サブローの来訪と奇行
シエナ視点です
♢
「サブローです。お話があって来ました。開けていただけませんか?」
扉の向こう側より、サブローの声が響いてきた。
シエナの胸が熱くなる。衝撃のあまり、心臓を鷲づかみにされたような気分になった。
オリネロッテが現れて以降、サブローがシエナに話しかけてくれたのは、これが初めてなのだ。
もっとも、扉の外に居るサブローからはシエナの姿は見えていないため、サブロー自身は声を掛けた相手が誰であるか、分かってはいないだろうが。
サブローの一言を耳にしただけで体温が急上昇し、目から涙が零れそうになっている自分に、シエナは驚く。
(私、こんなにサブローさんのことを意識していたの? 好きになっていたの?)
出会って、まだ3日しか経っていないのに。
我ながら、自分の心境変化が急激すぎて信じられない。
シエナは、すぐさま扉を開けてサブローを室内に招き入れたくなった。けれども、衝動をグッと堪える。
確かに、サブローはフィコマシーとシエナが滞在する部屋を訪ねてきてくれた。
でも、その理由に思い当たる節が無い。つい先程まで、サブローは露骨なまでにオリネロッテに媚びを売り、フィコマシーとシエナを軽んじていたのだ。
どうして、突然心変わりしたのだろうか?
サブローが、何を考えているのか不透明だ。
加えて、扉一枚隔てて聞こえてくるサブローの口調が気になる。言葉遣いこそ丁寧だが、語勢に感情が籠もっておらず、素っ気ない。
それは、シエナが大好きだった、従来の優しいサブローの声色では無かった。
誰が味方で、誰が敵か、未だ情勢は判然としていない。いくら来訪者がサブローであっても、安易に扉を開けてしまっては……。
逡巡するシエナに、フィコマシーが指示を出す。
「シエナ。扉を開けて差し上げて」
「お嬢様。しかし――」
「……相手は、サブローさんです。幾度も身を挺して私たちを守ってくださった、サブローさんなのです。ここは、サブローさんを信じましょう」
(やはり、お嬢様の心はお強い)
フィコマシーの主張に、シエナは改めて感じ入る。
フィコマシーを応援し、守ることこそ自分の役目だと、シエナは思って励んできた。
けれどギリギリの場面で常に踏みとどまり、シエナを支え返してくれるのは、フィコマシーのほうだった。
――そう。フィコマシーは、未だ希望を失っていない。
最悪の結末を、覚悟はしている。だが『残酷なお伽話』の筋書きをただ黙って受け入れるほど、バイドグルド家の長女は意気地なしでは無いのだ。
ついさっきシエナに自分から離れるように告げたのは、あくまで彼女の身を慮ってのこと。
シエナを安全圏に置いた上で、山積みする問題に1人で対処しようと考えたに違いない。それが、どれ程に困難な道であろうとも――
(お嬢様……貴女は、なんて……)
シエナは、フィコマシーを見つめる。
誰よりも大切な己が主へ向かい、ゆっくりと頷く。そして、ソロソロと扉に近付き、ガチャリと開いた。
そこに、サブローが居た。
シエナは歓喜と落胆、2つの感覚を同時に味わう。
サブローの姿を間近で目に出来て心が弾む一方、相変わらず冷ややかなままの彼の目線に失意を覚える。
サブローの瞳に、シエナの存在はキチンと映っているのだろうか? それさえ、明瞭では無い。
扉を開けたシエナへ僅かに頭を下げるや、サブローはサッサと室内に押し入ってきた。
仮にも侯爵令嬢の私室に足を踏み入れているにもかかわらず、遠慮する気配は皆無。その厚かましさは、やはり普段のサブローらしく無かった。
(オリネロッテ様と対面して、サブローさんは変わってしまった。悪い方向へ。フィコマシーお嬢様への言動を抜きにしても)
シエナは、痛感する。
意外なことに、サブローに続いてミーアとマコルも部屋の中に入ってくる。
「ミーアちゃん、マコルさん……」
我知らず呟くシエナに、ミーアは「メイドさんニャ」と一応挨拶をしてくれた。マコルもシエナに向かって軽く一礼をする。
しかし、2人とも椅子に腰掛けているフィコマシーには目もくれない。
『サブロー。ニャンで、こんな所にアタシとマコルさんを連れてきたニョ? アタシ、もっとオリネロッテ様と、お話がしたかったニャン』
「そうですよ、サブローくん。オリネロッテ様が居られる書斎へ、戻りましょう」
口々にサブローへ訴える、ミーアとマコル。
どうやら、サブローはミーアとマコルを無理矢理にフィコマシーの私室へと引っ張ってきたようだ。
サブローは、そんなミーアとマコルを何故か怪訝な表情で見返した。
ミーアへ向けられているサブローの視線はさすがに穏やかだが、それでも何事かを懸念しているのか、眉をひそめている。
マコルに対するサブローの目つきは、もっと険悪だ。あたかも、正体不明の何者かを観察するかの如き鋭さになっている。
ミーアとマコルの口吻や態度を吟味し終えたサブローは、軽く頭を揺らした。
(イヤなモノを、頭の中から振り落とそうとしているみたい)
シエナがサブローの所作を分析していると、続けざまにサブローは突拍子も無い行動に出た。
いきなり右の掌で、自分の頬をかなり強めに平手打ちしたのだ。
パンッと、室内に鳴り渡る打撃音。
『サブロー!』
「サブローくん、いったい何を?」
ミーアとマコルが、サブローの奇行に驚く。もちろん、シエナもビックリした。
(え? どうしちゃったの、サブローさん)
「……あの、大丈夫ですか?」
サブローを気遣うシエナ。
1歩だけ近付いてきたシエナを、サブローは正面から見据える。
シエナはドキッとした。彼女を見るサブローの瞳に、やや光が戻っているように感じられたからだ。
「シエナさん」
「ハ、ハイ!」
(サ、サブローさんが、わ、私、私の名前を)
サブローは、ただ『シエナさん』と語りかけてきただけ。その単純な行為が、こんなにも嬉しい。
「……シエナ……さん」
サブローが王族の尊名を口にするかのような慎重さで、シエナの名前をもう一度繰り返す。
更に、ゆっくりとフィコマシーの居る方向へ顔を向けた。
フィコマシーが、椅子に腰掛けたまま微かに身じろぎする。
シエナには、フィコマシーが極度に緊張していることが分かった。
サブローは盛んに瞬きをし、忙しく呼吸を反復させる。夢を見ているようにボンヤリしたり、やけに焦ったりと、顔つきを次々と変化させた。
少年が何かに苦悶していることだけは、確実だった。
(サブローさん……落としてしまったパズルのピースを探している、子供のようだわ)
シエナにはサブローが、そう見える。
部屋の中に居る人々は、サブローのオカしな振る舞いをひたすら傍観するしか無かった。
息が詰まるような時間が経過する。
ついにサブローの口から『フィコマシー』という名が発せられることは無かった。フィコマシーはガッカリしたみたいだが、ある程度は覚悟していたのか、さほど落ち込んだ様子は見られない。
サブローが部屋に現れて以来、フィコマシーは彼女本来の気丈さを少しずつではあるが取り戻し、それを表面に出し始めていた。
(むしろ、サブローさんのほうが、お嬢様の名前を口に出来ないご自分に失望しているような……)
不自然極まりない素行を繰り替えす自己を省みているのか、サブローの顔は恥辱と罪悪感に彩られている。
シエナは、『貴方は、何も悪くはありませんよ』と無性にサブローを慰めたくなった。
事実、サブローはフィコマシーやシエナに対して殊更何か酷い行いをした訳ではない。オリネロッテにベッタリとなったあとも、サブローはフィコマシーやシエナへ悪口を言ったり実害を与えたりは決してしなかった。
サブローに構ってもらえなくなったフィコマシーとシエナが、勝手に傷ついただけとも言える。
フィコマシーの名を口にするのを一旦諦めたらしいサブローは、謎めいた動作を開始する。ソロソロとした用心深い足取りで歩を進めつつ、フィコマシーの私室をグルリと一周したのだ。
しばしば立ち止まり、壁をコンコンと叩いてみたりするサブロー。
侯爵令嬢の部屋を許可も得ずに傍若無人に動き回る、16歳の少年。
フィコマシーが黙認しているから良いものの、常識に沿えば、無礼者として取り押さえられても文句は言えないだろう。
奇怪至極なサブローの振る舞いを、マコルと3人の少女は唖然としつつ見ていることしか出来なかった。
部屋の内側を回り終えたサブローは、今度は間取りの中央に来て、突っ立った。次いで、右手を挙げて空中に軽く円を描く。
サブローの手の動きに呼応するかの如く、爽やかな涼風が室内を吹き抜ける。
心地良い風は、シエナの身に纏いついて離れなかった悪寒をキレイに拭い去ってくれた。
「サ、サブローさん?」
サブローが何をしたのかは全く分からない。分からないが、それは決して悪い行いでは無い。シエナは、確信した。現に、彼女の心はこんなにも軽くなっている。
さながら、魂を洗濯してもらったような心持ちだ。
シエナは、フィコマシーと自分が如何に視野狭窄に陥っていたのかを、今になってようやく悟った。
寸刻前まで、シエナは〝お嬢様とともに破滅するしかない〟――そう思い込んでいた。
フィコマシーは、〝シエナを手放し、独りぼっちになるのが最善だ〟――そんな回答を出していたに違いない。
フィコマシーとシエナは2人きりで居る時期が長すぎて、気付かぬうちに、お互いを雁字搦めにしていた。
フィコマシーの右手をシエナの左手が、シエナの右手をフィコマシーの左手がシッカリ掴んでしまっているが為に、他の人間が2人の仲に入り込む隙間が無くなっていたのである。
フィコマシーとシエナが、手と手を強く握りしめ合うのは差し支えない。
けれど、握手は片手だけに留めるべきだったのだ。2人とも、片方の手は空けておかなくてはならなかった。
もしも助け人が現れた際に、すぐに手を伸ばせるように。
シエナは、己に言い聞かせる。
お嬢様が諦める前に、自分が諦めちゃダメだ。
絶望するには、まだ早い。
足掻くんだ。
救いの手を、希望の種を頑張って探し出すんだ。最初から否定してちゃ、見付けられない。
物語に登場する皆が幸せになれるお伽話だって、世界の何処かにきっとあるはず――――
(まず、サブローさんとの関係を修復する努力をしなければ)
シエナは、サブローに感謝の言葉を述べようとした。しかし口を開く前に、彼女は反射的に耳を押さえてしまう。
キンッと、耳鳴りがしたのだ。
部屋内部の装飾で、特に変わった箇所は無い。けれども、明らかに空気は異なるモノに入れ換えられていた。
いつの間にか風が止んだ室内には、透明で不可解な緊迫感がみなぎっている。
これも、サブローの仕業なのだろうか?
シエナだけでは無い。フィコマシーやミーア、マコルもまごついている。
「シエナさん。分厚い布を……そうですね、可能ならば毛布のような物を頂きたいんですが」
「ハ? え、サブローさん、何を言ってるんですか?」
「お願いします。汚れると思うので、捨てても構わない品だと有り難いんですけど」
「汚れるって……サブローさんは、その布を何に使うつもりなのですか?」
「…………」
シエナの質問に、サブローは曖昧な顔をしたまま答えようとしない。
シエナには、サブローの意図がサッパリ理解できない。
深々と頭を下げて頼んでくるサブローへの対応に困り、シエナはフィコマシーのほうを振り向く。
フィコマシーは若干考え込み、冷静な声でシエナに通達する。
「シエナ、サブローさんの要望を聞いて差し上げて」
シエナはやむを得ず、白いタオルなど数枚の布地を収納棚より取りだし、サブローへ手渡した。
シエナへ礼を述べたサブローは、そのまま部屋の中央付近に備え付けてあるテーブルの側へ移動し、卓上に複数の布切れを丁寧な手つきで重ね敷きしていく。
「本当はもう少し厚みが欲しかったんだが……まぁ、これで良いか」
自身を納得させるように呟いたサブローは、再びシエナに注文してきた。
「シエナさん。図々しいお願いをもう1つだけ、宜しいでしょうか」
「……何でしょう?」
「シエナさんは、メイド服の下に暗器を隠し持っていますよね。それを貸していただけませんか?」
「ええ!?」
シエナは、仰天する。
シエナは馬車の中でリアノンと揉めた際、巨大な縫い針をチラつかせるという軽挙をヤッってしまっていた。なので、シエナが暗器使いであることをサブローが知っていても別に不思議では無い。
しかし、今のこの状況下でサブローがシエナへ暗器の貸与を求めてくるなど、あまりにも予想外だ。
「サブローさん。私が暗器をお渡ししたとして、いったい何に使うおつもりなんですか?」
シエナの問いかけに、サブローは沈黙を貫く。
「使用目的を教えてくださらない限りは、お貸しできません」
シエナは、サブローへ告げる。
オリネロッテと邂逅する前のサブローになら、シエナは2つ返事で暗器を渡していたに違いない。その頃のシエナは、サブローに対して絶大な信頼を寄せていたのだから。
だが、現在は事情が異なる。
シエナには、サブローが何を考え、何を目的に動いているのか、皆目見当が付かないのだ。
(そうだわ。サブローさんは、現状、武器を1つも所有していない。〝ククリ〟という銘の愛刀は、入館の時に屋敷の者に預けてしまっている)
かつてシエナは、女剣士やスナザから武芸を徹底的に仕込まれた。鍛錬の甲斐あって、彼女はメイドとしてはあり得ないほどの武術の腕前を持っている。
けれど、サブローとは比較にならない。
異邦の少年は、メイドの少女より圧倒的に強い。
サブローが本気になれば、シエナなど瞬殺されてしまうだろう。しかし、シエナには目前のサブローに対して辛うじて優位に立っている点が1つだけある。
サブローは丸腰だが、シエナは隠し武器を持っているのだ。
万が一の事態が起こった際には、シエナは暗器を使って抵抗し、フィコマシーが逃げられるだけの猶予を稼ぐつもりでいる。
でも、ここで暗器を軽々しくサブローへ渡してしまったら……。
迷っているシエナを見て、サブローは寂しげに肩を落とす。
「シエナさんは、僕を警戒しているんですね」
「そ、そんなことは……」
「良いんですよ。シエナさんの気持ちは、当然です。今の僕は、到底信用に値しませんからね」
「サブローさん……」
まさか、サブローが自身の置かれている立場をそこまで冷徹に客観視していようとは。
シエナは驚くべきなのか、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、己が情動を持て余してしまう。
サブローは、椅子に座ったまま事態の推移を静かに見守っているフィコマシーへ改めて目線を走らせた。重圧に耐えているかのような表情をつかの間サブローは浮かべ、しかし、やはりフィコマシーの名を口にしない。
サブローは自嘲する風情で唇を歪めた。
「スミマセン、シエナさん。正直、説明するのは難しいんです。それに、あまり時間もありません。失礼します」
サブローはシエナに謝罪すると、一瞬のうちに彼女の背後を取った。
サブローの動きはあまりに素早く、シエナには彼の姿が魔法のように掻き消えたとしか思えなかった。
反応できずに立ち竦むシエナの腕をサブローは軽く捻り上げ、袖の中に隠し持っていた暗器の縫い針をアッサリ奪い取ってしまう。
恐るべき手際の良さだ。
「か、返してください!」
懇願するシエナへ、サブローは無情にも首を横に振る。
「申し訳ありません。この暗器、チョットばかり使わせてもらいます」
(使う? サブローさんは、暗器を使って何をしようとしているの?)
サブローの発言に、シエナは恐怖する。
サブローは、あの暗器を果たして誰に振るうつもりなのだろうか?
『サブロー!?』
「サブローくん!」
ミーアとマコルも、サブローの暴挙に驚愕している。堪りかねたのか、とうとうフィコマシーも声を上げた。
「サブローさん。せめて、ご自身の行動の真意について弁明していただけませんか?」
フィコマシーは、公平さを保とうと精一杯尽力している。喋り方も、詰問めいた雰囲気は無く、穏健だ。
だが、フィコマシーの切望にも、サブローは応じようとしない。内意を隠すように、あやふやな微笑を浮かべるばかりだ。
シエナは咄嗟にフィコマシーを背後に庇いながら、サブローの一挙手一投足を監視する。
(サブローさんを信じたい。信じなきゃ。でも……)
浮かれきった顔つきでオリネロッテと会話していたサブローの醜態を、シエナは思い出してしまう。
哀しい。腹が立つ。胸の奥が掻きむしられる。サブローへの不信感が募る。とてもじゃないが、割り切れない。
けれど。
襲撃者の手によって危うく命を落とし掛けていたシエナのもとへ、颯爽と駆けつけてくれたサブロー。
シエナのフィコマシーへの献身を褒めてくれたサブロー。
敬愛するフィコマシーお嬢様に優しく接してくれたサブロー。
サブローなら、信じられるはずだ。信じなきゃいけないはずだ。
(だって、私はサブローさんのことが……)
サブローへの想いを自覚するシエナ。
決意を秘めた凜然たる姿勢でサブローの底意を見極めようとするフィコマシー。
サブローは巨大な縫い針を右手に持ったまま、テーブルに敷いた布切れの上に自身の左手を置いた。
そして左手の甲をジッと睨みつけるや、己が右手を高々と掲げる。
「「サブローさん!!」」
サブローを呼ぶフィコマシーとシエナの声が重なる。
少年はこれまでさんざん無視してきた侯爵令嬢とメイドへ目を向けると、彼女たちを安心させるようにニッコリ笑った。
サブローは息を深く吸い込み、思い切りよく右手を振り下ろす。
躊躇は、全くしない。
縫い針の先端が、左手の甲を穿ち、掌まで貫通する。サブローは、自身の左手を巨大な針でテーブルに縫い付けてしまった。
サブローの左手の外面と下に敷いてあるタオルが、急速な勢いで真っ赤に染まっていく。鮮血が溢れ出して止まらない。
激痛に苛まれているのは間違いないはずなのに、サブローは歯を食いしばり、一切声を漏らさなかった。




