高級あんころ餅
クラウディに、僕の意図を伝えなくては。それも、出来るだけ、さりげなく。
息を吸って、吐く。単純な動作を、3度ほど繰り返す。
その間、僕の〝気〟を特定方向に集中させ続ける。
クラウディは、僕を一瞥もしない。だが、効果はあったようだ。気味悪いほど穏やかな声音で語りかけてきた。
「……サブロー殿」
「なんでしょうか? クラウディ様」
「……〝様づけ〟は、止めて欲しいですね」
「いいえ。僕は平民で、クラウディ様は騎士様ですので」
「身分とは、つまらないモノですね。ようやく自分と競い合えるだけの腕を持った同世代と出会えたと言うのに、気楽に語り合うことも出来ない」
「僕の技量は、到底クラウディ様には及びませんよ」
「そんなことは、無いでしょう」
クラウディが静かな雰囲気を保ったまま、口調を変えずに尋ねてくる。
「……ところで、サブロー殿。貴殿は何故、オリネロッテ様へ向けて殺気を放たれているのかな? 即刻、止めていただきたいのですが」
「クラウディ様が、フィコマシー様へ向けている殺気を収めてくだされば、今すぐにでも」
「……貴殿が何を言っているのか、分からないな」
「そうですか。だったら、僕もクラウディ様の仰ってる要旨を理解するのは、無理ですね」
僕の後ろに居るフィコマシー様が、僕とクラウディの会話の意味を悟ったのか、ヒュッと息を呑んだ。
緊張のあまり身を固くしていたシエナさんも、万が一の事態に備えて、フィコマシー様の側に寄りそう。
リアノンは、立ち尽くしていた。
アレは『何がどうなってんのか、サッパリ分かんない。誰か教えて!』という顔だ。心底、残念な騎士様だよ。
でも、アワアワしているのみで、敵対してくる怖れは無さそうだ。少しばかりホッとする。
これが、僕の考えついた〝フィコマシー様を護る最善手〟だ。
もしクラウディとアンコがフィコマシー様に害をなそうとしたら、僕はオリネロッテ様を標的にしてやる。
最終的に、僕は負けてしまうだろう。
けれど、クラウディとアンコにとって最も大切な役目は、オリネロッテ様の護衛だ。
オリネロッテ様に危害を加えられる可能性が僅かにでも生じれば、両人は迂闊な行動を取ることが出来なくなるに違いない。
僕とクラウディは、目線を交わさない。
それぞれ護るべき令嬢が背後にあり、狙うべき令嬢が視線の先に居る。
緊迫のボルテージが徐々に高まる。あたかも、コップの中に少しずつ水が注がれていくように。
今にもコップの縁から水が溢れ出ようした刹那、それまで黙して語らなかった魔法使いの少女が口を開いた。
「クラウディ、控えろ。妾にはサッパリ感じ取れないけど、お主、フィコマシー様へ殺気を向けているのか? もしも、そうなら、やり過ぎじゃ」
おや? アンコがクラウディに苦言を呈し、加えてフィコマシー様の名を口にしたぞ。
黒髪の魔法使いは、フィコマシー様の存在と人格をチャンと認識しているのか?
あと、〝妾〟って何? この子、どう見ても僕より年下だよね。日本で言えば、中学生くらいじゃないかな? にもかかわらず、1人称が〝妾〟。
アレかな? 他人とは違う言葉遣いをして、大人ぶってみたい年頃なのかな?
中二病に罹患している疑いがあるね。早めの治療を、お勧めする。
正直、僕はアンコのことを〝天才魔法少女〟だと独り合点していた。
彼女が魔法を使う場面を、僕は1度も見ていない。しかし、〝魔法使い〟である僕は、彼女がどのレベルの〝魔法使い〟なのか、概ね推察できるのだ。
アンコ。
多分10代前半でありながら、かなり強力な魔法使い。
ウェステニラ版〝魔女っ娘〟。
常に、眠そうにしている。
やる気なさげな目つきはマイナスポイントだけど、少なくともイエロー様みたいな〝エセ魔女っ娘〟では無い。
イエロー様は僕の〝魔法の師〟ではあるが、イロイロと酷すぎた。身長は2メートルを超えてたし、筋骨隆々だし、脳筋だし、魔法は使えないし、魔法のステッキはトゲトゲ付きの金棒だし……イエロー様、魔女っ娘でも何でもないね。
「サブロー、だったか?」
魔法少女アンコが、僕に話しかけてくる。
改めて見ると、ホントに背が低い女の子だ。僕のお腹くらいの身長しか無い。
黒髪に黒い瞳、黒いローブ。このチンマリ具合、まさに、あんころ餅。
「ドラナドの不始末、フィコマシー様への慮外な言動に関しては、妾より謝罪する。この場は、折り合いをつけてもらえぬか?」
アンコはそう述べて、僕とフィコマシー様へペコリと頭を下げた。
……フィコマシー様へ、頭を下げたのだ。
……この少女は……ただのあんころ餅じゃない。高級あんころ餅だ。
オリネロッテ様の周囲には、多数の人間が侍っている。
そして各々のフィコマシー様への対応は、僅かずつだが異なっていた。
リアノンは、フィコマシー様の名をこれまで一度も発していない。フィコマシー様を個人として、知覚できていない節がある。
騎士たちを率いていたキーガン殿は、ともかくもフィコマシー様の名前をトークの最中に出していた。
両者の差は、どこから来ているのだろう?
僕は、『オリネロッテ様の魅了の作用を、如何ほど強く受けているか?』と『深層心理において、フィコマシー様をどう思っているのか?』の2点が関係しているのではないかと憶測している。
リアノンは、もとよりフィコマシー様に何の興味も持っていなかった。過去、フィコマシー様との接触が殆ど無かったためだ。
対して、年輩のキーガン殿は、バイドグルド家で長い間、騎士の務めを果たしてきた。彼は、フィコマシー様やオリネロッテ様を幼年時代から知っている。
シエナさん経由で仕入れた情報を勘案するに、オリネロッテ様の〝魅了の力〟は、年々強まる傾向にあるようだ。姉妹の母親が健在の頃は、フィコマシー様とオリネロッテ様の侯爵家における待遇に、極端な差は無かったとか。
ならば、侯爵家の姉妹が年少であった砌、キーガン殿はフィコマシー様へも一定の敬意を払っていたはず。以前の記憶が、現在の彼の感情や思考に影響を与えている蓋然性は高い。
例外もある。
ミーアは、フィコマシー様に懐いていた。にもかかわらず、急激に心情を変化させられてしまった。これは、それだけオリネロッテ様による魅惑が強烈だったために違いない。
……で、アンコだが。
オリネロッテ様の近侍である魔法使い。フィコマシー様と彼女との間に、特に深い繋がりは無い。けれど、アンコはフィコマシー様へ礼を尽くしている。
と、言うことは……。
オリネロッテ様の側近グループの中で、どうやらアンコはかなりの発言力を持っているらしい。アンコの忠告を受けて、クラウディが決まり悪そうな顔になる。
ここで、僕とクラウディは初めて視線を交えた。
オレンジの髪。パープルの瞳。端正で、彫りが深い顔立ち。長身。程よく筋肉が付きつつ、スラリとした体躯。……凜々しい。
くそう! イケメンだ。
クラウディよ、驕るな! 男は、顔じゃ無いぞ! 背格好じゃ無いぞ!
よく聞け!
男は……男は……男は……強さだ! 頼りがいだ! 将来性だ! 社会的ステータスだ! 人脈だ! 現下における収入の手取金額だ!
…………全部、僕はクラウディに負けてますね。
間中三郎、16歳。住所不定無職(夢は冒険者になること)。
クラウディ、18歳。侯爵家の騎士。主君よりの信頼も厚い。
片や地面に落ちている米粒を探すのに必死な雀。
片や大空を飛翔し、時に急降下して獲物を仕留める鷲。
比較の対象にすら、ならない……イイヤ、まだだ! まだ、ゲームオーバーじゃ無いぞ! ゴールは、はるか先にある。
諦めるな、僕! 《ウサギとカメ》の教訓童話を思い出すんだ! え~と……『ウサギが筋肉疲労で休んでいる間に、ジェット噴射能力を身につけたカメが回転しながら空中を飛んでいく』ってストーリーだったっけ……?
心中をモンモンとさせる僕を尻目に、アンコが動いた。
僕とクラウディの中間地点に陣取る彼女。
気を抜く訳にはいかず、クラウディから目を離せない僕。アンコについては、彼女の黒い頭頂部しか視界に入らない。
「クラウディ、サブロー。オリネロッテ様とフィコマシー様の御前じゃ。慎め」とアンコ。
アンコの仲立ちで、僕とクラウディは同時に殺気を解いた。
室内の空気が、弛緩する。
アンコのおかっぱ頭が、コクコク動いている。満足げに頷いているようだ。
「ときに、サブローとやら。妾は、其方に訊きたいことがあってな?」
アンコが、僕に問いかけてきた。
「どのようなことでしょう? ア……」
危ない危ない。思わず、『アンコ様』と言いかけてしまったよ。
〝アンコ〟はあくまで、僕が仮に採用している彼女のニックネーム。少女の容姿より連想しただけの呼び名なのに。
「先刻、館内で妾は奇妙な気配を感じてな。不審に思い、探ってみた。すると、フィコマシー様の部屋の内側に結界が張られていたのじゃ。サブローは、何か存じておるのではないのか?」
「さぁ? 申し訳ありませんが、皆目見当も付きません」
顔色も変えずにシレッと即答する僕を、ジッと凝視するアンコ。
あの、アンコちゃん。そんなに顔を上向きにして、首が痛くなりません?
「アズキ。サブローさんのことが気になるの?」
オリネロッテ様が、アンコに声を掛けた。
蠱惑的な声。強烈な磁力。心身が、震える。悪寒か感激か。
しっかりしろ、サブロー! 再度惑わされたら、洒落にならないぞ!
「冗談は、仰らないでください。お嬢様」
オリネロッテ様の軽口に、真顔で言い返すアズキ。2人は、気安い間柄に見える。
意外だな。
オリネロッテ様は、確かに誰からも慕われている。
だが……。
《彼女を主役にしている絵画》の鑑賞体験を、回想する。人々の輪の中で微笑むオリネロッテ様。……湧き上がる違和感。何かが、不自然だった。
絵の中の人物は、みんな水彩の筆で描かれているのに、オリネロッテ様の輪郭だけは油性タッチなのである。
そう。錯覚じゃ無い。彼女と他人との間には、〝見えない壁のようなモノ〟が立っている。クラウディとさえ、どこかシックリいっていない……微妙な隔意がある。
しかし、アズキとは親しげだ。疎遠さが、感じられない。
オリネロッテ様とアズキは、どんな関係なんだ? 気に掛かる。
……にしても、アンコの真の名前は『アズキ』と言うのか。
……アズキ……アズキ……あんころ餅の餡の材料である小豆……。本名がアンコと大差ないとは……ややこしいな。
魔法使いのアズキ。
僕の脳内で、お子様向けアニメ『魔法使いアズキちゃん』が臨時上映される。
♢
主役は、1人称が〝妾〟の魔女っ娘。トロンとした気怠げな眼をしている少女。小学5年生。
アズキちゃんの家は、和菓子屋さん。前世は、アンコロ王国のプリンセス。
ライバル魔女っ娘は、洋菓子店の娘であるクリームちゃん。
敵は、《地球人肥満化計画》を推し進めるメタボ星人。配下に、炭の化け物と水の化け物――2匹合わせて、通称〝モンスター・炭水化物〟が居る。
物語のクライマックスで、死闘を繰り広げるアズキちゃんとメタボ星人。
アズキちゃんの必殺魔法3連発《おしるこビーム・ぜんざいアタック・エクストリームおせきはん》は、メタボ星人に呆気なく撥ね返される。でもって、メタボ星人による攻撃魔法《メタボリックシンドローム》が、アズキちゃんを襲う。
アズキちゃんの危機!
間一髪、バトルフィールドに駆けつけるクリームちゃん。
「クリーム! どうしてココに!?」
「ふん! こんな敵に苦戦するなんて、アズキはだらしないわね」
「何を!? 妾は、負けてなどおらぬ。まだ、戦える!」
「それでこそ、私のライバルよ!」
アズキちゃんのピンチを救うクリームちゃん。
麗しき友情。
2人の魔法少女は協力し合い、メタボ星人を浄化するための究極合体魔法《大エット・エクササイズ》を共に唱える。そしたら、なんでかアズキちゃんとクリームちゃんも消滅しかかってしまう……。
食~事~制~限~の~対~象~は~。
「妾は、クリームほどカロリーは高くない! 菓子の原料であっても、小豆は健康食品。ポリフェノールも豊富。脂肪分たっぷりの生クリームと一緒にするな!」と絶叫するアズキちゃん。
「裏切り者! 自分1人、助かろうっての!? たかが大豆の子分の分際で!」と罵声を浴びせるクリームちゃん。
「大豆と小豆は名称が似ているだけで、種類は全く異なるマメじゃぞ!」と反論するアズキちゃん。
※注 大豆はマメ科ダイズ属で、小豆はマメ科ササゲ属です。
和菓子と洋菓子は、所詮相容れぬ仲。
フレンドシップは、たちまちサンケンシップ(沈没船)に早変わり。
♢
斬新なストーリー。
けれど、奇抜すぎてお子様にも〝魔女っ娘マニア(大きなお友達)〟にも拒否される。
1クール打ち切り。
最終回のタイトルは、『友情の終クリーム~アズキ、暗黒魔王になる~』で決まりかな。
円盤の売上げが良かったら、『魔法使いアズキちゃん――ダークサイド編――アズキをアンコにすると黒かった』が制作されたかもしれないのにね。人気低迷により、中途半端なところで終わってしまった。
〝魔法使いアズキちゃん〟の悲しき結末を嘆き、僕は内心で秘かに涙を流す。
「サブローの妾を見る目つき……無性にイラつくな。その眼差し。まるで、動物園で飼育するのは良いがペットにはしたくない動物を眺めているような……あるいは、製品加工前の原材料の品質を吟味しているような……さもなくば、中断されてズッと再開されない道路工事に呆れているような……」とアズキがブツブツ呟く。
……ブツブツ小豆か。小豆がブツブツしているアンコも美味しいよね。
僕は、〝つぶあん〟も〝こしあん〟も大好きです。
それと、ウェステニラにも動物園があるんですね。驚きです。
よく考えると、食堂内にヒロインたちが勢揃いしてますね……(イエロー様は除く)。




