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「はぁっ!…はぁっ!…」
グラン皇国辺境にある、城塞都市リュスピテルのすぐ傍にある妖魔の森にて、一人の少女が走っていた。否、逃げていた。
鬱蒼とした薄暗い森を駆け抜ける逃走者と、それを追いかける追跡者。
「おい!絶対に逃がすんじゃねぇぞ!あんな上玉逃したら大損失だ!」
追跡者の内の一人、大柄なスキンヘッドの男が声を荒らげて叫ぶ。それに答えるように
「分かってら!オークションにでも出せば、肥えた貴族様が血眼になって買おうとするだろうよ!」
男達の、下衆な欲望に塗れた視線を浴びながら逃げ惑う少女。
そして、己の欲望を満たす為に少女を追いかける追跡者達。
(ここでなんとかしなきゃ…)
そう思った少女は、急に男達の方を向き一枚の札を取り出す。
「なんだぁ?やっと観念しやがったかぁ?」
「ヒャハハハ!手こずらせやがって!なぁ?あのガキキズ物にしてもいいか?」
「おっ名案ン〜!俺にも回せよ!」
そんな下衆な表情を浮かべる、堕ちる所まで堕ちた男達の声に遮られながらも少女は、何かを小さく呟き高らかに叫ぶ。
「■■■■■■!」
男達の知らない言語を、少女が叫んだ瞬間周囲の木々が意志を持ったかのように、枝を鞭のようにしならせながら男たちを締め上げる。
「な!なんだこれ!」
「クソッ!振り解けねぇ!」
「聞いた事があるぞ!奴らは、俺達が使う魔法とは別の『妙な術』」を使うって…!」
男達が、木々に締め上げられている隙に逃げようと、再び走り出す少女。しかし、突如新手の声が聞こえたのだった。
「あら〜ん?アナタ達ったら全く何をしているのかしら〜ん?アナタ達は、たかが妖魔の小娘一匹相手に手も足も出ない能無しちゃん達なのかしら?だったらあとで、オ・シ・オ・キかしらねぇ…」
その巫山戯た口調とは裏腹に、震え上がる男達。それも当然である。
その男は、本来こんな場所へと直接来るような下っ端ではない。彼は、グラン皇国に限らず世界中で暗躍する裏組織《猛毒の凶蛇》の12人の上位幹部の一人。
狂犬カルカロッソという、この世界でも有数の実力者なのだから。
「カルカロッソさん…!すんません油断しました!でもコイツ、例の『妙な術』まで使えますよ」
「……あら〜…へぇ…それは上々…アナタ達にしてはいい仕事をしたわね」
なんとか、『カルカロッソの機嫌を損ねて自分達の首が飛ぶ』という事態は回避出来た事に安堵する男達。
そんな中、なんとか隙を見計らってこの場から逃走しようと企む少女は、カルカロッソと男達が話をしている最中に逃げ出そうと踏み込む。すると、
「あんまりおイタはしないでくれるかしら?『商品』とかは関係なく女の子を甚振る趣味は無いの。そこの男達と違ってね」
「…っ!?」
鋭く息を飲む少女。それもそのはず、先程まで20メートルは離れていた筈なのに、予備動作もなしに一瞬で詰め寄り自分の手首を掴んで離さないのだから。
「全く…手間掛けさせないで頂戴。ただでさえ、リュスピテル付近は例のネルミエルの騒動で仕事がしづらくなっているっていうのに…」
苛立った様子で、段々と言葉に怒気が篭もるカルカロッソ。それにつれ、段々と自分を掴む腕に力が入り手首をへし折らんとする。
「あら?ゴメンなさいね。ついつい力んじゃったわ」
私ったら!とおちゃらけた様に言うカルカロッソだが、その言葉とは裏腹に、手首は赤く腫れ中で内出血を起こしていた。恐らく、あと少しでも衝撃を受けたら折れてしまうだろう。
「ほら!アナタ達もいい加減遊んでないでその枝振りほどきなさい!」
そんな少女の様子を気にも留めずに、連れ去ろうとするカルカロッソ。
(…嫌…嫌…………!誰か助けて……!)
少女は祈る。己の無事を。
その祈りは知ってか知らずか、叶う事になる。
メキィ!
極限まで足音を殺しながらも、とてつもないスピードで現れた黒衣の青年は、そのままの勢いでカルカロッソの顔面に膝蹴りを食らわせた。
その衝撃で少女を掴む腕が外れ、倒れ込む少女を抱える黒い外套を羽織った青年…いや少年。
「あのさ…状況はなんとなく把握したけど、間違いがあるかもしれないから確認するけど…お前ら、人攫いでいいんだよな?」
少女を助けた黒い外套の少年は、不遜にも男等を見下す様に言い放った。
ゼロは、森の中を歩きメギストスの言っていた城塞都市リュスピテルへと向かっていた。その途中で、どこか遠くで何かの詠唱の叫び声と異常な魔力を感知したので向かっていた。そうすると、突然強い気配が現れたので、興味本位で向かっていたのだった。
そこには、一人の大柄な男がスレンダーの小柄な少女を掴み、三人の男が木の枝を切り落としているのを確認した。
その瞬間、ゼロは限界まで足音を消しながら加速し、少女を掴んでいる男へと飛び膝蹴りをかましたのだった。
そして、倒れ込む少女を抱き抱えて初めて知る。
その少女は、雪のように真っ白な髪に、桃色の毛が交じっおり、額には、人間にはある筈の無い、二本のツノが生えていた。
(鬼…?)
その姿は、前世でよく見た鬼を擬人化したキャラクターに似ていた。強いて言うなら、イラストと違い実物はとても可愛らしいという事だが。
しかし、この場で注意するべきはあの男だけだと言うのを思い出し、すぐにそちらの方に意識を向ける。
すると、男は立ち上がり何故か笑顔をゼロに向ける。
「……イイッ!すご〜〜っくイイわアナタ!その容赦の無い不意打ちの飛び蹴りに、足音と気配を消しながらあそこまで早く動く技術!坊や一体どれだけのセンスと修練を重ねてきたのかしら!私すっごく気になるワ!」
「うるせぇ黙れ。俺の質問にだけ答えろ」
尚も高圧的な態度を崩さないゼロに、男達は不快だと言わんばかりの殺気を向ける。が、
「おいおい…この程度の殺気、黒龍に比べたらそよ風みたいなもんだぞ…」
黒龍という正真正銘の化け物に向けられた殺気は、それだけで意識の大半を削がれる程の殺気だったが、男達が向ける殺気は最早殺気とすら呼べない物だった。
「んふ〜……いいわぁ…やっぱり凄く腕が経つのねアナタ…ますますタイプよ…」
「OK否定をしないのなら肯定と受け取る。この場で半殺しにして、後でリュスピテルにでも連行してやるよ」
ゼロが殺気を向ける。それに応えるようにカルカロッソも殺気を向ける。
(コイツ…!巫山戯た奴かと思ったらとんでもない実力を持ってやがるな…)
(おいおい…こんな化け物が居たなんて聞いてないわよ…私の全力の殺気を向けてもビクともしないなんて…ここで全力を出したら『商品』も傷付けてしまうわね…どうにか『商品』だけでも回収しないと…)
暫くの睨み合い…お互いに牽制だったが、少女や男達にしてみれば、目の前に濃密な『死』香りが漂っているのだから、意識を飛ばさない事に精一杯だ。
「やるな…お前…」
「アナタも…期待以上ね…」
お互いに賞賛をし合うが、その間には敬意という物は微塵も無い。ただ、お互いの目的を果たさんが為に動こうとする。
「立てるか?」
戦いには邪魔になると判断し、少女を降ろし返事を待たずにカルカロッソの方へと向き直る。
「待たせたな…早速始めるか!」
「あらいいの?私としてはもう少し待ってあげてもっ!」
語尾がおかしな事になるカルカロッソ。それとは裏腹にカルカロッソへの全力の不意打ちに投げたナイフが避けられたゼロは、不愉快そうに、チッ!と舌打ちする。
「アッ…アンタねぇ!そんなタイミングでの不意打ちなんてする!?もっとこう…プライドとか無いわけぇ!?」
「無い」
唖然とした表情を浮かべるカルカロッソだが、それでもゼロの追撃を躱しいなすその様は、カルカロッソの実力が高い事を顕著に表していた。
「どっせーい!」
「っ!?」
どこからか取り出した二本の巨大なダガーナイフが、ゼロを襲う。すんでのところで回避したゼロは距離を取る。しかし、それが仇となった。
「あら?距離を取っていいのかしら?なら今回は私達の勝ちね」
「んーーーーっ!んーーーーーっ!」
ゼロがその言葉の意味に気が付くと、既に男達に捕らえられていた少女が口に布を巻き付けられながら、何かを叫ぶ。
「チッ!」
「おおっとさせないわよぉ?」
少女を助けようとするが、カルカロッソによって阻まれる。次第に、次第に男達の姿が捉えられなくなった。
すると、仲間が逃げたのを見計らってカルカロッソが距離を取る。
「名残惜しいけど、そろそろ時間よ坊や。あの少女の事が気になるなら、是非近々リュスピテルで行われる裏オークションに参加しなさい。あの娘も、オークションに出品される商品だからねぇ」
「待て!」
「残念だけど待てないわ。じゃあね坊や、精々纏まった金を用意してあの娘を買いなさいな。今回のオークションの目玉になるでしょうから、生半な値段では買えないでしょうけどね」
その言葉を最後に、カルカロッソの姿が霧のように消えた。
「チッ…幻影魔法か…あの話は、本体が逃げ出す為の時間稼ぎって訳かよ…」
その言葉を最後に、ゼロは全速力で森を駆け抜け城塞都市リュスピテルへと向かうのであった。