マコルの心の底
シエナ視点です。……マコル視点は、ありません。
♢
壁際のマコルへ、にじり寄るサブロー。
「マコルさん。安心してください。ちっとも痛くありませんので。それどころか、僕にその身を委ねてくだされば、ノリノリ爽快・元気ハツラツ・『徹夜しても、へっちゃらだ!』みたいな気分になれますよ」
サブローが、訳の分からないことを言っている。
10代半ばの少年が40代の中年男性に迫る光景は、異様で異常で違和感ありまくりだ。
シエナは、何をどうしたら良いのか分からずに呆然と成り行きを見守るしかなかった。
状況を強要している人間が逆――マコルがサブローに詰め寄っているのなら、事態への対処は簡単だったろう。
マコルを犯罪者として取り押さえて、屋敷の外へポイしてしまえば良い。
しかし、現在のところ、どう見ても無理強いしているのはサブローのほうである。
冷や汗を垂らしながら必死に抵抗をつづけるマコルへ向かって、サブローが質問を投げかける。
「マコルさんは、オリネロッテ様を見て、どう思われました?」
ミーアにつづいてマコルへ向かっても、サブローはオリネロッテの印象を尋ねている。
サブローの意図が掴めず、シエナは首を傾げた。
「オリネロッテ様……」
年齢に似合わない、夢見る少年のような瞳になるマコル。
「一介の商人である私が言及するのも烏滸がましいですが、本当にお美しい方です。同室を許されただけで、光栄のあまり、この身が震えてしまいましたよ。あれほど魅力的な女性が、この世界に居られたなんて、未だに信じられません」
「魅力的ですか……それは、愛する奥様よりも?」
「ムッ!」
サブローのぶしつけな問いかけを受けて、マコルは眉間にしわを寄せた。
「……愛しているのは、紛うことなく、妻です。さりながら、魅力という観点でオリネロッテ様と引き比べると、さすがに……。オリネロッテ様の輝きは他の追随を許しませんのでね。あの方の素晴らしさに関しては、サブローくんも身に染みて分かっているはずです。オリネロッテ様に、君もお目に掛かったのですから」
言い諭すマコルへ、サブローはゆっくりと首を横へ振ってみせた。
「マコルさん。ご自分の心を覗かれるなら、奥底までキチンと目を凝らしてください。本心より『オリネロッテ様を超える魅力的な存在は、他には無い』と、貴方は自信を持って宣言できるのですか?」
「無論です。この確信は、揺るぎません」
胸をそらせて誇らしげに言い切るマコル。彼の心のうちに築かれた〝オリネロッテ崇拝城〟を崩すのは、容易なことではなさそうだ。
どうやらサブローは、マコルが抱えているオリネロッテへの盲信を解こうとしているらしい。
(無理よ、サブローさん)
シエナは、諦めの溜息を心中で吐いた。
オリネロッテに出会った者は、例外なく彼女の虜となり、彼女を〝唯一無二の対象〟として信仰してしまう。フィコマシーとシエナの周りに居た人々は、残らずオリネロッテの信奉者になってしまった。
オリネロッテは、あらゆる人間を魅了する、まさしく〝奇跡の少女〟なのだ。
確かにサブローとミーアは〝こちら側〟へ戻ってきてくれた。
しかし、それは〝サブローとミーアだからこそ〟実現した天佑だと、シエナは思うのだ。
シエナに言わせれば、サブローはある意味〝超人〟であり、ミーアは〝そんなサブローの掛け替えのない随伴者〟だ。2人は、破格なのである。対してマコルは優れた商人で立派な大人だが、あくまで普通の人間だ。
サブローが如何なる手立てを施そうと、一度ハマった〝オリネロッテ信仰〟の沼からマコルが抜け出せるとは、シエナには到底考えられない。
「なるほど。マコルさんにとって、オリネロッテ様は、それほどまでに〝魅力的な存在〟なんですね」
サブローが重々しく頷く。
「〝存在〟などという物言いは不敬ですが、オリネロッテ様の神々しさに、年甲斐もなく私が打たれてしまったのは、否むべからざる事実ですよ」
マコルの中に造られた〝オリネロッテ崇拝城〟は、まさに鉄壁の要塞だ。
深い堀と高い城壁。守りは盤石にして、難攻不落。
「ふ~む。ならば、マコルさんに質問します。オリネロッテ様は、ミーアよりも魅力的なのですか?」
「え!!!」
一瞬で、堀が埋められた。
「ミーアちゃんとオリネロッテ様……」
「どうなんです? マコルさん。ミーアとオリネロッテ様、貴方の目に魅力的に映るのはどちらなんですか?」
「むむむ。オリネロッテ様は、麗しくも尊い侯爵令嬢。けれど、けれど、ミーアちゃんの可愛さを前にすれば、さしものオリネロッテ様でも……」
アッと言う間に、城壁が崩された。
(あれ? え? どういうことなの? つまり、マコルさんからしてみれば、ミーアちゃんはオリネロッテ様以上に魅力的な存在ってこと?)
シエナは、戸惑う。
ミーアはとても愛らしいが、詮ずれば猫族の平民少女に過ぎない。一方のオリネロッテは、高貴な身分の美少女。両者の立ち位置は懸絶している。
本来、比較の俎上に載ることなどあり得ない。通常の人間ならば、秤に掛ける時間さえ惜しむだろう。
……通常の人間ならば。
純真なシエナが、理解できないのも当然だ。ケモナーが持つ〝業の深さ〟は、ノーマル少女(?)の想像の域を大幅に超えるのだ。
懊悩するマコルの心理に共感できるのは、既に手遅れの人間だけである。
「さあ! マコルさん。答えてください!」
手遅れの少年が、手遅れの中年を責め立てる。
「心の深奥に眠る真実より、目を背けてはなりません!」
「おおおおお!」
城攻めが佳境だ。
「ダ、ダメだ。私は己の心を偽れない! ミーアちゃんの瞳、ミーアちゃんの耳、ミーアちゃんの尻尾、ミーアちゃんの毛並み。無邪気な気立てと天真爛漫な振る舞い。私にとっては、オリネロッテ様よりミーアちゃんのほうがはるかに魅力的だ」
マコルが苦悶の表情を浮かべ、ついに自供した。
落城である。
〝ケモナー〟という急所を突かれた城は、脆かった。全然、鉄壁でも難攻でも不落でも無かった。
「それで良いのです! マコルさん。貴方は、何も間違っちゃいない!」
マコルを称賛しつつ、サブローはガバッと躊躇なく彼を抱きしめた。胸を合わせ、自身の左頬をマコルの左頬にくっつける。
更に「《破邪顕正》」と呟く、サブロー。
サブローの身体から、〝何か〟がマコルの肉体へと流れ込んだ。
「あだあだあだ」
少年の腕の中で、中年の身体が打ち震える。
凄惨な情景であった。
(あぴゃー!!!)
シエナは、堪らず両の掌で顔を覆ってしまった。
(とても、見ていられないわ!)と戦慄しつつ、指の間隔を少し開き、ガン見するメイド。
(ミーアちゃんに続いてマコルさんにまで抱きつくなんて。サブローさんってシャイな性格なのに、行動はチョットだけ大胆ね。けど、少しばかり許容範囲が広すぎない? 私がギリギリ許せる範囲は『バンヤルさんとムニャムニャ』までなんだけどな。モナムさんで、アウト。マコルさんは、問題外だわ)
サブローの〝ムニャムニャ相手〟を勝手に決めるシエナ。
シエナに許可されても、バンヤルは困るだけだろう。あと、シエナはモナムとマコルに謝るべきだ。〝アウト〟とか〝問題外〟とか、言い過ぎである。
付け加えるなら、中年男性を逡巡なく抱擁できる少年は、最早シャイでも何でも無い。
ふらつくマコルを、サブローはソッと壁に、もたれさせ掛けた。
続けて
「大丈夫ですか? マコルさん」
「ああ、ありがとう。サブローくん。おかげで頭の中がスッキリしたよ。ただ1つ確認しておきたいのだが、君は性差を超えて人を愛せるタイプなのかね? もしそうなら、今後どのように付き合っていくか、君と時間を掛けて検討し合わなければならない」
「いえ。僕の〝無償の愛〟は性別・種族を超えますけど、〝欲望の愛〟は女性限定です」
といった会話を2人は交わす。
マコルとの直談を終え、サブローはシエナへと視線を向けた。
(あ! ひょっとして、いよいよ私の番なの? し、心配しないで、サブローさん。私、心の準備はもう出来てます。さぁ、早く『シエナさん、僕とオリネロッテ様のどちらが好きですか?』と訊いてください。速攻で、返事しますから)
シエナへと歩み寄ってくるサブロー。
(わ! わ! わ! サブローさんが近付いてくる。このまま私も、ミーアちゃんみたいに、サブローさんに『僕のほうを選んでくれ』と迫られて、抱きしめられて、何だか良く分かんないモノを流し込まれて、ピコンピコンと痙攣させられちゃうのかしら。恥ずかしすぎる! 天国のお父さん、お母さん。シエナは、今晩いよいよ大人の階段を上ります)
モジモジしつつ、サブローを待つシエナ。
現在の局面でサブローに抱きしめられると言うことの意味を、シエナは分かっているのだろうか?
十中八九、シエナは分かっていない。これまでのところ、サブローはミーアだけでなく、マコルをもガッツリひん抱いている。
ミーアはともかく、扱いがマコルと同じになってしまっても、シエナはそれで満足なのか? サブローのホッペタは、つい先程マコルの頬に密着したばかりなのだが。
けれど、シエナは特に気にしていないようである。実は、今し方のおぞましい男2人の様態について、シエナは自身の心と身体の健康のために、脳内から一時的に消去してしまっていた。
都合良すぎる思考回路である。
シエナの前で、ピタリと足を止めるサブロー。彼の面差しは凜々しく、シエナの胸は高鳴る。
「シエナさん」
「はい、何でしょう? サブローさん」
(サブローさん! 気兼ねは無しですよ!)
すまし顔のまま、心の中では期待度マックスなメイド。17歳。
そんなシエナの様子を頼もしげに眺めて、サブローは穏やかに語りかける。
「では、今後の計画について話し合いましょう」
(あれれ、それだけ? サブローさん、遠慮しなくて良いんですよ~。自粛も斟酌も忖度も、要りませんよ~)
「シエナさんは、いつもシッカリしていますね。尊敬します。僕も見習わなくちゃ」
サブローの言葉を嬉しく感じながらも、〝尊敬〟以外のサブローの気持ちも欲しいと思ってしまうシエナであった。
次回から、サブロー視点へ戻ります。




