運命を変えた一言
お昼を過ぎて、ナルドットの街がいよいよ近づいてきた。
ナルドットに着いたら、フィコマシー様たちともサヨナラしなきゃならない。
少し……いや、かなり寂しいね。
でも、仕方ない。侯爵令嬢であるフィコマシー様やそのお付きであるシエナさんは、そもそも一般庶民である僕とは、異なる社会に属する人たちなのだ。馬車襲撃などという異常事態が無ければ、本来は出会うはずも無かったのだから。
一時とは言え、旅を共に出来た幸運にこそ感謝すべきだろう。
行商人一行の皆さんとも、お別れだ。…………あれ? 全然名残惜しくないな。マコルさんたちのほうが、フィコマシー様たちより付き合いは長いのに。
オカしいね。
けど、しょうが無いかな。少女とオッサンとじゃ、少年の心中における比重が違いすぎる。リビドーの影響は、大きいのだ。
異世界の人々と交流した記憶。それは、まさしく宝石そのもの。
フィコマシー様やシエナさんとのメモリーは、カラーダイヤモンドのごとき美しい輝きを僕の中で永遠に放ち続けることだろう。
片やマコルさんたちとの思い出は、工業用ダイヤモンドである。実用性に疑問を持ったら、うっかりポイしてしまうかも。ポイしなくても、時間が経つにしたがって摩耗していくのは、避けられそうも無い。
まぁ、ナルドットの街ではバンヤルくんの実家が経営している宿を借りるつもりなので、彼との関わり合いは続くと思うが……。
「サブローさんとミーアちゃんは、ナルドットの街で冒険者になられるんですよね?」
シエナさんが、確認してくる。
「ハイ。その予定です」
近い将来。
冒険者になった僕。そして、ミーア。生活の場は、市井だ。
対して、フィコマシー様は貴族。シエナさんは侯爵家の使用人。
……彼女たちは、遠い世界の人になっちゃうな。
メランコリックな気分に耽る僕へ、シエナさんが突然提案する。
「冒険者ギルドの本部で登録する際には、関係者として私の名前を記載しておいてくださいませんか? 何か用事があった場合に、連絡を取りやすくなりますので」
驚く。
同時に、胸の内に湧き上がるモノ。これは……喜びの感情?
シエナさんの言葉に、胸が弾む。
しかし、安易な了承は……。
「でも、僕とミーアはただの平民です。ご迷惑になりませんか? 負担をお掛けするようになってしまったら、申し訳ないです」
「迷惑や負担なんて……そんなこと、絶対にありません!」「お嬢様の、仰るとおりです」
話を聞いていたフィコマシー様が、大きな声を出す。シエナさんも同意する。
彼女たちの願い。その意味するところは……。
――サヨナラの拒否。
確定していたはずの別離が、白紙に戻される。
絆は、途切れない。未来への道は、まだ続く。
ここでフィコマシー様とシエナさんが『道中、ありがとうございました。また機会があれば、何処かでお目にかかりましょう』などといったありきたりなセリフを口にしていたら、僕とミーアはそのまま頷いたことだろう。
お2人のことは心配ではあるが、相手が望まないのに、強いて介入しようとまでは思わない。ウェステニラにおける僕の当面の目的は、『冒険者になること』と『ミーアを守ること』の2点のみなのだ。
だからフィコマシー様たちからの意思表示がなければ、動きようが無かった。
僕は特段、思惑を抱いてはいなかったし。心を残しつつも、異なる方向へ歩きだすだけ。フィコマシー様たちとの繋がりは、それっきりになったに違いない。
だが、そうはならなかった。
ああ……。分かる。
シエナさんの、たった一言。
『私の名前を記載しておいてくださいませんか?』
それだけ。
それだけで、今、運命が変わった。
僕とミーアの運命? あるいは、フィコマシー様とシエナさんの運命?
メイドの少女が、語気を強める。
「サブローさんとミーアちゃん、それにマコル様たちには、まだキチンとした謝意も示せていません。本来なら、お屋敷にまで同道していただきたいんですけれど……予期せぬ面倒ごとに巻き込んでしまったら申し訳ないため、後日改めてお礼に伺います。さすがに冒険者ギルドでフィコマシーお嬢様の名前を出すのは憚りがありますが、私の名なら大丈夫です」
シエナさんの発言に、フィコマシー様がいちいち賛同する。
「出来れば、冒険者ギルドで私の名前も連絡先に……」「お嬢様、自重してください」なんてやり取りもしている。
……何だろう?
シエナさんの申し出は、願っても無いことではある。
僕としても、フィコマシー様とシエナさん、2人との関係にピリオドを打つのは残念だと考えていたから。
馬車を襲った4人の賊。
バンヤルくんが話してくれた、バイドグルド家におけるフィコマシー様の現況。
フィコマシー様を懸命に支える、シエナさん。
昨晩、旅館へ侵入してきた、不気味な少年。赤い目。狂笑。闇魔法。
魔族、聖女、王子……数々の謎。
気掛かりな点が、多すぎる。
離れたとしても、何かにつけてフィコマシー様たちのことを思い出してしまうに違いない。
ミーアも、2人と仲良しになった。
人間語の勉強を通じて親しくなっていったフィコマシー様。
シエナさんは、ミーアの叔母であるスナザさんから武芸を習っていた。ミーアの姉妹弟子であることが、判明した。
フィコマシー様やシエナさんとの親交が、継続される……ミーアの事情や気持ちを考慮に入れても、それは素直に嬉しい。ミーアも、2人との縁が切れてしまうのはイヤだろう。
……そう。嬉しいのは、間違いない。
が、微かに違和感も覚える。フィコマシー様とシエナさん――彼女たちが、僕らとの絆が絶ちきれる事態を極端に恐れているように感じられて仕方がないのだ。
馬車への襲撃、更には昨晩の侵入者と、2人は立て続けに危難に遭った。辛かったろうし、怖かったろう。
現在でも、怯えているのかもしれない。
しかし、フィコマシー様たちはこれよりバイドグルド家に守ってもらえる状態になるはず。
にもかかわらず、こうまで僕らとの繋がりにこだわるなんて……。
僕なんかを頼りにしなければならないほど、2人は自分たちの先行きに不安を覚えているのか? 追い詰められているのか?
……僕は、そんなに大した男じゃない。僕ごときが、フィコマシー様やシエナさんの信頼に応えられるのだろうか?
だけど、ここで僕が即答を躊躇ったら、2人はいっそう心細くなっちゃうよね。下手したら、彼女たちの心を傷つけてしまうかも。
フィコマシー様とシエナさんに……『サブローさんは、これ以上私たちに関与したいとは考えていない。申し出を、迷惑に思っている』――僅かにでも、そんな風にお2人に感じさせちゃいけない。
胸を張れ、間中三郎!
たとえにわか作りの張りぼてであっても、努力次第で本物に劣らない働きは出来るはず。
「分かりました。冒険者ギルドで、シエナさんのお名前を使わせていただきます。何かあれば、遠慮なく知らせてください。僕もミーアもお2人の力になりたいと思っていますので、連絡を頂ければ即座に飛んでいきます」
キッパリそう告げると、フィコマシー様とシエナさんの顔がパァッと明るくなった。
……な、なんか、ここまで喜んでもらえると照れちゃうね。
ミーアも「ニャ~。任せるニャ~」なんて述べている。
あと『妹の世話をするニョは、姉の務めなのニャン』とか猫族語で宣言してるけど、このセリフは通訳しないほうが良さそうだ。
「私たちは、20日ほどナルドットに滞在します。サブローさんとミーアちゃんには、出来るだけ多く会いたいです。可能なら、御領主様のお屋敷に招待したいのですが……」
シエナさんは、言葉を濁した。
屋敷におけるフィコマシー様の待遇に懸念を抱いているのかな? ひょっとしたら、客人をもてなせるだけの余裕を与えてもらえるのか、僕らへの体面を保てるのか、確信を持てないのかもしれない。
フィコマシー様も喜びの表情から一転、恥じ入る顔になる。
揃って沈痛な雰囲気を漂わせる、フィコマシー様とシエナさん。
僕は、どうにかして彼女らを元気づけたかった。
けれど無責任な励ましは逆効果と考え、喉まで出かかったセリフを呑み込む。
♢
ちなみにウェステニラの暦は、1ヶ月が30日で1年は12ヶ月、つまり360日経つと1年過ぎる計算になる。地球より、1年が5日ほど短いのだ。
ついでながら『学園の春休みが1ヶ月なんて長くない?』との疑問も僕は持ってしまった。
少しでも気が紛れたら……と、学園の休み期間について、シエナさんに質問してみる。
そして、僕はメイドさんの返答の内容に驚愕した。
な、何と、春・夏・秋・冬それぞれの季節に1ヶ月ほどの長期休暇を貰えるのだとか!
羨ましい。日本の学校も、ウェステニラの教育制度を見習うべきだと提議したい。
僕は、ゆとり教育推進派です。




