ノスタルジヤ展示ホールと夜を盗む男
「きゃっ」
落ちた先は、白い円錐形のホールのようだった。ギンも着いて来てくれたみたいで、私の隣で尻もちをついている。
「ごめんなさい、私が落ちてしまったから…。……ねえ、壁。額が飾ってあるわ。沢山…」
でも、飾られているのは絵では無かった。その内の一つに歩み寄ってみる。
それはどうも、詩のようだった。
私の部屋は 海になる。
木漏れ日は 人魚のうろこ。
そよぐ風は ヒトデのささやき。
私を呼ぶ声は 水面を照らす太陽。
なんだか、くすぐったい気持ちになった。まるで、小さな乙女が書いたよう。
泣かないで、アリス。
あなたの小鳥は 男の作ったスープの中。
泣かないで、アリス。
小鳥の羽が 銀のうろこに変わる。
男ののどを 切りさくの。
泣かないで アリス。
あなたなら そんなこと簡単だわ。
ついこの前 うさぎを追って 出て行ったばかりじゃない。
決して悪いものじゃないんだけれど、何だか恥ずかしくって目を逸らした。
オアシスノ底。
「…もしかして、自称旅人先生が書いたのかしら?」
ギンに目をやってみれば、色んな額に走り寄ってはキスをしたり、抱きしめたりしていた。まるで、旧友や家族と再会したかのように、それは本当に愛おしそうだった。
他に何か無いかしら。もう一つ先の詩を興味本位で少しだけ覗いてみる。
『人形の街』というワードが目に入って、私は額へ駆け寄った。
進め!人形の街!
くるみ割り?マリオネット?仲間はずれはだれ?
今すぐ壊して!理由はなんだっていいの。
逃亡者は海に沈めて!サーカスに閉じ込めるのよ。
悪いことしたら、手品で消されちゃった。
ビーズで作った地球は私のもの。
仲間はずれなんかないの。私一人だから。
さみしいものって、なんて美しいのかしら!
ガラスの砂漠も私が作った。オアシスの泉も透き通ったガラス。
中を覗くと、なんだかとっても懐かしい気持ちになって…
皆が恋しくなるの。一人の世界はもうおしまい。
扉を開けて。
みんなのところへ帰るの。
それはまるで、今まで私たちが辿ってきた軌跡を物語調で描いたものだった。
そして、この詩の通り再び辿るのであれば、この部屋のどこかに扉があるはず。
「…あった!出口だわ。…ギン、楽しんでいるところ悪いんだけれど、行きましょう。きっとこの先に、旅人先生がいるわ。」
壁とほぼ同化した真っ白な扉を開けると、そこはすっかり夜になった砂漠だった。でも、先程よりガラスの砂は砕けていて、裸足で歩いても痛くない。
カーン、カーン、カーン
少し歩いてみると、どこからか金属で硬いものを叩くような音が響いてくる。ギンと辺りを散策してみると、先の長い脚立を見つけた。
脚立の周りには、小さくてもキラキラと輝いた、群青色のガラスが散らばっていた。見上げてみると、豆粒ほどの小さな人が見える。
「…人だわ。もしもし!こんばんはー!」
返事は無かった。あの人、小さいんじゃない。とっても遠くにいるんだわ。
ギンに目配せすると、こくりと頷く。私は一人、脚立を登り始めた。
カーン、カーン、カーン
金属音が段々と大きくなっていく。脚立の一番上にいるのが、麻袋を持ったおじさんということが分かったところで、もう一度声をかける。
「こんばんは!何、していらっしゃるんですか!」
「うわっ!何だ、こんなところまで登ってきやがって!あんた、同業者か?やめろよ、自分の脚立に登れよ。」
「同業者って、貴方ここでお仕事をしていらっしゃるの?ごめんなさい、久しぶりに人に会えたものですから、ついお話を伺いたくて。」
おじさんは私に気付くと、邪魔者でも追っ払うように手で私を払った。おじさんの言葉に仕事中だと解釈すれば、脚立に登ってくるなんて失礼なことで、素直に謝罪する。でも、おじさんは私の言葉に驚いたように、小さな目を見開いた。
「待て。なんだ、あんた宝石泥棒じゃないのか。」
「宝石泥棒?とんでもない!私はその…、人を探している旅人みたいなものです。
待って。宝石泥棒って仰った?おじさま、宝石泥棒をしているの?」
「おう、見ての通りさ。この夜のおっかさんがよ、すっかり夜を止めちまった。そうなったら俺たちの出番さ。見てみろ、見渡す限りの夜空を。これ全部、ラピスラズリだぜ。」
さっぱり言っている事が分からなくて、今度は私が目を見開いた。確かに、ラピスラズリは宇宙や夜空を思わせる色や柄をしている。でも、夜空を削って採るなんて、聞いた事がない。
「嘘よ。そんなの聞いた事が無いわ。」
「嘘じゃないさ!あんたが正統的な採り方しか知らないだけだ。ほら、一つ持ってきな。口止め料だ。この事は黙っておくんだぜ。ああ、夜が止まっているうちに沢山削らねえと。」
そう、ごつごつの大きな掌が手渡してきたのは、本当にラピスラズリの欠片だった。きっと脚立の下に散らばっていた群青色のガラスも、ラピスラズリだったんだわ。
おじさんはまた夜空に向かってタガネを宛がい、ハンマーを打ち付け始める。
ラピスラズリの欠片を持って、私はギンの待つ地上へと降り立った。
「ただいま。ごめんね、一人にして。おじさま、これを盗っていたそうなの。…ふふ、気に入った?あげるわ。
…この砂漠、時が止まっているらしいの。」
道理で、風一つ吹かないと思った。それに宝石採掘の音以外、何も聞こえない。
もう少し歩いてみると、今度は半分ほどが砂に埋まった光る球体を見つけた。
「まあ、光ってる。綺麗…なにかしら。宝石?」
ワクワクと心躍らせながらギンと球体へ走り寄ってみる。よく見ると、その球体にはクレーターがあった。
「もしかして、月なの?時が止まって、落ちてしまったの?なんてこと…」
もう一度、空を見る。夜空が固まって、世界の半球に張り付いていた。時が止まった世界。閉じ込められた世界。
もし、落ちたのが月では無くて、砂だったら?
「ここは、まるで砂時計の中ね。」
それなら、簡単な事。この夜を動かすならば、ひっくり返せばいい。
私が結論に辿り着いた途端、世界が傾きだす。ゆっくりと、ゆっくりと傾いて、ガラスの砂が夜空に吸い込まれていく。
そして、私たちも。
私はギンをしっかりと抱きしめて丸まって、強く目を瞑った。