恋の至極は忍ぶ恋
シエナ視点です。
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サブローによるバンヤルへの愛の宣告に、騒然となる現場。
シエナは想定外の事態に直面し、パニックになってしまった。
(え! どう言うこと!? サブローさんにとって〝もっとも大切な守りたい人〟は、バンヤルさんだったの? でも旅の間、サブローさんはバンヤルさんへ特別な眼差しを向けるような素振りを一切しなかったわ。どう考えても2人は、ごく普通の友人関係にしか見えなかった。私が鈍いだけ? それとも、サブローさんが巧妙に本心を隠していたの? もう、訳分かんない。誰か教えて!!)
混乱の渦中にあるシエナの隣で、ミーアがフニャフニャになっている。
『サブロー……それは、間違っているニャ……イケないニャ……引き返すニャ……まだ、間に合うニャ……』
そして離れた位置にあった馬車は、ちょっとばかりシエナたちのほうへ接近してきていた。どうやら繋がっていた2匹の馬を誘導し、自らのパワーのみで動いたらしい。
無生物のくせに、凄い根性である。
更に馬車の上には地域限定の暗雲が立ち込め、ピカピカドンドンと雷も鳴っている。
自力走行可能になった進化型馬車様は、お怒りのようである。
サブローの真意が掴めず困惑のさなかにあるシエナの耳に、騎士たちの会話が届く。
「天晴れな少年だ」「ウム、我々も見習わなければ」「イヤ、待て。騎士の恋は、むしろ『隠す』ことこそが本道では無いのか? 周囲にもろバレさせてしまうのは、邪道とも言える」「『恋の至極は忍ぶ恋と見立て候』との名言もあるしな」「ムムム、難しいところだ」
熱心に主張をぶつけ合う、騎士たち。こんなしょ~も無いテーマに悩み、真剣な顔で討議を繰り返している。
アホな騎士たちを多数抱える、バイドグルド家の未来が心配だ。
シエナは騎士の1人が発した〝忍ぶ恋〟なる単語を聞いて、ハッとした。
(そう言えば騎士道を説いた名著『ハ・ガクーレ』に、こんな一節があったわ。「恋の至極は忍ぶ恋と見立てソーロー。一生忍んで、思ひ死にする事こそ恋の本意なれ」とかなんとか。「本心を隠して恋愛感情を相手に悟られないようにする行いこそ、最高の愛なんだ」って教えなのよね、確か。サブローさんは『ハ・ガクーレ』の信奉者なのかしら? だから、バンヤルさんへの恋心を隠していたの? でも、それならこの場で真意を明かすのは、オカしくない!?)
シエナの思考が、乱れまくりだ。
初心なシエナに〝恋愛〟という複雑な人間感情の分析は難し過ぎた。
ちなみにシエナは過去、武術の師匠である女剣士と次のような会話を交わしたことがある。
♢
「先生は『ハ・ガクーレ』を読んだことが、おありですか?」
「もちろんだ。アタイは、けっこう読書家なんだぜ。あれだろ? 『騎士道とは、死ぬことと見つけたり』ってヤツだろ。『死ぬほど敵を痛めつけるのが、騎士道だ』という意味だよな」
「何か、違うような気がする……」
「違わない」
自信満々な女剣士。
「と、とにかく先日武術修行の参考になればと思って読んでみたんですけど、本の中に書かれている〝忍ぶ恋〟の語義が良く分からなくて。人を好きになったら、やっぱり自分の気持ちを知ってもらいたくなるのが普通ですよね。だいたい『ハ・ガクーレ』は〝恋心は一切打ち明けず墓場まで持って行け〟なんて説いてますけど、そしたら結婚するのも不可能になってしまうじゃないですか。〝忍ぶ恋〟とは、いったい何なんでしょう?」
この頃10代前半だったシエナは、まだ恋愛に関して特に興味は無かったものの、『やっぱり、いつかは結婚したいなぁ』とは思っていたのだ。
夢見がちなお年頃だったのだ。
現在は〝夢見がち〟どころか、〝夢にガチ〟となってしまっているが。『未来の嫁』とか言ってるし。
「フッフッフ。シエナは、まだまだお子ちゃまだね」
「ム! 聞き捨てなりません、先生」
「シエナは、『恋愛は男と女の間にしか成り立たないモノ』だと考えているんだろ?」
「そんなの、当たり前じゃないですか。世の中には男性と女性しか居ないんですよ? 男性と女性が出会って、恋し合って、愛し合って、結婚するんでしょ?」
「ヤレヤレ、シエナの恋愛に関連する知識は、浅すぎる。表面をなぞっているだけじゃ、〝恋愛の奥義〟には、たどり着けないよ」
エラソ~な態度の女剣士。
「別に私は、奥義なんて面倒くさそうなものは求めちゃいません」
「そんなひよっ子シエナに、アタイが〝恋愛の残酷な真実〟を教えてやろう」
「れ、恋愛の残酷な真実……」
シエナの喉が、ゴクリと鳴る。
ど~のこ~の言っても、シエナも女の子。『恋愛』を扱う話題への食いつきは良かった。
女剣士は、あたかも極秘情報をこっそり伝える諜報員であるかのように、シエナの耳もとへ唇を寄せて囁いた。
「『ハ・ガクーレ』に書かれている恋愛は、実は〝男女の恋愛〟では無いのさ。あれは、〝男と男の恋愛〟についての教えを説いたものなんだよ」
「ええええええ!」
驚きのあまり、シエナは大声を出してしまった。
「先生、私をからかうのは止めてください!」
「からかっちゃいないよ。本当のことさ。ま、世間一般では〝男同士の恋愛〟はあんまり見られないけどね。しかし、『ハ・ガクーレ』は騎士道の教本だろ? 騎士の間では、男と男が恋愛関係に陥るケースがしばしばあるのさ」
「ど、どど、ど、どうしてなんですか?」
頭が蝶々! となりつつも秘密を知りたくなっちゃう、メイドの少女。世界は謎に満ちている。
「さあねぇ。アタイは騎士じゃないから、良く分かんないね。でも、こういう風にも考えられる。今では女性の騎士も増えているけど、『ハ・ガクーレ』が執筆された時代では、男しか騎士になれなかったんだ。騎士団に入れば、周りは男ばかり。女っ気なんて、ありゃしない。戦場には大勢の騎士、つまり男だけが集まる。明日をもしれぬ命。頼りになるのは、隣にいる友や仲間だけ。燃え上がる友情。その熱い想いは、やがて恋へと変化していって……」
「せ、先生。もう結構です」
秘密の蜜は、甘すぎて、胸やけだった。
女剣士は、後ずさるシエナへ〝逃がさないぞ~〟と、にじり寄る。蝶を捕獲しようとする、クモのよう。
「なに恥ずかしがってるんだよ、シエナ。ここからが良いところなんじゃねえか。『其方には迷惑かもしれぬが、我が熱き想い、もはや抑えきれぬ』『分かりました。貴方様とは命を預け合う仲。命さえ託す相手に、今更身体を惜しむ道理がありましょうか! 私の拙い身体で宜しければ、喜んで差し上げましょう』『おお、友よ!』……そして2人は手を取り合って天幕の中に入って行き、組んずほぐれつ、スッコンパッコン汗まみれ」
「イヤ!! それ以上、聞かせないで!」
耳を塞いでイヤンイヤンする10代前半の少女に覆い被さりながら、何やら無理強いしている20代前半の成人女性。
完全に変態行為である。通報必須の逮捕案件だ。
「天幕の中で互いに鎧を脱がせ合った2人の騎士は、上になり下になり縦になり横になり、熱気ムンムン、汗は飛び散り、その声は……」
「イヤイヤ!!!」
「『ハ・ガクーレ』の内容について質問してきたのはお前だろ、シエナ。じっくりネッチリとっぷりミッチリ教えてやるから有り難く思いな。ヘッヘッヘ……ウワッ!?」
スッカリ変質者に成り下がっていた女剣士が、いきなりメイド少女の前からぶっ飛んで消えてしまった。
いつの間にか近寄って来ていた猫族女性が、女剣士の側頭部に後ろ回し蹴りを喰らわしたからだ。
「アンタ、またシエナちゃんにオカしなことを吹き込んでいたわね。今回は、さすがにアウトよ!」
「スナザ様!」
シエナがスナザに抱きつく。
「え~ん、スナザ様。怖かったよ~」
「よしよし、シエナちゃん、安心して。変態女は退治したからね。悪は、滅びたの。もう2度と、貴方の前に現れることは無いわ」
「イタタタ。酷いな~、スナザ。アタイは、好意でシエナに『ハ・ガクーレ』の講義をしていただけなのに。あと、誰が悪だ」
変態女は、すぐに復活した。女剣士はタフであった。
「キャ!!」と女剣士の姿を見たシエナが、スナザの背後に隠れる。
「近寄るな、変質者! シエナちゃんは、この命に代えても守ってみせる!」
「なんで、スナザと命を懸けて戦わなくちゃならねーんだよ。まぁ、アタイも少しばかり調子に乗りすぎた。雨の降り始めに出来る水溜まりの深さくらいは、反省している」
ちっとも反省していない女剣士であった。
最後に、ダメ師匠が言い添える。
「つまりだ。騎士同士における友情の昇華であっても、〝男と男の恋愛〟は俗世間の共感を得にくい。どうしても、人目を避けちまう。結果として〝忍ぶ恋〟になってしまった訳だ。シエナも好きな男が出来たら、その男が〝忍ぶ恋〟をしていないか、良く確認しておけよ」
♢
女剣士による『ハ・ガクーレ』の解釈は、かなりテキトーであった。
しかし、純真なシエナは、そのいい加減な教えを未だに信じていた。
(詰まるところ、サブローさんはバンヤルさんに〝忍ぶ恋〟をしていたということ!? けれどブランの追求にあって、公開告白に踏み切った。たくさんの騎士が居るこの場なら〝男同士の恋愛〟に理解が得られると踏んだのかしら?)
どうしてか、シエナの頭の中では『騎士は、男同士の恋愛に関するスペシャリスト』という間違った認識が形成されていた。
女剣士の誤った授業の悪影響が、こんな所で表面化しようとは!
(で、でも、これはサブローさんの一方的な告白に過ぎないわ。バンヤルさんにとっては、思いがけない状況よね? きっと、戸惑ってるに違い無いわ。バンヤルさんが、サブローさんの申し出をキッパリ断ってくれれば良いだけの話。そうなったら、私がサブローさんを〝正しい男女交際〟に引き戻してみせる!)
メイドは、決意する。
サブローを諦める気など、更々ないシエナであった。
(いえ。考えようによっては、これはむしろチャンスかもしれないわ。告白を断られて落ち込んでいるサブローさんを、私が慰めるのよ。『可哀そうなサブローさん。勇気を出して衆人環視の中でプロポーズしたのに、無残にもフラれてしまうなんて。でも大丈夫、私が付いています』『シエナさん、貴方は何て優しいんだ。僕が間違っていたよ。やっぱり、恋愛は男性と女性との間でするものだよね』『その通りです、サブローさん。ちなみに私は女性ですよ? しかも17歳です。ピチピチです。ご奉仕上手のメイドです。お嫁さんにだって、すぐになれます。結婚式場は予約済みです』『シエナさん!』『サブローさん!』みたいな展開になるかも。ヤダヤダ、どうしよう!)
ぽんこつシエナが都合のいい妄想に耽っていると、サブローが毅然とした表情でバンヤルに顔を向けた。
「バンヤルくん!」
サブローの凜々しい呼びかけ。
(さぁ、バンヤルさん。サブローさんが未練を残さないように、ハッキリ拒否してね!)
自己の勝手な願望を、行商の少年に押し付けるメイド。
シエナの側でミーアも『バンヤル、断るニャ。拒否するニャ。却下するニャ。遠慮するニャ。謝絶するニャ。辞退するニャ。蹴飛ばすニャ。突っぱねるニャ。不承知するニャ。門前払いするニャ』と呟いている。
まるで、呪文だ。
馬車も何でか、ブルブル震えている。謎の生命体に進化したようだ。
皆が注目する中、バンヤルは意外な反応を見せる。
快活な声で、サブローに答えたのだ。
「おおともよ! 分かったぜ、サブロー! 任せときな!」
晴れやかな面持ちでサブローに頷き返す、バンヤル。
サブローとバンヤル、2人の少年の心は間違いなく通じ合っていた。
その目映い光景に……。
「うぉぉぉぉぉ!」
何故か盛り上がる騎士たち。
「ああああああ!」
絶望に打ち拉がれるシエナ。
『にゃぁぁぁぁ!』
惑乱してしまうミーア。
馬車は、シーンとして微動だにしない。無生物に戻ってしまったらしい。
お分かりのことと思いますが、『ハ・ガクーレ』の元ネタ本は『葉隠』です。
あと初っぱなにサブローに倒された騎士ボートレは、未だ地面に放置中……。誰か助けてやってくれ(涙)。




