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コードは盤上に  作者: 芦田孝祐
8/21

無理ですよ、そんなの

 喫茶店から帰った私はあのメモが特定の局面からの棋譜を表しているという仮説の下にその局面を探っていた。

 しかし、これが極めて困難な、雲を掴むような作業であるということにすぐに思い至った。どう考えても、棋譜としてはめちゃくちゃなのである。どんな局面を作っても、メッセージの棋譜が正解の手の連続であるような局面を作り出すことができない。

 私は一人ではとてもできそうにないと思い、数少ない将棋関係の仲間を呼ぶことにした。近藤である。

 近藤はこういったパズルのような類のものが大概好きで、将棋で言えば詰将棋を非常に好む。もっとも、この間打ち切りにした研究会でも近藤からは私を悪く言う言葉を聞いていなかったので頼みやすかったというのが近藤を選んだ本当の理由なのだが。

 しかし、私の目論見は外れた。近藤はこのメッセージの謎解きに興味を示さなかったのである。

「こういうのはパズルとかクイズって言いませんよ」

 私の仮説を聞いた近藤はそう言った。

「なんでだ?棋譜から局面を探り出すっていうのは、けっこうありだと思うんだけれど」

 私のアパートで盤上に駒を並べつつ近藤は持論を展開する。

「パズルとかクイズってのは、正解が一通りに決まるものなんです。もし他の答えがあったとしても、正答以外はどこか納得いかないもので、正答はすっきりと腑に落ちるものだというように作るものです。でも、棋譜ってのはそうはいかない。人間が指せばその人間の好みや能力によって指し手が変わってくる。先輩の言う通り、最初が52金だとしても、52金が必然でないとクイズやパズルとしては成り立ちません」

 なるほど、その手の物に詳しいだけあって正論のように聞こえる。しかし、年下にこれだけ偉そうに言われると、私としても多少は反論をしたくなった。

「じゃあその局面で52金が必然であるというような局面を作ればいいじゃないか。そうだ、52金から始まる詰将棋だと考えればいいんじゃないか?うん、詰将棋だったら誰が指しても正しい唯一絶対の正解手順があるじゃないか。その棋譜の詰将棋を考えてみよう」

 良い案だと思ったのだが、これがすぐに一蹴された。

「最終手が13玉なんて詰将棋はありませんよ。それに、もし詰将棋だとしたら、初手52金への対応は玉を逃げるか開き王手に対処して合駒をするかです。なのに、その後の手順はそのどちらにもなっていない。つまり、この手順は詰将棋では絶対にあり得ないんです」

 どうやら近藤はすでに詰将棋の可能性を探っていたらしい。詰将棋ではない、となると実戦の進行だろうかと思うが、それを調べるのは簡単ではない。棋譜がデータベース化された昨今でも、特定の局面が実戦で存在するかは調べることができても、特定の手順が存在するかを調べるのは簡単ではない。そのような調べ方をする人間がいないからだ。

「やめましょうよ。こんな益なきことは。それより、僕らはプロになることです。プロになってしまえばすべてが吹き飛びます。逆に、プロになれなければすべてが無駄です」

 そういって近藤は駒を将棋の初形に並べた。

 プロになること、そう、私にとってはそれが全てだった。あの手を指して、師匠が死んだあの瞬間までは。あのような手を指しておいて、師匠を殺しておいて、おめおめとプロになろうという感情は持っていなかった。

「近藤、すまない。ちょっと体調が悪いんだ。今日は指せない」

 私のその言葉に、近藤は睨みつけるような視線を見せた。

「指しましょう。体調が悪くても。僕らは将棋を指すために人生を送ろうとしているんです。体調が悪くても指すべきです。指していれば、そのうち体調も良くなります」

 私は首を振った。

「諦めたんですか」

 近藤の視線は厳しいままだ。

「この間の研究会の時、八巻と菊池が言っていたこと、聞こえてたんじゃないんですか」

 私が聞いていたことを知っていたのか。

「あいつらにあんな風に言われたから、ずっと夢だったプロを諦めたんですか」

 ようやく否定できる言葉だった。

「八巻や菊池は関係ないさ」

 しかし、私のその言葉はより一層の怒りを買った。

「じゃあ、いつプロを諦めたんですか。僕らはプロになるために全てを犠牲にしてきた人種じゃないですか。同い年の連中が学校や遊びや恋を謳歌している中でそれらに見向きもせず、ひたすらに将棋ばかりやっていたのはなぜですか。中にはいますよ、高校や大学に行って、他の方面でも実績を残して、その上でプロになろうとするような器用な奴らも。でも、津井さんはそうじゃないでしょう。今時珍しいと言われる高校すら行ってない人間でしょう。将棋以外のことなんて何にも知らないでしょう。僕だって似たようなもんですよ。なのに、どうして諦めるなんてできるんですか。無理ですよ、そんなの」

 近藤は憤慨していた。本当のことを言ったところで理解してくれるだろうか。師匠からのメッセージを知った瞬間に、そのメッセージを解き明かすために自分は将棋をしていたのだと思ったなどと。たとえ理解したとしても納得はしてくれまい。私はただ黙って近藤の言葉を聞くしかなかった。

「結果が伴わずっていうなら分かりますよ。将棋の世界は才能の世界です。才能なき人間には道は開けていません。でも、あと一歩のところまできて、自分から降りる人間は分かりません。僕はそういう人間と一緒にいたくはありません。自分を信じられない人間と一緒にいたら、勝てる勝負も勝てなくなりますからね」

 近藤はそう言って私に別れを告げてアパートから出ていった。


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