ブルー先生の勉学特訓
レッドによる『体力の特訓』の結果、僕は使い古された濡れ雑巾のようになってしまった。
腕立てやら背筋やら上下の屈伸運動やら、あらゆる方法で身体をイジめまくった挙げ句、とどめはウサギ跳びグラウンド100周である。
『ウサギ跳びは身体に良くない』とのスポーツ科学の研究報告は、未だ地獄には届いていないらしい。
「取りあえず、今回はここまでだ。あんまり待たせると、ブルーの機嫌が悪くなるからな。次回はもっとハードにするので、楽しみにしていろ」
レッドはそう言って、ヨレヨレ状態の僕を肩に担ぎあげた。
しばらくボロ布を運んで、どこかの室内へ放り込む。
「良く来ましたね。サブロー」
涼やかな声がする。
床に転がりつつノロノロ顔を上げると、ブルーが教壇のような所に立っていた。ブルーの背後には黒板がある。
あと、何故かブルーは眼鏡を掛けていた。
あれ? 5人の鬼が揃っていたときは、眼鏡なんか掛けていなかったよね?
目が悪いのか、それともキャラ付けのつもりなのか。
ブルーは語り口も紳士的だし、眼鏡を掛ければインテリイメージがアップするとの考えがあるのかもしれない。でもそれなら、眼鏡を掛ける前に、腰巻き一丁の半裸姿をどうにかするべきだと思う。
現在のままじゃ、良くてインテリ・バーバリアンだ。
ブルーは未だに身体を起こす気力が湧かない僕をヒョイと持ち上げて、教壇の前にただ1つある机とセットになった椅子に座らせてくれた。
僕の中のブルーへの好感度が1ポイントアップする。現在のところ、レッドの好感度はマイナス100ポイントだ。
ちなみに好感度がプラス100ポイントに達すると、その相手にデレる予定となっている。対象が男の場合、50ポイントが上限の安心設計デレメーターを僕は装備しているのだ。
対象が女の子なら、ポイントアップが2倍になる期間限定サービスもあるよ!
「自分が貴方に施すのは『勉学の特訓』です」
ブルーが眼鏡をスチャッと掛け直しながら、僕に教えてくれる。
勉学か……。体力特訓よりはマシかもしれない。
こう見えて、僕はテスト前の一夜漬けに関してはベテランだった。
しかし、どうして一夜漬けに必死こいてる最中に息抜きのために読む漫画って、あんなに面白いんだろう? ついついあと数ページと思いつつ漫画に没頭し、気が付いたら部屋へ朝日が差し込んでいる瞬間に覚える恐怖感は、心霊写真を見た際の比じゃないよね。
それにしても地獄に来てまで勉強とは……やる気を急降下させながら、ブルーに質問する。
「何を勉強するんですか?」
「サブロー、貴方は異世界のウェステニラへ行くことを希望しているんですよね? では、ウェステニラについて勉強しましょうか」
僕のやる気は急速回復する。
「ウェステニラへ赴くとして、貴方が最初に学ばなくてはならない事柄は何だと思いますか?」
「ウェステニラの地理とか歴史とかですかね?」
「違います。正解は、言葉と文字です。特に言葉が分からなければ、ハッキリ言って生きていけませんよ」
ブルーが厳しく指摘する。正論だ。
でもなぁ……何だかなぁ……。
「サブロー、何やら不満そうですね」
「異世界転移したら、なんでだか良く知らないけど、現地の人たちと言葉が通じるのがデフォだと思っていたので」
「自動翻訳というヤツですね。ウェステニラに魔法は存在しますが、どちらかと言うと物理系統に偏っています。言語を自動変換するような魔法はありませんよ」
「翻訳道具とかありませんか?」
「お腹にポケットが付いた猫型ロボットがウェステニラに居れば、プレゼントしてくれるかもしれません」
ブルーはウェステニラと現代日本、どちらの事情にも詳しいらしい。
ウェステニラへ行った途端、路頭に迷うのはゴメンだ。僕は真面目に『勉学の特訓』を受けることにする。
「ウェステニラには人間が治める5つの大国と無数の小国がありますが、人間の話す言語は、どの国でも同じです」
ブルーの教えに、少しホッとする。地球みたいに国によって話す言葉が違っていたら何かと大変そうだと考えていたためだ。
例えば日本語を一生懸命覚えた異世界人が、インドとパキスタンの国境に転移してきたらどうなるだろう? せっかく習得した日本語を活かせる機会なんて、殆ど無いに違いない。
……ん? ブルーの発言の中に気になる表現があるね。
「あの、〝人間が〟治める国ってことは……」
「そうです。ウェステニラには人間の他に、エルフ族・ドワーフ族・魔族・獣人族など様々な種族が存在しています」
ヤッタ――! これぞ、まさしくファンタジー。ありがとう、ウェステニラ!
僕は一刻も早くウェステニラへ行きたくて堪らなくなった。この目でエルフやドワーフ、獣人を見てみたい。
「やる気が出てきたようで何よりです。では、早速ウェステニラの人間語を勉強しましょう」
「ハイ、先生!」
「いきなり先生呼びですか……。サブローはホントに現金ですね」
「それが取り柄なので」
「褒めている訳では無いのですが……。人間語の後にはエルフ語、ドワーフ語、魔族語、獣人語と主要な言語を覚えていってもらいます。ああ、獣人は猫族、犬族、兎族、馬族、猪族その他と、各々の部族によっても言葉が違いますけど、全てマスターしてもらいますので悪しからず」
ブルー先生の宣告を受け、硬直する。
え? 種族ごとに言語が違う? 特に、獣人は犬と猫と兎じゃ言葉が通じないの? 生前は英語という1つの外国語すらろくに覚えられなかった僕に、先生は何を期待しているの?
ブルー先生の肌色に負けないくらい青ざめている僕へ、先生が言う。
「ま、ウェステニラでは人間語が共通語とされていますから、人間と敵対関係にある魔族以外の種族には人間語が浸透していますがね」
ウェステニラにおける人間語は、地球における英語みたいなもんか。
「だったら、覚えるのは人間語だけで良いんじゃ……」
「ダメです。人間語を知っているのは各種族でも上層階級に属する者か、日頃より人間と交流のある者たちだけです。下層民や人間と接触のない者たちは、自分たちの言語しか話せません。それにそれぞれの種族の言語で語りかければ、相手も無用な警戒をせずに好意的に接してくれますよ」
「けど……」
口籠もる僕に、先生は顔を厳しくする。
「忘れていませんか? サブロー。ここは『特訓地獄』です。勉強内容の省略は許されません」
眼鏡を掛けようと、鬼は鬼だ! ブルー先生の本質も、結局は脳筋なのだ。
この似非インテリ、えせ紳士、えせ眼鏡ボーイめ! 好感度をマイナス30ポイントにしてやる!
ブルー先生の特訓によって、僕はウェステニラの言語を頭の中に叩き込まれた。
各種族ごとの言語を、まとめてだ。1つの言語をマスターしてから次の言語へ移るような勉強法は、先生に言わせれば『甘っちょろい、やり方』らしい。
「それではサブロー。ウェステニラの各種族ごとの言語で、『ここはどこですか?』と述べてみてください」
容赦なき詰め込みスタディーの結果、僕の脳内はパンク寸前だ。でも、各種族の言語の特徴は覚えた。
見てろよ、先生。テスト前の一夜漬けで鍛え上げた、僕の暗記能力を見せつけてやる!
「まず、人間語」
『ここはどこですか(人間語)?』
「よし、続いてエルフ語」
『ここはどこですか(エルフ語)?』
「正解! ドワーフ語」
『ここはどこですか(ドワーフ語)?』
「やりますね、サブロー。加えて、魔族語」
魔族語は、けっこう難解なんだよね。
うろ覚えなんだけど……ええぃ、ままよ!
『ここはどこなんじゃろかい(魔族語)?』
「う~ん。イントネーションとニュアンスが、かなりオカしいですね。魔族にその言葉で話しかけたら、即座にぶち殺されそうですが、まぁ良いでしょう」
良くないよ!
「更に、獣人語を代表的な猫族・犬族・兎族・馬族・猪族の順で喋ってみてください。これは難しいですよ。各部族の言語の特色を、正確に理解している必要があります。ではサブロー、どうぞ」
よ~し、猫・犬・兎・馬・猪の順だな。一気にいくぞ!
『ここはどこですかニャン。
ここはどこですかワン。
ここはどこですかピョン。
ここはどこですかヒン。
ここはどこですかボア(獣人語)』
「全て正解です! 素晴らしい!!! サブローは凄いです。貴方は、語学の天才かもしれません!」
先生が僕を絶賛する。
「あの~、ブルー先生」
「何ですか?」
「獣人語の各部族ごとの違いは、語尾だけのような気がするんですが?」
「気のせいです」
気のせいのようだ。
一家に一台欲しい猫型ロボット。