五章・虹が繋ぐもの(2)
「あ、あり……がとな、ペルシア」
「わふっ」
激痛で顔をしかめながら感謝するとナスベリを背に乗せて運ぶペルシアは小声で吠えて返答した。気にするなと言うように。
だが次の瞬間、彼女達を狙って稲妻が走る。
「ギャウッ!?」
いち早く気付いたウェルが盾となり姉とナスベリを庇った。彼が倒れて動かなくなった直後、さらに突風が吹き荒れる。
「グ、ウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!」
四肢を踏ん張って堪えるペルシア。
目の前に巨体が舞い降りて来た。赤い鱗、強靭な肉体。その鼻先から伸びる銀色の角を見たナスベリは思い出す。
「コイツ、あの時の……!!」
オトギリが体内に埋め込んでいた高密度魔素結晶体。それによって再現された記憶災害。あの時と同じ赤い巨竜が復讐を果たさんとばかりに彼女達の前に立ちはだかる。
『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
相変わらず凄まじい咆哮。咄嗟に障壁で耳を塞がなければ彼女もペルシアも今ので意識を失っていただろう。
「コイツから……倒さねえと」
この竜の強さは知っている。こんな強敵を今の状況で野放しにすることは絶対出来ない。敵が記憶災害なら戦うには自分が最適。
凍らせた傷口を右手で押さえつつ、左手で鉄蜂を抜いて立ち上がるナスベリ。ペルシアも彼女を守ろうと巨竜を威嚇する。敵は彼女達の無駄な威勢を嘲笑うように角に光を集束させた。あれは雷撃の前兆。
「クソッ!」
苦し紛れに魔力障壁を展開。同時に放たれる雷光。自分の魔力であれは防げない。
だが次の瞬間、ナスベリは障壁の向こうに信じられないものを見た。
「えっ……」
懐かしい後ろ姿。その足下から伸びた影が盾となり雷撃を飲み込んで無力化する。巨竜の目にも驚愕の色が浮かんだ。
「か、母ちゃん……?」
「……」
振り返った女の顔は、やはりナスベリに、そして彼女の母に瓜二つだった。彼女は抱き着いて来る。それこそ久しぶりに再会した我が子を愛でる母親のように。
思わず涙ぐんだナスベリの脳内で知らない女の声が響く。
『やっとか……ずいぶん時間がかかったわね。まあ、私と相性の良い人間なんてそう簡単には見つからないか』
(だ、誰だ? 母ちゃんの声じゃない)
『私は魔女よ。貴女と同じ。人の理想を実体化させる遺物に触れてしまったせいで永遠に老いず、死ぬことも出来ない呪いにかかった魔女。言っておくけどそれは貴女の母親じゃないわ。貴女の心に宿った“後悔”を映し出す鏡』
そしてまた不思議なことが起こる。ナスベリの腹の傷が突然煙を立てて塞がり始めたのだ。瞬く間に全身の大小の傷がことごとく消え去ってしまう。
『ほらね。鏡か貴女、どちらかが無傷でいる限り、もう一方もそれに合わせて修復される。だから私は死ねないし、貴女も私の力を借りている限り絶対に死なない。それから私の鏡にはこんな使い方もある』
女の声がそう言った途端、ナスベリに抱き着いていた母親そっくりの“鏡”が形を失い彼女の体にまとわりついた。
「な、なんだこれ!?」
『落ち着きなさい。その鏡は“希望”も映す。貴女の望みに合わせ自らの形を変化させる。ほらイメージするのよ。そこにいる敵を打ち倒す何かを。自分にとって必要な力を』
「必要な力の……イメージ!!」
『ガアッ!!』
何かが起こる。そう悟った巨竜は戸惑いを捨て、口から火球を吐き出した。
いや、吐き出そうとした。その炎が一瞬にして凍結し、砕け散る。
『ッ!?』
「ありがてえ……これで戦いやすくなった!!」
ナスベリの全身を黄色の光が包み込む。つまり≪創造≫の力だ。その両手の鉄蜂に宝石弾とは別の弾が“創り出され”ベルト状に繋がり自動的に装填されていく。
さらに彼女の四肢には拘束具に似た奇妙な器具が装着されていた。ところが走り出したその速度は常人の比ではない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
一歩一歩で十数ヒフの距離を稼ぐ。凄まじい速さで敵の周囲を駆け巡り鉄蜂を連射する。次から次に発射する。撃ち込まれた弾丸が命中した箇所から魔素で再現された巨体を凍り付かせた。記憶凍結魔法を弾頭に封じた特殊弾。そして魔力で動きパワーアシストを行うこのフレームが彼女の想像を具現化した新たな武装。
『ガ……グ、グガッ……!!』
ついに全身が凍りつく巨竜。膝から腕へ駆け上がり、跳躍したペルシアが頭に体当たりして首をへし折った。落下した頭部は粉々に砕け散る。
「コイツぁ助かる!! この力、ありがたく借りるぜ鏡の魔女!!」
『リグレットよ。私の名はリグレット。存分に使いなさい、氷兇の魔女ナスベリ』
『クソッ、クソッ、クソッ、クソッ!!』
攻めあぐねている。自分達始原七柱の影が、たかが人間に苦戦している。
レインボウ・ネットワークと有色者達の存在は以前から知っていた。でも大した脅威にはならないと考え、放置した。彼等が引き出せるのは結局のところ七柱の力の一部。広大な海を満たす海水の一滴。だから取るに足らない存在だと、そう決めつけて。
だが誰かが限界を突破した。一つの世界に、せいぜい一人現れるかどうか。そんな希少な有色者達の力を、このタイミングで、この一点に集束させた。一人一人は雫一滴に過ぎなくとも、数多の世界からかき集められたそれは予想外の大きな力になった。
『異世界からネットワークを通じて能力を共有!? どうしてどうやって、どこのどいつがそんなことを実現させたのよ!? なんで人間にそこまでの権限が与えられているの!?』
「さあ、何故かしらね……」
わからないと言いつつ苦笑したスズランの顔は真逆の事実を語っている。そう、記憶を取り戻しウィンゲイトとして覚醒した瞬間、彼女は知ったのである。
この世界にはもう一人、自分の子が来ていることを。
「避難しなくていいんですか?」
戦場から遠く離れたシブヤ、アイビーの結界によってギリギリ残された街の片隅で少女は問いかけた。
ここはカフェで目の前には道路に面した客席がある。客は一人だけ。
当たり前だ、みんな大陸の中央に逃げてしまったのだから。
「君もここにいるじゃないか」
たった一人の客はテーブルの上に置いた原稿用紙を睨み、嘆息する。やがて空になったカップを持ち上げ、おかわりを催促した。
「だって、逃げてもどうせ死ぬでしょ?」
「悲観的だね」
素直にコーヒーを注いでくれた彼女に代金とチップを渡す彼。気前良く支払われた二枚の高額紙幣を眺めつつ、ウェイトレスの少女は複雑な気分になってしまう。
今さらお金なんて稼いでどうするのだろう? どうせもう世界は滅ぶというのに。
「それが逃げなかった理由かな?」
「そうですよ」
世界が銀色の光で滅茶苦茶になってしまった瞬間、悟った。もし生き延びられたとして、結局この先に待つのは地獄だと。だったら慣れ親しんだ街で一人静かに死んだ方が良い。
同じことを考えた者は他にもいるらしく、たまに他の人間も見かけた。けれども誰もが自分と目を合わせようとせず、暗い顔で俯いて去って行くばかり。少しくらい付き合ってくれてもいいのにと、そのたびに思う。
やがて北の空が騒がしくなり大陸を守っていた光の壁も消え、いよいよ世界が滅ぶんだと察した彼女は、せっかくだから最後に大好きな街を見て回ろうと思った。そしたらなんとなく足が向いた職場の前でいつも通り座っている常連の彼を見つけたわけだ。
「常連さん……今さらだけど、お名前は?」
「アキタニール」
「変な名前だね。そんな名前の植物あったっけ?」
この世界では人の名前は植物から取ると決まっている。大昔、ウィンゲイト様が花言葉を人間に教えて下さり、それがキッカケで花言葉を子への願いとする名付けの慣習が生まれた。だからみんな花や木の名前なのだ。
常連の男はくくっと噛み殺すように笑って顔を上げる。銀縁の円眼鏡をかけた黒髪黒目で長髪の痩せた中年。どこにでもいそうな、なのに奇妙な存在感を放つ男。前から思っていたけれど、どことなく得体の知れない怖さがある。
「そのルールを知らなくてね、ペンネームを考える時、小説家を目指している知人のことを思い出したもんだから、ついつい彼の名を借りてしまったんだ」
「ペンネーム? えと、ようするに本名じゃないの?」
「ああ、僕の本当の名は──」
名乗りかけたところで突風が生じる。
同時に周囲の石畳が砕けた。
「ヒッ!?」
コウモリのような翼を羽ばたかせ不気味な怪物が舞い降りて来る。石畳の下からは毛皮も目玉も無い狼としか形容しようのない獣達が這い出して来た。
それも一匹や二匹ではない。どんどん数が増え続ける。
「に、逃げよう! 常連さん逃げよう!!」
少女は男の手を引いて走り出そうとする。死ぬことは受け入れたけど、だからってここまで悲惨な死に方は望んでいない。
ところが男は反対の手で彼女の頭をぽんと叩くと、椅子に座らせた。
「え? あれ?」
逃げようとしていたのだから当然座るつもりなんて微塵も無かった。なのにいつの間にやら椅子の上。目をぱちくりさせた彼女に男は眠たげな顔を向ける。
「大丈夫大丈夫、この程度どうとでもなる」
「も、もしかして常連さん、魔法使い?」
「いや、残念ながらこの肉体は大幅に機能を制限したアバターだよ。特に魔力に関しては設定値をゼロにしてある。そうでもしないと馬鹿をやらかしそうで怖い。我ながら手加減が下手なんだ。そういう血筋なんだろうね」
「よくわかんないけど、魔法は使えないってこと?」
「うむ。しかし必要無いさ」
再び腰を浮かせた少女の肩を押し、やっぱり座らせる彼。下手に動かれると守りにくい。
「失礼するよ」
「へ?」
額に軽くデコピンを食らった。途端、少女は自分の体を全く動かせなくなってしまう。
「なっなっなっ……?」
「五分くらいで動けるようになるから」
「魔法! これ魔法でしょ!?」
「いや、ただの催眠暗示」
次の瞬間、男の姿がフッと消えた。
そして狼もどきの一匹が蹴り上げられ上空で旋回していたワイバーンもどきにぶつかり諸共に砕け散る。どうやったらそんなことが可能なのか少女には見当もつかない。
少なくとも人間業じゃないことだけは血の雨を見上げつつ理解した。
そしてまた疑問に思う。血の雨が降って来たのに。一滴も自分にかかってない。
男が拳を振るとビシャリと音を立てて大量の血が地面を濡らす。まさか、あの雨を全部手で防いでくれた?
「いやはや、単なる観光のつもりで来たのにタイミング悪く“呪い”に界球器が覆われて出られなくなるわ、あの人には出くわすわで散々だ。気まずいから隠れていたかったのに。まあ、仕方ないか、これも“重力”の仕業だろう」
チラリと、この店に来る度に美味いコーヒーを運んでくれた少女の顔を見る。
「申し遅れたが、僕の名はゲルニカ。君やシクラメン君のおかげで執筆作業が捗ったわけだし、その礼くらいはさせてもらおう」