2人の少女の結末は
シエナ視点です。
♢
どれほど苦しかろうと、永遠に控えの間のフロアに蹲っている訳にはいかない。
「お嬢様。そろそろ、参りましょう」
シエナの声掛けに小さく頷き、フィコマシーはヨロヨロと立ち上がった。
2人の少女は、互いに肩を預けあいながら歩き出す。
その足取りは重く、あたかも見えない鉄の鎖が2人の足首に巻き付いているようだった。
フィコマシーとシエナが侯爵の書斎に辿り着いた時には、関係者の多くが疾うに顔を揃えていた。
オリネロッテ、クラウディ、魔法使いの少女、キーガン、リアノン、サブロー、ミーア、マコル、バイドグルド家の執事と騎士団長、そして――
「遅いぞ、フィコマシー」
そうフィコマシーを叱責したのは、彼女の父親であるナルドット侯爵ワールコラム=バイドグルド。
40代前半の若さであるにもかかわらず、ナルドットの街を巧みに治め、女王からも厚い信頼を得ているベスナーク王国の重鎮だ。
アッシュグレーの髪を綺麗に撫でつけ、口髭と顎鬚を丁寧に整えている。
威厳と精悍さを兼ね備えた、男らしい風貌だ。
侯爵は早くに妻を亡くしているため、後添えに成りたがる貴族の女性は後を絶たない。
けれど、彼は何れの申し込みも、現在に至るまで丁重に断りつづけてきた。亡妻を未だ忘れられないからだとも、ベスナーク王国中で名高い美貌の次女を溺愛しているため、彼女の機嫌を損なう事態を恐れているからだとも噂されている。
前者なら美談、後者ならとんだ笑い話だが――
「申し訳ありません。お父様」
深々と頭を下げるフィコマシーに、侯爵は苦々しく吐き捨てる。
「まったくお前は、いつまでたってもノロマだな。少しは、オリネロッテを見習え」
フィコマシーが一瞬だけ泣きそうに顔を歪ませ、表情を隠すように俯いた。
「もう、お父様ったら……お姉様は今日一日、大変だったんですよ。優しくして差し上げて」
オリネロッテが、侯爵に抗議する。
「お姉様。お父様は、なかなかナルドットに到着しないお姉様のことをとても憂慮なさっていたのよ。だから、お姉様の恙ない姿を見て、安心のあまりツイツイ口調がキツくなっちゃうの。気にしないようにしてね」
オリネロッテの取りなしに、フィコマシーは弱々しく微笑み返す。
「事情の大方は、キーガンから聞いた。2日前、お前が賊に襲われたと言うのは本当か? 狂言だとしたら、許さんぞ」
「お嬢様は、嘘など仰っては居りません!」
侯爵の手厳しすぎる口舌に、フィコマシーの背後に控えていたシエナは思わず叫んでしまう。
「無礼者! メイド風情が口を挟むな!」
騎士団長が、シエナを一喝する。
フィコマシーがシエナを庇って、再び頭を下げた。なんと、本来は臣下の身分である騎士団長へ向かって。
シエナはフィコマシーに迷惑を掛けてしまい、悄然となる。
「賊どもは、ロスクバ村で拘留中とか。其奴らの身柄を大至急、引き取るようにしましょう。口を割らせれば、何もかも明らかになります」
「ウム。早速、ロスクバ村に使いの者を送ろう」
キーガンの献策を、侯爵は採用した。即断即決である。
「問題なのは、ブランとボートレが重傷を負っていることだな。本当に、この少年があの2人を倒したのか?」
騎士団長が、サブローへ疑いの眼差しを投げかける。
無理もない。サブローからは、強者と呼ばれる人々が放つ独特の気配や、それに類似したものが全く感じられないのだ。
侯爵の前で畏まっているサブローは、どこをどう観察しても、街中をぶらついている普通の少年にしか見えない。
サブローが館の住人だとしたら、下っ端の召使いが良いところだろう。
「イヤイヤ。見た目に騙されてはいけませんぞ、団長。ブランとボートレを戦闘不能にしたのは、このサブローで間違いありません。ブランとボートレ以外の騎士たちも、サブローに挑むたびに次々と転がされてしまいました。アヤツらは幸い軽傷で済んでいますが、後でタップリ鍛え直さなくてはなりませんな」
「笑いごとでは無いぞ、キーガン。ドコの馬の骨と知れん1人の少年に幾人もの騎士が良いようにあしらわれたとあっては、バイドグルド家騎士団の名折れだ」
キーガンが愉快そうに述べると、騎士団長は渋面になった。
「サブロー殿は、凄腕なのですね。一度、手合わせを願いたいものです」
バイドグルド家の騎士の中で、最強との呼び声が高いクラウディ。彼の紫眼が、サブローに注がれる。
魔法使いの少女も、サブローを興味深そうにシゲシゲと見つめた。
「サブローさんは、強くて勇ましい人なのね。素敵だわ。でも、サブローさんに手傷を負わされた騎士の皆様方も心配。あとで、見舞ってあげましょう」
オリネロッテがサブローを褒め称えつつ、騎士たちの容態を気に掛ける。
美貌の令嬢に感嘆してもらえて、サブローは大いに照れている。
フィコマシーとシエナは、オリネロッテの賛辞にドギマギしているサブローから、ソッと目を逸らした。
「過大評価は困ります。騎士の方々は、少々僕に手加減してくださったんですよ。リアノンさんには、危うく真っ二つにされかけましたしね」
サブローがリアノンの名を持ち出すと、部屋に居る人間全ての眼がリアノンへと向けられた。
「あわわわわわわ」と隻眼の女騎士が緊張しすぎて慌てふためく。
「ほう。自分は王都勤めが主なので存じ上げなかったのですが、リアノン殿は、それ程の力量をお持ちなのですか」
クラウディが、リアノンにも関心を示す。女性の騎士だからと、侮ったりはしない。
「リアノンの訓練への旺盛な取り組みは、私も高く採点しているのです」とキーガン。
「リアノンは、オリネロッテ様の専属護衛騎士になるのを目標にしておりましてね。強さと熱意と根性は、申し分ありません。これでリアノンにもうチョット、常識と慎みと思考能力があれば……」
キーガンがリアノンを褒めているのか誹っているのか、良く分からない物言いをした。
リアノンは「キーガン隊長、そこまで私を絶賛しなくても……」とモジモジクネクネ赤面している。
リアノンの聞き取り能力に難があるのか、キーガンの指摘通りに思考能力が欠如しているのか。
「それで、サブローとやらは何故、フィコマシーを迎えにいった我が騎士たちに抵抗したのだ」
侯爵の眼光が、鋭くなる。
が、サブローは特に臆した様子も無く、淡々と侯爵へ答弁した。
「ブラン殿とボートレ殿は、僕の連れのミーアに乱暴を働きました。そのため、ついカッとなってしまったのです。ヤりすぎだったと、今は反省しています」
「フム。猫族の少女を、我が騎士が蹴りとばしたとか。お前が抗った理由は、それだけなのだな?」
「ええ、それのみです」
サブローの返事を聞いて、フィコマシーが微かに身体を強ばらせる。シエナも、反射的に己が耳を疑った。
サブローがボートレに制裁を加えた切っ掛けが、ミーアに対する彼の暴挙であったことは確かである。
しかし、その後に起こった騎士たちとの戦闘については、ミーア以外にフィコマシーやシエナへもなされたブランの侮蔑発言が大本の原因となっていたはず。
どういう訳かサブローの頭から、フィコマシーとシエナに関する記憶だけがスッポリと抜け落ちてしまっている。
あるいは今のサブローにとって、フィコマシーたちとの交流はワザワザ言及するほどの意味を持たない、取るに足りない話柄に過ぎないのだろうか?
「ミーアちゃんに暴力を振るったの? 許せないわね」
オリネロッテが、怒る。
「大丈夫だった? ミーアちゃん」
「無事なのニャン。サブローが守ってくれたのニャ」
ミーアが元気よく答える。
ミーアは、いつの間にかオリネロッテの隣に移動していた。
あまつさえ、オリネロッテに頭を撫でられて気持ち良さそうに眼を細めている。まるで、オリネロッテのペットのように見える猫族の少女――
フィコマシーが胸の奥より込み上げてくる何かを堪えるように、ギュッと両の拳を握りしめる。
シエナは、耐えるフィコマシーを背後から見守ることだけしか出来ない。
「良かったわ。サブローさんは、ミーアちゃんを大切にしているのね」
「え! そ、そうかニャ。恥ずかしいニャ」
フィコマシーとシエナを置き去りにして、会話が進む。さながら、2人はこの場に居ない人間であると言わんばかりに。
結局オリネロッテの口添えもあり、サブローの行為は不問に処される運びとなった。
「では、一先ず話はココまでだ。フィコマシーは、自室に下がって服装を改めろ。ディナーを取るかどうかは、好きにして良い。但し私とオリネロッテは既に済ませているので、食事をするなら1人で行え」
侯爵がフィコマシーへ言いつける。
娘との再会が久方ぶりである事実を疑ってしまうほどの、投げやりな対応だ。
加えて、侯爵に冷淡な態度を取られているフィコマシーを、部屋の中に居る誰も思い遣ろうとしない。
サブローも、ミーアも。マコルも。彼らは、もはやフィコマシーを心に掛けるべき対象とは見ていないのだ。
唯一、気遣わしげな表情になっているのはオリネロッテだ。だがオリネロッテが周囲の人間全ての関心を集めている有り様を考えれば、彼女からの同情は、フィコマシーにとって辛すぎる。
オリネロッテを中心に歓談が続く書斎を、フィコマシーとシエナは逃げるように後にした。
扉をくぐる際、シエナはホンの僅かだけ期待してしまった。サブローかミーアが、自分たちに声を掛けてくれるのではないかと。引き留めてくれるのではないかと。
けれど、そんな奇跡は起こらなかった。
ひょっとしたら、サブローとミーアはオリネロッテとのお喋りに夢中になるあまり、フィコマシーとシエナが部屋を出て行くのに気付かなかったのかもしれない。
もしそうなら、余計に惨めだ。
♢
フィコマシーが、ナルドットの屋敷に常設されている彼女専用の私室へトボトボと向かう。使用するのは数年ぶりだが、場所はフィコマシーもシエナも記憶していた。
案内する侍女も、付けられない。王都でもナルドットでも、フィコマシーに従うメイドはシエナのみだった。
サブローとミーア、マコルは、今夜どうするのか? 十中八九、客人用の部屋に泊まるに違いない。
その手配は当然フィコマシーと自分がすることになると、シエナは思っていた。しかし、今は考える気力など無い。
サブローたちの宿泊の件については、おそらくオリネロッテが配慮するだろう。彼女に、手抜かりなどあり得ないのだから。
フィコマシーの私室には、机と椅子、テーブルに来客用のソファ、天蓋付きのベッドや衣装棚など一通りのモノが揃っていた。
滅多にナルドットを訪れないフィコマシーのために用意されている部屋としては、まずまず充実している。
だがフィコマシーもシエナも、室内の備品をイチイチ確認する心情には到底なれない。
私室に入るや否や、フィコマシーは力なく椅子に腰掛ける。グッタリしたまま動かない。シエナはなす術も無く、フィコマシーの隣に立ち続けるしか無かった。
重苦しく、時が進む。
項垂れて黙り込むフィコマシーへ、シエナは遠慮がちに話しかける。
「お嬢様。食事の前に、着替えなくては」
「ねぇ、シエナ」
フィコマシーが、ノロノロと顔を上げる。その白い顔に、疲労の影が濃い。
「何でしょう? お嬢様」
「貴方、オリネロッテから『自分専属のメイドにならないか』って、誘われているのよね?」
「お嬢様、どうしてそのことを!」
シエナは、驚く。
実際オリネロッテは、しばしばシエナに、自分付きになるように提案してくる。シエナは毎回断る一方で、この勧誘話がフィコマシーの耳に入らないように注意してきた。
シエナはオリネロッテに口説き落とされる気は毛頭無かったが、フィコマシーにとって気分の良い話では無いだろうと斟酌したためだ。
「シエナ、私に気兼ねしなくても良いのよ。オリネロッテのメイドになりなさい。貴方は、誰よりも有能なメイド。オリネロッテに仕えて、存分に才覚を発揮すべきだわ。きっと、そのほうが貴方も幸せになれる」
シエナには、フィコマシーのセリフが信じられない。
シエナはフィコマシーに真心を捧げてきたし、フィコマシーはそんなシエナを心の底から信頼してきた。2人の絆は、単なる主従の関係を超えたモノだったはず。それなのに……。
フィコマシーとシエナが歩んできた道のり。築き上げてきた、確かな繋がり。
その重みを、考えれば。
フィコマシーにとって、シエナを手放すと言うこと――それは、過去も現在も未来も、そのことごとくを放棄するのと同義に他ならない。
(お嬢様は、そこまで追い詰められてしまっているの? 何もかも、諦めてしまいたくなるほどに?)
「イヤです! どうして、そんなことを仰るんですか!」
「今までは、どんな酷い状況であっても命を狙われる出来事は、さすがに無かったわ。けれど、そんなギリギリの一線まで破られようとしている。まして、襲撃に王族が関与していたとなると……」
「それは、あくまで憶測に過ぎません! サブローさんも、『疑ってかかるべき』と述べておられたじゃないですか!」
「そのサブローさんも……」
フィコマシーの呟きに、苦痛の響きが混じる。シエナは心臓に針が突き刺さったような感覚を覚えた。
サブローが、いなくなった。
ミーアも、いなくなった。
いっそシエナも去ってくれれば、全てを失ったことがハッキリする。
安心して、絶望できる――フィコマシーは、そう思っているのかもしれない。
「サブローさんは……」
フィコマシーを説得しようとして、しかし、シエナには掛ける言葉を見付けられない。
サブローは、もう、手遅れとなってしまったのだろうか?
フィコマシーがポツリポツリと語り続ける。
「誰に、どんな思惑があるのか、愚かな私には分からない。でも、これだけは分かるのです。一昨日の馬車への襲撃で、貴方は私を護るために、危うく命を落とすところだった。このまま私の近くに居たら、貴方は……間違いなく……」
「私は、とっくに覚悟を決めています! 最後の最後まで、お嬢様のお側に居ます」
「シエナ……」
碧眼を潤ませるフィコマシーの手を握りしめながらも、シエナは自らの表明に愕然となる。
フィコマシーを励ますつもりで立てた誓いなのに、これでは、まるで破滅を前提としているかのような……。
シエナは、悟らざるを得なかった。
自分もフィコマシーも、既に逃れようのない最悪の事態を想定しているのだ。
残酷なお伽話の結末は――――
2人の少女は、互いに悲痛な思いを胸の内に抱えつつ見つめ合う。
このまま2人で手と手を取り合って、奈落の底へと落ちていくしか無いのか。
希望は――――
救いは――――
トントン、と。
突然、部屋の扉が外側よりノックされる。
フィコマシーの身体がビクッと震え、シエナの心臓の鼓動が跳ね上がる。来訪者は、いったい誰?
心当たりは、全く無い。
背筋が寒くなる。血の気が引く。
やって来たのは、神の使いか、悪魔の僕か。
シエナはフィコマシーに無言で合図すると、恐る恐る扉の外に佇んでいるであろう人物へ問いかけた。
「……何方ですか?」
「サブローです。お話があって来ました。開けていただけませんか?」




