〝あーん〟の秘訣
5章スタートです。宜しくお願いいたします。
ナルドットの街に到着して最初の夜。
僕は、フィコマシー様と一緒に夕食をいただくことになった。時間的にはかなり夜も更けているから、夜食と呼称すべきかな?
場所は侯爵家お屋敷の食堂。バイドグルド家の邸宅では、大広間で食事をする仕様ではなく、ちゃんとした専用のダイニングルームがあるのだ。かなりの広さの空間に、テーブルが複数置かれている。
部屋の中に居るのは、フィコマシー様と僕以外に、シエナさん・ミーア・マコルさん。
併設されている厨房より、給仕さんが料理を運んできてくれた。
パンとスープ、野菜の簡単なサラダ。
侯爵令嬢のために用意された晩餐とは思えないほどの質素さだ。これなら、タントアムの町で泊まった旅館が提供した夕餉のほうが、余程メニューは充実していたよ。
僕は無性に苛立ってしまったが、フィコマシー様やシエナさんが何も言わないのを見て、不満を抑える。
「さぁ、頂きましょう」
フィコマシー様の声を合図に、食事を始める。
僕・ミーア・マコルさんは一応〝侯爵令嬢を救ったお客人〟という立場にあるため、フィコマシー様と同じテーブルに着くことが出来た。
しかし、バイドグルド家に仕えるメイドのシエナさんには、そのような待遇は適用されない。
親しい人間しか周りに居ない場面だったら、フィコマシー様とシエナさんは仲良く顔を付き合わせつつご飯を食べられる。
現に、ナルドットまでの道中では、2人は飲食を共にしていた。
けれども、ここは侯爵家のお屋敷。人目もある。シエナさんは、着席して食卓を囲む仲間には加わらず、フィコマシーお嬢様の背後に起立する。
シエナさん1人が食事を取らない状況は、正直居心地が悪い。
だが、ウェステニラは〝身分による区別〟が重要視される世界。これが、通常の風景と言える。
慣れなくてはいけない。
「お気になさらず。私は後で頂きますので」とシエナさんが微笑む。
実のところ、異なるテーブルに着席する形式にすれば、シエナさんも同時進行で陪食に与れるのだそうだ。でも、彼女が1人だけ離れた位置で食べるシチュエーションは、何かイヤだ。
フィコマシー様が、スプーンで丁寧にスープを掬う。殆ど、音は立てない。優美な仕草だ。
意外な事実を述べると、フィコマシー様は見た目に反して大食漢では無い。もとよりフィコマシー様は乙女であって、漢じゃ無いけど。
前に『ケーキは、1ホールが基本』などと口にしていたが、あれはあくまで〝ケーキ限定〟の話らしい。
シエナさんが、コッソリ教えてくれた。
フィコマシー様は、肉類など脂っこい料理はあまり喉を通らない。舌にあうのは、野菜や果物などをサッパリ風味に味付けしたメニューなんだとか。
健康的である。
フィコマシー様の肌が白く透きとおるような美しさを保っているのも、納得だ。しかし、それならフィコマシー様は、なんであんなに丸々としてるんだろう?
いえ。僕は、ポッチャリもふっくらもタプタプも、決してキライでは無いですよ?
でも、疑問を抱かざるを得ない。摂取と消費におけるエネルギー効率の換算を考えると、フィコマシー様のマシュマロ体型は理屈より外れているのではなかろうか?
「サブローさん、私の顔をジッと見られて、どうされたのですか?」
フィコマシー様が、はにかみながら問いかけてくる。
「申し訳ありません。フィコマシー様の食事のマナーに、感心してしまって。とても上品ですね」
フィコマシー様へ賛辞を呈するや、僕の隣でディナー中だったミーアがいきなり硬直した。
テーブルを取りまく各々のポジショニングでは、フィコマシー様が上座、彼女の左右に僕とマコルさん、僕に続く席にミーアが腰掛けている。
そのため、フィコマシー様へ顔を向けた体勢の僕は、ミーアの様子を直に目撃してはいない。けれど、気配で分かった。ミーアが、凍りついてる。コッチンコッチンだ。
ミーアに何か緊急事態が!?
僕は、慌ててミーアのほうへと振り向く。
ミーアは、固まっていた。
飲みほしたスープの皿を持ち上げて舐めているポーズで。
「ニャ~」
しばらくして、ミーアの金縛りが解けた。シオシオになったミーアはスープ皿をテーブルの上へ戻すと、おもむろにパンを手に取って小さく千切りつつチマチマ食べ始める。
普段は、パンにカブりついているのに。
「あ、ゴメン。別段、ミーアのマナーに注文を付けてる訳じゃ無いんだよ。ミーアの元気の良い食べっぷりも、僕は好きだよ。ご飯が、とても美味しく感じられるからね!」
「私の所作は貴族の窮屈な作法に縛られているだけなので、ミーアちゃんが真似する必要なんて無いのよ。ミーアちゃんは、ありの侭で良いんだから」
「お嬢様を褒めて頂けるのは、嬉しいです。しかしながら、サブローさんはもう少し言葉の使いようを考慮すべきです。ミーアちゃん、大切なのは〝ミーアちゃんらしさ〟よ」
「『立てば芍薬、座れば牡丹、あるく姿は百合の花』のミーアちゃんは、如何なる食べ方をしても構わないのですよ。何があろうと、ミーアちゃんの魅力が損なわれることなどありません」
僕・フィコマシー様・シエナさん・マコルさんが、一斉にミーアを慰めに掛かる。
「ううう……皆、ありがとニャン。別にサブローの言ったことを気にしたんじゃ無いのにゃ。ただ、ちょっとお行儀良くしようと思っただけで……」
ミーアが、殊勝な発言をする。けど、安心はできない。ペタンとした猫耳とダランと力なく垂れ下がった尻尾が、ミーアの気持ちを如実に表しているためだ。
どうしよう?
どうすれば良い?
マコルさんと、目が合う。
(サブローくん。アレを実行するのです!)
(ええ! アレですか!? でも、アレはハードルが高いと言うか、ヤるには巨大白蛇に立ち向かうのと同じレベルの勇敢さと無謀さが要求されると言うか……)
(何を臆しているのです! サブローくんは、ミーアちゃんを落ち込ませっぱなしにしておいても平気なのですか? このままでは世を儚んだミーアちゃんが、今晩のうちに屋敷を抜け出して、トレカピ河へ身を投げてしまうかも知れませんよ!)
(そ、そんな、まさか……)
(ああ~、可哀そうなミーアちゃん。きっと遺書には『スープ皿を舐め舐めしてゴメンなさい。スープがもしもチーズみたいな固形物だったら、舐めずに済んだのに。せめてものお詫びに、この身はトレカピ河へと捧げます』と記されているに違いありません。ミーアちゃんの健気さに人々は涙を流し、『ミーアちゃんへチーズを!』の声は、日増しに高まるでしょう。そしてミーアちゃんを供養するためにトレカピ河へチーズを投げ込む風習が、いつしかナルドットの街に根付いてしまうのです)
それって、なに屈原?
※注 屈原は、中国春秋戦国時代における楚国の政治家。汨羅江へ入水した彼を弔おうと、民衆が笹の葉に包んだご飯を川へ流すようになったのが、〝ちまき〟の起源。
(く……。愛らしいミーアに、オッサンの屈原と同じ運命をたどらせたりしちゃいけない!)
(さぁ! 今こそ、決断の刻です! サブローくん)
(ええい! こうなれば、清水の舞台から飛び降りてやる!)
ついに、僕は覚悟を決めた。男には、苦難が待ち受けていると承知していても、敢えて立ち向かわなければならない局面があるのだ!
退くな! 戻るな! 省みるな!
僕は何気ない風を装いつつパンを手に取ると、程よい大きさに分けた。それから、パンの小さな塊をションボリしてるミーアの口もとまで持っていく。
「ニャ?」
僕が行っている動作の意味を理解できず、首を傾げるミーア。
僕は深呼吸し、〝男の尊厳〟が掛かったセリフを口にした。
「……ミ、ミーア。〝あーん〟して」
「にょ!?」
ミーアが、ビックリして黄金の瞳をまん丸にする。
「ほら、〝あーん〟だよ」
大丈夫だ。僕はグリーンによる地獄の恋愛特訓で、〝あーん〟実施の際の秘訣を伝授されている。
しかし、今更ながら《地獄の恋愛特訓》って、凄いネーミングだよね。
♢
「宜しいですか、サブロー。〝あーん〟する時には、絶対テレテレオドオドしてはいけません。〝さも当然のことをやっている〟といった真顔を保ちつづけるのです。サブローに〝あーん〟されてる人物が、『え? なんで表情を変えずに〝あーん〟してくるの? これって、普通の行為なの? ドギマギしてる私が間違ってるの?』と思い込んでしまうように。我に返る時間を与えては、ダメです」
「場の雰囲気で圧倒するんですね、グリーン」
「その通りです。最上川(日本3大急流の1つ)なみの激流で、戸惑いや違和感を押し流すのです。〝あーん〟に、敗北は決して許されません。サブローは、一度〝あーん〟のために出した手を引っ込めることなど出来ますか?」
僕は〝あーん〟してあげようとした相手に、『ゴメン、無理』と拒否される情景を思い浮かべた。
死にたくなった(既に、死んでるけど)。
ハンパない悲哀と絶望。
超、気まずい。
「……撤回など不可能です!!! 想像しただけで、胸が張り裂けてしまう!」
「なればこそ、生半可な心根で〝あーん〟を企ててはなりません。微妙なタイミングを見極める高度な知性と、断固として後退しない強靱な意志。この2つの才能を兼備している者のみが〝あーん〟を成功させて、勝利の栄冠を掴むことが出来るのです」
「〝あーん〟は、奥が深い……」
「逆に〝あーん〟されてしまったケースでは、一瞬だけ照れて、すぐにパクつきなさい。良いですか、照れるのは〝一瞬〟だけですよ」
「成り行きを楽しむために、つかの間でも良いのでモジモジしてみたいんですけど……」
「男のモジモジとか、気色悪いだけです。それに下手に時間を掛けているうちに、差し出され中の食べ物が落下してしまったら、どうするんですか? 全財産が入っている財布を落とす以上の惨劇に出演するハメになりますよ。『覆水、盆に返らず』どころの騒ぎではありません。待ちうけているのは、折角〝あーん〟してくれた連れ合いより突き刺さってくる失望と軽蔑の眼差しです。〝愚図・愚鈍・愚昧・愚劣・愚者〟なるレッテルを貼られてしまうでしょうね。『あーん(食べてね、キャピ!!)』が、『あぁん(ふざけんなよ、テメェ~)』へと急変する危険性があります」
「ハートフルファンタジーが、サスペンスホラーになってしまう!?」
「『〝落とし〟前をつけろ』と締め上げられる結末、到来です」
「モノを〝落とし〟たからですか!? 洒落にならない!」
♢
(頼む、ミーア! 撥ねつけたりしないで)
僕の切なる願いが天に通じたのか、ミーアは怖ず怖ずと口を開いてくれた。
ミーアのチビっちゃい猫口の中に、パンの一切れを慎重に入れる。
もしゃもしゃ。
ミーアが咀嚼する。
「ミーア、美味しい?」
「う……うん、美味しいニャ」
良し! 追撃戦だ! 戦果拡大だ! アクションの手を緩めるな!
僕は、ミーアへ〝あーん〟の波状攻撃を行いつづけた。
段々ミーアも、僕の手の動きに慣れてくる。
なにやら、猫に餌付けをしているような……。
いかん! 煩悩を振り払え!
『高難度ミッション〝あーん〟を遂行するのに不可欠な7つの資質。それは、天使の心・悪魔の智恵・勇者の勇気・名将の采配・英雄の決断・覇者の実行力・賢者のみが到達しうる無我の境地』とグリーンも言っていたじゃないか!
…………〝あーん〟を、10回ほど繰り返す。
「ふぅ。もう、お腹いっぱいニャン」と、ミーアは満足げな溜息をついた。
先程までの意気消沈はドコへやら、ご機嫌が戻っている。耳はピンとし、尻尾も垂直立ちだ。
良かった良かった。
マコルさんが(サブローくん、よくぞ頑張りました。これで、君はケモナー山の頂きにまた1歩近付きました)と目で語りかけてくる。
ケモナー山とか、登りたく無いのですが。
山頂にケモナー神社とかがありそうで、何か怖い。
ミーアの事情が一段落したため、ふとフィコマシー様のほうへ目を遣った。
フィコマシー様が、食べ終えたスープの皿をマジマジと見つめている。そして、何故か空になった皿に手を触れた。
するとフィコマシー様の背後に控えているシエナさんが、厳しい声を出す。
「お嬢様。シエナは、シエナはお嬢様の矜持を信じております」
「も、もちろんよ、シエナ。私は、バイドグルド家の娘。何があっても、お皿に口を直接つけたりなど……」
「安堵いたしました、お嬢様。それでこそ、私のお嬢様です。ちなみにメイドたるシエナは、状勢次第では皿を舐めるのに些かも躊躇したりなどいたしません。なんたって、シエナはメイドですから。メイドですから」
「メイド、メイドと何度も。そもそも、お皿を舐めるメイドなんて存在しません」
「メイドのシエナは倹約家なのです。食べ物を粗末にしたりはしないのです。贅沢は敵なのです。スープは1滴残さず頂くように、常日頃より心掛けているのです。いざとなれば、皿ぐらい舐め尽くしてしまう気構えがあるのです。食事を作ってくれた方に対する私なりの謝意なのです。それが、私の〝生きる道〟なのです」
「言ってる意味が、分かりません。あと、『なのです、なのです』と同一語尾の口調が、不自然すぎます。お皿にこびり付いたスープの余りに関しては、パンのカケラでお皿の表面を拭えば済む話ですよね」
「そのような常識的なやり方では、『あられも無い姿を見られて落ち込む』『救済の手を求める』『励ましの〝あーん〟をしていただく』という3段跳びの超展開を期待できなくなるではありませんか」
「……シエナ、貴方はお皿ばかりでなく、世の中も舐めてるわね。それほど〝あーん〟に興味があるなら、受け身は止めて、自分から〝あーん〟をして差し上げれば良いのでは?」
「ヤダ。そんなの……恥ずかしい」
「意図的にお皿を舐めるほうが、よっぽど恥知らずです。ミーアちゃんの天然の仕草は無邪気で可愛いですけど、貴方はそうじゃ無いでしょう? 邪念に満ちすぎです」
「メイドの私は、心の清掃も怠ったりはしないのです。皿の汚れは心の汚れ。お皿を舐めたら、心もピカピカ」
なんか、フィコマシー様とシエナさんが言い合いをしている。会話の中身は良く分からないが、2人とも楽しそうだし、放っておこう。
皆が食事を終えて、そろそろ退室しようとしている折。
唐突に、食堂の扉が開く。
入ってきたのは3人の女性に、2人の男性。
いや、オリネロッテ様と、彼女以外の4人か。相変わらず、オリネロッテ様の放つ輝きは強烈だ。周囲の人間が、軒並み霞んでしまうほどに。
オリネロッテ様に従っているのは、クラウディ・アンコ(仮)・リアノンと後もう1人。
僕と同じ程度の身長の騎士。多分、20歳前後。
黄色の髪を、肩あたりまで長く伸ばしている。顔つきは、それなりにハンサムだ。しかし、せせら笑うように歪んでいる唇が印象を悪くしている。
軽薄な感じがする。
謹厳なクラウディとは、対照的なムードの人物だ。
リアノンがオリネロッテ様に会釈して、僕らのほうへ近寄ってきた。
「こんな所に居たのか。いつの間にか侯爵様の書斎から揃って消えていたので、どうしたのかと思ったぞ」
「リアノンさん、僕らを探してくれてたんですか?」
だとしたら、リアノンに悪いことをしたかな。
無意識のうちに、リアノンは〝あっち側〟だと決めつけていた。
「ま、まぁな。お屋敷まで同道した仲だ。移動する前に、一言ぐらい私に伝言を残してくれても……」
「スミマセン」と謝る僕。
「つまり、騎士様は置いてきぼりにされて寂しかったと?」
シエナさんが口を挟む。
「さ、寂しくなんか無いぞ!」
「騎士様は、お友達が少ないみたいですもんね」
「友人なら、私にもいっぱいいるよ! ホントだよ! 私はオークは必ず平面にするけど、ゴブリンやトロールは気が向いたら時々潰さないでいてやる優しい女なんだ。生きながらえたゴブリンやトロールは、私のことを『姐さん』とか『女勇者』とか『オーク専用殺戮凶器』とか呼んで慕ってくれる。あれって、友達ってことだよね?」
「騎士様。それ、〝友達〟どころか〝知人〟ですらありませんよ。強いて言うなら、〝下僕〟とか〝奴隷〟とか〝恐怖による圧制の犠牲者〟とか……」
「友人と下僕って、似たようなモノだろ?」
「私は断言します。騎士様には未来永劫、友達は出来ません」
「メイド、酷い!」
シエナさんとリアノンが漫才(?)している側を、黄色い髪の騎士が通り過ぎる。そして、突如フィコマシー様の金髪へと手を伸ばしてきた。
「おいおい、食堂で豚が残飯を漁ってるぜ」
室内に響く男の嘲笑。
騎士のあまりの不作法ぶりに、フィコマシー様もシエナさんも唖然として反応できない。
けれど、僕の身体は自然に動いていた。




