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銀の繭  作者: ハタ
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繭玉社と旅人先生

私は、ぎゅっと目を瞑っていた。もしかして、うちの冷蔵庫はすでに宇宙人に支配されていたのかしら。ギンは今、油断したな、しめしめ、だなんて思っているのかしら。そんな風に思考を巡らせていると、不意に足が地に着いたような感覚があった。それから、何やら騒がしい。目を開くと、そこには見覚えがあるようで、全く知らない世界が広がっていた。


「…ここは、出版社?」

「ああ、先生!良かったこんなところに!」


ねずみ色のオフィスデスクが並んで、それぞれ均一に並べられたパソコンを埋め尽くすようにどこにも書類やファイルが散らかっている。それからパソコンの画面や壁には、此方も見覚えがあるようでない本の表紙が飾られているのだ。明らかに過度に描かれている気がする。まるで、一般人がイメージで出版社のオフィスを作り出したかのよう。かく言う私も家での作業が多く、こういった場所とは無縁だった。私の存在に気付くと、黒いスーツを身に纏ったカラスみたいな男の人が、慌てて駆け寄ってくる。


「ええと、ごめんなさい。私たち、信じてもらえないかもしれないけど、冷蔵庫から来たの。ここはどこかしら?」

「…先生、何もそんな滅茶苦茶な言い訳を考えなくても、仕事さえしてくれれば僕は怒ったりしませんよ。

そしてここは貴女の小説を世に送り出す「繭玉社」です。さあ、部屋に戻って。」

「マユダマシャ?先生って私の事?きゃっ、ちょっと!」


迫られた時は少し怖かったけれど、呆れたように、それでいて優しく語り掛ける彼に自分の担当者の面影を感じて少しだけ、緊張の糸が解けた。そんな気の抜けた私の隙を突くように腕を掴んで、彼は半ば強引に私を廊下へ連れ出す。辿り着いたのは応接間のような小さな部屋。上質なソファに囲まれたセンターテーブルの上には、ノートパソコンが一つ置かれていた。嫌な予感を抱きながら、部屋の中へ一歩足を踏み入れる。後ろにはギンの姿もあった。


「今度は逃げ出したりしないで下さいよ。今回は本当に、社内で見つかって良かった。それじゃあ僕はこれで。」

「っま、待って、私先生じゃないわ!貴方だって分かってるはず、こんな小さな子供を引き連れた、パジャ

マ姿の変てこな女が貴方の担当作家じゃないってこと!」


予感は的中。私ここに、締め切りを守らないどうしようもない作家と間違えられて缶詰にされるんだわ。そんなの絶対嫌。私が自分を卑下してでも訴えてみせれば、彼は訝しげに、私をじっと見つめてくる。


「…、いいえ、やっぱり貴女、先生ですよ。それじゃあ、コーヒーでも淹れてきましょう。ね、ここで待っていてください。」

「違うわ、私この状況が嫌で可笑しな恰好をして、可笑しな言い訳ばっかり言ってるわけじゃ…、行っちゃった。ねえ、どうするつもりなのギン。元はといえば、貴方がここに連れてきたのよ。」


閉ざされた扉。その先に道はあっても、帰り道はない。半ば諦めたように、私はソファに身を沈ませた。それが憎らしい程柔らかくて、心地いい。閉じ込められたっていうのに、落ち込んだ素振りも見せず部屋の中をぱたぱたと動き回るギンに、少しだけ意地悪を言いたくなった。

もう、このまま寝ちゃおうかなあ。そういえば私、まだ全然眠れていなかった。そう目を閉じようとした矢先、ギンが私の膝によじ登る。分かったわ、一緒に寝ましょう。そう背中を撫でたら、今度はほっぺを抓ってきた。


「いっ!わかっひゃ、おひるわ!…何?手紙?」


彼に手渡されたのは、何の飾り毛も無い、四つ折りにされた一枚の紙切れ。

『人形ノ街ヘ行キマス。コクーンハイツ203号室ニ、用事アリ。 旅人』

紙切れには、鉛筆でそれだけが書き記されていた。でも、今の私たちには充分すぎる情報。


「えらいわ、ギン!この、自称旅人っていうのが、逃げ出した『先生』ね。人形ノ街…人形町の事かしら。早速ここから抜け出しましょう。あの人がコーヒーを持って戻ってくる前に。」


先程まで寝ぼけていた頭は一気に冴えて、ギンの手を引くと扉のノブを捻る。こっそり顔だけ出して廊下を覗いてみると、運良く誰もいないようだった。とにかく下へ。部屋を飛び出すと、非常階段の案内看板目掛けて走る。階段を見つけてからは、1Fの表示を求めてひたすら階段を下りた。階段は表のエントランスより裏口に近く、そこから外へ飛び出す。路地裏から大通りに出てみたけれど、やっぱりこの街は見覚えがあるようでない。ありきたりでありながら見たことのない都会の景色だった。




「すみません、ええと…私たち、人形町に行きたいのですけれど。あ、決して怪しい者ではありませんよ。」


やっぱり大通りというだけあって、それなりに通行人の姿も見える。その内の、温厚そうなおじさまに声をかけてみたけれど、不審そうに睨まれてしまった。それもそのはず、私は未だにパジャマのままで、その上裸足。ギンもまた裸足で、更には地球外生命体のような風貌だった。苦し紛れに弁解してみたけれど、そんなあからさまな発言で納得してくれるわけもなく、おじさまは首を傾げる。


「さて…人形町。知らんね。」

「え?」


しかしおじさまは、私たちを怪しんで黙りこくっていたわけでは無かった。人形町を知らないなんて、おじさまは出張か何かで此方に来られたばっかりなのか、はたまたここは私の住む場所から遥か遠く離れた土地なのか。他を当たろうと、頭を下げる。


「知らないなら、大丈夫です。ありがとう、それじゃ…、ギン?」

「何、…ああ、人形の街。最初っからそう言ったら良かったのに。あの信号のある十字路の一歩手前で左手に曲がると路地があるんですがね、そこを少し行けば人形の街に降りる階段がありますから。」


ギンがおじさまに見せたのは、自称旅人先生の残した手紙だった。路地の途中の階段を降りた先…、地名じゃなかったんだ。


「なんだ、私の考えすぎだったのね。すぐそこにいたんじゃない、先生。職業病だわ…、ありがとう、おじさま。行きましょう、ギン。」


『人形ノ街』がお店の名前と確信した私は、ギンの手を引いて路地までの道を駆けた。足の裏がヒリヒリと痛い。先生に会ったら靴を二足、買ってもらいましょう。

開けた大通りと一変して、路地は薄暗く、気味悪い。高くそびえ立つ建物に挟まれて、日が少しでも傾けばそこは影の国だった。踏み入れて間もなく、左手に地下へ続く階段が現れる。何も知らずにこの場へ訪れた者ならば、この先に店があるなんて皆目見当も付かないだろうと感じる程、階段の先はとっぷり暗闇に浸かっていた。


「…っあ、ギン!貴方って怖いもの知らずね。ええ、行きましょう。」


怖気づく私なんかよそに、ギンは力いっぱい私の手を引いて先を急ごうとする。そんなギンの姿に励まされて、私もその暗闇へと足を浸けた。

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