少女の夢
その後、私は一冊の絵本を描き上げた。絵はちょっぴり苦手だけれど、なかなか味があるんじゃないかと思う。
ミステリーホラー作家の書く絵本なんて、どんな恐ろしい絵本なんだろうか。なんて怖いもの見たさに絵本を手に取った人たちは、みんな一様にして驚いていた。
絵本のタイトルは『まゆだま』。
私はこの絵本を描くと決めたことで、絵画から抜け出せたのだ。
絵本の内容は、真っ白くて大きな繭玉が見つかって、その中身を人間や動物、虫たちがそれぞれ想像していく、というもの。なんと、最後のページは真っ白。繭玉の中の生き物は、絵本を買ってくださった読者の皆さんの頭の中で、それぞれ美しく羽化していくのだ。
そうして、何千、何万の繭玉の中の生き物が、世界に飛び立っていった。
世界は美しいもので溢れている。そして、それらのうち殆どは、私の生み出したものではない。私一人では、とっても描く事は出来なかったのだ。
でも、私に生み出せる美もある。それを、理解してくれる人たちがいる。
だから私は、二冊目の絵本を描く作業に取り掛かった。
「…なーんて。」
そんな結末、良しとするわけが無かった。頭の無いガラスの女性と同じ。それはとっても、卑怯だったから。
私はまだ、絵画の畔にしゃがみ込んでいた。
誰かになすりつけて、逃げる事なんて出来ない。私は、何十、何百と繭玉の中身を考えた。
そうして考えているうち、一つ、気付いた事がある。
普通、物語は外から描くもの。でも、繭玉は違う。繭玉は、外側から描けない。
繭玉は、内側からしか描けない。
その考えに辿り着いた時、私は絵画の二つ目の月の中…、繭玉の中にいた。
真っ白な世界。
「…ギン。」
あの子は、私の目の前に来て微笑んでいた。そして私の右上には、海水に溺れて死んでしまったギンもいる。後ろを振り向けば、不完全なガラスの女性もいた。
それだけじゃない。色とりどりのジャムの小瓶、ラピスラズリの欠片、アイシングクッキー、ビーズ、真っ赤ないちごの乗ったショートケーキ、ビー玉、ガラス細工、ピンクのバスボム、ラメ入りのリップグロス。
私が美しいと思ったものが、繭玉の中に散らばっていたのだ。
「まるでめちゃくちゃ。本当に、虫の繭みたい。」
幼虫は蛹になると、中では一度とろとろの液体になってしまうと聞いた事がある。
まさに、この繭の中はそういう状況だった。そして、成虫になる事すらまるで考えていない。
「…そうよ。私が最も美しいと思うもの。
…少女の夢だわ。」
呟いた私に、ギンが先の尖ったペンを手渡す。
私は、そのペンで繭玉を突き刺した。
「少女の夢は、大人になれないもの。いつだって形が無くて、未熟で…美しいもので溢れているの。
私は…夢で満たされていたかった。私が求めるものよ。繭が欲している私よ。」
厚い繭に、ペンを押し込んでいく。一度引き抜くと外が見えた。
夢が、漏れ出す。
「…ねえギン。この夢を観測者が目にしたら…、貴方たちのどちらかが真実となるのでしょうね。」
生存した子どもへ話しかける。足元には、死亡した子どもがぷかぷかと浮いていた。
「でも…、残酷ね。貴方の未来なんて、私が願えばどうとでも変えられてしまうの。実験は被験者を選ぶ時点で失敗していたんだわ。…あらごめんなさい。実験じゃなくって手品、だったわね。」
生存した子どもは、私の言葉に怯えた素振りも見せない。真っ赤な瞳は全てを見透かしているようで…、いえ、私のことを信頼しているようで、唇に優しい弧を描いて私を見つめ続けている。私は観念して二人の子どもを抱きしめた。
「…夢は混沌よ。予想も結果も裏切ってみせるわ。どっちも私の愛した私の作品。
私、あの実験さっぱり分からなかったの!でも、分からないなら分からないで良いの。妄想の材料に変わりないんだから。箱の中で猫は二匹になって、さあどうやってここから出ましょうか、なんて箱の中で相談して、二匹一緒に箱から出て観測者たちを驚かせるんだわ!なんて考えたっけ。
さあ、貴方も起きて。二人で飛び出して、驚かせてやりましょ。」
死んでいるギンを揺り起こすと、銀色のまつ毛をぱちぱち揺らして目を覚ました。
いっぱいに膨れた少女の夢が、穴を押し広げて噴き出す。
その濁流に呑まれて、私たちも外へ飛び出した。
そして私だけが、寝室のベッドへと放り出されたのだ。
「きゃっ!」
身体を起こすと、絵画の月はもう夜空に浮かぶ一つだけになってしまっていた。
メモ帳は机の上に、いつものように積まれてしまっている。
まだ、こんなにも胸は高鳴っているのに。
もどかしくって、ベッドへ倒れ込んでみた。
おしりの辺りから、クシャッと紙を潰したような音がする。
ポケットを探ってみると、くしゃくしゃの銀紙と赤いパッケージが出てきた。
飛び起きて、メモ帳をパラパラとめくる。
その内一枚、裏に『ギン』と書かれたメモが出てきた。
「うふふっ。そうよ。夢なんかじゃ、ないんだから。」
素直に生きるのは難しい。けれど、私の求めていたうずくまっていじけているわたしは、羽化したのだ。
明け方の空はドレスみたいで、寂し気な銀の月はもぬけの殻となった繭のようだった。
END