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銀の繭  作者: ハタ
1/9

夢と白銀の子ども

からん、ころん



仕事に行き詰まったら、私はいつもこの喫茶店に赴く。


「ああ、マチコさん。いらっしゃい。」


初老の男性が私に微笑みかけた。身を包むコーヒーの香りが愛おしい。


「コーヒーをいただけるかしら。」

「ええ、ええ。にんじんロールはお付けしますか?…おや、今日はそちらのお席へ座られるのですね。」


私が決まって腰かける席は、二つ。一つめは、彼の顔がよく見えるカウンター席の左から3番目。それからもう一つめは、窓際の一番端のテーブル席。端の席は、何となく周りから隔離されているようで好き。他のお客さんには、私が見えていないように感じる。この席は、元々存在しなかった席のようにさえ思える。仕事に集中したい今日みたいな日は、暖かな日の当たるこの一人ぼっち席へ座るのだ。


「そうねえ。…あっ、マスター、これ新作?可愛い、雪だるま…かしら?」

「ふふ。繭玉、ですよ。白銀の繭をイメージして作りました。中はスポンジケーキとフルーツ。」

「美味しそう。いつものにんじんロールも捨てがたいけど…うん。今日はこっちにしてみる。」

「かしこまりました。」


座って早々、いつもは見向きもしないメニュー表に目が行った。白いドーム型のケーキ。頑固で一途で、食に関して冒険が嫌いなこの私が、一目惚れしてしまった。


「不思議ね。」


こんな日は何かアイデアが浮かびそうな気がする。私は早速持ち込んだノートパソコンを開いた。職業は小説家。大人しい性格とは相反して、普段はミステリーやホラーを書く。今まで、優雅にコーヒーを飲みながら何十人殺してきたことか。


「…今日はなんて暖かいのかしら。」


不思議と眩しさはあまり感じない。けれど、とても暖かくて心地良かった。ついうとうとしちゃう。家にいるとすぐにベッドが愛おしくなっちゃうからって足を運んだのに、本末転倒だわ。ああ、もう駄目、だってとっても眠いんだもの。もう、瞼が閉じる…。




「…あら?」


薄ら明るい部屋のベッドの上で目が覚めた。私、また昼寝しちゃったのかしら。


「…違うわ。まだ3時じゃない。はあ、夢だったのね。繭玉ケーキ、食べたかったなあ。」


サイドテーブルに置かれたベルの付いたモダンな時計を見てみれば、短い指針はまだ3を指している。ランプを付けなくたってそれが見えるくらいに明るい。窓の外へ目を移すと、まるでビルで出来た牢獄に閉じ込められたかのように大きな銀色の月が、夜空の海に浮かんでいた。


「貴方のせいね。」


寝ぼけた脳が太陽かと錯覚するくらい明るい月にまだまだ文句を言ってやりたい気でいたけれど、すっかり冴えた頭では独り言は些か恥ずかしい。

部屋に飾られた絵画も、白く照らされていた。夜の森の絵。闇に包まれた藍色の森の中に、湖が一つ。湖には森と、白い月がぽつりと写りこんでいる。


「白くて綺麗な、まあるい月が、二つ…二つ?」


目を擦る。毎日パソコンに向かう仕事をしていれば視力も落ちると納得しようとしたけれど、そうではない。だって、他のものは何もぶれてはいないのだ。ただ、絵画の湖に写る月が二つに見えるだけ。他ははっきりと見える。白い机も、椅子も、買ってから一度も着けていないネックレスも、夢の中でさえ着ていたお気に入りの薄桃色のコートも、思い付いた事を咄嗟にメモ出来るようにと買ったメモ帳も……


「め、メモ帳が無いわ!」


私はベッドから飛び起きた。あれは大事なものだから、寝る前には机の上に置いておくって決めている。私は白いパジャマのまま、リビングまで向かった。


「きゃあ!」


リビングにたどり着くやいなや、私は悲鳴を上げた。それも、理由が二つもある。

まず、私の大事なメモ帳が一枚一枚捲られて、バラバラに散らばっていること。そしてもう一つは、メモ帳をバラバラにして遊んだ犯人がまだリビングに滞在していて、それが私の全く知らない子どもだってこと。

私の悲鳴に、子供はメモ帳をバラバラにするのを止めて、此方を見た。真っ白な短い髪。真っ白なまつ毛。真っ白なポンチョ型のお洋服。リビングの窓からも強い月光が差し込む。すると、子どもの髪は朝露を纏ったクモの糸のようにきらきらと光った。


「あなた、どこから入ってきたの?お名前は?」


とりあえず、これ以上の被害は避けたい。子どもが怯えないように、私は優しく微笑んでその場に屈んだ。でも、子どもはちっとも話そうとしない。時折、魚のようにぱくぱくと口を動かしているだけ。


「もしかして、喋れないの?」


子どもは少し考えるしぐさを見せて、それからこくりと頷いた。立ち上がると垣間見える足まで白い。歩み寄る子どもの瞳が、リビングに置かれた鏡に反射した月光で、紅く光った。まるで異世界からやって来たみたい。いいえ、そうに違いないわ。だって、何から何まで可笑しいことだらけなんだもの。


「どうして私のところへ来たの?もしかしてUFOに乗ってきたの?人間を滅ぼすの?待って、私世界が終わる日に何を食べるか決めていないのよ。死んでから、そういえばあれを食べたかったなあ、なんて後悔したくないじゃない。それに、お母さんやお父さんに今までのお礼も言ってないの。そりゃあ仕送りは毎月してるわ。でも、でも…」


子どもとの距離が縮まっていく。私はこんな小さな子ども相手に怯えて、その場にしゃがみ込んで早口に命乞いをした。でも、その全てが杞憂だったかのように子どもは私の目の前に屈んで、私の胸に柔らかく飛び込む。得体も知れないのに受け止めなきゃ、と思わせてしまうんだから、子どもって怖い。


「あなた…誰なの…」


頭の中を埋め尽くした疑問符が一気に弾けた。私は無数のそれらから残った一つを、口から零す。すると、私の胸に擦り寄っていた子どもは顔を上げて、床に散らばっていたメモ用紙の一枚をくしゃっと掴んだ。私の顔もメモ用紙みたいに歪む。子どもは小さなふっくらとした手でメモ用紙を広げ、何も書いてない裏面を私に差し出した。


「ええと…、ここに、名前を書くのね?…どうぞ。」


丁度傍に都合よく転がっていたボールペンを手に取り、子どもに渡す。きっと、メモ帳と一緒に持って行ってここに落としたんだわ。


「…違うの?」


しかし、子どもは首を振ってペンを受け取らなかった。それから、メモ用紙とボールペンを私に押し付ける。


「私が書くの?あなたの、名前を?」


子どもは、漸くといった様子で頷いた。押し付けられたまっさらなメモ用紙とボールペンを受け取る。『名は体を表す』とはよく言ったもので、登場人物の人生を左右し得る人の名前を考えるのはとても苦手だった。

…でも、この子は私の小説の登場人物じゃ無いわ。私はこの子の人生を描かない。それに、この一時よ。この子と一緒にいる一時、私がこの子を何と呼ぶか。


「…ギ、ン。どうかしら。あなたの髪…とってもきれいな銀色だから。まるで、今日の月みたい。」


メモ用紙を手渡して、子どもの髪を梳いてみると、髪の毛一本一本が絹糸のように美しく光る。子どもはメモ用紙を受け取り、気に入ったのか、気に入らなかったのかも分からない無表情でそれを眺め、暫くしてから折り畳むとポンチョのポケットへ仕舞った。


「ギン?」


了承を得られたのか、確認のために自分の付けた名前を呼んでみる。子どもが顔を上げた。宝石のように紅い瞳が私を捉えるので、私は安堵に目を細めて微笑む。

「良かった。私の名前はマチコよ。あなたが呼んでくれる事は無いのでしょうけど……ギン?」

私は肩の力が抜けたばっかりだというのに、ギンは突然立ち上がって、私の手を引いた。それはとっても弱い力。だから、それが可愛らしくて引かれるままに後を着いて行ってしまう。

ギンが向かっているのは、キッチンのようだった。お腹が空いたのね。何かあったかしら。


「…そうだ、食パンと、コーンフレークがあるわよ。私、朝食っててきとうなの。作ってあげる人もいないから。ギンはどっちがいいかしら…、って、冷蔵庫には何も無いわ。」


何も喋らない子どもを相手に、つい饒舌になってしまう。ギンの手を握ったまま、私はキッチンダイニングを見渡した。テーブルの上には、食パンとコーンフレーク。即席でお腹にも溜まると思って提案してみれば、当人は冷蔵庫をノックしていた。でも、言った通り本当に冷蔵庫には何も無いはず。私は一人で作って一人で食べるご飯に、あんまり魅力を感じていないのだ。そう伝えてみても、ギンはまだ冷蔵庫の扉をノックしている。

…もしかして、中に誰かいると思ってる?


「うふふ。中には誰もいないわよ。ほら…、えっ!」


重い扉を開いて、ギンに中が空っぽという事を証明しようとした。しかし、中は私の想像していたものとは大きく異なっていたのだ。

真っ白。本当に真っ白。開けた時に纏わりつく冷気も無い。

一方ギンは冷蔵庫の中身に驚いてはいなかった。それどころか、冷蔵庫のフチに足をかけて、その中へ飛び込もうとしている。


「どうして……。っギン、危ないわ!戻って……っきゃあ!」


その手を私は掴んだ。ギンが私の手を引く強さより、圧倒的に私がギンを引っ張る力の方が強いはず。そう、高を括っていたからかしら。それだけじゃない、何か、吸い込まれるような…決してギンだけの力では無い何かに引かれ、私はギンと一緒に冷蔵庫の中へ落ちてしまった。

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