《虎の穴亭》の女の子
前半はシエナ視点、後半はサブロー視点です。
♢
オリネロッテは衝撃の炸裂弾を放り投げた後、シエナの返答も聞かずにサッサと食堂より出ていった。
アズキと、ドラナドを肩に担いだクラウディも、姿を消す。
ダイニングルームに残されたのは、6人。
室内は、沈黙の闇に閉ざされた。
「メ、メイド。まさか、お前……」
リアノンが声を震わせつつ、シエナを凝視する。顔色は真っ青で、額には脂汗が滲んでいた。
「騎士様、早合点しないでください! 私とお嬢様は、騎士様が考えているような関係では……」
シエナが一歩踏み出すと、リアノンは「ヒ!」と悲鳴を上げた。そのまま、壁に背を打ち付けるまでスザザザザ! と後退っていく。
「ち、近寄るな! メイド。私には、そんな趣味はないぞ! 私は、私より逞しい男性と懇ろになるのだ! 私より背が高い男性に夕日が沈む浜辺でプロポーズされ、私より強い男性に結婚式場でお姫様抱っこされるのだ! 私は、私は可愛いお嫁さんになるのだ!」
実現困難な夢を語るリアノンが、痛々しすぎる。
「だから、メイドはメイドの道を行ってくれ! 私に、構わないでくれ!」
「いえ、騎士様がどのような迷妄を抱かれようと、私は興味ないです。ただ、誤解は解いていただけないかと……」
「良いんですよ、シエナさん。無理に弁解しなくても」
焦りまくるシエナへ、サブローが声を掛けてきた。
振り向いたシエナの目に飛び込んできたのは、慈愛の微笑みを浮かべるサブローの姿。
「僕は、百合に理解がある男なんです。それが、如何ほど微妙で、奇妙で、珍妙な百合であってもね」
「え? サブローさん、何を言ってるんですか!? 〝百合〟って、どういう意味なんです?」
サブローは確か、フィコマシーのことを胡蝶蘭、シエナのことをコスモスに例えていたはずだが。
何故、ここで百合の花が出てくるのだろう?
シエナとしては、美しい百合に見立てられるのも満更では無い。けれど、それにしてはサブローの目つきが気になる。
あれは、『幼い双子の娘が揃ってお昼寝している様を温かく見守るパパの眼差し』だ。優しさに満ちているが、シエナはそんな生ぬるい目でサブローに眺めて欲しいとは決して思わない。
シエナは、サブローに『シエナさんは一人前の女性』と認識してもらいたいのだ。
「シエナさん、隠す必要などありませんよ。誰にも迷惑を掛けていないならば、道楽や嗜好は個人の自由です。堂々と胸を張りなさい」
マコルが、〝先達者・年長者〟目線のアドバイスを送ってくる。
「違います! マコルさん。私やお嬢様は、貴方がたのような〝他人様に知られたら後ろ指をさされてしまう生き方を選んだ人間〟では無いんです! 一緒にしないで!」
シエナが叫ぶ。マコルに対して、ケモナーに対して、失礼すぎる。
「お、お嬢様も、何か仰ってください! サブローさんたちの勘違いを正しましょう!」
フィコマシーに頼るシエナ。
しかし、メイドの期待は裏切られる。
侯爵令嬢は、小首を傾げながら発言した。
「勘違い? オリネロッテが述べたこと? 別に間違いでは無いわよね、シエナ。貴方は、王都の屋敷で良く同衾してくれたじゃない?」
「いえ、それは……」
「一晩中、私を慰めてくれたし」
「あ、あの」
「シエナのおかげで、私の心身の夜泣きは止んだわ。シエナの献身には、心より感謝してるのよ」
「あああああ……」
フィコマシーの無邪気な申し立て。
「メイドは、私の知らない世界を知っていた! 恐るべし、メイド! ドッキリしたよ。まさに、メイドッキリ!」と戦慄するリアノン。
「う~ん。これは、どの品種の百合なのだろう? フィコマシー様は侯爵令嬢なので、ヒメユリかな。イエロー様相手なら、オニユリだったのにね」と割とどーでも良いことに頭を悩ませているサブロー。
「やはり、人は自分に正直に生きなければ。フィコマシー様とシエナさんの未来に幸あれ!」と祝福の言辞を呈するマコル。
「にゃ? みんにゃ、何を話してるにょ?」と1人だけ会話の内容に付いていけないミーア。
「違うのぉ、違うのぉ」
シエナが、床に崩れ落ちる。
(王都の屋敷で、お嬢様の私室に夜も詰めていたのは、あくまで警護のため。その際に、お嬢様が『シエナ、一晩中起きていたら身体に毒よ』と案じてくださったから、畏れ多いながらも同じベッドで休ませていただいたことがあるだけなのに。お嬢様の仰る〝慰め〟は、『お嬢様を夜に1人で泣かせたりなどしません!』『私が付いています』『これからも、お側に居ます』といった言葉による〝慰め〟なんです! それ以上の〝慰め〟なんて、したことはありません! お嬢様と私の仲は、潔癖です!)
「潔癖なのぉ……清純なのぉ……未経験なのぉ……」
フロアに視線を落とし、譫言を呟き続けるシエナ。その両の瞳より、光が失われていく。
フィコマシー様、メイドが手遅れになる前に早くフォローしてあげて!
♢
ナルドットの街における最初の夜が明けた。
昨晩、僕はマコルさんと共に、男性用の宿泊部屋で休ませてもらった。
ミーアは、フィコマシー様の部屋でオネンネした。シエナさんも一緒。
『ミーアの貞操が!』と一時は懸念したものの、シエナさんの必死の言い訳に耳を傾けた結果、憂いは解消された。
フィコマシー様とシエナさんは、〝清い関係〟だったのだ!
『一緒の部屋で休む』と言っても、それはいわゆる〝女子高生が仲の良いお友だちの家にお泊まりするノリ〟に過ぎなかった。ミーアが加わったところで、〝主従の寛ぎタイム〟が〝仲良し3人娘の夜のお喋り会〟へとバージョンアップするのみ。
ミーアの身は、安全・安心・安寧だ。
良かった、良かった。
僕は、最初からフィコマシー様とシエナさんを信じていたよ! 百合とかGLとか〝義理姉妹の誓い〟とか『お姉さま~、グヘヘヘヘ』『タイだけでなく、性根も曲がっていてよ』とか、露ほども疑いはしなかった。
朝食を取った後、僕とマコルさんはバイドグルド家の執事に召し出された。執事の隣には騎士団長も居り、2人は僕らへ侯爵様の決定を言い渡す。
ロスクバ村へ、僕が倒した襲撃者たちの身柄を引き取りに騎士を派遣するそうだ。賊どもの容態次第で、連行するか、その場で尋問するかを判断する。
どちらにしろ、僕らの処遇は実状を見極めて以降に裁定することになるので、今日より4日後の午後に、侯爵家の屋敷へ出頭するようにとの命令を受けた。『それまでは、ナルドットの街から出なければ振る舞いは好きにして良い』と言うのが、執事の指示。
僕としては、一刻も早く冒険者ギルドを訪れたいと考えていたため、これは有り難い。
僕とミーア、マコルさんは、すぐに出立することにした。
お屋敷にフィコマシー様とシエナさんを残していくのは、後ろ髪を引かれる思いだけど、今は行動するときだ。足踏みをしている暇は無い。
「サブローさん、ミーアちゃん。冒険者となられてのちのご活躍、お祈りしております。くれぐれも、お身体を大切に」
「お2人とも、ご自身のなさるべき働きに全力で集中なさってください。お嬢様は、私がシッカリお守りいたしますので」
フィコマシー様とシエナさんの激励を背に、僕とミーアは旅立つ(ついでに、マコルさんも)。
まぁ、冒険者ギルドでの首尾を伝えるため、今日の夕刻には、またぞろお屋敷に顔出しするつもりだけど。
門前払いされないように、館を訪問すればフィコマシー様かシエナさんへ連絡を入れてもらえるとの言質は、執事さんより取っている。
屋敷を出る際に、ククリを返してもらい、腰に提げる。やっぱり、愛刀を携えていると心強さが段違いだね。
ミーアもリルカさんから貰った小刀を再び手にし、嬉しそうに身につけた。
まずは、冒険者ギルドに行って、冒険者登録をしなければ。
あと、可能なら、バイドグルド家関連の人物を精査したいな。侯爵家のお屋敷で、フィコマシー様の味方になってくれる人をシエナさん以外にも見付けておきたいのだ。
ドラナドみたいな危険なヤツが居るからね。館でフィコマシー様とシエナさんが孤立している状況は、良くない。
再襲撃は当分ないとは予想しているけど、タントアムの町で旅館に侵入してきた男のことも気に掛かるし。
フィコマシー様を守る壁……人材の観点で見る限り、現状では薄すぎる。僕も尽力するにしろ、シエナさんの負担があまりにも大きい。
少しでも、厚くしたい。
味方に引き入れる最有力候補は、リアノン。彼女はフィコマシー様へ特に関心を向けてはいないが、シエナさんとはけっこう気安い仲なので、見込みがありそう。それから、キーガン殿。アズキはどうかな……? クラウディがフィコマシー様を気に掛けてくれたら申し分ないんだが。彼は、難しいだろう。
マコルさんに連れられて、僕とミーアはネポカゴ商会へと赴いた。
ナルドット有数の大店であるネポカゴ商会の拠点は街の北部、トレカピ河の近くに存在する。ナルドットの街の商業地区は、トレカピ河沿いに広がっているのだ。
到着してみると、その豪華な店構えに圧倒された。3階建ての幅広い建物に、盛んに人が出入りしている。
マコルさんは気軽に入店し、なんとネポカゴ商会の会長のもとへそのまま報告に向かった。
え? マコルさんって、大店のトップと即座に面会できるほどの立場にある人なの? 単なる行商団の引率者だと思い込んでいたよ。
ネポカゴ商会の会長であるツァイゼモさんは、頭がキレイに禿げ上がった50代がらみの男性だった。
でっぷりと太っており、ヒキガエルを連想させる姿をしている。同じ肥満体型でも、フィコマシー様は子ブタさんみたいでキュートなのに、ツァイゼモさんはちょっと薄気味悪い。
性別や年齢は、関係ない。彼の表情が、原因だ。
コチラをリラックスさせようとする意図があるのか、口もとはニンマリ。一方、ギョロギョロ油断なく蠢く2つの眼。そのギャップが、不穏なのである。
マコルさんが、彼の帰還を歓迎するツァイゼモ会長へ僕を紹介する。マコルさんは、『フィコマシー様の役に立ちたい』という僕の思いを汲んでくれたのだ。
これは、人脈形成の機会だ。
僕は、ツァイゼモ会長へ挨拶をした。僕の後ろで、ミーアも慌てて頭をペコリと下げる。
「サブローくんは若いですけど、なかなかの人物ですよ。今日より冒険者稼業を始めるのですが、アッと言う間に頭角を現すでしょうね」
「ぐっふっふ。マコルがそれほど評価するとは、珍しい。良いでしょう。名は、サブローでしたね。覚えておきますよ。ぐっふっふっふ」
会長室を出た後に、マコルさんが僕へ告げた。
「ネポカゴ商会はナルドットの街、いえ、ベスナーク王国全体を見渡してみても、かなりの力を持っています。会長のツァイゼモ様の面識を得ておくことは、サブローくんが今後活動する上での大きな助けになってくれると思いますよ」
「マコルさん、ありがとうございます」
マコルさんの気遣いに、心が熱くなる。
「ただ、ツァイゼモ様は連日多くの人間と会っています。遅くとも1ヶ月以内に何らかの成果を出さないと、忘れられてしまうでしょう」
「頑張ります!」
僕は、マコルさんの忠告を胸に刻んだ。
ネポカゴ商会で、僕は猫族の村から持ってきた手形を金貨10枚と引き換えてもらった。日本円にすれば、凡そ100万円分の現金だ。
懐がかなり寂しくなってきていたので、ホッとしたよ。でも、絶対、落とさないようにしないと。
「ミーアも、金貨3枚は所持しておいて」
「にゃ!? アタシは要らないニャ! それは、サブローのお金にゃん」
「違うよ。僕とミーア、2人のお金だよ」
「サブロー……。けど、そんにゃ大金、アタシ持ってるのは怖いニャ。サブローが全部、預かっていて欲しいニャン」
「ダメダメ。万が一僕とはぐれたり、単独行動をしなきゃいけなくなった時に、お金が無いとミーアは困っちゃうよ。猫族の村にズッと居たミーアには、ピンと来ないのかもしれないね。良い? 聞いて。街での生活は、何をするにしろお金が掛かるんだ」
僕とミーアが押し問答をしている間に、マコルさんがネポカゴ商会へバンヤルくんを呼び出してくれた。
バンヤルくんの第一声。
「良かった! ミーアちゃん、無事だったんだね!」
バンヤルくん、君もブレないね! ちょっとは僕のことも心配して!
「バンヤルくんは、サブローくんとミーアちゃんを冒険者ギルドまで案内して差し上げなさい」
「分かりました。マコル様」
僕とミーアは、マコルさんとの別離を惜しんだ。
マコルさんには、本当にお世話になった。幾ら礼を述べても、言い足りないぐらいだ。
マコルさんと、サヨナラの握手を交わす僕。更に、ミーア。
多分、4日後には、侯爵家の館でまた会うだろうけど。
マコルさん……立派な商人……尊敬すべき大人……僕の手を握っている時間より、ミーアの手を握っている時間のほうが、はるかに長かったように思えるのは、きっと気のせいだ。
ミーアとの握手の際、マコルさんの目尻に感激の涙が浮かんでいたように思えるのも、きっと気のせいだ。
ミーアの手をにぎにぎしているマコルさんの身体が、感動のあまり打ち震えていたように思えるのも、きっと気のせいだ。
ミーアが武道館でのライブを控えている大人気アイドルで、マコルさんがその熱狂的な追っかけファンに見えるのも、きっと気のせいだ。
気のせいだったら、気のせいだ。
♢
冒険者ギルド本部の所在地は、街の西側。
バンヤルくんの実家である宿屋は、ネポカゴ商会より冒険者ギルドへ向かう道筋の途中にあるのだそうだ。
それなら、冒険者ギルドへ行く前に、バンヤルくんの実家へ顔見せしておこう。どのみち、僕とミーアは、そこをナルドットの街における常宿とする予定なのだから。
「ところで、バンヤルくんの実家の宿屋名は、なんて言うのかな?」
「ああ、《虎の穴亭》だよ」
「え?」
《虎の穴亭》……。ひょっとして、地下に秘密の特訓場とか、あったりしないよね? タイガーなマスクをしたレスラーが、背筋ブリッジでお出迎えしたりはしないよね?
「お! 見えてきたぞ。あそこが、俺の実家《虎の穴亭》だ」
バンヤルくんの弾む声に誘われて、前方へ目を向ける。
店舗や住宅が並んでいるエリアの一角に、2階建ての小ぎれいな宿屋が建っていた。
トラさんが昼寝しているイラストが描かれた看板が掛かっており、絵の下にウェステニラ文字で『獣人のお客様、大歓迎』と書かれている。
宿の玄関前を、小さい女の子が、長い柄の付いた箒で一生懸命掃いていた。
ランドセルが似合いそうな少女。日本で言えば小学生……10歳ほどかな? ピンクの髪をツインテールにしている。
「よぉ、チャチャコ。いま戻ったぞ」
バンヤルくんの呼びかけに、顔を上げる女の子。バンヤルくんの妹さん?
「あ、兄ぃ、お帰りな……」
ツインテール少女が、いきなり固まる。そして、マジマジと僕らを見つめてきた。両目を大きく見開き、絶句している。
どうしたんだろう? 何か、ビックリするようなことでもあったのかな?
少女のあまりの驚愕ぶりを疑問に思った僕は、背後を確認してみた。ミーアが、立っているだけだ。
「チャチャコ。お客さんを連れて……」
「兄ぃ――――!!!」
バンヤルくんのセリフを遮り、チャチャコちゃんが絶叫する。それから、スゴイ勢いで僕らのほうへ駆け寄ってきた。
「おい、チャチャコ。そんな急に走り出すと、危ないぞ。転んだら……」
「この犯罪者!!!」
チャチャコちゃんは跳び上がるや、手に持っていた箒の柄でバンヤルくの頭頂部を一撃した。見事な一本だ。
「痛ぇ!」
頭を抱えて蹲るバンヤルくん。
「前々より、兄ぃの獣人愛はヤバすぎだと思っていたけど、とうとう誘拐にまで手を染めるなんて! オちるところまで、オちたんだ」
ゴミ虫を見るかのような眼でバンヤルくんを睥睨する、チャチャコちゃん。次の瞬間、彼女はくるりとミーアのほうへ顔を向けた。
「ごめんね! 猫族の愛らしい女の子。ドコから、さらわれてきたの? 怖かったでしょう? 誘拐魔は、たったいまワタシが退治したわ! アナタは、ワタシが守ってあげる!」
「にゃ? にゃ? にゃに?」
熱気を滾らせつつ迫ってくるチャチャコちゃんに、ミーアは目を白黒させるばかりだった。
僕は……取りあえず、どうしよう?




