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序章・私の真実(1)

「ミナ、そろそろ起きなさい!」

 階段の下から声を大にして呼びかける。娘はいつもお寝坊さん。少しは兄弟を見習ってほしい。

「お母さん、冷蔵庫開けて」

「あら、牛乳とヨーグルト、持って来てくれたの?」

「いっぱい来てた」

「明後日が祝日だから二回分なのよ。ありがとね、ユウ」

「母さん、オレの靴下どこ?」

「破れてたから捨てたわ。新しいの出してきなさい」

「わかった」

 ふう……カイの靴下はすぐ駄目になっちゃう。まあ運動部だから仕方ないか。

「マリア、アンタ今日、運勢最悪だよ」

「姉さん、占いなんて非科学的」

 頻繁に遊びに来る姉・ユカリ。昨日も夜遅く酔っ払ってやって来たので仕方なくうちに泊めた。この人も科学者のくせに星座占いなんて馬鹿馬鹿しいものを好んで見る。

「そもそも双子なんだから私の運勢が最悪なら姉さんのも最悪じゃない」

「でも恋愛運だけは良いの。良いはずなのよ……」

「……ひょっとして、またふられた?」

「いいよねアンタは……双子なのに一人だけ早々と結婚できて。なんでケン坊はアタシも嫁にしてくれなかったのよぉ」

 ケン坊とは賢介(けんすけ)のこと。私の夫で私達姉妹の幼馴染。

「決まってるでしょ、日本じゃ重婚は犯罪なの。だいいち姉さんはあの頃、別の人と付き合ってたじゃない」

「あんなクソヤローの話はすんな」

「ユウの前で汚い言葉を使わない」

「はいはいゴメン。じゃあユウ、おばちゃんを慰めて」

「え? え?」

「だっこさせて~、かわいいかわいい甥っ子よ」

「はぁ……ユウ、いってあげなさい」

「うん……」

 我が家の大人しい末っ子は言われるがまま伯母の膝に座り、熱い抱擁を受け入れた。

「はああ、本当にかわいいなもう。いっそユウと結婚したい」

「ええ~……」

「なに? 嫌なの? おばちゃん嫌い?」

「嫌いじゃないけど……」

「じゃあ好きよねっ。おばちゃんも大好きよ、ユウ!!」

「ああぁぁぁ、た、助けてお母さん」

「もう少し待って」

 あと少しで朝ごはんの支度ができるから。

 そこへ、ようやくあの子も降りて来た。

「ふわぁ……おはよう、ママ」

「おはようミナ。よし、出来たっと」

 毎朝五人分用意するのは、なかなか骨が折れる。

 しかも今日は一人増えてるし。

「トイレ、誰か入ってる?」

「パパよ」

「じゃあ、いいや……ユカリおばさん、ユウ、おはよう」

「おはようミナ」

「助けて、お姉ちゃん」

「また捕まってる……」

「ミナも来なさいよ。おばちゃんとスキンシップしようぜ」

「やだ~、おばさんなかなか放してくれないもん」

 と言いつつ、何故か私の腰に抱き着いて来る娘。

「もしもし? どうしたのかしらお嬢さん」

「ママがいい」

「はいはい、まったく、いつまで経っても甘えん坊なんだから」

 姉と同じでこの子もハグが好きだ。もちろん私もそうなんだけれど。私と姉はイギリス出身。移民が多いあの国では人によって挨拶の習慣がバラバラ。うちは父がハグでママがキスだったな。

 私はどっちも好きよ。

「ミナは一番ママに似てるものね」

 両手で抱き上げ、目線の高さを揃える。

「えへへ」

 私の銀髪を継いだのはこの子だけ。顔立ちも良く似てる。嬉しそうに笑う愛くるしい顔。ほっぺに軽くキスをした。

「可愛い可愛いお姫様、流石に九歳ともなると重いわ」

「重くないっ」

「そうね、まだそんなに重くなかったわ」

 ギュッと抱きしめてやるとミナは満足して床に下りる。一日一回はこれをしないと気が済まないんだから、この子は。

 そこへ、ちょうどいいタイミングで夫と長男が戻って来た。

「ミナも起きたか」

 目の細い、ぼんやりとした顔立ちの日本人。それが私の伴侶。でも仕事中はこの表情がキリッと引き締まってかっこよくなる。

「早く朝飯食って行くぞ」

 長男のカイは父親似。面倒見が良く、部活の朝練が無い日はいつも下の子達を通学路の途中まで送って行く。心配症だとも言えるかもしれない。

「お母さん、おばちゃんが放してくれない……」

「おばちゃんが食べさせてあげるよ~」

 末っ子ユウは私と賢介の特徴をいい感じに半分ずつ受け継いだ。幼い頃の私達をどちらも想起させる上、一番下の子ということもあって姉の大のお気に入り。

「姉さん、ちゃんと自分で食べさせて」

 私が強めに言うと、ようやく姉はユウを放して自分の席に座る。

「はいはい、それじゃ続きは帰ってからね」

「今日も泊まるの?」

「失恋の傷は一日くらいじゃ癒えないものよ」

 仕方ないわね、今夜は奮発してすき焼きにでもしてあげましょ。姉は食欲が満たされていれば落ち着いた性格になる。我が姉ながら本能に忠実な人なのだ。

「……」

「あなた、食事中よ」

 また研究資料を読み耽っている彼に苦言を呈す。この人は新聞よりこれ。

「あ、ああ、ごめん。大森君から提出されたレポートが興味深くて」

「いざとなったら並行世界へ逃げようってやつ?」

「そうそう、若者の発想は面白いね。この世界が“あれ”に飲まれる前に全人類で異世界へ移住なんて壮大で夢がある」

「不可能では無いだろうけど、何年かかるのよ」

 数多の並行世界(パラレルワールド)から可住惑星を探すだけで一苦労。現在私達と情報共有している相手は基本的に地球型惑星の住民で、文明が発展しており、やはり同様に人口過多という問題を抱えている。とても受け入れてなどもらえない。そもそも彼等の世界にだって“あれ”は迫りつつある。

「あの子もあなたも慌て過ぎ。計算じゃ“滅火(ほろび)”がこの世界に到達するのは一万二千年後なんだから、その時になっても人類が存在しているかさえ定かじゃないわ」

「まあ、そうなんだけどね」

 苦笑した夫は資料をテーブルの端に寄せる。

 でも、そういえばと私は思い出した。

 夫のもう一人の助手、時任(ときとう) (かなめ)さんも興味深い報告を提出していた。いくつかの世界を同時に観測した結果、並行世界間で僅かながら時間の流れる速さが違っていたと。

 もし本当に世界によって時流に差が出るのだとしたら、ひょっとすると私達より遥かに先の時間軸まで進んでいる世界もあるのでは? そして、たとえば私達が知らないだけで、この世界に隣接している並行世界の一つがそんな世界だった場合、そこを通じてあの灰色の炎が今すぐに襲って来る、なんてことも有り得るかもしれない。

(……いや、考え過ぎね)

 並行世界の観測が始まり情報のやり取りまで出来るようになってから、もう四半世紀が経過している。今時そんな未発見の近傍世界なんてあるはずが無い。

 だからこそ私達の研究は“役立たずの学問”なんて呼ばれている。並行世界に関連する分野の中でも異端中の異端。遥か未来に訪れる“滅火”に対抗するための研究。

 でも私達は誇りを持って働いている。この世界にとっては遠い未来の話でも、今まさに滅亡の危機に瀕している世界だってあるのだ。そんな彼等を救いたい。それに私達の研究が実を結べば、遠い未来の子孫達も安心して暮らすことが出来る。

 カイの、ミナの、ユウの、子供達の、さらにその子孫達の未来を守りたい。だから私達夫婦は今日も“役立たずの学問”を研究する。

 ごはんを食べてくために他の仕事もしているけれど。ふう、そういえば明日はテレビの収録か。誰が“美人すぎる大学講師”よ、三十代の人妻だっての。テレビ出演は家計の上では助かるけれど、アイドルみたいな扱いには辟易するわ。

「別の世界に……か」

 夫は、まだぼんやりと上の空。大森君のレポートのことを考えているのかしら?

 いや、違うみたい。この表情はむしろ──

「何か思いついた?」

「うん、何かがこう……閃きそうだ」

「閃いたら教えてね」

 そう言って味噌汁を一口啜る私。うん、安かったからいつもと違うお味噌を買ってみたけれど十分美味しいわ。

 しっかし我ながら純和風な朝食よね。焼き鮭、納豆、ほうれんそうのおひたしに大根ときゅうりの糠漬け。こんなだから近所の奥さん達に「マリアさんは全然イギリス人っぽくない」なんて言われるんだわ。

 仕方ないじゃない、三歳から日本で暮らしてるんだもの。両親は二人揃って重度の日本オタクだったし、ごくまれに帰国したって全然母国って感じがしなかった。

 昔を思い返すと不安になる。ミナは学校でいじめられてないかしら? ハーフなのに私にそっくりだもの。いつも私を支えてくれた賢介みたいな良い友達が、この子の周りにもいてくれたらいいんだけれど……。

「あっ、こっちのチャンネルじゃ運勢最高よ、私達」

「姉さん、食事中はテレビを消して」

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