人形ノ街とガラス細工店
「光…まさか。」
暗闇のその先に想像していた重厚な扉は無く、足元を温かな光が照らしている。その温かさは確かに、日の光だった。階段はひたすら真っすぐ。外に辿り着くわけがない。
「そんな…、街だわ!」
最後の段から降り、広い地に立って見渡してみれば、そこは確かに二つ目の街だった。しかし、先程とは打って変わって西洋風の、統一感のある家々が立ち並んでいる。石畳の道路も可愛らしく、街を歩く人々も景色を彩るように美しいドレスやスーツを身に着けていた。
「素敵…まるでお人形さんみたい。…な、何、ギン?…か、階段が!駅の入り口…かしら。また戻れなくなっちゃった。
…ニンギョ、ノ……人形の街!」
夢中になって歩き回る人々を目で追っていれば、ギンに後ろを振り向くよう促される。すると、今来た階段はいつの間にか下りになっていて、アーチ状の入口の上部にはローマ字で『ニンギョウノマチ』と書かれた、装飾の美しい看板が飾られていたのだ。一目で駅と分かると同時に、冷蔵庫から出版社へ訪れた時のように、また帰り道を失ってしまったと知ったショックは大きい。
でも、ここが先生の言っていた人形ノ街だ。先生さえ捕まえてしまえば、ある程度の不安は払拭されるはず。
「コクーンハイツ。コクーンハイツを探しましょう、ギン。」
石畳の道は、コンクリートの道より幾分か歩きやすい。足の痛みも、もう気にならなかった。
「可愛い街。私、実はこういう世界観、好きなの。あら、ガラス細工のお店!」
私だって小さい頃は普通の女の子で、お人形遊びが好きだった。こんな世界に憧れた。きらきらと華やいだ街で、つい美しいものに目を奪われてしまう。
二人並んでショウウィンドウを覗き込んでみれば、コップやお皿、花瓶やアクセサリーなんて一般的なものから、お祭りで売っていそうな動物を模った小物まで、沢山の商品が並べられていた。ものに一貫性はないのに、同じガラスで出来ているから妙に統一感があって、美しいガラスの世界を作り出している。そして、ひと際目立ったのは…
「ガラスの、ドレス?」
淡いピンクから深いブルーへグラデーションのかかったとても美しいドレス。…いえ、よく見てみればドレスじゃない。腕がある。足もうっすら見えて、首もある。ガラスのマネキンかとも思ったけれど、明らかに首回りや腕はドレスに溶接されていた。でも、そういう風に考えてしまったのは、そのガラスの女性に頭が無かったからだ。
「なんて完璧で…不完全な作品なの。」
その女性は、完成されていた。タイトルが添えられている。
『この世で最も美しい女』
確かにそう。この女性はとっても美しい。でも…、私には、許せなかった。
「不完全なものの完成図を視聴者に委ねて、最高の美を見出させるなんて卑怯だわ。自分では描けなかっただけよ。美しすぎて、作れなかったの。」
一人苛立ちを見せた私を、ギンが不思議そうに見上げていた。その視線に我に返って、恥ずかしくって笑う。私、わたしを見失っていたの?
「ごめんなさい。先を急ぎましょう。」
コクーンハイツという名のアパートは、程なくして見つかった。キャラメル色の壁も、チョコレートみたいな扉も可愛らしい。ミルク色の階段を駆け上がって、203号室を目指す。
「あったわ!さーて、旅人先生に何て言ってやろうかしら。そうだわ、まず靴を買ってもらうのよ。…ごめんください、ごめんくださーい。」
扉の前に立つと、一度ギンと顔を合わせて微笑みあって、それからドアノッカーに手をかけた。
こんこん、と小気味好い音。でも、ドアの内側からは何の音も聞こえない。まるで、生き物なんか存在しないみたいに。
「留守かしら。あっ!…開いたわ。不用心ね…。」
開ける気なんか無かったけれど、不意に掴んだノブが簡単に傾いてしまって、必然的に扉も開いてしまう。鍵の閉め忘れ?扉がキィ、と小さな悲鳴を上げても静かな部屋が、少し怖かった。
ギンと手をしっかり繋いで、恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れる。突き当たりの部屋から、カチコチカチコチと一定間隔で響く時計の音がして、ギンとまた顔を見合わせた。入ってみようか、そんな風に訴えている気がしてこくりと頷くと、その部屋へと足を動かした。
「失礼しま…、きゃああっ!!」
途端、尻もちをついてしまう。目の前には、四角い窓に挟まれた白い壁、そこに掛けられた時計。その長針に巻かれたワイヤーのような糸。そしてその先には、
美しい少女が首を吊っていたのだ。
一瞬取り乱してしまったけれど、もう一度見てみれば少女の死体はとても美しかった。首吊りの死体だっていうのに、どこも乱れてはいない。顔は眠っているように綺麗で、瞼も閉じている。本当に、人形みたいだった。
「この子が、旅人先生?…いいえ、違うわ。だって編集者の人、そっくりって言ったんだもの。じゃあ、旅人先生は寧ろ…、あら?」
落ち着いて、言葉を並べながら立ち上がる。ふと視界に入った木製のアンティーク調のテーブルの上に、畳まれた一枚の紙を見つけた。こういうアイテムは、事件を紐解くヒントに決まっている。
早速手に取って開いてみれば、そこには衝撃的な文字が綴られていた。
「『犯人ハ、オ前ダ!』…!?」
紙の端には旅人、の文字。
「どうしました?隣に住む者ですが…うわああ!」
「きゃっ!いえ、あの私この旅人って人を探してここに来ただけで、鍵が開いていて入ってみたら、偶然彼女を見つけたんです!あっ、それからこの紙が、テーブルに置いてあったんです!」
そんな時、私の悲鳴を聞いて漸く隣人が駆け付けてくれた。私は私たちが今ここにいる状況をどう伝えたらいいかと必死で、取り敢えずあからさまに怪しい自称旅人先生の手紙を彼に見せる。
「はんにんは、おまえだ……そうか、お前が犯人なのか!誰か!誰か警察を呼んでくれ!レディ・スコーンが殺された!」
隣人が私の腕を強く掴む。アパートの住人が集まりだして、私もギンもこの部屋に追い詰められた。
「嘘!貴方この手紙を鵜呑みにしたっていうの!?ちょっと、やめて!こんなのってないわ、こんなのって…!」
悪い、夢よ。