていいって、結局親父さんが止めてくれて無かったことになったしな。それより姫さんこそ痛かったろ? 親父さんに思いっ切り尻を──」
「あの、もうそのへんで、本当にやめてください」
涙目でひれ伏すユリさん。もう少しその面白昔話を聞きたかったのですが、まあ結末もだいたいわかったし良しとしましょう。
「カタバミ達は中の厨房におるよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
「どういたしまして」
イヌタデおばあちゃんはいつもニコニコ。怒った姿は一度も見たことありません。
二人に見送られつつ私達は人でごった返す厨房へ。途中、雨音さんと雨楽さんが後ろを振り返って囁き合います。
「あれ、カレーだよね……」
「この世界にもあるんですね。後で食べられるかな?」
厨房でもやはり様々な国の人々が聖域中から集めた食材を使い、それぞれ食べたいものを作っていました。足りない食材は根性か創意工夫で補っているようです。故郷の味、家庭の味、あるいは異国で覚えた料理──込められた想いも様々でしょう。
お母様とレンゲおばさまは厨房の一番奥にいました。村のおばあちゃん達も一緒。サザンカおじさまとモモハル以外の男手は外で設営を手伝っているのか、この場には見当たりません。
「あっ、スズ」
「モモハル、貴方も料理を?」
「うん、ナデシコさんのところで作った“牛肉の煮込み”を出せって」
「あれ美味しかったものね。でも、あの果物は?」
「ピューレにしたのがモミジさんの中にちょっとだけ残ってた」
「ああ、そっか」
モミジは私達が不在の間、サルトリおじいちゃん達と一緒に村の人々に料理を提供していました。多分その関係でストックを持っていたのでしょう。
「お母さん、スズが来たよ」
「そう」
モモハルの言葉を聞いても、おばさまはこちらを見ようとしません。
「お……おかあ、さん……」
「……」
私もおそるおそる母に呼びかけましたが、返事は無し。
シュンと落とした肩をオトギリが叩きます。
「何してるんですか、諦めないんでしょう?」
「そうでした」
落ち込んでる場合じゃありません。私だって伊達に十一年もお母様の娘をしていたわけじゃないんですよ。
「ナスベリさん、そっちの人参、皮を剥いてください」
「了解」
「オトギリ、料理は?」
「……できません」
「じゃあ外を手伝って来てください。私は大丈夫です」
「本当に?」
「本当です」
「では、行って来ます」
「あ、私も手伝います」
「私も」
厨房から出て行くオトギリと雨音さん、そしてユリさん。三人とも全く料理出来ないんですか。
「あ、あの……僕、手伝おうか?」
一人になって不安そうですが、それでも申し出てくれたのは雨楽さん。
「経験は?」
「家事なら……毎日」
「心強いです」
雨楽さんには葉野菜を千切りしてもらうことにしました。手つきを見てみるとなるほど手慣れています。
「そういえば……」
「はい?」
「この世界は皆、日本語で話すんだね」
「ええ」
ここに人類が誕生した時、ウィンゲイトが教えたからです。彼女はイギリス生まれ日本育ち。英語よりも日本語の方が堪能でした。
「後で貴女の世界のことも聞かせて下さい。日本人なんですよね? どんな日本になっているのか興味があります」
「う、うん、それはいいんだけど……その、ずっと誤解されてる気がするし、念のために言っておくね」
「なんですか?」
「僕、男だよ」
「えっ!?」
私ばかりか、お母様達まで振り返りました。
「スズ」
あらかた料理が出来上がったところで母に呼ばれました。しばらく無視を決め込まれるのかと思っていたため驚きます。
「ちょっと来て」
「は、はい」
「あの……」
「あなたはそこにいて、鍋を見てて」
「モモも、お父さんを手伝って」
「うん」
ついて来ようとした雨楽さんをその場に残し、母とおばさまと村のおばあちゃん達は私を外に連れ出しました。
「あたしも言って来るよ」
「あいよ」
サルトリおじいちゃんから離れ、イヌタデおばあちゃんも合流。ナスベリさんがついて来ることには誰も何も言いません。ここは村の女だけで話そうということなのでしょう。
厨房に入りきらず野外にまで展開した調理スペース。それを一望できるほど離れた高台まで来ると皆は私を取り囲みました。無言の圧力を感じます。いつの間にかスミレおばあちゃんまでいるじゃないですか。
誰も何も言いません。黙って見られていると今すぐどこかへ逃げてしまいたくなります。でも、それでは駄目。オトギリにあれだけ見栄を切ったんです。ちゃんと為すべきことをしましょう。
私は正面に立っている母とレンゲおばさまに向かって、改めて頭を下げました。
「今まで騙していて、すいませんでした」
ふう……そんなため息がいくつも聴こえてきます。呆れられたでしょうか……たしかに今さら、こんな謝罪一つで許してもらおうなんて虫の良い話ですよね。
誰かが近付いて来ました。複数の足音。叩かれる? それとも──覚悟して目を瞑った私のお尻を予想通り誰かが引っ叩きました。
「若いモンが、シャンとせい!」
「はうっ!?」
ウメおばあちゃんの強烈な平手。思わずのけぞって顔を上げた私の頬を伸びて来た手がつまみます。
「なんて顔してるのスズちゃん。これからご馳走を食べるのよ? 笑って」
「お、おわひゃん……」
「うちの人とモモが腕によりをかけたんだから楽しみにして。お義父さんのカウレもある。カタバミなんか無理言って卵を貰ってきてムオリスを作った。全部あなたの大好物。って、まさかそれも嘘だった?」
「いひぇ……」
そんなわけありません。首を左右に振ると、おばさまは満足気に頷いて手を離してくれました。
それでも距離は離さず、至近距離から私の顔を見つめます。
「あの時、わたしの前にいきなり現れた赤ちゃん。ずいぶん大きく育ったわね。覚えてるかしら? おばさんの母乳で育ったのよ」
「はい……」
「ふふ、そうよね、中身はヒメツルなんだもの。きっと赤ちゃんの時から、全部しっかり覚えてるんだわ」
その言葉に責められているように感じて俯く私。
すると、また頬を引っ張られます。
「こ~ら、下を向かない。あなたはいつだって前向きで明るい子。その明るさで閉鎖的なわたし達の村を、ずっと賑やかで楽しい場所にしてくれたのよ。だからいつもどおり顔を上げて、しっかりみんなを見て。あなたの“お母さん”を見てあげて」
そう言っておばさまが後ろへ下がると、入れ違いに母が前に出て私の前にしゃがみ込みました。目線の高さを合わせ、優しい声で問いかけます。
「ヒメツルって、呼んでいい? 今だけ」
「は、はい」
どうしてそう呼びたいのか、わかりませんけれど。
だって、この名前は彼女にとって忌むべきもののはずなのに。
私の表情から疑念を察した母は、何故か悲し気な顔に。
「自分の名前、嫌いなの?」
「……」
答えられません。実際どうなんでしょう? 私は、このヒメツルという名をどう思っているのか……実母の顔を思い出し、下唇を噛む。
そんな私に、彼女は言いました。
「嫌わないであげて」
「え……?」
「その名前にはきっと、あなたの本当のお母さんの願いが込められてる。あたしとカズラが“スズラン”という名前に託したのと同じくらい大切な気持ちが宿ってるの。だからね、自分の名前を嫌わないで、愛してあげて、ヒメツル」
……ああ、だからなんですね。
だから貴女は、あえて私をそう呼んだ。
「最初はね、もちろん戸惑ったよ。あなたは誰なんだって。スズじゃないの? あたしの子を返してよって怒った。あの建物から外に出て、十一年大切に育てた娘が、本物のスズがどこかにいるはずだって思って捜し回った。
でも、いたんだ。捜さなくたってすぐ近くにいた。あなたと過ごした十一年は、あたし達の中にたくさんの思い出を作っていた。だからすぐに見つけたよ。あなたはあたし達のスズランで、ヒメツルなの。どっちも捨てなくていいわ。どっちでも、あなたはあたしの大切な子。ショウブとあなたが、あたし達の一番の宝物」
母は私の右手を取り、自分の頬に当てます。
「あの時、わざとあたしの顔に触れたでしょ?」
「はい……そうです」
初めて会った時の思い出。おっかなびっくり抱き上げてもらった時、この手でたしかに母の顔に触れた。
「やっぱりね」
笑みがこぼれます。本当に、すごく嬉しそうに。
「選ばれたって思った。お母さん、あなたに選んでもらったって思った。そんなはずない、赤ちゃんにそんなこと考えられない、ただの偶然だって、そうも思った。
でも違ったのね。あなたは本当に選んでくれた。あたしを、子供が出来なくて悩んでた私を、あなたは“お母さん”にしてくれたの。謝らないで。むしろ感謝してる。あたしと出会ってくれて、選んでくれて、ありがとう。大好きよヒメツル」
そう言われ、抱きしめられた瞬間、思い出します。
『大好きよ、ヒメツル……』
実母が亡くなる寸前、目の前にいる私の存在に気付かず、それでも細い声で発した最期の言葉が同じだったことを。
だから私は、母にしてあげられなかった分、強くお母様を抱き返したのです。
「お……母さん、お母さん……っ!!」
「うん、もっとそう呼んで……私も、あなたのお母さんなの……これからもずっとずっと、お母さんでいさせて」
「カタバミ……スズちゃん……良かった」
「ほら、使って」
ぼろぼろ涙をこぼすナスベリにハンカチを渡すレンゲ。
「ありがと……レンゲも、スズちゃんを許してくれて、ありがと……」
「やっぱり知ってたのね、あなた……」
「うっ」
嘘のつけない親友。レンゲが「まあいいわ」と言って許すとナスベリはまた泣き出してしまった。ハンカチはすぐびしょ濡れになる。この幼馴染は意外にも涙脆い。
(まあ、わたしも人のことは言えないか)
レンゲ自身も泣いていた。ヒメツルがモモハルを殺しに来たのだと聞いた時、内心目の前が真っ暗になったが、彼女もやはり気が付いたのだ。
でも、自分の息子は生きている。
(あの時、わたしもサザンカもウメさんも急に眠っちゃった……なのにあの子には傷一つ無かったわ。魔法でわたし達を眠らせたのに、結局あなたはうちの子を見逃してくれたのよね)
モモハルだけじゃない。カタバミも彼女の存在に救われた。カズラの雑貨屋だってそう。さっき言った通り、村全体がヒメツルのおかげで元気になった。隣にいるナスベリだって、彼女がいなければ救えなかった。
憎めるはず無い。あの子は村の皆を愛しているし、自分達もみんなで彼女を愛して来たのだから。
「ありがとう……」
理由はなんだっていい。彼女がココノ村へ来てくれたことに、今は心の底から感謝している。