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海辺に佇む未来の城塞都市 〜 ミリオネア・シティ


以前に掲載したコラム「AI、CG、3Dプリントによる『大量生産と消費者の時代』の終焉」では、工業製品の少数製作がコスト的にも品質的にも大量生産品と拮抗するようになっていくと、『国土全体の整備では無く、富裕層が集まって暮らす『鎖国的』な閉鎖エリアを対象として資金と技術が投入され、他のエリアは税金のみの維持で賄える最低限のインフラを、更新もせず、だましだまし使っていくことになるかもしれない。』というSF的な予想を書いた。


実際に海外では富裕層だけが小さなエリアに集まって暮らし、治安維持のために街区全体の周囲を高い壁と鉄条網で囲った上に、町会費?で武装ガードマンを雇って部外者(というか、住人の観点からの不審者)を立ち入らせないという、閉鎖的な『街』も生まれてきている。


日本に置き換えて考えるならば、住民以外は無断で入れない高級高層マンションが、高さ方向ではなく横方向に戸建てで広がっていると考えれば良いかもしれない。あるいは、高級別荘地が城塞都市化していると考えた方が近いだろうか?


この街区の中では身なりの良いお年寄りや小さな子供が一人で歩いていても危険はないし、住民のマインドが穏やかなので、交通事故すら滅多にない。


それなのに、一歩その壁の外に出たら、道ばたにはゴミがあふれ、強盗殺人が日常茶飯事という状況だったりするとなれば、社会倫理や公益性はさておき、誰しもが、住めるものなら壁の内側に住みたいと思うだろう。


現在の公共サービス全般のコスト削減っぷりを見るに、個人で身を守らなければならなくなる方向はさらに推し進められていくだろうし、こういった『富裕層街区』の存在がエスカレーションしていくと、やがてはSF的な「ミリオネア・シティ」に変貌する可能性もありうると思う。


マット・デイモンが主演した2013年のSF映画「エリジウム」では、まさに、そういった荒廃したスラムとなった地球と、富裕層だけが住むトーラス型の衛星軌道コロニーとの対比が描かれていた。


この映画の技術的な考証は脇に置いておくとして、富の偏りが極端に進んだ社会は、SFではごく普通の設定だ。


逆に言うと、人類が社会を形成するようになって以来、その歴史の中で『富の偏在』を克服したことは、かつて一度もないのだから、そういった姿は当然な未来の成り行きだと、多くの人に捉えられているのだろう。



とは言え、人間が精神を電子回路上にアップロードして生きていく存在にでもならない限り、閉鎖都市にも物資の補給は必要だ。

ましてや、現代社会のように、それなりに文化的な生活を送ろうとするならば、食料や燃料の調達だけでも大変な量になるだろう。


東京の場合、大地震などで物流が止まったら、三日ですべての店舗から食料が消えるという類いの話はよく聞くし、自分で試算したことはないが、まあ、納得のいく感じだと思う。

工業製品と違って、多くの食品は保管限度が短いし、生鮮食品の場合は、そのわずかな期間の保管にさえ、冷蔵・冷凍などで大量のエネルギーを消費するので致し方ない。


一回の食事が水分含めて500グラム程度と考えれば、一年間で一人あたり約548キログラムの食料を摂取していることになる。

食材の可食部分の割合やらなんやらを考えると、食材全体の消費量は一人年間1トンくらいになってもおかしくはない。


仮に、富裕層が数万人規模で集まった小都市を維持していくと考えると、地域内の自給自足で足りない場合、食料だけでも年間あたり人数×1トンを運び込まなければならない訳だ。

燃料や薬品、3Dプリンターの原料など高度なケミカルプラントが必要な各種消耗品はシティ単体で自給できない可能性も高いと思われるので、それらの輸入量も相当なものだろう。


こうした「規模の必要な工業製品」は、複数のミリオネア・シティが共同でどこかに工場を建設して生産するという、それこそ映画「エリジウム」のような形になるかもしれない。


ともかく、この生産と輸入のシステムをどう構築&維持するかを、きちんと考えた上で都市化を進めないと、まるで『公園』のように壁の内側だけの環境を考えてランドスケープをデザインしてもすぐに破綻する。


域外から大量の物資を持ち込む場合は水上輸送が理想的なので、半閉鎖社会である『ミリオネア・シティ』は水辺の方がなにかと成立しやすいかもしれない。


超富裕層向けのリゾートとして作られたドバイの人口島「パーム・ジュメイラ(パーム・アイランド)」のように、陸地から突出した『出島』のような構造もメリットが多いだろう。


パーム・ジュメイラは、実際の位置づけとしてはリゾートだが、もしも都市機能を充実させて永住エリアに変貌させていったら、ミリオネア・シティの小さな実験台と言えるものになるかもしれない。


どうせ、ミリオネア・シティの住人には近隣地域との関わりを積極的に持とうという意識などないだろうし、安定した淡水の供給が確保できるなら、いっそ本当の「島」を一つまるごと都市にしてもいい。


また、いくつかの島ごとに役割を決め、「住居島」「農業島」「工業島」「空港島」「リクレーションのための自然公園島」などに機能を分けてしまうのも効率的だ。

周辺の浅海は、海産物の養殖や太陽電池パネル、海上風力発電装置の敷設エリアなどに利用されるだろう。


現実にも、世界中には、富裕層が個人資産として所有している島がいくつもある。


世間の人々が誰も知らない間に、そういった島々のいくつかが、個人的なつながりのある超富裕層だけの街として進化・発展していくというストーリーは、実際にあり得そうだ。


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< 実際に島を都市化した場合には、淡水化装置やエネルギー源、土地生産性の上限と不動産価格の上昇などの課題が山積みだろう。

それに、理想の楽園的に描かれることの多い「南洋の島々」は、ハリケーンや津波と言った自然災害のリスクも高い。

だから、高密度都市化する対象は絶海の孤島ではなく、天然であれ人工であれ、大きな嵐の起きない地域で、複数の島が点在する穏やかな内海が望ましいと思う。>


< 山田 正紀氏のSF小説「アフロディーテ」では、(富裕層限定ではないが)一つの都市国家として成立している、公海上に建造された人工島アフロディーテが舞台となっていた。

確か1980年頃に出版されたものだと思うが、ヒット曲のくだりなど、なかなか先見性に富んでいたSFだったように記憶している。>


< 最近のSFでは、グレッグ・イーガンの「万物理論」の舞台も、ある種の人工島?だったが、こちらは物語の核心にはあまり島との関連性はない。

とは言え、島というのは、ある種の「広大な密室」だったりするなので、事件の舞台にするには色々と好都合だ。しかも公海上の人工島だったりすると、治外法権エリアとしても描きやすいので具合が良い。>


< 本題に戻ると、排他的な「城塞都市国家」と化したミリオネア・シティは、決してユートピアとして長続きはしないだろうと思う。それについては、次の機会に考えてみたい。>


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