今、少しお時間よろしいでしょうか
「すいません……」
背後で声がした。振り返ると、私と同じくらいの年齢の背広姿の青年が立っていた。短く整えられた黒い髪とすらりと通った鼻筋、涼し気な目元。どこかで見たような気がしたが、それをはっきりと思い出せなかった。
「津井さんですよね?」
その男は私の名を告げた。軽く返事をしながらその男を記憶の中から探ったが、見つからない。しかし、男は私が覚えているのを期待していた様子もなく、自分から名乗った。
「私、高久圭と申します」
高久、という苗字は男の素性を私に知らせるのに十分な情報だった。先日亡くなった師匠の姓である。そういえば葬儀で見た顔だと思い出す。長男だ。身なりに気を遣わなかった師匠とのあまりの違いに、二人を結びつけることが出来なかったのだ。しかし言われて見れば、目元にやや面影がある。
「ああ、このたびはご愁傷さまでした」
紋切り型の慰めの言葉を高久圭は軽く頷くだけで受け止めた。表情はない。
「今、少しお時間よろしいでしょうか」
「時間、ですか……」
気が進まなかった。高久圭が私の苦手なタイプの人間のように思えたことを抜きにしても、今誰かとじっくりと話をする気になれなかった。
「父のことで、少し」
私の食いつきが悪いことを察したのだろうか、私の最大の関心事を真っすぐに突き付けてきた。こうなると、ダボハゼだと分かっていても食い付かずにはいられない。研究会を抜けて男の話を聞くことに決める。
「分かりました。近くの喫茶店でもよろしいでしょうか」
「ええ」
高久圭は淡々としている。
「少々お待ちください」
私は階段を上り、自分のアパートの扉を開ける。
「悪いけど急用ができた。後はお前たちでやっていてくれ。鍵はかけずに帰ってくれていい。どうせ中に盗まれるようなものはないから」
突然の私の言葉に八巻たちは困惑しているようだった。無理もない、研究会の主催者であり会場を提供している家主が突然その場を離れると言うのである。しかし、私は八巻たちが何か言い出す前にアパートを離れることにした。奴らと言葉を交わすつもりはなかった。
「行きましょう」
私がそう言って歩き出すと高久圭は私の後ろを丁寧に着いてきた。近すぎず離れすぎず、極めて適切な距離だった。




