データの所有権を消滅させようとする力
ITに関するデータ所有権の抹消傾向が激しい。
今やIT業界全体が、ユーザーの手元から所有権を抹消する方向に進もうとしているように思える。
歴史の長い名だたる業務用ソフトさえも、アプリを販売モデルからサブスクリプションモデルへと強制的に移行させているし、世の中はいま、上から下まで「月額いくら」に席巻されている。
もちろん、それが消費者/ユーザーのニーズだ、というのが提供者側の言い分なのだが、さて、本当にそうだろうか?
所有権の消え去った世界とは、全てが誰かからの借り物であり、自分が好きにして良いモノは何一つ無いという世界だ。
音楽や映像などの娯楽コンテンツ
書籍などの情報
アプリケーション
これらはすべて、「所有」ではなく「使用権」を買うものとなり、コンテンツの実体はネットでアクセスして使用又は消費するものになりつつある。
さらに、それらの入れ物である携帯電話やタブレットなどのハードウェアそのものさえも、いずれは「あなたのもの」ではなく、「使用権がある」に過ぎなくなるだろう。
今後は、現在のスマホのような小さなものだけでなく、もっと大きなモノも所有するものではなくなっていくと考えるのが自然だ。
ひょっとしたら、テレビなどのAV家電はもちろん、冷蔵庫や洗濯機と言った白物家電も「サービス」になるのかもしれない。
自動車も自動運転が一般化した暁には、所有しなくなる人もどんどん増えてくるだろう。
それはそれで、世の中が効率化して無駄がなくなるという見方もできるし、それに対して反駁する気はさらさらないのだが、現実の『資源』を消費する物体の共有〜非所有化はともかく、所有にほとんどコストのかからない『データ』まで非所有化して、使うときには毎回わざわざネットの帯域と電力を消費して遠くから持ってくる、というのは正解なのだろうか? と思う今日この頃。
さて、ここに働いている力は、本当に「ユーザの利便性を向上させる」という意図だけなのだろうかと考えてしまうわけである。
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< 以前からある、日本の携帯電話で悪名高い「二年縛り」の端末交換なども、見方によっては、体のいいレンタル以外の何物でも無かったようにも思える。>