テレジア様と、フレデリカの記憶
「そこから先は私の領分です。
─────── 控えなさい、ゼノア公爵」
「マリアテレジア王太后陛下……」
「……陛下、陛下がなぜ……」
侯爵と夫人の声が響く。
テレジア様が王太后陛下?
え? どういうこと?!
王太后陛下ということは、
娘さんて……アンジェリカ王女様のこと?!
若くしてなくなった元王女がいたことは2人とも知っていた。
目を白黒させて、テレジア様を見つめる、
フレデリカとセイラ。
フレデリカは、幼い頃から冷遇されていたため、貴族名鑑すら見せてもらったことがない。
当然、夜会にさえも出席したことがなかったから、王太后陛下のご尊顔を存じ上げなかった。
元々平民生まれのセイラはもちろんだ。
王太后陛下の御名前は確かに『マリアテレジア』様だったわ!
「名前しか存じ上げない雲上人に、私達は……」
「フレド、今は忘れましょう?」
かなり揺れる瞳で、セイラが言ってきた。
「事情はすべて知っています。
先ほどの貴方の声も聞こえましたよ、侯爵」
「ここへ」
王太后の短い指示に、近衛騎士が屋敷へ走る。
「久しいわね、ロイド侯爵に夫人、ルシェラ嬢も。
そちらの女性は、はじめましてかしら?
そう」
あっと言う間に、王太后の足元に連れて来られた侯爵達に、ひとりひとり挨拶をされていく。
青白くなった顔で、膝をつく侯爵夫妻。
ユリア夫人に至っては口もきけず、頷くばかり。
「恐れながら王太后陛下。こちらに何ゆえ……」
「何故? 引退して耄碌した婆に用はないと?」
引退した? いやいや とジョナス
耄碌? ないない と近衛騎士達
大半がそう思っているのだが、顔に出したのはこの数人だけだ。
「忘れたの? ゼノア公爵が誰の孫か。
まぁ、それもそうね。
アンジェが亡くなったあと、ゼノア公爵家とは表だって交流などしてこなかったもの。身内の縁を切っていると思う者がいても仕方ないわよね?
失礼したわ。
シオンが、随分、お世話になったようね?」
「 ! 」
真っ白を通り越して、土気色になっていく4人。本当に親族としての縁を切られていると思っていたらしい。
そしてフレデリカも、ようやく思い出す。
王太后陛下はシオン様を孫と呼んだわ。
今上陛下には、アンジェリカ王女以外にご姉妹はいらっしゃらない。
なら、亡くなった王女様というのは………
アンジェおばさま?
6つの頃まで、母代わりをしてくれていたシオン様のお母様。
私にとっては二人目のお母様だったアンジェおばさまが、アンジェリカ王女様だったの?
まだ6つに成り立てだったフレデリカは、大好きなアンジェおばさまが、突然いなくなったとしか覚えていない。
その頃は、泣きすぎてよく高熱を出し、度々記憶を飛ばしていたからだ。
あの頃は生きていくので精一杯だったもの。
だからシオン様は、ご家族のことをけして教えてくださらなかったのね。
そうではない。シオンが話さないのは、毒を飲まされた母を、フレデリカがその場にいて見てしまい、高熱を出したからだ。
記憶が飛んで良かったと、思い出して欲しくないと、シオンが今も願っていることをフレデリカは知る由もなかった。
「侯爵、今はゼノア公爵のことはおいておきます。
それよりも………私の後援する店の者に、危害を加えるなど、どういうおつもりかしら?」
ひとまずシオンのことから逃れられ、僅かに気が緩んだ侯爵は、弁明を始めた。
「申し訳ございません、陛下。実は素行が悪くて勘当した娘を不憫に思い、ロイド家にもう一度、迎え入れようとしただけなのです」
「フレデリカさんは、既にロイド侯爵家から籍を抜かれています。
法に基づき一度抜いた籍を、一貴族が好き勝手に戻すことを、法は認めていません。
もちろん、私達王家も許しません。
第一、戻すにしても、申請すらまだでしょう?
いいですか、この私が保証します。
ロイド侯爵に、フレデリカさんに対する権利は、
一切、ありません。
お分かりいただけて?
宜しい。では、ジェスキア公爵」
侯爵達に詰め寄り、ねめつけ、頷かせた王太后は、甥のジェスキア公爵を呼んだ。
「畏まりました、王太后陛下。
ロイド侯爵、その夫人。ならびに愛妾、ユリア。侯爵が息女、ルシェラ。
お前達の罪名を申し渡す。
ひとつ、営利目的の拉致誘拐、監禁、暴行、
ならびに殺人未遂。
ひとつ、登録済み商品の営利侵害
ひとつ、ゼノア公爵家の紋章偽造及び使用
ひとつ、貴族法に基づく身分詐称
ひとつ、身分詐称による詐欺罪
ひとつ、貴族籍の悪用未遂
ひとつ、王族に対する偽証
それからこれは、国王陛下からの御言葉です。
『余が民から預かる金で暮らした日々は、楽しかったか?』……以上です」
「縄を」
王太后が4人の捕縛を指示した。
一旦、解かれていた縄を、再び締め上げられる。
お父様、国庫の横領までしていたの?
信じられない思いで、何の愛情も持てなくなった父親を見ていた。
「ジョナス、これを読み上げろ」
ジェスキア公爵が、もう一つの書簡を渡す。
それを読んだジョナスは、一瞬、シオンに視線を寄越したが、すぐに視線を戻して読み上げる。
「国王陛下からの勅命です。
『余、ジェダイト国国王、カイゼル・ジェダイトは、ロイド侯爵及びロイド侯爵に連なる者に対する断罪の権限を、国庫横領の件を除き、王太后マリアテレジア、ならびにアーロン・ジェスキア公爵へ委譲するものとする』 これで以上です」
「追って裁判を行います。それまで牢へ」
「お待ちください! なぜ、お二人なのですか!
なぜ、私には権限をお与えくださらないのですか!」
淋しげに、シオンに首を振る王太后。
「承服出来ません!」
剣を手に、4人を追おうとするシオン。
「駄目だ」
シオンの前にジェスキア公爵が立ち塞がる。
「叔父上、退いてください」
「断る。 …………シオン、お前は若い。年長者に任せるがいい。それに、裁く権利があるのはフレデリカさんだ。お前ではない」
そう言って、後ろのフレデリカを見る。
振り向くと、痛む身体でフレデリカが懸命に首を振っていた。
「お前がすべきことはどちらだ?」
「…………叔父上、申し訳ありませんでした」
「いいさ、行ってやれ」
「アーロン」
ジェスキア公爵も、王太后に呼ばれる。
「フレデリカ……生きてた」
セイラに支えられ、ようやく立っているフレデリカをシオンが受け取り、抱きしめる。
「シオン様、ごめんなさい。こんなになってしまって……」
「いいんだ。生きていてくれた。もう、それだけでいいんだ」
「シオン、少しいいかな」
王太后と話していたジェスキア公爵が、シオンの肩を叩く。
「何でしょう」
「いや、フレデリカさんに用がある」
「まさか、叔父上」
今から叔父が何を行うのかに気づいて、その先にあるものに、シオンは戦慄する。
頷いて、ジェスキア公爵がフレデリカの両肩に手を置いた。
暫くそうしたまま、怪訝な顔をしたあと、頷いてフレデリカから離れる。
王太后が入れ替わり、フレデリカの前に立った。
「フレデリカさん、本当によく耐えたわね。
もういいの。貴女には、そんな傷は要らないわ」
そう王太后が笑うと、彼女の手が光り始め、その光る手を、フレデリカの火傷や傷に翳していく。
「そんな、嘘!」
セイラが驚いて、自分の口を覆った。
フレデリカは、王太后の持つ魔法が治癒魔法であることを知る。
その能力故に王太后の魔法は公表されていない。
影も形も残さず消えていく火傷。
火傷だけではない。怪我や打ち身もすべて消えていった。
「テレジア様…………」
喜びでフレデリカの涙が止まらない。
王太后を、呼び慣れた名前で呼んだことすら気がつかない。
すべての傷が癒えると、光を消した王太后が、
フレデリカの両手を握る。
「フレデリカさん、生きていてくれてありがとう。
助けさせてくれて、本当にありがとう。
娘は、アンジェリカは間に合わなかったの。
あの娘の代わりに、あの娘の息子が愛する人を助けることが出来て、私、とても嬉しいのよ」
こんな力を持ちながら娘を救えなかった、貴女は間に合ってよかったと、涙混じりに笑う王太后に、フレデリカは彼女の苦しみを思い、感謝した。
アンジェおばさま、素敵な貴女は、素敵で素晴らしいお母様をお持ちなのですね
今は亡き、ふたりめの母がフレデリカの胸で笑っていた。
一番、大事な回になったのではないかと思います。