ジョナス、お役所仕事に苛つく
「畜生! どれだけ待たせやがる」
昨夜、テレジア様へ至急の面会を申請したにもかかわらず、まだ順番待ちの控室にいた。
「おい、至急と言ってるだろう。まだなのか?」
「ジョナスさん、至急は貴方だけではないのです。順番を守ってください」
「おい、こら待て! 人の命がかかってるんだ!」
ジョナスの声もどこ吹く風で、受付担当官は奥へ戻っていく。
「だからお役所は嫌なんだ」
自分もお役所勤めのくせして、棚上げ方程式を発動させ、ぶちぶち文句を言うジョナス。
ジリジリと進まぬ時計に、苛つきながら順番を待つしかなかった。
一方その頃テレジアは、何と香り屋の前にいた。
「全く困ったものよね。もう引退して長いのに、毎日、毎日、仕事ばっかり。何故、現役でもない私の席が未だに残してあるのかしら?」
朝、ゆっくり読書でもしようと寝台から出ると、現役の頃と同じ秘書が、今日も扉の外で待ち構えていたのだ。
「私は引退したの! やるべき者がいるでしょう?」
「お願いします。既に至急の面会希望者が大勢いるのです」
「私は十分働いたの、卒業したいの!」
止める秘書を振り切って、無理やり出てきてしまったテレジア。
「たまには気晴らしでもしないと遣ってられないわ」
ちょっと罪悪感もあって、言い訳せずにおれなかった。本来、真面目で献身的な彼女は、昔から才女として頼りにされ過ぎていた。
「仕事中、室内香の代わりに使い過ぎたかしらね」
未だに続く激務の癒しが、ピンクのガーベラの香水だった。娘と暮らした楽しい日々の記憶が、苛立つテレジアを慰めてくれるから。
護衛が、空っぽの香水瓶がたくさん入った木箱を抱えたまま、テレジアのあとをついてくる。
「テレジア様、いらっしゃいませ!」
「元気そうね、セイラさん。 フレデリカさんは、いらっしゃる?」
「それが…………一昨日、香水の出張製作の依頼があって、フレデリカは出かけたのですが、まだ帰って来なくて………
お願いです、テレジア様。フレデリカを探してくださいませんか? 私がいくら探しても見つからないのです」
よく見ると、化粧で上手く隠されてはいるが、
セイラの目の下には深い隈があった。
全く眠っていないのではないかしら?
ずっとフレデリカさんを探していたのね
こうならないようにジョナスを行かせたのに
「あなた、ジェスキア公爵に力を借りたいと伝えて来て頂戴」
護衛のひとりが、その言葉だけで身を翻して出ていった。
「たった一晩でも、何の連絡もせずに戻らない方ではないわよね?」
「はい。ありがとうございます、テレジア様」
助けが出来て、少し気が緩んだのだろう、セイラがへたりこんだ。
「セイラさん、少しお休みになられた方が良いわ」
テレジアの護衛に力を借りて、椅子に座り直したセイラが、再び立ち上がって首を振る。
「いいえ、いいえ。フレドが戻るまでは休むなんてできません!」
「それなら、教えていただけるかしら?
貴女ひとりでフレデリカさんを探すのはなぜ?
心配しているのに、それでも香り屋を開けている理由は?
それに、憲兵にも、ゼノア公爵にさえも知らせていない理由も含めて全部ね」
まだふらつく彼女の肩に、手をかけて聞いた。
セイラは迷うような素振りのあと、意を決したようにテレジアを見る。
「テレジア様、実はフレデリカは、元は貴族のご令嬢なんです──────────」
「登録審査官のジョナス・ゴールドを呼んで!」
たまの気晴らしを早々に切り上げ、秘書のもとに戻ったテレジアは、歓喜する彼が口を開く前に指示を飛ばす。
「は、はい!」
最近、あまり出さなくなったテレジアの鋭い声に、秘書が慌てて出ていった。
彼女の仕事部屋に連れて来られたジョナスは、どこか苛立っているような不貞腐れた顔をしている。
もしかして、私が外出していたことを聞いたのかしら?
「ジョナス、貴方に相談があるの」
「私もテレジア様に、お願いがあってお待ちしておりました、夕べから」
あ、やっぱり聞いたのね
ごめんなさい、ジョナス
謝罪はあとにして、フレデリカの行く方がわからないことを伝えた。
「テレジア様は香り屋に行ってらしたのですね」
なぜか、それで許してくれる気になったようだ。ジョナスのトゲが消える。
「ええ、そうよ。だからジョナス、香り屋を妬んで、フレデリカさんに何かしそうな香水店に、心当たりはない?」
「いえ、新たに香水を登録しに来た店は、今のところございませんし、今にも潰れそうなほど、経営が悪化している店もございません」
「そうなの? それじゃ、」
「テレジア様、実は私が相談したかったのも、フレデリカさんのことだったのです。
私を呼び出したということは、テレジア様はフレデリカさんのご事情を、全て御存知でいらっしゃいますよね?」
「ええ、セイラさんに聞いてきたところよ。
どういうことなの?」
「香り屋の護衛をしている、私の友人から怪しい依頼の話を聞いたのです」
「怪しい依頼?」
「はい。ゼノア公爵家の紋章のついた手紙で、寝たきりの令嬢の為に、その屋敷で香水を作るようにとの内容だったそうで」
「何も怪しくないわよ」
「いえ、内容はそうなのですが、手紙が届いてすぐ、迎えの馬車が来たうえに、その手紙も、紹介状代わりだから持っていくようにとの指示だったと」
「急に きな臭くなったわね」
「はい。護衛は不審に思ったそうなのですが、ちゃんとゼノア公爵の紋章があったことと、貴族の物とわかる馬車だった為に、フレデリカさんに押しきられたそうで。
護衛はセイラさんに反対されていたのですが、昨晩、ゼノア公爵に知らせに行きました」
「なんてこと! 間が悪すぎるわ」
「どうされました?」
「公爵は、陛下の依頼で昨日から国外よ」
「 ! 」
「ゼノア公爵は明後日には戻るわ。私は兵を動かせないから、ジェスキア公爵に助力を頼みに行かせたの。すぐに返事が来るはずよ」
「ありがとうございます、テレジア様」
既に、テレジアが手を打ってくれていたことに感謝したジョナスが、それで、と話を続ける。
「馬車が明らかに貴族の物だったのなら、競合店の仕業よりも、大変なことになりますね」
はぁぁ、とテレジアが溜め息をついた。
「そうね。おそらく貴族の仕業でしょうし。
ゼノア公爵に恨みがあるものか、公爵の想い人を、フレデリカさんに聞き出そうとした可能性もあるわね。ジョナス、他には?」
「…………最近香り屋に、フレデリカさんの元ご実家の、ロイド侯爵家の皆さんがいらしたそうです。前に姉君のルシェラさんが、公爵の婚約者だと言って訪れたことがあったらしく、居場所が知られていたようで」
「……かなり黒いわね。私も夜会での騒ぎは聞いているわ───ロイド侯爵家に怪しい動きがないか調べさせなさい。
ジョナス、貴方はしばらく私付よ」
側に控えていた秘書が、指示を伝えに消える。
「承知しました、テレジア様」
日々、引退したと騒ぐ老婦人は、今や現役の頃さながらに、次々と指示を出してくる。
この方の本当の引退はついぞ来ないな
臨時の部下の胸のうちを、いまだ指示を出し続けるテレジアは気づかないでいた。
バリバリのおばあちゃんキャリアウーマンが、結構好きです。いいヒト限定。
次回、シオンが香り屋の香水の真実を知ります。
あと、ジェスキア公爵と共同戦線が少し入るかも。