ジェスキア公爵の娘
「君がフレデリカだね。はじめまして。
アーロン・ジェスキアだ。アーロンと呼んでくれて構わないよ。叔母とシオンが世話になったね。ありがとう」
ジェスキア公爵がフレデリカに声をかけるが、フレデリカは眼を見開いたまま、公爵の顔を見つめて動かない。
「フレデリカ嬢?」
ジェスキア公爵が、もう一度名前を呼ぶと、フレデリカは震える両腕を伸ばして、ゆっくり公爵に近づいていく。
そして、公爵の胸に抱きついて子どものように泣き始めた。
「おばさま、アンジェおばさま…」
「ああ、そうか。君は従姉に会ったことがあるのだったね」
戸惑っていた公爵は頷いて、慰めるようにフレデリカの髪を撫でた。
アーロン・ジェスキア公爵は、息子の俺よりも、大陸一の美女と有名だった、母、アンジェリカ王女にとてもよく似ている。
大陸を二分しかねないと噂される程に、美しい従姉弟同士だったのだ。
「もう大丈夫かい?」
小一時間も叔父の胸で泣いていたフレデリカが、恥ずかしそうに頷いている。
自分よりも、母に似ている叔父を羨んだことはなかったが、これからはそうもいかないだろう。
今だって、フレデリカが叔父の側を離れないのだから。
「シオン、諦めろ。私は整形する気はない。第一、そんなことさせようものなら、アマンダに恨まれるぞ? あいつは私の顔が大好きだからな」
「自慢と惚気ですか? ご馳走様です。ですが、叔父上もアマンダ様で満腹でしょう? フレデリカを返してください」
「フレデリカ嬢に言うのだな」
「……禿げればいいのに」
「聞こえたぞ? 残念だが、ジェスキアの家系に禿げはいない」
ぼそっと呪ったはずなのに、耳まで性能がいい。
「あの、アーロン様、私にお話というのは何でしょう?」
フレデリカが声をかけて来た。
叔父に妬いたのか、それとも叔父の注意を惹きたいのか、どっちだ?
「失礼した。そうだね、まずは君の魔法の話が先かな。シオン、君も聞いておいた方がいい」
フレデリカとともに、頷いて先を促す。
「フレデリカ嬢の魔法は『乾燥』だと聞いていたが、そうではない。
テレジア様が火傷を治療する前に、私がフレデリカ嬢の肩に触れたのを覚えているかい?
あれは、火傷を写し取っていたのだよ。何の為にかは、もう言わなくてもいいね?
で、その写し取っている最中に気づいたわけだが、君の魔法は『乾燥』ではなく、『気化』と『保存』だったんだ。
無意識で同時に使っているから、乾燥だと思っていたのも無理はないな」
あの時、叔父が怪訝な顔をしていたのはそのせいだったのか。
魔法を2つ持っているのも珍しいことなのに、同時に使っているなんて、当のフレデリカも吃驚している。
「叔父上、その『気化』と『保存』というのは、一体、どのような魔法なのですか?」
「是非、教えてください。私、自分の魔法がどんなものなのか知りたいのです」
同時にせっつかれて、ドウドウと俺達を落ち着かせた叔父は、悪戯っぽく笑う。
「シオン、君は知ってる筈だよ?」
「勿体ぶらないで!」
「そうですよ!」
「しょうがない。フレデリカ嬢と全く同じ、2つの魔法を持つ人がいただろう? 知らなかったかい? 私の父、前ジェスキア公爵その人だよ」
「大叔父様が?」
「そうさ。父が王立図書館の館長をしていたのは知っているね。その役目を仰せつかったのは何も、父が本好きだったからではないよ。『気化』と『保存』の魔法で、王室や王城に遺されている貴重な書物を守っていたのさ」
「書物の保存……」
「そうだよ。書物は国の歴史でもあり、先人達が遺してくれた智恵だ。云わば国の指針だね。
そんな貴重なものなのに、湿気と虫が大敵なんだ。だから手間がかかって仕方ない。魔法でも使わなければ、あの膨大な量の書物を人力で守るなんて、なかなか出来ることではないよ」
前ジェスキア公爵が、図書館の主と呼ばれていたことは知っていたが、魔法のせいだったとは。
「ジェスキア家には、その2つの魔法を持った者がよく生まれるんだ。そのせいで、図書館の管理もよく任されるものだから、ジェスキア家が図書館の主と呼ばれているという訳だよ。
残念ながら、僕は『複写』だったけどね。これはこれで、なかなか使い勝手がいいのだよ」
刑執行官と図書館の主の2つの顔を持つ、現ジェスキア公爵が、片方の口角を上げて笑う。
「そこでなんだけど、フレデリカ嬢。君、私の娘になる気はあるかい?」
「はいっ?!」
「ははっ そんなに驚かなくても。
でもね真剣な話、君には選択肢がないんだ。
国王陛下からの条件でもあるからね」
「条件ですか?」
「そうだ。今上陛下は、特に血税の使い方に厳しい方でね。籍を抜いてあったとはいえ、君は、陛下が預かる血税を横領した、元ロイド侯爵の実の娘だ。何のお咎めもなく済むわけがない。 ここまではいいかい?」
「はい……そうですよね……」
「が、君は今上陛下の亡くなった姉である、アンジェリカ様の娘のようなものだ。おまけに甥のシオンの婚約者でもある。さらに言えば、今上陛下が、唯一頭の上がらない王太后陛下のお気に入りだ。陛下は非常に葛藤されてね、条件を寄越したのさ」
「私に出来ることでしたら、どうぞ仰ってください。私、シオン様と離れたくありません!」
「フレデリカ!」
「まあまあ、何も引き裂こうなどとは陛下も思っていないさ。だから、抱き合うのは後にしてくれないか? ───ありがとう。それで条件というのはね、君が私の庇護下で、王城の書物の管理をすることと、それから、けしてロイドを名乗らないことの2つだよ」
「私が王城の書物を管理するのですか?」
「君ひとりにさせようというのではないよ。現館長はわたしだ。だから、必要な時に手伝ってくれればいい。それなら出来るだろう?」
「はい。ありがとうございます」
「安心するのはまだ早い。2つ目の条件のロイドを名乗らない件がある。無実の君が陳情すれば、君が貴族籍に戻ることは可能だろう。けれど、ロイド家が存続を認められていない状況では、君がロイドを名乗ることは出来ない。つまり、君はたとえ赦されたとしても、名字を名乗れない平民のままということになってしまう」
「それはつまり………」
フレデリカも気づいたらしい。俺の手を握る力が強くなる。
「気づいたかい? そうだよ。今のままでは、君はシオンと一緒には居られない」
「そんな、嫌です!嫌です!」
とうとう、フレデリカが俺の首にしがみついた。
大丈夫だ、フレデリカ。でも嬉しいから黙っておくよ。
「そうだろう? でも、シオンの籍に入れば親子になってしまって、結婚は出来ない。かといって、テレジア様の養女になってしまうと、シオンは臣下になる上、君の甥になってしまう。
という訳で、もう一度聞くよ? フレデリカ、私の娘になる気はあるかい?」
「はい! お父様、よろしくお願いします!」
「アハハ 早速かい? 本当にシオンが好きなんだねぇ。どうだい、シオン? ヤキモチなんぞ妬く必要なかっただろう?」
「すみません………」
「ブハッアハハ その顔! アハハひぃー苦しい!」
叔父が俺を指し、膝を叩いて笑っている。
「叔父上………………笑いすぎでは?」
「はは ごめんよ。嬉しくて笑いすぎてしまったんだ…………でも、あのシオンがねぇ」
「煩いです」
「嬉しいよ。これでアンジェリカとの約束が果たせそうだ。2人とも、ありがとう」
叔父上の言葉に、急にしんみりしてしまう。
『アンジェリカ、シオンが幸せになるまで必ず私が守るから』
今際のきわの母に、叔父が誓ってくれた言葉が甦る。
俺は本当に優しい人達に助けられてきた。
翌年、ジェスキア公爵の養女となったフレデリカは、その年のうちにゼノア公爵夫人となった。
2人の結婚式は、式場一杯にピンクのガーベラが飾られ、列席者を驚かせた。
その式以降、ゼノア公爵家当主のガーベラ求婚の伝説が、国中に広まっていったのは仕方のないことだろう。
ジェスキア公爵、お疲れさんの回になりました。
公爵は、自分の魔法が『複写』ではなく『転写』であったなら、アンジェリカを救えたのにと、ずっと悔しがっていました。
その悔しさから、刑執行官を引き受けてきたのをシオンは知っています。
次回は、フレデリカと香り屋、他の皆のその後です。