香り屋とゼノア公爵
セイラ視点→フレデリカ視点になります。
「どうして、公爵がここに?」
馬車から降りて来た男を見てセイラは固まった。
侯爵家ではランドリーメイドをしていたから、お客様の前には出たことがない。でも、お客様の顔は見ることが出来た。
だから、その男性がフレデリカの想い人、ゼノア公爵その人だとすぐに気づいた。
「あなたがご店主か?」
店に入って来た公爵は、すぐにセイラへ声をかけて来た。
「閣下、ご来店ありがとうございます。私は店の売り子をしている者で、店主ではございません。店主は仕入れに出掛けております」
閣下と呼ばれて不審げだったが、表の馬車の紋章に目をやって、納得したようだった。
危ない危ない、公爵はルシェラ様と婚約されたと聞いたし。ロイド侯爵にフレドの居場所が知れたらマズイわ
「そうか」
「店主にどのようなご用件でしょう?」
「用件というか、お礼に伺ったのだが。最近、我が公爵領の花を使う、人気の香水店が出来たと聞いてね。おかげで、花自体の評判も上がって、売れ行きが良くなっていると報告があった。こちらの香水のおかげだ」
「そうでしたか、わざわざ閣下自らお越しいただくなど有り難いことです」
公爵なのに………威張らない貴族もいるのね。でも、フレデリカは私が守るわ
「いや、先触れを出すべきだったな、申し訳ない。して、店主はいつ頃戻られる?」
「申し訳ありません。先ほど出たばかりでして、だいぶ掛かるかと」
「そうか、残念だ。知り合いからの頂き物が、こちらの店主からだと聞いていたのだが。不在なら、お礼は次にしておこう。
…………それと、この香水はまだあるだろうか」
公爵が上着のポケットから出してきたものを見て、セイラは再び固まった。
これは、老婦人に渡した香水だわ! フレデリカとあの方しか持ってないはず。どうして、公爵が?
「閣下、その香水はどちらで?」
「これは、知り合いの婦人から、差し上げた花の代わりにと頂いたものだ。私も気に入ったので買い求めたいと思って来たのだが」
あのガーベラは公爵が育てたもの?!
「申し訳ありません。その香水は店主が自身と、そのご婦人の為だけに作っているもので、他の方へはお売りしておりません」
「そうだったのか。悪いが、そこをどうにか頼めないだろうか?」
「申し訳ありませんが……」
「なら、こうしよう。この香水はピンク色のガーベラが原料なのだろう? 私が育てたガーベラはとても質がいいと評判だ。それを差し上げよう、お願い出来ないだろうか」
やっぱり公爵のガーベラだったのね
「素晴らしいお話ですが、私はただの売り子ですので、お約束できません。店主と相談させていただいても?」
「構わない、ピンクのガーベラなら、ある人の為にたくさん育てているから、欲しいだけ差し上げると、そう、店主に伝えてくれ」
そう頼んで、花公爵と呼ばれている男性は帰っていった。
「シオン様がお店に?」
「ええ、花を買ってくれるお礼と香水の注文にね」
「香水って、まさか」
「ええ。あの老婦人に作ってるピンクのガーベラの香水が欲しいそうよ、老婦人が差し上げたみたい」
「じゃあ、ピンクのガーベラを分けてくれたっていうのは……」
「公爵でしょうね」
「私、あんなに欲しかった公爵のガーベラをそうと知らずに受け取っていたのね……」
「公爵はどうしても、あの香水が欲しいみたい。別の人の為にたくさん育てているからって、好きなだけ分けてくれるそうよ」
「別の人? もしかして、ルシェラお姉様?」
「…………フレド、落ち着いて聞いてちょうだい。公爵はルシェラ様に求婚したそうよ。ルシェラ様の好きなガーベラを贈ったんですって」
「ルシェラお姉様に、ピンク色のガーベラを………シオン様のお相手は、やっぱりお姉様なのね……」
「だから、香水もルシェラ様にあげるんじゃないかと思うんだけど、どうする?」
「ごめんなさい、セイラ。ちょっと考えさせて」
「もちろんよ。あの香水には思い入れがあるんでしょ? そんな大切な香水を、ルシェラになんかあげなくたっていいわよ」
「でも、わかっていたことなのに……」
セイラが敬称を忘れているのも気にならないくらい動揺するなんて。
結局、あの香水だけはお売り出来ないと、店名だけ書いてお断りの返事を出した。
この香水だけはお姉様に渡したくない。私には、これしかシオン様に繋がるものがないのだもの。
お姉様はシオン様と結婚されるのだから、ひとつくらい、私が我が儘言ってもいいわよね。
後日、シオン様からは、無理を言ったと丁寧な謝罪と、お詫びとしてピンクのガーベラが大量に届けられた。
ごめんなさい、シオン様……
シオン様が育てた、ピンク色のガーベラなのに、いただいても嬉しくないなんて。
シオン様が、お姉様の為に育てた花だと思うと、大好きなお花も嫌いになってしまいそう
すべて香水にして、ひとつを残して老婦人に届けた。ピンクのガーベラを見ていたくなかったから。
◇
一週間後の朝、眼鏡をかけた男性が、気まずそうに店に入って来る。
「お忙しいところ、すみません。ご店主はいらっしゃいますか?」
この方、香水を使うようには見えないけれど……
「奥様への贈り物をお探しですか?」
「あ、いいえ! 客ではなくてですね、」
男性は慌てて、身分証を差し出してきた。
セイラとふたりで覗き込む。
『王室認定 商品監理省登録審査官 ジョナス・ゴールド』
身分証は偽造防止の魔法がかかっているから、偽物ではないわよね?
「ご覧のとおり、怪しい者ではありませんし、偽造もしておりません」
いけない、顔に出てたのかしら?
「あの、私達、何かしてしまいました?」
セイラが青ざめて聞いた。その言葉で私も気がついて、とたんに緊張して手を握り合う。
「違います、違います! 誤解させて申し訳ない。実は、こちらのお店の相談にのってあげて欲しいと依頼を受けまして」
人が良さそうなジョナスさんが、ブンブンと手を振って不思議なことを言い出す。
「相談ですか?」
セイラと顔を見合せて、心当たりがないとジョナスさんを見た。
「依頼した覚えはありませんが」
「いえ、あの、依頼者は別にいらっしゃいまして。ジェスキア公爵のお知り合いで、テレジア様とおっしゃるご婦人と、もうおひとりは、
───────ゼノア公爵ご本人です」