賞賛と軽蔑と
リアノンの右目の瞼に出来た、物もらいを案じてあげる優しいミーア。
ところが、リアノンはそんなミーアの親切な心遣いを無下にする。
「フン! 私は、誇り高き騎士。猫族ごときに、心配される謂われはない」
何だと、この眼帯詐欺女! 失礼ナイト!
リアノンのセリフを聞いた僕は、カッとしてしまった。
ミーアは少し前に、ボートレとか名乗る騎士に理不尽にも蹴られたばかりだ。幸いにも大きなケガにはならなかったが、ミーアはショックを受けたはず。
そんなミーアにつれない態度をとるなんて、誰であろうと許せない。
リアノンのセリフに怒りを覚えたのは僕だけでは無いようだ。
シエナさんも明らかにムッとしているし、フィコマシー様も珍しく険しい目つきになっている。
リアノンは獣人へ偏見を抱くタイプの人間なのだろうか?
獣人の森を出て以来、マコルさんたちケモナーやフィコマシー様のような寛容な人たちとばかり出会ってきたために勘違いしていたけど、獣人を差別する人間がベスナーク王国にまだまだたくさん居るのは間違いない。
ボートレやブランのような酷いヤツも存在するのだ。
リアノンは彼らほど悪辣では無いけれど、フィコマシー様みたいな人格者でも無い。むしろ僕と同様、欠点だらけの人間だ。
やっぱ、この女騎士、馬車から叩き出そう。
僕は、ソッとシエナさんへアイコンタクトで合図を送った。
シエナさんが頷く。
(そうですね! サブローさん。この騎士様、ハッキリ言って邪魔ですよね。サブローさんに妙に馴れ馴れしいし、ミーアちゃんへの態度も良くないし、リアリストの私のことを『メイドリーム』なんて呼ぶし、フィコマシーお嬢様に対しても……。丁重に八つ折りにしてから縛り上げて、ゴミ捨て場に投棄しちゃいましょう)
眼で語りかけてくる、メイドリームさん。
イヤ。さすがに、そこまでしようとは僕も思わないんだが……八つ折りって、アレだよね? 中央折りを3回繰り返すことだよね。
なんぼ常日頃肉体を鍛えている騎士様でも、そんなに身体を折られたら、お陀仏になっちゃわないかな?
僕とシエナさんが秘かに抹殺計画を練っているとも知らず、リアノンは更にミーアへの暴言を重ねる。
「いくらそんなつぶらな瞳で私を見たところで、無駄だ! 獣人に私が絆されるなど、金輪際あり得ない!」
あれ?
「よせ! やめろ! 猫耳をピクピクさせるのを止めるんだ!」
あれれ?
「騎士さん、どうしたの、ニャン?」
「くそ! そんな可愛らしい猫なで声で騎士たる私を懐柔しようと言うのか? なんと卑劣な! 屈しない! 私は屈しないぞ!」
う~ん、これは……。
「騎士さん、大丈夫にゃ? なんか脂汗、出てるにゃ」
ミーアが、リアノンのホッペに手を伸ばす。
「わ、私に触れるな! ああ……こ、これが肉球……ぷにぷに……ぷに……くっ! こ、このような淫らな誘惑で私を堕落させようとしても、徒労だぞ。私は幾多の強敵を屠ってきた歴戦の騎士! 負けないのだ! 騎士のプライドに掛けて、絶対負ける訳にはいかんのだ! 負けない! 負けない! 負けないもん! 負けちゃダメ!」
なんか、リアノンがめっちゃ良いヒトに見えてきたんだけど……。
リアノンは「負けないもん! 屈しないもん! ヤられないもん!」と譫言を述べつつ、ミーアの魅力に負けて、屈して、ヤられていた。
「騎士さん、シッカリするにゃ!」
「あみゃみゃみゃみゃ」
ミーアが、リアノンの両肩を持って揺さぶる。
リアノンは座っていても背が高いため、ミーアは中腰にならざるを得ない。猫族少女の急接近に、女騎士がパニックになっている。
「な、なんて、まん丸い目。しかも、黄金の瞳! 加えて、サラサラの黒い毛並み。こ、声も愛らしい。そして、最終兵器の肉球。……くっ、しかし、騎士の私に敗北は許されないのだ。だ、だが、もし、眼前の女の子が私に猫パンチと猫キックを繰り出してきたとしたら……ダメだ! 勝てない! 私、負けちゃう、負けちゃうよ~」とブツブツ呟くリアノン。
あ~、うん。女騎士抹殺計画は、しばらく延期しよう。
僕の無言の申し出に、シエナさんも(仕方ありませんね)と頷く。
それにしても、僕ら一行の中での最強の存在って、どう考えてもミーアだよね?
しばらく身悶えしていたリアノンは、やがて僕とシエナさん及びフィコマシー様の生温かい視線に気付いたのか、コホンと咳払いをして居ずまいを正した。
「スマナイ。少しばかり、取り乱してしまったようだ」
ハイ、大変取り乱していました。
まぁ、ミーアはホント可愛いんで、気持ちは分かりますが。
「騎士にあるまじき、振る舞いだったな。忘れてくれ」
「リアノンさんは、騎士としての自分を高めようと努力されているんですね」と僕はリアノンに話しかける。
方向性に問題があるような気もしますけど。
僕の発言に、リアノンが力強く頷く。
「ああ。男であることに胡坐をかいている、そんじょそこらの騎士モドキたちに負けるつもりは無いからな。日々これ精進だ。オークは見付け次第、ぶっ殺す」
リアノンの頑張る姿勢はエラいと思う。でも、別にオークをぶっ殺す必要は無いんじゃないの?
やはり、〝オーク〟と〝女騎士〟は宿敵同士であることを運命づけられているのかな?
リアノンは一見男っぽいけど、別に容姿が見苦しい訳ではない。
ただ、目つきと言動と声質と身だしなみと性格が殺伐とし過ぎているだけだ。もうチョット柔和になれば、随分と感じは良くなるだろう。上手くいったら『長身で格好良い女騎士様』として、女性にモテるようになる可能性もある(男性にモテるとは言っていない)。
でも、本人の興味は今のところ『立派な騎士になること』に集中しているみたい。
「リアノンさんの将来の目標は何ですか? ひょっとして、騎士団長とか?」
僕の問いかけに対し、リアノンは首を横に振る。
「いいや。私は、オリネロッテ様の専属護衛騎士になりたいのさ」
オリネロッテ。
その名前が出た瞬間、僕の隣に座っているシエナさんからハッと息を呑む気配が伝わってきた。
オリネロッテ……か。確か、フィコマシー様の妹で『白鳥』などと言うフザケたあだ名を持つ侯爵令嬢だったよな。
僕は、まだ会ったことは無い。余計な先入観を抱くのは良くないだろうけど、あまり良い印象は無いね。
「オリネロッテ様こそ、バイドグルド家の至宝。存在そのものが奇跡。銀の髪、エメラルドの瞳、白磁の肌、美しい声、完璧な容姿。あの方が放つ輝きを、言葉で表現するなど不可能だ。更に、気品溢れる立ち居振る舞い。下々の者へも配慮を欠かさない、優しいお人柄。もしも直接お仕えできたら、これ以上の騎士としての誉れは無い」
熱に浮かされたようにオリネロッテへの賛美を続けるリアノン。
胸がムカムカする。
リアノンは目の前に、そのオリネロッテの実の姉であるフィコマシー様が居られることを分かっているのか?
分かっていながらフィコマシー様を無視しているのなら、リアノンの性格は悪すぎる。分かっていないのなら、頭が悪すぎる。
「当面の希望は、クラウディとの試合だな。可能ならば、クラウディに勝ちたい。勝つのは無理でも、私の実力を彼に認めさせるのだ。そうすれば、オリネロッテ様の専属護衛騎士に任命してもらえる道も開けるに違いない」
リアノンが、自身に言い聞かせるように決意表明している。
「クラウディとは、誰ですか?」
僕はシエナさんに囁きかけた。
「クラウディ殿は、オリネロッテ様の専属護衛騎士の1人です」
シエナさんが教えてくれる。
「10代の若さながら、バイドグルド家随一の剣才を持っていると評判の方です。オリネロッテ様の寵愛も厚く、侯爵様を始めとする家中の年配者たちからも信頼されています」
シエナさんが説明を続けていると、リアノンが話に割って入ってきた。
「クラウディは、強いぞ。私より1つ年下なのに、悔しいが剣技の腕前は私のはるか上をいっている。オリネロッテ様の護衛任務以外でも、盗賊の成敗やモンスター討伐で数々の武勲を上げてきた。純粋な武才なら、王国でも5指に入るのは確実だろう。その上、騎士としての人格、学識も申し分ない。それほど遠くない未来、彼は間違いなく、バイドグルド家騎士団を率いる地位に就くよ」
自信過剰気味の戦闘狂であるリアノンが、こんなに褒めるなんて……そのクラウディと呼ばれる18歳の若者は、確かに強いんだろう。
シエナさんも、評価している人物のようだし。
でも取りあえず、クラウディのことはどうでも良い。問題は、他にある。
「リアノンさんは、オリネロッテ様の専属護衛騎士になりたいんですよね?」
「ああ。そのためにも、腕を磨くだけで無く、実績を上げなくてはならない。なにせ、オリネロッテ様の専属護衛は〝狭き門〟だからな。御領主様直々の選抜をくぐり抜け、オリネロッテ様にも気に入っていただく必要があるんだ」
「〝狭き門〟なんですか……。オリネロッテ様の護衛騎士は、少数精鋭のようですね。何人、居られるのですか?」
「人員を固定している訳ではないが、専属はおおよそ10人ほどかな」
リアノンの返答を聞いて、何とも言えない気持ちになった。
侯爵家次女のオリネロッテには、10人の護衛騎士が専属として付いている。
それなら、侯爵家長女のフィコマシー様は? 彼女には、何人の専属護衛騎士が居るんだ?
……そうだ、1人も居やしない。
旅行中の警護を行っていたのは、ブランやボートレのような任務を途中で放り投げる3流騎士。
酷すぎないか?
メイドだって、そうだ。
フィコマシー様専属のメイドは、如何に優秀とは言え、シエナさん1人のみだ。確かめてみる気も起きないけど、オリネロッテとやらの専属メイドの数は、10人や20人じゃ済まないのではなかろうか?
ロスクバ村に泊まった夜に、バンヤルくんよりバイドグルド家の内情について少しだけ話を聞いた。
御領主様はオリネロッテを極端に贔屓して、フィコマシー様を疎んじている。そのせいで、家中においてフィコマシー様が孤立してしまっている――という内容だった。
キーガン殿やリアノンのフィコマシー様への素振りは、明確にそれを裏付けている。
フィコマシー様の様子を、さり気なく窺う。
リアノンの長口舌を浴びせられたにもかかわらず、彼女は特に目立った反応を見せていない。
女騎士のむず痒くなるような妹へのおべっかを強制的に聞かされて、何も感じていないのだろうか?
……そんな馬鹿なこと、ある訳無い!
僕は、フィコマシー様が妹のオリネロッテのことをどう思っているのかなんて知らない。
けれど、実の父親を含む多くの人間が一方的にオリネロッテに肩入れしている現状は、客観的に見ても、フィコマシー様にとって辛すぎる。きっと、心が傷つく経験を何度もしてきたに違いない。
フィコマシー様とシエナさんが何故こんなにも強い絆で結ばれているのか、ここに来てようやく悟る。
おそらく、過酷な状況の中でシエナさんは懸命にフィコマシー様を支えてきたんだ。そしてフィコマシー様は、そんなシエナさんに心を許しきっているのだろう。
僕はひたむきに生きている2人の少女に、改めて尊敬の念を抱いた。
それに比べて、この女騎士……。
オリネロッテへの礼賛をべらべら喋り続けるリアノンへ、軽蔑の目を向ける。
リアノンがオリネロッテとかいう令嬢に憧れるのは勝手だ。専属の騎士になろうとするのも、結構なこと。しかし、現在リアノンの目の前に居るのはオリネロッテじゃ無い。フィコマシー様だ。
フィコマシー様はオリネロッテの姉で、長幼の序に従えば、身分的にはオリネロッテの上にくる方だ。
騎士ならば、彼女に敬意を払え!
リアノンによるオリネロッテ嘆賞が聞き苦しくなった僕は、あやうく「いい加減にしろ!」と声を上げそうになった。
だが、そこでハタと気付く。
……何だろう。何かオカしい。この、胸に引っ掛かるモノは何だ?
リアノンを、マジマジと見つめる。
切れ長の左眼。右目の眼帯。赤茶けた髪のポニーテール。
女性なのに、髪や肌の手入れは怠り放題だ。一方、身体つきはシッカリしていて、しなやかな筋肉の律動を感じる。リアノンが強い騎士になろうと、日々励んでいる証拠だ。
女性の身で、騎士を見事に務めているリアノン。
男の僕には理解が及ばない、苦労もあるはず。
リアノンは、粗雑で迂闊で戦闘狂で時々言葉が幼児返りする〝放ち飼い厳禁〟のトラブルメーカーだ。
でも、そんなに悪い人間じゃ無い。シエナさんがどれほど無礼な口を利こうと決して手を上げないし、どうのこうの言いつつもミーアに弱い。にもかかわらず、フィコマシー様に対してだけ、リアノンの接し方は不自然なほど冷淡だ。
このリアノンの態度は、異常だ。彼女の性格と齟齬がある。ズレている。変だ。
違和感を覚える。あたかも、味噌汁の中にワカメでは無く、福神漬けが入っているような……。
リアノンの顔をジッと観察していると、彼女は戸惑ったように僕を見返してきた。
「な、何だ、サブロー。私の顔に何か付いているか?」
〝ええ、眼帯が付いていますよ〟と言いかけ、思い返し、リアノンへ改めてこう述べる。
「リアノンさん。畏れ入りますが、僕と握手してくれませんか?」
まだ、ナルドットの街に着かない……。




