七章・悪夢の再来(3)
「アカンサス!」
空中で動きを止め、珍しく焦燥を露にするシクラメン。アカンサスも拳を握り歯を軋ませる。
「駄目だ、攻撃すればスズラン君も巻き込まれる! それに僕達の魔法もあの影にはかき消されるだろう!」
神子とは言え、この状況では二人とも無力だった。残りの戦力の中でユカリの影に有効打を与えられそうな人間はクチナシとナスベリだけ。しかし二人とも、やはりスズランを巻き込むことを恐れ動けずにいる。彼女達にもアルトラインの指示は伝えられたが、従うつもりは無さそうだ。
「チ、チクショウ! 直接触りゃ凍らせられるかもしんねえのに!!」
「……!!」
距離が遠い。必死で走っているが間に合いそうにない。そしてその予想通りスズランはどんどんミナの影の中へ飲み込まれていく。
『マ、マ……ママ、怖い、記憶が……私の、記憶、が……!!』
「う、あ、あああああああああああああああああああああああああっ!?」
凍りついていく巨体の中に母の転生体を取り込もうとするミナの影。彼女の恐怖が流れ込んで絶叫するスズラン。いまだユカリの影の魔法無力化領域の中に囚われていて反撃のしようもない。
そしてとうとう、その姿は完全に影の中に沈み込み、見えなくなってしまった。
「スズ、いやあっ!?」
カタバミの悲痛な叫びが静かになった戦場に木霊する。
『ミナ』
もう逃げられる心配は無い。そう判断したユカリの影はミナの影に向かって手を伸ばす。無力化領域は“知っている術”しか掻き消せない。しかし、直接触れて術式さえ解析してしまえば、どんな魔法だろうと脅威では無くなる。
自分の術を無力化しようとしていることに気が付き、焦るナスベリ。
下唇を噛み、彼女も決断する。
「攻撃をアイツに集中! 凍結魔法を解くつもりだ!! ごめんカタバミ!」
「やむをえんか……!!」
ハナズが、ムスカリが、残りの全戦力が動き出した。スズランを救い出せるかは未知数。それでもここで動かなければ確実に負ける。全ての世界が滅んでしまう。
クチナシも加速する。自分の役割は決まった。スズランが完全に取り込まれてしまった今、ユカリの影を狙う分には何の支障も無い。あれを倒す。
『……無駄、ヨ』
姪の影に触れる彼女。仮に自分がやられたとして、これでミナが復活する。それで決着。妹・マリアの力を取り込んだこの子なら確実にあらゆる世界を崩壊に導くだろう。
──だが、その時である。父に抱き上げられたモモハルが目を覚まし、何かに気付いて驚愕した。
「おば……あちゃん?」
「やれやれ、なっとらんね、この青二才どもが」
『!?』
突然、ミナの影の一部が盛り上がった。そこから腕が突き出し、ナスベリの術を解析しようとしたユカリの影の腕を掴む。
枯れ木のように細い老人の腕。なのにその手は凄まじい力で彼女の腕をへし折る。得体の知れない存在を前に一旦距離を取るユカリ。いや、取らされた。
彼女の中に忘れかけていた感情が湧き上がって来る。
「な、なんだ!?」
驚愕するナスベリ。クチナシも異様な気配に圧されて立ち止まる。
「なんか、やべえ……」
「あれは、まさか」
「ははっ」
ユカリの影と同様に困惑する一同の中で、シクラメンとアカンサスだけはそれが何者か理解した。
「本当に、彼女はしぶとい」
「ひえっひぇひぇひぇ、すまんすまん、まだこの新しい体に慣れてなくてね」
頭部、胴体、もう一方の腕がミナの影を構成する魔素の中から迫り出して来た。左手でスズランを掴み、一緒に外へ引きずり出す。
「……マジ?」
よたつく足取りで近付いて来たクルクマも、その姿を見て絶句する。彼女の視線の先で老婆は目を大きく見開き、口角を高く吊り上げた。
「この程度の相手に手間取るなぞ本当になっとらん! どれ、アタシが少しばかり手本を見せてやろうかね!!」
そう言った次の瞬間、彼女の背中から飛び出した魔力糸が八本の腕を形作る。
「魔法を掻き消すって? やってごらん」
優しい笑みを浮かべ次から次に様々な術を放つ彼女。標的は眼前のユカリの影。息つく間も無く新たな魔法を無詠唱で繰り出す。
『ッ!?』
戸惑いながらも無力化領域で防ぎ切る。ところが反撃に出る隙が無い。全く攻撃が止まないからだ。一つ一つ、全てが違う術なのにストックの尽きる気配が無い。そして老婆が魔法を放つ度、スズランとミナの影の全身が微かに震えた。
「わ、私の……私達の魔力を……」
『勝手に、使って……』
「ひひひひひひひひ!! 素晴らしい! 素晴らしい魔力じゃ! 思った以上に無限の魔力は素晴らしい!!」
止まらない。魔法の連射が止まらない。ありとあらゆる属性のありとあらゆる術を複数の方向から浴びせかける。連射速度はさらに上がっていく。
わかった──≪情報≫の神の力が理解させた。道理でストックが尽きないわけだ。理由に気付いて戦慄する。
創っている。この老婆は戦いながら即席で術を編み出している。
それも異様な速さで。
「アンタも大したもんだ! 本当に防いどる!! マトモな状態のアタシの攻撃をこんなに凌げたのは二人目だよ!!」
老婆はユカリの影を賞賛した。流石は始原七柱の影。情報神。魔法使いの天敵たる能力を持つ者。これはロウバイ達如きに倒せなくても仕方ない。
「だがね」
自分は違う。自分は最強の魔女。そんな我が身に挑むのに“影”程度では全く足りない。本物の始原七柱でもなければ、全く足りていない!
「いい加減飽きたよ? 無効化ァ!? やれるもんならやってみな!!」
彼女は八本の腕を構成していた魔力糸をバラけさせた。数千数万数十万、大きく広げた膨大な数の糸の先端全てに異なる術の光を灯す。
瞬間ユカリの影は思い出した。久方ぶりに湧き上がった感情。その名を“恐怖”と呼ぶのだと。
彼女一人に数え切れない数の魔法が間断無く浴びせかけられる。やがて数の暴力は周囲に展開していた魔法無力化領域の処理限界を突破した。
『ガ……アッ!?』
胸に風穴が空く。追撃がその傷をさらに押し拡げる。それでも消えようとしない彼女の顔面を鷲掴みにして老婆は声高らかに笑う。
「ひゃはははははははははははっ!! 覚えておきな偽神!! アタシの名を、いつか本物の神々すら喰らう女の名を! アタシは“才害の魔女”ゲッケイだ!!」
そして老婆は、こともなげに虚神の頭を握り潰した。




