魔族と聖女
「貴様、今、シエナさんに何をしようとした?」
声を低くしつつ、問い詰める。
「ああ~。オネンネ中のメイドちゃんには、永遠の眠りについてもらおうかと思って。オレって、親切だろ?」
気安い口調で述べる、黒ずくめの男。
――――コイツ!
落ち着け、相手のペースに乗せられるな! よく、観察しろ。
男が着用している上下の服装・手袋・靴などは、揃って闇夜にとけてしまいそうな黒色で統一されていた。
……忍者みたいだな。
そして、首から上だけは外気に晒している。
――若い。僕と、同世代か。
細い目と高い鼻梁、抹茶色の髪。この期に及んで、おちゃらけた言葉遣いと態度を保っている。今にも、口笛を吹き出しかねない表情だ。
余裕の誇示か。それとも、もとよりそういう性格なのか。
いずれにせよ、曲者なのは間違いない。油断するな!
「キミ、庭をうろついていた人だよね」
案外に丁寧な少年の喋り。が、慇懃無礼としか感じない。
「隠密行動に徹していたつもりだったんだけどな~。むむ。どうやって、オレの存在に気が付いたの?」
「お前、旅館へ侵入する前に、庭へ視線を走らせて僕の姿をチェックしただろ? その時の気配で、察した。何者かが、悪質な意図を抱いて不審な動きをしている。フィコマシー様を狙っている、とね」
「へぇ!」
黒衣の男が、驚きの声を上げる。
「あの一瞬で、感知したのかい!? 偉いね、キミ!」
少年は本気で僕を称賛しているらしい。少しばかり、細目を見開いている。
瞳の色は、くすんだ青――青鈍色か。
「キミのこと、自分、気に入っちゃったな~」
馴れ馴れしいな。
何だ? コイツ。
「そんなことは、どうでも良い。貴様がたった今、しようとした不埒な行いが問題だ。何故、シエナさんを害そうとした?」
標的は、フィコマシー様じゃないのか?
「そ~れ~は~」
男は、ウンザリしたように首を軽く回す。
「本当はね~、聖女をサクッと始末したかったんだ。でも、やっぱオレには不可能だったよ。だから、代わりに側仕えの女の子に死んでもらおうと思って」
な!
「とばっちりで、申し訳ないんだけどね。しかしながら、いつまでも未練たらしく聖女の側から離れようとしない、この子がイケないんだよ。唯一の味方であるメイドちゃんが居なくなったら、聖女の心は、より一層萎れちゃうだろうね。それとも、枯れちゃうかな? どちらにしろ、歪みはどんどん酷くなるし、封印はますます強固になるし、コチラとしては万々歳なんだよね~」
……聖女? 封印? いったい、何のことだ?
「2日前の馬車への襲撃。あれも、お前が手配したのか?」
ククリの切っ先を男へ向けつつ、尋問する。
「まぁね」
ヘラヘラと少年が笑う。細目が、糸目になった。あくまで、不真面目な言動を貫く気らしい。
無性に、かんに障るツラだ。
「全く役に立たなくて、ガッカリだよ。小銭で雇った小悪党だし、たいして期待してなかったけどね」
僕はククリの柄を固く握りしめながら、手前に引く。いつでも、突きを放てるように。
「おいおい。殺る気充分なようだね。キミって、ボ~とした外見によらず過激なんだな~」
「フィコマシー様たちに……」
「ん?」
「何をした? どうして、彼女たちは眠り続けている?」
「さぁ~。キミは、何でだと思う?」
浅薄な口調による反問。相手のペースに乗せられるな!
「……闇魔法の《睡眠誘引》……だな」
僕の答えに、男は呆気に取られたようだ。一瞬、真顔になる。
「おお!? 凄い、凄いよ、キミ! 分かっちゃうんだ? ホントに、何者なんだい?」
「正体不明なのは、お前だろう?」
コイツ、魔法使い……それも、闇魔法の使い手か?
闇魔法は光魔法に次いで、習得が難しい魔法だと、イエロー様に教わった。
そもそも、人間で闇系統の魔法を積極的に覚えようとする物好きは少ない。エルフは、闇魔法そのものを嫌っている。
闇魔法は、魔族が最も得意とする系統の魔法であるためだ。
魔族は、それ以外の種族――人間・エルフ・ドワーフ・獣人などと極度に仲が悪い。敵対関係にあるとさえ言える。
故に魔族を除いた種族の間では『闇魔法=魔族=邪悪』といった安直な図式が、成り立ちやすいのだとか。
そして、闇魔法を扱うこの男……一瞥する限りは普通の人間、10代後半の少年にしか見えないが……なんだろう? 得体の知れない雰囲気を、身にまとっている。
この少年の姿を目の当たりにしていると、背筋に氷柱を押し付けられているような気分になってしまう。
フトした拍子に、男の内側より漏れ出てくるモノ……底知れない不気味さ、あたかも妖気とでも呼ぶべき何か……。
この男……この細目の少年……擬態しているのではないか?
蜘蛛やカマキリは、獲物を襲うために植物などと体色を同化させるケースがあると聞く。コイツも……
『お前、魔族だろ?』
少年はビクッとし、糸目を開ける。
瞳の色は、青鈍だったはず。
しかし、今は赤い。鮮血を思わせる紅。
魔族語による問いは、あくまで引っ掛けだった。
だいたい、僕は魔族を実際に見たことなんて無いのだ。男が本当に魔族であったとしても、見破る術などない。
が、男には魔族語が通じた。殆どの人間にとっては未知の言葉である、魔族語を理解しているとなると……少なくとも、コイツは見掛け通りのただの少年ではあり得ない。
それだけは、断言できる。
僕は緊張感をより高めつつ、男を見据える。
『ギャハハハハハハハ!』
少年が笑い出す。赤い瞳が、闇夜に煌めく。
笑い声の音量は、控えめだった。部屋の外には聞こえない程度。
けれど、その響きは異様なまでに耳障りだ。まるで壊れた機械より垂れ流されるノイズ。
哄笑。いや、狂笑か。
人間の口から出ても許される、声の形では無い。
男の笑いが、ピタリと止まる。
「キミ、名前は?」
少年が、真面目な顔で訊いてくる。瞳の色は、くすんだ青に戻っていた。
「ハ?」
「ねぇ、名前を教えてくれないかな?」
「……サブローだ」
「サブローくん……ね。覚えておくよ」
男が、何度も頷く。楽しげな表情だ。
「いや~。ツマラナイ任務ばっかりでウンザリしていたところに、嬉しい驚きだよ。今晩、わざわざ出向いてきた甲斐があった。キミのような切れ者をいつの間にやら侍らせているなんて、やっぱりグチャグチャに壊れていても、聖女は聖女と言うことなのかなぁ」
ペラペラと喋る少年。聞いているだけで、不愉快になる。
「聖女さん、この見た目だろ? 婚約者とは不干渉だし、男とは無縁の生活をしていたはずなのに、意外や意外。手が早かったんだね~。これはいわゆる、男好きの聖なる性女とか? いや、メイドちゃんのことも手放そうとしないし、ひょっとして両方イケるクチ? 聖女様、やる~。ギャハハハハ」
話の内容に、ついていけない。
だが、コイツがフィコマシー様やシエナさんを馬鹿にしているということだけは理解した。
「やれやれ、そんなに怒らないでくれよ。こんな務め、もともとチャンと果たす気なんか無かったんだ。その証拠に、ほら、見てくれよ。オレは、丸腰だろう?」
少年は、大袈裟に両腕を広げてみせる。
確かに、目に映る範囲で武器を携帯している様子はない。しかし、コイツは魔法使い。人を害するのに、得物を用いる必要など無い。
「サブローくん。お願いだから、怖い目で睨まないで欲しいな~。ホントに、テキト~に済ませて、ちゃっちゃと帰る気でいたんだよ。けど、王子が〝ヤイノヤイノ〟とウルサくてね。形だけでも『仕事はしました~。しかし、上手くいきませんでした~』と示さなくちゃならないわけよ。察してくれない? 宮仕えは、辛いのよ」
王子……だと?
コイツ、王子の命令でココに来たのか。それじゃ、一昨日の馬車への襲撃も……。
だが、この男の口舌はあまりにも滑らかすぎる。こちらを欺くための、フェイクの可能性もある。
真実を知るには、とっ捕まえて吐かせるしかない。
「それじゃ、オレはそろそろお暇しますんで……」
「僕が、貴様を黙って見逃すとでも?」
「勘弁してよ~。当分、キミの大切なお嬢様たちには、ちょっかい出さないと約束するから。実のところ、前々より『目立つ立ち回りはするな!』って、上の連中にキツく命じられていたんだよ。『聖女は、放っといても自滅する。それを、待っていれば良い』とかなんとか。コッチの準備も、整っていないしね。なのに、馬鹿王子が焦っちゃってさ。まぁ、陛下があんなことを言い出した以上、無理はないけどね」
「なかなか、興味深い話だな。腕の1、2本叩き折った後に、ジックリ聴かせてもらおうか」
ククリを構えつつ、少年へにじり寄る。
「ふ~ん。オレと、やり合う気かな? でも、こんな狭い場所で戦ったら、周りにどんな被害が及ぶか分からないよ。それこそ、キミが守ろうとしているお嬢様やメイドちゃんも……」
うすら笑みを浮かべつつ、男は眠り続けるシエナさんへ接近しようとする。
くそ! ターゲットは、あくまでシエナさんなのか!?
させるか!
「キミさぁ~。血気盛んなのは良いけど、そんな物騒な刀を振り回すつもり? 女の子たちに当たっても知らないよ」
男は呆れたように、溜息を吐く。
「…………」
僕は少年から目を離さずに、ゆっくりとククリを鞘に収めた。
「お! 納得してくれたの? やっぱ、平和が1番だよね!」
どの口がほざく!
「忠告……感謝する!」
前動作無しで、いきなり男の顔面へパンチを繰り出す。
「うわ~、短気だね。――ぐ!」
僕の右ストレートを軽々と躱す少年。その腹部へ左の拳を放ち、めり込ませる。
こっちが、本命の攻撃だ!
男は苦痛の呻き声を漏らし、膝を落とし掛けた。
が、僕が追撃する前に、素早く窓際へ移動する。
「いや~。キミって、強いね~。でもこんなとこで真剣に殺し合うとか、馬鹿らしくてオレは御免こうむるよ。それでは、サヨナラ~」
少年は3階の窓から、全く躊躇せずにヒョイと飛び降りた。
急いで駆け寄り、窓の外を見下ろす。
黒装束の男は凄いスピードで、建物より離れていく。あっと言う間に、その姿は闇夜に紛れ、見えなくなってしまった。
どうする? 跡を追うか?
しかし、フィコマシー様たちは眠ったままだ。無防備な状態になっている彼女たちを、残していく訳にも……。
だが、男を捕まえて真相を吐かせたい思いが募る。
いや……冷静になれ、サブロー。優先事項を、見失うな。
大切なのは、ミーア・フィコマシー様・シエナさんの身の安全だ。
そもそも今から全力で追跡したとしても、男を捕捉できるかどうかは疑問だ。
深呼吸し、窓を閉めた。
《睡眠誘引》の魔法の効き目は、それほど長くない。強引に起こさなくても、朝方になれば、3人とも自然に目が覚めるだろう。
ミーア、フィコマシー様、シエナさん……今は、眠っていてもらおう。
おそらく、今晩はもう襲われることはないはず。見張り役は、僕だけで充分だ。
椅子に座って眠り込んだままのシエナさん。体勢が不自然で、苦しそうだ。
サッと彼女を抱き上げ、フィコマシー様のベッドへと運ぶ。
寝台に3人の少女を並べて横たえ、着衣に乱れが無いか確かめた上で、シッカリと毛布を掛けた。
彼女たちに恥をかかせるわけにはいかない。
フィコマシー様とシエナさんに挟まれて眠るミーアが、ニャモニャモと寝言を口にしている。
耳を澄ますと『お団子3姉妹はベッドの中にゃ~』と呟いている。
どんな夢を見てるんだよ、ミーア!? けど、なんて現在の状況にピッタリな言葉!
僕は思わず吹き出し、ミーアの頭をソッと撫でた。
猫族少女の毛並みの感触は、相変わらず抜群の心地よさだった。




