イエロー様は美しい
平身低頭している僕のはるか頭上で、鬼たちが会話を交わしている。
「まぁまぁ、イエロー。落ち着きなや」とブラック。
「ブラックよ、私は常に冷静沈着だ。今も、心は無風の湖面の如く、さざ波一つ立っていない」とイエロー。
「では何故、手に持った金棒を振り下ろそうとしているんですか?」とブルー。
マズい、マズいよ!
僕は焦る。
生前これほどのピンチに襲われたのは、高校受験の試験中にトイレへ行きたくなった時くらいだ。
いやぁ、あの折は大変だった。試験官に、自分が現在どれほど危険な状況に陥っているのかを切々と開陳したもんだよ。コメントの途中で、「そんなのどうでも良いから、さっさとトイレに行ってきなさい」と言われたっけ……。
「イエロー。お前の金棒の一撃を受けたら、サブローはペチャンコになってしまうぞ」
レッドの発言にイエローが反論する。
「大丈夫だ、レッド。ここは地獄だ。ペチャンコになっても、死にはしない」
「サブローは既に死んでいるから、これ以上死にようは無いですけどね」
ブルーの指摘に続いて、ブラックが疑問を呈する。
「それにしても、なんでサブローはこれほどの美女であるイエローを男と間違えたんや?」
ブラックのセリフに、驚愕する。
うぇ? イエローが美女!! 鬼族の審美眼って、どうなってんの?
ひょっとして、アレか? 文化の違いってヤツか?
僕は中学の図書館で、アフリカのとある民族では下唇にお皿を嵌め込んで、その皿が大きいほど美しい女性として扱われるって逸話が書かれた本を読んだときのことを思い出した。
最初は面白半分のネタ話かと疑っていたけど、実際の写真が添付されていたため信じざるを得なかった。初見ではただ気持ちが悪いとしか思えなかったその写真の女性の姿も、時間を掛けて眺めているうちにだんだん見慣れてきて、やがて僕は次のような結論にたどり着いた。
「なんか、これも美女として〝あり〟だな」
世界にはいろんな民族が存在していて、いろんな風習があって、それぞれ違いがあるからこそ面白いのだ。自分の好みに合わないからと言って、すぐに否定するのは良くないことなのだと、その時の僕は確信していた。
ただ今更ながら考えると、あの皿の美女をそれなりに許容できたのは、「どんな文化も受け入れる僕ってカッコェー!」という中学生特有の虚栄心によるものが大きかったのかもしれない。
もし異世界に転移して、そこの美女基準が皿を嵌めた唇の大きさだとしたら……。
僕は、唇が異様にでっかい美少女たちに囲まれたハーレムを想像してみた。
悪夢だった。
中学時代のど~でもいい記憶を掘り出しながら現実逃避している僕の姿を、鬼たちは都合良く勘違いしてくれたようだ。
「サブローを見ろ。土下座したまま、ピクリともせん!」
「サブローの真摯な思いが、伝わってきますね」
「男がここまでして謝ってるんや。許してやるのが、女の器量ってもんや」
「サブローは、これより僕たちの可愛い教え子になるんですよ。ここは、大目に見てあげましょうよ」
僕はブルっているだけなんだが……。
赤青黒緑の説得もあって、イエローは少し落ち着いたらしい。僕の頭上に漂っていた物騒な雰囲気が減少している。あと一押しあれば、ペチャンコになる事態を回避できそうだ。
恐る恐る、口を開く。
「もしかして、鬼族の女性は、男性よりも背が高いんでしょうか?」
「その通りです。特訓地獄に人間がやって来たのは久しぶりなので、僕たちも人間と鬼族の常識に違いがあることを忘れていましたよ」
グリーンが、僕との問答に乗ってきてくれた。
「そうなんですね。人間の女の子は男より背が低いのが普通なため、つい勘違いしてしまいました。スミマセン」
ちなみに、僕の身長は男子平均。クラスの中には、僕よりも背が高い女の子も居た。
付き合うのに、僕は自分より相手のほうが背が高くても全然構わなかったんだけどね。
そう言えば、カップルの身長差なんてちっぽけな問題だと、クラスメートの男子に熱く語ったこともあったな。
アイツも僕と同じ〝早くカップルになりてぇ〟病に罹っていたっけ。彼が、僕の考えに同意しつつも「女子と付き合うには、身長以前に俺たちには越えなきゃいけないハードルが多すぎる」と僕が見て見ぬふりをしていた現実を突きつけてくれたのも、忘れられない思い出だ。
あの時は「ハードルの数が数え切れないよ……」「ああ。しかも、どのハードルもメチャクチャ高い」と、憂鬱な会話を交わしながら、2人して奈落の底に落ちたんだよね。
そして今の僕は、正真正銘『奈落の底』に居る。
「しかし、背の高低だけで私を男と誤解するとは……」
イエローがまだブツブツ言っている。心が狭い。
「異なっている点は、背丈のみではありません。人間の女性は丸いんですよ」
グリーンが、えらく端的な説明をした。
確かに人間の女性の胸やお尻は丸くって、そこに男の僕はムラムラモンモンしちゃうんだけど、単に『丸い』と言われると「人間の女の子は風船玉じゃありません!」って抗議したくなる。
「そう言えば、そうだ。人間は、頑健さや屈強さを美の拠りどころとする我々鬼とは違うんだったな」
レッドがグリーンの話に納得する。
なるほど。だから他の4人の鬼より背が高くて筋骨隆々なイエローが、鬼族の男性視点では美女に見えるんだ。
「ハァ……もう良い。サブローよ、勘違いを許す。立ち上がれ」
イエローがそう述べてくれたので、僕は無駄に鬼たちを刺激しないようにユックリと身を起こした。
「本当に申し訳ありませんでした」
「『もう良い』と、言っただろう。何度も同じ言葉を口にさせるな。鬼族と人間とでは、見た目やモノの考え方に隔たりがある。初めて鬼に会ったサブローが間違えてしまったのも、無理ないことなのかもしれん」
僕は、改めてイエローの姿を確認した。……やっぱり胸を布で隠している点を除いて、他の鬼たちとの性差を区別できない。
でも、イエローは未だに無数のトゲトゲが付いた巨大な金棒を右手に持っている。考え無しの発言は、慎むべきだろう。あれでぶっ叩かれたら、ペチャンコなんて次元じゃすまない。血まみれのスプラッタだ。
「もう2度と、イエロー様を男と見間違うような恐れ多いことはしません。よくよく見れば、その清冽な瞳、強靱な意志を示している口もと、逞しくもしなやかな筋肉、全てが美の極致です! イエロー様の女性としての美しさを初見で見抜けなかった、僕が愚かでした」
金棒の脅威より身を守るべく、僕はイエローの血走った眼、耳もとまで裂けている口、ゴリラ顔負けに盛り上がった筋肉を褒めあげた。
するとイエローは「そ、そうか……」と口籠もる。少し嬉しそうだ。
イエロー様、意外とチョロいな!
お皿の美女の話はエチオピアのムルシ族の風習を参考にしました。