傾国の予感
それにしても、オリネロッテ様の〝魅了の力〟については、不明な点が多すぎる。
オリネロッテ様による誘惑の網に囚われた人々は、何故フィコマシー様を忘却したり、貶めたりしてしまうのか?
そもそも、この力の目指す方向性、目的は何だ?
まさか、『大勢の人よりチヤホヤされまくる人生を、オリネロッテ様に送らせること』を究極目標としている訳ではあるまい。
多数の男性(イケメン限定)を身辺に侍らせつつ、黄金の椅子に腰掛けて高笑いしているオリネロッテ様の姿が頭に浮かぶ。だが、即座に抹消する。
オリネロッテ様のキャラに似合わないし、そんな俗な願望成就を目論んではいないと思う。
リアノンたちの心に侵入している闇は、もっと〝悪質で薄気味悪い何か〟だった。
少し、探りを入れてみよう。
「オリネロッテ様は、王都ではどのようにお過ごしなんですか?」
「……大変な人気です。学園でも、いつも人に囲まれて」
僕の質問に、シエナさんが答えてくれる。
「オリネロッテ様は、王太子殿下と恋仲なのですよね?」
ロスクバ村に泊まった晩にバンヤルくんから、また本日の馬車の中でシエナさんから、チラリとそんな話を聞いた覚えがある。
「ハイ。前にも述べました通り、オリネロッテ様と王太子殿下は大変親密な間柄です。ご婚約が近いとの噂もあります。ただ、オリネロッテ様が内心どう思われているのかまでは、分かりません。私が拝見した限りでは、どちらかと言うと、王太子殿下が熱心に言い寄られている感じです」
「まだ、正式の婚約では無い?」
「そうです。しかしながら、王太子殿下はオリネロッテ様に夢中で、他の女性は目に入らない有様ですので、このままならお2人が婚約なされるのは、ほぼ確実かと」
つまり、オリネロッテ様はゆくゆくは王太子妃、それどころか王妃になる蓋然性が高いのか。
…………その展開、マズくないか?
国家の中枢を司る人間がことごとくオリネロッテ様を崇拝し、彼女の言いなりになる。そんな異様な状況が、早ければ数年後にはベスナーク王国に現出するかもしれない。
あの、旅館に侵入してきた少年。闇魔法の使い手。
彼は、『自分は、王子の命令を受けて動いている』といった発言をしていた。
王子とは……ベスナーク王国の王太子? その王太子は、オリネロッテ様の魅力に溺れている……。
いや。真偽不明の片言に惑わされちゃ、ダメだよね。
けれど……。オリネロッテ様は、父であるナルドット侯や婚約者候補である王太子を通して、今でもベスナーク王国へ大きな影響を与えうる立場を保持している……そう判断しても、良いだろう。
もちろん、ベスナーク王国の王宮には、優れた見識を持つ王侯貴族、学者、魔法使いなどが数多存在しているに違いない。だが、彼らとて、オリネロッテ様の蠱惑より逃れるのは難しいのではなかろうか?
実際にオリネロッテ様による魅了の唆しにしてやられた経験があるからこそ、危惧してしまう。
オリネロッテ様の一喜一憂に、右往左往するベスナーク王国。……危うい。
〝傾国〟という単語が、僕の脳裏に浮かぶ。
元来〝傾国・傾城〟とは、『君主が心を奪われて国を危うくするほどの美女』のことを指す。絶世の美少女であるオリネロッテ様に、相応しい称号ではある。
しかし、リアルに国を傾けられたら、洒落にならない。
傾国として名高い美女の1人に、西施が居る。中国の春秋時代を彩った伝説的女性だ。
呉国の王である夫差は西施の色香に溺れ、亡国の君主になった。だが、西施は呉国の宿敵たる越国のスパイであったとの言い伝えも残っている。
〝傾国〟は策略の道具でもあるのだ。
現在のベスナーク王国は、良く治まっているかに見える。
けれど、国が滅びるのは一瞬だ。
昨日までは安泰と信じていた国家が、今日瓦解している。
史実では、珍しくない。
ロシア革命の発端となったデモが当時の首都ペトログラードで始まったのが、1917年2月23日(ユリウス暦)。その前日までは、数々の問題を抱えつつもロシアの帝政が揺らぐとは、殆どの人は考えていなかった。ところがそれから10日も経たない3月3日に、約300年続いたロシアロマノフ王朝は崩壊するのである。
あまりにも呆気なく、まるで狐につままれたような終幕だ。
歴史の流れは時に激しくなり、希に滝となる。瀑布となれば、止めようが無い。滅亡一直線だ。
僕自身は、ベスナーク王国に何の思い入れも無い。でも、フィコマシー様はベスナーク王国の侯爵令嬢だ。加えてシエナさんは、フィコマシー様に忠誠を誓っている。
2人とも義理堅い性格なので、下手すると傾いていく国に殉じそうな気がする。
そんな事態は、断固として容認できない。
ナルドットで商売をしているマコルさんやバンヤルくんも、ベスナーク王国が混乱したら困るはずだ。
そして、ミーア。
猫族であるミーアは、一見ベスナーク王国とは関わりが無さそうだ。しかし、ミーアは獣人の森出身だ。
獣人の森は、ベスナーク王国と聖セルロドス皇国に挟まれた位置にある。
ベスナーク王国は現王メリアベス2世陛下の方針により、獣人に寛容な政策を採用している。
一方、聖セルロドス皇国は獣人を極めて差別的に扱う国家だ。国教であるセルロド教が、獣人を穢れた存在だと説き、皇国臣民がその教義を信じ込んでいるためである。
『皇国では、獣人は皆奴隷にされていますのニャ』と、猫族の村の長老が教えてくれたっけ。ダガルさんが『獣人の森へ、皇国から奴隷狩りがやってくるんニャ!』と忌々しそうに吐き捨てていた光景も、鮮明に記憶に残っている。
もしベスナーク王国の国力が弱まれば、その分だけ、獣人の森に対する聖セルロドス皇国の影響力が強まってしまう。
ダガルさん、リルカさん、チュシャーさん、長老。僕を歓迎してくれた猫族の村の皆。
犬族のムシャムさん。一緒に巨大白蛇と戦った猫族・犬族の狩人たち。
彼らの笑顔を思い出す。
……獣人の森全域を皇国の奴隷狩りが我が物顔で自在に横行する未来など、万が一にもあっちゃダメだ。
「……あ、あの、サブローさん? どうしました?」
黙り込んでしまった僕に、恐る恐るといった風にシエナさんが問いかけてきた。
「いえ。『オリネロッテ様の魅了の力を、このまま放置するのは良くないのではないか』と懸念してしまって……」
「私も、同感です」
シエナさんが、強く頷く。シエナさんからしてみれば、バイドグルド家内部におけるオリネロッテ様への優遇と、フィコマシー様への冷遇ぶりの格差に、我慢がならないのだろう。
更に、シエナさんは言い募る。
「サブローさんをも変調させた〝魅了の力〟なんですけど、オリネロッテ様は、意図して振りまいているのでしょうか?」
「待って、シエナ。私は、正直そうだとは……」
『思いたくない』とのセリフを呑み込むフィコマシー様。
シエナさんは、オリネロッテ様に不信を感じている。片や、フィコマシー様は実妹を疑いたくはないようだ。
「……早急に結論を出すのは難しいです。推定しうるパターンとしては、オリネロッテ様が自らの意思で周辺の人間を誘惑しているケース、オリネロッテ様が無意識のうちに魅了の力を四囲に及ぼしているケースなどが挙げられます」
「オリネロッテ様が、ご自身の引力を自覚しておられないと? あれほどの衝動を周りに抱かせているのに?」
シエナさんが、驚いたように尋ねてくる。
「ええ。取りわけ、オカしな話でも無いですよ」
僕は、地球の歴史舞台に登場した1人の女性を、オリネロッテ様を見ていて連想してしまった。
その人物の名は、メアリー・スチュアート。16世紀のスコットランド女王である。
スコットランド王家に生まれた彼女は、5歳の折に母の親戚を頼ってフランスへ渡り、15歳でフランスの王太子妃となった。利発な美少女に成長して、フランス宮廷の人気を一身に集めるメアリー。
時のフランス国王アンリ2世は『こんな完璧な子供は未だかつて見たことが無い』と感嘆し、ある作家は『晴れ渡った真昼の陽光の輝き』と讃え、別の詩人は『かような美を拝める機会は2度となかるべし』と呟いている。
〝フランスの白百合〟と呼ばれたメアリーは、男性だけで無く、女性からも愛された。
特にメアリーの幼馴染み兼侍女であった4人。奇しくもメアリーと同名であった〝4人のメアリー〟とは、固い絆で結ばれていた。
まさに、オリネロッテ様のように〝魅了の力〟を持っていたとしか解釈しようがないほどの、モテっぷりである。
しかし、彼女の周辺では次々と親しい男たちが変死を遂げる。
実父は彼女が産まれて僅か6日後に急死。舅のアンリ2世は事故死。夫の少年王フランソワ2世は16歳の若さで病死。
スコットランドに帰国した彼女はその後2度結婚するが、2番目の夫は殺害され、3番目の夫は10年間の牢獄生活の末に発狂死する。
血の供宴への参加者は、親族に止まらない。メアリーの女王時代を飾り立てるのは、彼女の魅力に誑かされて死の淵へと飛び込む男たちのオンパレードだ。
彼女に思慕を募らせた挙げ句に寝所に忍び入って首を刎ねられた〝女王の賛美者〟。「女王のために死ぬのです!」と叫びつつ処刑された貴族の若者。メアリーの寵愛を受けたイタリア人秘書は女王の眼前で襲撃者たちの剣により滅多刺しにされる……。
ではこのように男を次々と破滅へ追いこんだメアリーがどれほどの悪女かと言えば、本性は至極真面目で敬虔なカトリック教徒であった。
政治的には未熟さを多々指摘される彼女だが、異性に関する素行では、かなり厳しく己を律している。男をつまみ食いしほうだいだったロシアの女帝エカチェリーナ2世などとは、比較にもならない。
もしメアリー・スチュアートに〝魅了の力〟が備わっていたとしても、自覚的に彼女が使用した可能性は皆無なはず。メアリーは男女関係に律儀なだけでなく、流血を嫌ったことでも有名なのである。
僕は、推察する。
ひょっとしたら、オリネロッテ様もメアリー・スチュアートと同じなのかも。
本人の望まないところで〝魅了の力〟が勝手に発動し、周りの人間が一方的に懸想しているとしたら?
僕も、知らず知らずの間に真美探知機能を稼働させちゃってたりするしな……。
能力を〝持っている〟ことと、〝操れる〟ことは別問題。
自身が、保有しているスキルに気付いていないケースもあり得る。
結局、〝メアリーの魅力〟は、女王たる彼女に悲劇しかもたらさなかった。
ちなみに世界史の教科書に必ず載っているイングランド女王エリザベス1世は、メアリー・スチュアートの9歳年上だ。2人は従姉妹であり、ライバル関係でもあった。
書簡のやり取りの中で、メアリーはエリザベスを『愛する姉上』、エリザベスはメアリーを『愛する妹』などと呼んでいる。
生涯でついに1度も直に会うことは無かった両人だが、互いを相当に意識していたのは間違いない。
エリザベスは、イングランドを訪問したスコットランド大使へ向かって次のような質問をしているのだ。
「私とメアリー、どっちが美しい?」
……いや、本当にそうエリザベスが訊いてきたと、大使の回想録に書いてあるんだって!
大使の答弁は絶妙であった。
「イングランドではイングランドの女王が、スコットランドではスコットランドの女王が、1番美しいです」
素晴らしい!!! 満点だ! 僕も見習おう。
例えばA子さん(仮名)より「私とB美(仮名)、どっちがキレイ?」と尋ねられたら、こう回答するのだ。
「A子さんの世界ではA子さんが最もキレイで、B美さんの世界ではB美さんが最もキレイです」
完璧だ! なんかA子さんとB美さん両人から、袋叩きにされそうな予感がするけど、多分完璧だ。
ところで我らがエリザベス女王はスコットランド大使になんとか「エリザベス女王陛下のほうが、メアリー女王より上」と言わせたかったらしい。様々な問いを重ねる。
だが、相手は百戦錬磨の外交官。のらりくらりと追求を躱し、エリザベスの望む返答を与えない。
ついに、エリザベスは奥の手を出す。
「私とメアリー、どちらの背が高い?」
メアリー・スチュアートは、女性ながら、かなり高身長であったと伝えられている。ただ〝大柄な体格〟といった感じでは無く、足が長くてスラリとしているモデル体型だったようだ。
〝背の高い低い〟は、機知で誤魔化しようが無い。
大使は素直に述べた。
「それは、メアリー様のほうが……」
すると、『待ってました』とばかりエリザベスは捲し立てた。
「へぇ~、そ~なんだ~。メアリーちゃん、可哀そう。私の背の高さって、女性の平均なのよね。その私より、背が高いんだ~。それって、メアリーちゃんはちょっとノッポすぎないかな~。同情しちゃうな~」
時に、イングランド女王エリザベス1世は31歳。大人げないにも、程がある。
この逸話は、賢明な政治家として知られているエリザベスのお茶目な面を露わにしてくれて面白い。
しかし、考えてみれば、オリネロッテ様がメアリー女王に近いタイプであるように、フィコマシー様もエリザベス女王に似ていなくもない。
聡明で鋭敏、受け答えが優等生的で、けれど子供っぽいところもある。あと、妹(従姉妹)と比べて、お洒落のセンスがイマイチ。
エリザベス女王とメアリー女王。
フィコマシー様とオリネロッテ様。
2人の女王。
2人の少女。
才智の姉と美貌の妹。
卓越した姉妹。
数奇な姉妹
因果の姉妹。
血塗られた姉妹。
…………なんだ? この不吉な感覚は?
そう言えば、〝エリザベスとメアリーの結末〟は、どうなった?
……故国スコットランドを追われたメアリーは、イングランドのエリザベスのもとへ逃げ込み、やがて非業の死を遂げる。
運命のイタズラか、2人の女王の人生は、あまりにも波乱に満ちていた。
エリザベスは、自らの手でメアリーへの死刑宣告書にサインせざるを得ない状勢に追いこまれる。断頭台に跪くことになるメアリーだけでなく、メアリーを処刑したエリザベスにとっても、これは不本意な首尾だった。『従姉妹殺し』『女王殺し』の汚名に塗れた上に、カトリック諸国の非難を浴び、スペイン無敵艦隊来襲という祖国存亡の危機を招いてしまうのである。
オリネロッテ様によってフィコマシー様が追い詰められる成り行きなど、決して許せない。けれども逆に、フィコマシー様がオリネロッテ様を害する将来もあってはならない。
流血の明日は、阻止してみせる。
2人は、姉妹なのだ。
オリネロッテ様の〝魅了の力〟に関する謎を解き、フィコマシー様をこの苦境から救い出す!
僕は、そう決意を固めた。
歴史ネタが多い……。
エリザベス女王の言動については史実に基づいていますが、作者の脚色もかなり混じっています。




