閉ざされた閉鎖空間で
本来、私は夜間の移動というのがあまり好きでは無い。
なぜかというと『外の景色が見えない』からである。
「子供かよ!」というツッコミが入るのは当然かと思うが、事実なので仕方が無い。車であれ列車であれ飛行機であれ、外の風景が見えない移動はつまらないのだ。
本来なら子供同様に靴を脱いで椅子の上にあがり、窓に向かって正座するレベルで景色を見ていたいところである。
従って夜間の長距離移動はもちろん、地下鉄やトンネルばかりのルートも嫌いだ。
夜の新幹線や飛行機で窓ガラスに目をやると、そこには流れる景色の代わりに、疲れ切ったオッサンの顔がじっとこちらを見ているのである。
このようなものを眺め続けてウンザリしないでいられるほど、私は精神力が強くない。
先日、仕事の都合で遅い時間の新幹線に乗ったのだが、この時も私は窓ガラスに映る疲れ切ったオッサンの顔をちらちらと横目で見つつ、ノートPCに向かっていた。
新幹線の窓ガラスと違って、スマートフォンやPC画面のガラスは無反射処理が施されているので、それほど激しくは映り込まないのが救いだ。
(もちろん、昼間なら窓の外をずっと眺め続けているので、移動中に仕事をしたりはしない。夜は他にできることが無いので仕事をするだけである)
それはともかく、実際のところ飛行機や高速鉄道の窓ガラスというのは高級品というか、かなりの高額商品だ。
(正確に言うと飛行機の窓はガラスでは無くアクリル系の製品だそうだが)
飛行機の操縦席の窓ガラスに鳥や雹、巻き上げられた小石が当たって割れたりしたら大惨事になりかねないので、かなり強度の高い素材が使われている。
もちろん新幹線やTGVなどの高速鉄道も同様だ。
そんな高額商品なのに、無反射処理さえ十分に施されていないとは実に残念じゃないかと憤慨したが、まあ仕方が無い。諦めてPC画面に集中したまま2時間ほどを過ごした。
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新幹線でも飛び石は大事故の原因になりうるが、超高速でぶっ飛んでいる宇宙船の場合は、砂粒のような塵に当たっただけでも大惨事になりかねない。
だから強度的に弱い部分はできるだけ減らしておいた方がいい訳で、現在の技術の延長で考えるならば、窓ガラスなんてもってのほか、であろう。
また、強度云々は別にしても、『窓の外に見るものが無い』あるいは『そもそも見るべきものがないので窓そのものがない』という状況は、恒星間宇宙船にとっては当然のことだとも思える。
巨大宇宙船を裸眼による目視で操縦するというのはまずあり得ないだろうし、観測や娯楽のためなら、カメラとモニターで用は足りる。
それに宇宙線の影響などを考えると、船体強度だけでなく、乗船している人間の健康や、搭載コンピューターのエラーを防ぐためにも、できるだけシールドの性能が高い方が良い。
余談になるが、宇宙船の強度を保ち、塵や小隕石などとの衝突の被害を押さえるために、宇宙船そのものの外殻を岩や氷で覆ってしまうと言うのも、古来からSF小説で描かれている手法の一つだ。
以前のコラムでも紹介した弐瓶勉氏のSF漫画「シドニアの騎士」で主人公たちが搭乗している移民船というか人類播種船のシドニア号では、それがビジュアル的にわかりやすく表現されていた。
巨大な八角柱シリンダー型の宇宙船の外殻を分厚い氷で覆い、さらに精錬前の鉱物資源を船体の周りにダンゴのように固めて保持している。(あるいは、小惑星をくりぬいて船体を建造したのかもしれないが)
また、別の方向性としては、船体を細く鋭角にして前面投影面積を減らすことで衝突の確率を下げ、同時に接触角度を浅くすることで衝撃を和らげる、というものもある。
「太陽の女王号」というシリーズものの古いスペースオペラ小説では、主人公が乗る恒星間宇宙船がスマートな流線型をしているのだが、それは『宇宙塵との衝突や摩擦の被害をできるだけ減らすため』という理由になっていたのが印象深い。
SF映画「2001年宇宙の旅」に登場するディスカバリー号を始め、『宇宙は真空だから宇宙船の形状はどんなにいびつでも構わないよ!』という当時最新のSFトレンドに対して、『それでも流線型の格好いい宇宙船を主役にしたいんだよ!』という作者の思いがひしひしと伝わってきた。
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窓の話はともかくも、以前、宇宙船ネタのコラムを書いたときに、広大な宇宙空間を何年もかけて移動することの退屈さを話題にしたが、夜の飛行機や列車移動は、その超々ミニチュア版である。
月も見えない真っ暗な空をひたすら飛び続けている飛行機の中で、自分が『飛んでいる』ということを感じさせてくれるのは、機内に響くエンジンのうなりだけだ。
そして時々、機内のディスプレイに表示された飛行ルート上の現在位置を確認し、時計を見て到着までの残りの飛行時間を計算する。
他に、これほど退屈な時間は、大会議ぐらいしか思い浮かばない。(個人の感想です)
もちろん機内には書籍やPCを持ち込んで楽しむことができるので、過ごし方の自由度は会議よりもずっとマシだが、国際線では所要時間も長いし、息抜きのために適当な理由をでっち上げて席を外すこともできない。
長時間の移動ですらこれほどの退屈さを感じるのに、これが『長期間』の移動となった日には、その苦痛は拷問レベルであろう。
(それでも監獄というか刑務所の類いよりはマシなのかもしれないが、こちら方面にはあまり知見がないので分からない)
果たして「2001年宇宙の旅」のように、読書やチェスをしたり船内をランニングしたりの毎日で数年間を精神的に健康に過ごせるものかどうか、はなはだ疑問だ。
私だったら間違いなくHAL9000よりも先に発狂し、むしろHALに同情されて、奇行を窘められそうである。
というか、きっと問答無用で冷凍睡眠装置に詰め込まれるに違いない。
いや冗談では無く、乗組員の『精神的な健康』は、長期間の宇宙探索プロジェクトの成功にとって、問答無用でトップレベルの重要事項だろうと思うし、窓から見えるものが無いぐらいで乗組員に心の健康を失われてはたまらない。
そのあたりのケアや防護は、検討に検討を重ねて何重にも対応策が用意されるはずだ。
今でも原子力潜水艦の乗組員は、宇宙船に近い生活を行っているのかもしれないが、初期の宇宙船は、ごく僅かなクルーしか乗せられないだろう。
悲しいかな、人間は少人数で狭い空間に閉じ込められていると、心理的トラブルの確率が飛躍的に増大する。
トップクラスの人材を乗せて、様々な知見を得ているであろう原子力潜水艦だって、『数人のクルー』だけで年単位のミッションを無理なく実行できるとは思えない。
国際宇宙ステーションを例に考えても、地球から遠ざかって交信が困難になるに従い、やはり心理的なプレッシャーは増大していくだろう。
「窓が無い・見るべきものが無い」「(心地よい)刺激が無い」「相手が数人しかいない」「その空間から絶対に出られない」という状況の中で、数年にわたって搭乗員の心の健康を保つためには、現在の心理学や脳科学の知見だけでは明らかに不足だろう。
そうした高いハードルを越えて人間を宇宙の旅に送り出せる技術が整うのが先か、それとも、さっさと諦めて宇宙探索はロボットとAIに任せようという動きになるのか...
それは、宇宙というものを理解するためにはデータの取得だけで無く、人類が新しい世界を切り開くには「人々の情熱」という要素が不可欠だと考えるかどうかにかかっているのかもしれない。
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< 「窓から見えるのは常に変わらない遠くの星だけ」という宇宙船を題材にしたSF小説の中では、ブルース・スターリングによる短編「タクラマカン」が秀逸だと思う。
また、SFではなく史実ベースの映画「アポロ13」では、事故を起こして機能不全となったアポロ13号で帰還するために、乗組員が窓から地球を見ながら目視で噴射制御を行うシーンが登場する。>
< 『宇宙線によるコンピューターのエラー』と言ってもピンとこない人の方が多いだろうが、高密度な電子回路は、大気圏に降り注ぐ宇宙線の影響でエラーを起こす可能性がある。
しかも、この手のエラーは再現性がないので検証が難しく、厄介な存在である。>
< 宇宙探査を意識した閉鎖空間での生活シミュレーションや実験は、1990年代に作られた「バイオスフィア2」を始め、過去に幾度も行われているが、年単位で閉鎖環境を維持できるシステムは、まだ一度も実現されていないように思える。>
< 個人的には、国際宇宙ステーションが上手くいっているのは、滞在中のクルーの日々が『あまりにも忙しい』からという理由も大きいのでは無いかと思う。
およそ分単位のスケジュールで委託された実験をこなしていかなければならないという多忙っぷりが、逆に余計なことを考えさせる暇を奪っている可能性もある。
そう。人は(いや、私だけか?)暇になるとろくでもないことを考え始める生き物なのだ。>




