それがどうかしたのかい?
将棋愛好家の集まりで例の盤面を見てもらったが、結論はやはり「詰まない」だった。アマチュアの愛好家たちが何人集まって出した結論であろうと、そんなものは大した信頼性のない話ではあるのだが、問題はその場に複数人の将棋のプロが同席していたことだった。将棋のプロが複数人がかりで出した結論は極めて信用性が高い。
私は暗鬱とした気持ちになった。死の間際に置いて師匠が間違った局面を作り上げたということは、私の中で師匠の将棋の神聖さに大きな影を落とすのに十分すぎる出来事であったからだ。将棋の鬼とさえ呼ばれた、将棋以外は何一つとしてできない、やろうとさえしない男が、死の間際で間違えた。将棋の名人が同じことをするよりも私の中ではずっと衝撃的な出来事だった。
私は何だか急激に虚しくなった。無理もないことだろう。自分が今まで追い求めていたダイヤモンドの街がガラスづくりの街だと気づいたのだ。
私は呆けたように翌日からの札幌の将棋イベントのアシスタントをこなした。どうにか周囲に異変を気取られないようにはしたが、もはや私の中に残っていた僅かに燻り残っていた火種はもう完全に熱を失っていた。
帰りの飛行機の中で、私は武石先生に質問をしてみた。
「武石先生はどうして将棋指しになろうと思ったのですか?」
武石先生はきょとんとした。もう五十が近いということを微塵も感じさせないその容姿と相まって、その時の武石先生はまるで私とそう歳が違わなくなったように感じた。
「そうだなあ。子どものころから人と勝ち負けをつけるのが好きだったから、将棋はあっという間にハマったなあ。普段は何があっても絶対に自分の方が正しいと思い込んでいる年長者の人たちが、将棋で負けた時だけはこちらのほうが正しいという事実を素直に認めるんだ。そんな感じであいつも負かしたいこいつも負かしたいと欲張っていったら、自然と将棋のプロになるレールに乗っていた。だから、将棋よりも先に囲碁に出会っていたら、囲碁のプロになっていたかもしれないな。結局、プロがあるゲームの中で最初に出会ったのが将棋で、その将棋にたまたま才能があったからプロになった、といったところかな」
私は拳を握り締めながらその話を聞いた。私や師匠とは違った。武石先生にとっての将棋のプロというのは、いつの間にか自分の人生という道程の先に置かれていたものに過ぎず、それで飯が食えるからそれで飯を食っているに過ぎなかった。人当たりが良く、何でも器用にこなす武石先生ならば、将棋のプロというものがこの世になくても、それは大した障害でなく人生を歩んでいくのだろう。
師匠はどうだっただろうか。師匠は恐らく、将棋のプロという職業がこの世になければ、おそらくまともに生きることはできなかっただろう。そして、自分の唯一の武器に常人では到底理解できない価値を見出すことは当然である。現実に師匠はそうした。しかし、その価値は本当に存在したのか、それが今私の中で強く問われている。
本当はそれを武石先生に確認できないかと思ったのだが、それは無理なようだった。
「それがどうかしたのかい?」
武石先生は黙り込んでしまった私にそう尋ねてきた。私は、適当に誤魔化して返事をした。
それでも、飛行機はあっという間に私を東京へ連れ戻した。




