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第1話


 身の丈が180cmはゆうに越えて、190cmにも近づこうとしている大男が夜の街を我が物顔で闊歩していた。

 筋肉質な肉体に、それを覆い隠すほど大量に身につけられた金属製の器具、恐ろしい顔には傷が幾つも刻まれており、その風貌を歴戦の戦士と呼ぶにはあまりに怖すぎる。


 だが、彼が歩く道にいる人は、そんな恐ろしい彼を避けようとすることもなく、気怠げな身体を伸ばしながら歩いていく。


 何故、彼が恐ろしがられないかは、たった一つの事実で説明が出来る。

 彼、ロウ=ルルはお巡りさんである。 お巡りさんだから、怖がられることはなかった。


 お巡りさんとは、基本的に街の様子を見回る下っ端の警備兵に呼ばれる名称ではあるが、彼は警備兵ではなかった。

 ただの、お巡りさんであった。


 生業はお巡りさん。 風貌はゴロツキ以上の悪党に見えるロウは、いつものように夜の街を思うがままに歩く。


 時折吹く風、大通りに人がいる、酒場には灯りが点いている。 そのことのみが、世界が動いていることをロウに知らせていた。


 迷宮都市ダイヤハ。 その都市における、ほとんどの収入は迷宮から産み出される魔物の部位や、迷宮から産出される魔石から成る。

 ほんの少しの農業や、畜産などもあることにはあるが、迷宮から出された富に比べてしまうと、あるのもないのも変わらない。

 そのような偏った実情は、偏りの分だけの歪みを生み出していた。


 耳に入る怒号、割れるガラスの音、それから少し遅れて聞こえた女性の悲鳴。

 その巨体を翻し、堅苦しい服の胸元を手で無理矢理開け広げながらロウは賭けた。


 服を留めていたボタンが千切れ飛んで、そのボタンを踏み潰しながら走る。 巨体に見合わぬ健脚により、悲鳴の元に辿りつく。

 鼻に付く酒気に顔を歪めながら、ロウは酒場の戸を開け、眩しいほどの灯りが点いているそこに足を踏み入れた。


「てめぇ! ふざけてんのか!!」


「まともに役に立ってねえ癖に、金だけ毟ろうとするてめえが舐めてんだろ!」


 遠くで座り込んでいる女性は怯えているが、周りで酒を呑んでいる者達は一切の怯えはなく、面白そうに二人の喧嘩を眺めていた。

 迷宮都市ダイヤハの夜では珍しいことでもなく、嫌がられるようなことでもない。

 朝起きる、迷宮に潜る、飯を食う、屁をこく、などと同じような日常茶飯事の一つであり、むしろ無料で面白い見世物であるとすら言えた。


 それを嫌がっているのは、この場で三人しかいなかった。 気の弱そうな女性、酒場の店主、それにロウ。


「グラノてめぇ! やる気か!」


 魔術師のような服装をした男性が机を蹴り飛ばし、グラノと呼ばれた男性に手を向けた。


「火の精よおおおお! 我が知性のおおおお! 魂から成る魔力を元としいいいい! 火球となりてええええ! 敵をうてえええええ!!」


 一切の知性を感じさせない勢いのみの詠唱を唱え、男は手に魔力を集中させた。

 魔術を使うつもりであることは誰の目にも明白で、酒場の店主はまた店が壊されると頭を抱えた。


 魔術とは、幾つかの工程よってなされる。 人の魂により産み出された「魔力」が、精神と呼ばれる「回路」を伝って「肉体」に表出され、その魔力を手の先や杖などに「収束」させ、純粋な魔力を「属性」の持った魔力に変質させる。

 そして男が詠唱したように「魔術式」を構築することにより、魔力を力のある「魔術」として発動する事が出来る。


 魔術式は詠唱をせずとも、想像によりその効果を成したり、魔道具と呼ばれる魔術式が既に描かれている道具を使用することでも扱う事が出来る。

 故に、詠唱した魔術式と、想像の魔術式が一致しなければ、魔術式が混在するせいで、魔術が不発に終わったり、暴発することがある。

 それと同様に、魔術を発動させる部位に魔道具を身につけていれば、あやふやで不安定な詠唱と想像の魔術式よりも、魔道具の魔術式が優先されて発動する。


 それ故に、ロウは魔術師の手に腕輪を投げ付けた。


 究極的に投擲が上手いロウが投げ付けた腕輪は、かちゃり、と軽快な音を響かせて魔術師の男の腕に嵌る。


 ーーそして、魔術師の魔術が発動した。


『きゃー! こいつ痴漢よー!」


 棒読みの男の声が、腕輪から鳴り響いた。


『きゃー! こいつ痴漢よー!』


 一瞬、誰もが何が起こったのか分からずに魔術師の姿を見て、またそこから男の声が鳴って、魔術師からその声が出ていることが分かった。


『きゃー! こいつ痴漢よー!』


 この魔術師は、痴漢なのか。 しかも男に対して……と、誰もが男から離れるように一歩後ずさった。 分かりやすく言うと、皆がドン引きした。


「な、なんだこれは!? 俺は痴漢じゃねえ!」


『きゃー! こいつ痴漢よー!」


 男は否定する。 それでも尚、男の近くからは男を痴漢と訴える声が聞こえる。 やはり痴漢だったのか、もう一歩全員が後ずさった。


 何が起こったのか分からずに、男は半ばパニックになりながらその音源を探る。 ふざけた野郎が俺に不名誉を与えようとしている。 男はそう考えたのだ。

 だが近くに人はおらず、男を痴漢と罵る声は響く。


『きゃー!痴漢っていうのは、変態のことよー!』


「何、半端な説明してんだボケが!」


 分かってるよ! 男は怒鳴る。

 そして荒くなった息を戻していると、いつの間にか嵌っていた腕輪から音が鳴っていることに気がつく。


『きゃー! こいつ痴漢よー!』


「……これかぁ!! なんだこれ!!

…………いや、マジでこれ何!? なんなの!?」


 無論、魔力を糧にして効果を発揮する物なんて一つしか存在しない。 それは魔道具、である。

 だが、魔術師の男はその腕輪の正体が分からない。 魔術を生業としていながら、否、魔術を生業としているからこそ、その腕輪が魔道具であることに気がつくことが出来ないのだ。


 有限である魔力を使い、使用者に不名誉な罪を被せるような魔道具。 そんな物が存在しているわけがない。

 冷静になれば、風属性の魔法が発動されてその音声が出ていることは一目瞭然だが、それほど無意味でチープな物が存在しているということが、前提として頭になかった。


 それ故に、男は重大なミスを犯した。


「なんだこれは、ぶっ壊してやる!!」


 男が再度詠唱する。 そして自分の腕に付いている腕輪を破壊しようと……。


『きゃー!!!! こいつ!! 痴漢よおおおおお!!!!』


「うるせえええええ!!!!

痴漢じゃ、ねえ!!」


 魔術を発動させようとしたために、より大きな魔力を腕輪に注ぎ込むことになり、より大きな不名誉を魔術師の男に浴びせかけた。

 もはや、喧嘩どころの騒ぎではない。

 腕輪に痴漢と騒がれる男と、それを見て距離を置く酒場の面々。 扉の前に突っ立っているロウを気にする者はその場にはいなかった。


『きゃー!!!! 痴漢っていうのは!! 変態のことよおおおお!!!! つまり!!こいつは!!変態よおおおお!!!!』


「うる!!せえええ!!

今になってレパートリー増やしてんじゃねえよ!!」


 あー、と緩い声を発しながら。 痴漢、もとい、男に近寄る者がいた。

 腕輪を投げ付けた本人、この騒ぎの首謀者であるロウ=ルル、その男だった。

 ロウは申し訳なさそうに頭を掻きながら、男の前に出た。


「悪いな、間違えて痴漢撃退用魔道具を投げてしまった。

申し訳ない」


「…………お前の仕業か!! なにあれ、なんなの!? 俺に恨みでもあるの!?」


「いや、そういうわけではない。 ただ、必死に喧嘩を止めようとして……!」


「他にやり方があっただろ! 何かする前に話し合おうぜ!?」


 完全にブーメランである。 ちなみにブーメランというのは、何処かの民族が使っている狩猟用の投擲武器である。


「そうだな……。 喧嘩するより前に、話し合うべきだった。

悪い、ムヒト……」


「グラノに言ったんじゃねえよ! てか、これ外せよ!」


 魔術で壊すことも出来ないために、魔術師の男、ムヒトはロウに言った。 実際は着けてある方と反対の手で魔法を放てば破壊することは可能だが、焦っているために気が付かない。

 ロウは頷き、腕輪に付いている鍵穴に鍵を刺して腕輪を開けた。


「お、意外と素直に外したな……」


 また怒鳴る気が満々だったムヒトは、気が抜かれたように声を小さくして、椅子に座った。


「……チカ……ムヒト」


「グラノ、お前、今痴漢って言おうとしなかったか?」


 怒鳴りすぎて痛めた喉を潤そうとしたが、机を蹴り倒したせいで呑んでいた酒がグラスごと下に散乱していることに気がつき、舌打ちをしようとしたが、いつの間にか横にいた店主が液体の入ったグラスをムヒトに手渡した。


「レモン水だ。 ……これ飲んで、少し落ち着け」


「……ああ」


 何かおかしい気もするが、暴れて叫び散らしていたのは自分である。 軽く落ち着きながら、そのグラスを受け取り、乾いた喉を潤した。


「やっぱ、丁度半々での山分けが一番だな」


「……おう。 そうだな」


「相棒」


「相棒」


 ムヒトとグラノはお互いに認め合い、店主から受け取ったグラスをぶつけ合って、お互いに抱いていた不満を消し去った。


 余談ではあるが、複数人で迷宮探索をする場合、基本的には完全に半々での山分けをするものだ。 それはこの都市では誰もが知る常識だが、時々その常識に従わずに働いた分だけ、とする者達もいるが、だいたいこのように揉め事を起こす。

 命をかけているために気が立っており、酒が入っているせいでもある。


 再び友情を取り戻した二人を一瞥してから、ロウはカウンター席に座る。

 その巨体のせいで椅子が悲鳴をあげるが、それに気にした様子もなく背もたれに巨体をもたれかからせた。


「相変わらず、いい腕をしているな。 ロウ」


「おやっさん。 ……まぁ、これが仕事だからな」


 店主が出したレモン水と魔物の肉のステーキを、礼を言うこともせずに口に運んでいく。


「こっちは助かるが、こんな馬鹿らしいのが仕事ってのは……だから嫁さんがもらえねえんだよ」


「ハナっから、女なんて寄り付く顔に見えるか?」


「そりゃ見えねえわ」


 ははは。 と軽快に笑った店主を見て、ロウは「ぶん殴ってやろうか」と睨んでから、フンと鼻を鳴らした。


「女なんぞ居たって、腹の足しにもならん」


「お前なら腹の足しに出来そうだけどな」


 食人など誰がするか。 そう突っ込む気も起こらずに、残ったステーキを丸呑みにして、レモン水でステーキの油を口の中から腹へと流し込んだ。


「んじゃ、また」


「俺としては、出来れば合わない方がいいんだけどな、また」


 ロウと酒場の店主が関わるときは、ほとんどない例外を除いて、酒場で揉め事が起こった時のみだ。

 無関係であり、被害がないために揉め事を楽しめる客とは違い、物が壊れ、怒号が飛び交うと非常に迷惑である。

 物の代金は請求出来るが、その時に止まる注文で入る金や、物を買い替えたりする時間は請求することが出来ず、店主にとっては客の揉め事なんて見たくもない地獄だ。


 そんな中、最小限の被害で抑えてくれるロウはある意味で救世主であるが、救世主が必要なときは地獄が目の前に広がっているときだ。

 店主として感謝をして、個人的にも気に入っていても、会いたくはないというのが正直なところである。


 そんな正直な店主の言葉を聞いて、ロウはその傷だらけの強面で、笑いながら言った。


「今度は普通に客としてくる」


「おう」


 それだけ言い残して、ロウはステーキの料金も支払わずに酒場から出て行った。

 これがロウの生業「お巡りさん」の仕事である。


 迷宮からもたらされる富によって、豊かでありながら、治安が悪く、揉め事、犯罪が絶えない都市、迷惑都市ダイヤハ。

 その揉め事や犯罪を個人で対処し、その礼として飯や寝床、あるいは金銭や物を確保する。


 職業とも言えないほどの根無し草だが、ロウはこの生業こそが自分に最も向いていると確信していた。

 人と関わり、関わった人をほんの少しだが救える。 それ以上の喜びはロウにはなく、人からも欲される役割。


 大仰に、正義のヒーローなどと褒め称えてくれた子供もいた。


 腹に溜まった肉から満腹感を感じながら、後ろから聞こえる笑い声に満足しながら、彼、ロウ=ルル、通称「お巡りさん」は、迷宮都市の闇と喧騒の中に消えていった。

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