ナルドットの街へ(イラストあり)
お待たせいたしました。
ナルドットに、ようやく着きます。
★ページ下に、登場キャラのイメージイラストがあります。
日没前にナルドットに到着すべく、馬車の進行スピードが上がる。
ナルドットの街が、次第に近付いてくる。
旅の終わりが刻一刻と迫っていることを、僕は実感した。
――馬車の中は、静けさに支配されていた。
光魔法の連続使用で疲れてしまった僕はチョットばかりグッタリ気味だし、フィコマシー様やシエナさんもイロイロ思うところがあるのか、積極的に発言しようとしない。場の空気を読んで、ミーアも大人しくしている。部外者っぽい立ち位置のリアノンは、そんな僕ら4人の様子を不思議そうに見ていた。
やがて、夕日が車内に差し込む時間帯になる。
シエナさんがポツリと呟いた。
「私……本心を述べると、『ナルドットの街に着かなければ良いのに』なんて考えちゃいます。『この馬車の中に居る皆で、どこか遠くへ行ってしまいたい』って……ハハッ。私ったら、馬鹿ですね」
「シエナ……」
フィコマシー様が、シエナさんの手をムニュッと握る。
「お嬢様……大丈夫です。これより何があろうとも、私はお嬢様のお側を離れません。身命を掛けて、お嬢様をお守りいたします」
「ありがとう……シエナ」
フィコマシー様とシエナさんの間に結ばれている絆の強さに、僕は感動を覚え、敬服する。
同時に、シエナさんが抱え込んでいる不安を払拭してやれない自分を不甲斐なく思った。
そうだね、シエナさん。
僕とミーア、フィコマシーお嬢様とシエナさん、4人で旅を続けられたら、どんなに素晴らしいだろう。
感慨に耽る僕の耳に「騎士様、どうして身体をくねらせているのですか? 気色悪いですよ」と訝るシエナさんの声が聞こえてきた。
目を遣ると、リアノンがモジモジしている。照れているようだ。
「い、いや~。そんなにメイドが私と一緒に旅をしたがっているとは、思いも寄らなかったよ」とリアノン。
確かに、シエナさんは『〝馬車の中に居る皆〟で遠くへ行ってしまいたい』って言っていたな。
「あ、スミマセン。〝馬車の中に居る皆〟に、騎士様は含まれていません。騎士様は、車外に置き去りです」
「酷いよ!」
スマン、リアノン。僕も無意識のうちに、アンタの存在を〝車内メンバー〟から省いとったわ。
♢
街道を往来する人や荷車、馬車の数が増えてくる。
東の空が赤く染まる中(ウェステニラの太陽は東に沈む)、ついにナルドットの城壁が姿を現した。
壁の高さは、僕が予想していたより低い。6ナンマラ(3メートル)程度だろうか。
しかし街を囲む堀の幅は広く、トレカピ河から引いたであろう水を満々とたたえている。
城門をくぐる前に、マコルさんを除く行商人一行とは一旦、別れることになった。
フィコマシー様がわざわざ車外に下りて礼を述べられたので、キクサさんたちはエラく恐縮している。
僕とミーアも、彼らと離別の挨拶をすることにした。
マコルさんと今後の打ち合わせを終えたキクサさんたちが、僕とミーアのところまで歩いてくる。
「サブロー。ミーアちゃんを頼むぞ」とキクサさん。
「サブロー。ミーアちゃん、大切に」とモナムさん。
「サブロー! 命懸けで、ミーアちゃんを守れよ。ミーアちゃんの毛筋一本に至るまで、損なわせたりするんじゃねえぞ!」とバンヤルくん。
うん、ミーアのことばっかりだね。少しは僕の身も心配して!
「ミーアちゃん、貴方様とともに旅が出来たこと、一生の誉れです。俺……私は、この喜びの日々を生涯忘れはしないでしょう」と感極まって声を震わせるキクサさん。
「ミーアちゃん、最高!!!」と高らかに咆えるモナムさん。
「ミーアちゃん……くそ! 涙が止まらねえ。だけど、これで永遠のサヨナラと決まった訳じゃ無えんだ。ミーアちゃん! ナルドットの街では、是非実家の宿屋を利用してくれ。可能な限り値引きして、誠心誠意おもてなしするからよ」とミーアへ向けて熱心な勧誘活動をしているバンヤルくん。
彼らは、情熱的にミーアとの別れを悲しんでいる。
僕に言葉を掛けた際のアッサリ加減と比較して(彼らのセリフは「そんじゃ、サブロー」だけだった)、温度差がひどい。
やはり、ケモナー。
さすが、ケモナー。
つまりは、ケモナー。
ミーアも「さよならニャ」「寂しくなるニャ」「また、会うニャ」などと告げる一方、彼らの強烈なアプローチに戸惑い気味だ。
猫族少女より見た彼らケモナーとは、どのような生命体なのだろうか?
くれぐれも『人間って、あんにゃんナノね』とミーアが勘違いしないように、後で念を押しておかなくては。
それと、バンヤルくん。実際に宿屋を経営しているご両親の了解を得ないで、勝手に値引きしちゃって良いの?
……程なくして、僕らを乗せた馬車と騎士の集団が動き出す。馬車の御者は、モナムさんに代わって騎士の1人が務めている。
堀に掛けられた橋を渡り、城門を通過する。それも通用門では無く、正門だ。
街へ入るには、基本的に通行証が必要だと事前に聞かされていた。
通行証が無い場合には多額の入場税か、街の有力者による保証を求められるのだけれど、僕とミーアはフィコマシー様と一緒なため、難なく街に入ることが出来た。
「ふぉぉぉぉ!」
馬車の窓から外を観察していたミーアが歓声を上げる。
日が沈みかけているため薄暗いが、それでもナルドットの街の繁栄ぶりは一目瞭然だ。
道幅は広く、石造りの家が軒を連ねている。主要道路に面しているせいか、店舗関係が多いようだ。
更に街中にまでトレカピ河の水を引き入れているため、縦横に運河や水路が走っている。
多くの人が行き交い、中には獣人の姿もチラホラ見受けられた。
物売りの声、どこからか流れてくる歌、辻説法、その日最後の一稼ぎに精を出す大道芸、はしゃぎ回る子供たち……心を浮き立たせる賑やかさだ。
獣人の森での生活しか知らないミーアにとっては、目にするもの全てが新鮮で、驚きの種であるに違いない。
正直、僕も意外の感に打たれてる。
爺さん神は、転移前の僕に『ウェステニラは、中世ヨーロッパ風の世界だ』と話していた。
だから僕は、ウェステニラの街は狭くゴミゴミしていて不潔な場所である確率も高いはず……と考えていたのだ。
けれど、ナルドットの街の景観は、僕の予見を大きく覆す。
あくまでメイン通り沿いから眺めた範囲ではあるが、街は開放的で清潔だ。不衛生な雰囲気は、少しも無い。
フランスの首都パリは、19世紀半ばの都市大改造で面目を一新したと言われる。交通網は拡充整備され、上下水道の設置が行われた。
21世紀の日本人がイメージする〝花の都〟は、この改造以後のパリである。
ナルドットの行儀の良い街並みは、中世パリでは無く、近代パリを僕に連想させた。
科学技術の後れを魔法で補填しているため、ウェステニラの〝中世〟は地球の〝中世〟とは発展度合いが根本的に違うのだろう。
もっとも、身分の低い人々が住むエリアに足を運んだら、感想は一変してしまうかもしれない。
イギリスの首都ロンドンは18世紀には既に50万の人口を超える大都市だったそうだけど、ビールを飲む上流階級の人々が住む『ビール街』とジンを飲む労働者階級の人々が住む『ジン横町』の暮らしぶりの差は、絶望的なまでに大きかったと聞くからね。
騎士が現役で活躍しているベスナーク王国の身分制度が、18世紀のイギリスより緩やかなんてことは、まずあり得ない。
一行は途中で、右折した。
真っ直ぐ進めば、トレカピ河沿いに広がる商業地区に入ってしまう。ナルドットの支配階級が住む行政地区は、街の東寄りにあるのだ。
領主の館が接近するにつれ、シエナさんがピリピリしてきた。明らかに緊張している。
シエナさんにとって、フィコマシー様の父君であるナルドット侯の住む屋敷は、心を許せる場所では無いようだ。僕も《精神探索》で知りえた情報を重視し、油断しないように気を引き締める。
屋敷の門を通った馬車は、芝生や花壇が幾何学模様に手入れされている庭園を進み、間もなく大きな建物の玄関前に横付けされた。
馬車からはまずリアノンが、続いてシエナさん・僕・ミーア、最後にフィコマシー様が降りる。
玄関口には数名の騎士と従僕、メイドが立っていた。お屋敷のお嬢様を出迎えるにしては、少な過ぎるような気もする。
何だかフィコマシー様の肩も落ち気味だ。
無駄とは知りつつも、父親であるナルドット侯が直々に迎えてくれることをやっぱり期待していたのかな?
従僕やメイドが僕とミーアの出現に目を見張り、ヒソヒソと小声で話をしている。フィコマシー様の前であるのに、まるで遠慮というものが無い。
でも、彼らの態度は予測範囲内だ。イチイチ腹を立ててちゃ、イケないね。おそらくリアノン同様、彼らの心の中にも闇が侵入しているに違いない。
キーガン殿と言葉を交わした執事風の男が、僕らを案内してくれる。
屋敷の中に入る前に武器の提出を求められたので、やむを得ず山刀ククリを家人に預ける。ミーアも、リルカさんより譲り受けた大切な小刀を差しだした。
どちらもミーアのご両親の想いがこもった掛け替えのない品だ。ぞんざいに扱ったら、許さないからな!
シエナさんは服の中に暗器を隠しているはずだけど、黙ったままだ。そのことを知っているリアノンも、敢えて指摘しようとはしない。
馬車の中では始終揉めていたにもかかわらず、いや、それ故に、シエナさんとリアノンは奇妙な信頼関係を築いているのかも。
現在の2人の内心が、少し気になる。
僕ら5人とマコルさんは、控え室に通された。どうやら、すぐにナルドット侯に会える訳では無いらしい。
……マコルさんや僕はともかく、実の娘であるフィコマシー様を待たせるとはね。
僕はナルドット侯へ悪感情を抱かないように努めた。彼の心も、操作されている可能性がある。
執事風の男は、僕とミーアそしてマコルさんを別室に行かせようとしたが、フィコマシー様が強硬に反対したため渋々諦めた。
僕としても、今はフィコマシー様やシエナさんの側から離れたくない。
しかし、何でリアノンまで一緒の部屋に居るんだろう? 当然のような顔をして、付いてきちゃったけど。
僕と似たような疑問を感じたのか、シエナさんがリアノンに質問する。
「騎士様、1つだけお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「何かな?」
「どうして、ココに居るんですか?」
「私を要らない子みたいに言うなんて、メイドは無慈悲!」
「いえ、要らないんですが……」
「酷すぎる!」
「要らナイト」
「人情紙風船。いじめイド」
女騎士とメイドが騒ぎ始め、ミーアがフィコマシー様に「大きいお屋敷にゃ~」と語りかける。フィコマシー様が微笑み、部屋の中の空気が緩み始めたその時だった。
バタンと、いきなり部屋の扉が開かれる。
「お姉さま!」
美しく澄んだ声が、脳天を突き抜ける。引き寄せられるように、僕は振り向いた。
――そして、呼吸するのを、忘れた。
そこに〝人の形をした宝石〟が、存在したからだ。
エメラルドグリーンの瞳。
形の良い眉。
スッキリと通りながら可愛らしい鼻筋。
可憐な丹花の唇。
腰まで届く銀糸の髪。
透き通るような白磁の肌。
容貌は精緻なまでに整っており、美麗なブルードレスに包まれた肢体は、とてつもなく魅惑的だ。
――清楚にして妖艶。
現れただけで、その場に居る老若男女全ての視線をくぎ付けにしてしまう優雅な姿。一瞬たりとも目が離せない。彼女の影形が視界から消えることは、そのまま人生の損失につながる気がするのだ。
室内を漂う芳香に、頭がクラクラする。思考が、覚束なくなる。
まるで、雲の上に佇んでいるような……。
警戒していた。気を抜いてなどいなかった。敵地に乗り込んだつもりで覚悟は決めていた。なのに――――
視覚・聴覚・嗅覚が、忽ちにして、ことごとく奪われた。
彼女に、所有された。
名を訊かずとも分かる。
彼女こそ、『バイドグルド家の至宝』にして『奇跡の少女』。
「オリネロッテ……」
部屋の中に、フィコマシーの掠れた声が響いた。
――聖女の御名を呼び捨てにするとは、不敬な令嬢だな。
オリネロッテのイメージイラストは、あっきコタロウ様よりいただきました。ありがとうございます!




