闇夜の侵入者
後半は、シエナ視点です。
タントアムの町に着いたのは、夕暮れ時だった。
日没まで多少時間はあるが、今夜はこの町で休むことになっている。
タントアムはナルドットより主要街道を南に進んで1日の旅程にあり、王都ケムラスと辺境の街ナルドットを行き来する旅人が必ず立ち寄る宿場町だ。
王家直属の代官が治めているため、フィコマシー様は挨拶するべく役場に出向いていた。
侯爵令嬢であるフィコマシー様と代官とでは、どちらの身分が重いのだろうか?
封建社会における地位のあり方は、平等社会の日本で育った僕にはイマイチ分からない。
代官は、フィコマシー様に町1番の旅館を紹介してくれた。
王都とナルドットを往復する際にオリネロッテ様も必ず宿泊するところだそうで、確かに豪華な建物だった。
3階建ての建築を、僕はウェステニラに来てから初めて目にしたよ。
フィコマシー様が泊まるのは、3階にある最上級の部屋である。一方、マコルさんたちは1階の4人部屋。
マコルさんたちは、普段はもっと安い宿を利用しているのだとか。「余計な出費をさせてしまって申し訳ありません」とシエナさんが謝っていた。マコルさんは「これも良い経験です」と、やんわり笑ってくれる。
さすがマコルさん、大人だ!
僕も、将来はこんな余裕を持った中年になりたいものだ。
旅館へ入って……フィコマシー様が、フゥフゥ喘ぎつつ階段を上る。
……なんか、階段がミシミシ音を立ててるんですけど。
僕にも一応、部屋の中をチェックさせてもらった。
3階にはこの貴賓ルーム1つしかないだけあって、かなり広い。
天蓋付きのドデカいベッド1つに、それよりは劣るがシッカリした作りのベッドが3つある。
ミーアが、早速ベッドの1つに跳び乗る。
ミーアには、今夜もフィコマシー様たちと一緒の部屋に泊まってもらう予定だ。
バンヤルくんからのアドバイスに従って、フィコマシー様たちと行動することにより生じるデメリットについては、ミーアにちゃんと伝えてある。
事情を聞いたミーアは、それでもフィコマシー様たちの側を離れるつもりは無いと述べた。
『アタシ、フィコマシー様もシエナも大好きニャ』『2人をイジめる人は許せないニャン』『猫族は、絶対仲間を裏切ったりはしないのニャ』
猫族少女の力強い言葉の数々を思い出し、僕は微笑する。
ミーアが持っている〝自然体の善良さ〟に触れると、こちらの心まで清められていくような――爽やかな感情を抱いてしまうね。
既にミーアがフィコマシー様とシエナさんを『仲間の範疇』に入れてしまっている点は、多少気掛かりではあるが……。
ベッドの上でゴロゴロしていたミーアがムクリと起き上がり、僕に語りかけてきた。
「サブローも、この部屋、泊まる?」
つっかえつっかえだけど、確かに人間語だ。
おお、ミーア。君は、語学の天才なのかな? でも、質問内容はちょっと刺激が強い。
「と、泊まらないよ!」
慌てて返事をしながら、フィコマシー様とシエナさんの様子を窺った。
ミーアのトンデモ発言を耳にした2人は、どちらも黙り込んだまま顔を赤くしている。
お願い! 2人とも誤解しないで! お嬢様の宿泊部屋に入り込んだのは、万一の事態に備えるためです。僕に下心なんてありません。
僕は、清廉潔白な男なんですよ!
漂白剤に24時間漬けたタオルくらいには、真っ白です。
その後、シエナさんと今夜の役割分担をどうするか話し合った。
もし先日の襲撃を企てた者がまだフィコマシー様の暗殺を諦めていないとしたら、晩のうちに刺客を送り込むなど、何かを仕掛けてくる可能性がある。
昨夜のロスクバ村での逗留は予定外の行動だったが、タントアムにおける宿泊は既定路線。更に侯爵令嬢であるフィコマシー様が休むのは、この旅館のこの部屋に決まっている。
敵からすれば、襲撃すべき地点を特定できるため、準備や人員確保の点で有利だ。
もちろん高級旅館だけあって警備態勢はシッカリしているけど、それでも用心するに越したことは無い。
シエナさんは部屋の中でドア側の警戒を、僕は建物の外で窓からの侵入を見張ることにする。
今晩は寝ずの番になるが、僕とシエナさんは予め馬車の中で仮眠を取っておいた。
徹夜しても、大丈夫だ。
夜、僕は旅館の中庭を探索し、3階の窓を監視できる丁度良い場所を見付けた。
腰を下ろし、警備を続ける。
空には、2つの月。
当たり前だが、地球とセットになっている月は1つだけだった。
複数の月の存在は、自分がいま異世界に居るというリアルをイヤでも実感させる。
大きい月を『親月』、小さい月を『子月』とウェステニラの人々は呼んでいる。
いつも近くに居るのに、決して触れあうことは無い親子。
母親を早くに亡くして父親とは上手くいっていないフィコマシー様や、両親いずれも他界しているシエナさんは、どのような思いとともに、この親子月を見上げるのだろうか?
僕はウェステニラの美しい夜空をつかの間見上げ、再び警戒行動に戻った。
♢
旅館の3階にある最上級の宿泊部屋では、フィコマシーとミーアが賑やかにお喋りを続けていた。
シエナは特に語らいには参加せず、2人の会話を聞き流す。心地良い音楽を耳にしているようで、それだけで幸せな気分になる。
「それでネ、それでネ、サブローが……」
「ミーアちゃんは、本当にサブローさんのことがお好きなのですね」
フィコマシーとミーアの話題の中心は、やっぱりサブローだ。
何でもサブローは猫族の村で大人気で、《カニハンター》以外に《ベアキラー》なる称号も得ていたらしい。タイトルの意味合いはサッパリ分からないが、とにかく凄そうだ。
なおかつ《ぶっかけサブロー》というニックネームも授けられそうになったが、それは辛うじてミーアが阻止したとか。
(ミーアちゃん、お手柄だわ。なんて賢いの!)
シエナは、心より思った。
ミーアが素直にサブローを慕っている様を見るにつけ、シエナは微笑ましいような、眩しいような、憧憬まじりのちょっぴり複雑な気持ちになってしまう。
そして、(私にとってサブローさんの存在は……?)と改めて考える。
なごやかな時が過ぎていった。
♢
フィコマシーが「ミーアちゃんのご家族は、仲が宜しいのですね」と羨望の眼差しを猫族少女へ向けた。
ミーアの家族について、2人は話している。
ミーアの父の名は、ダガル。母の名は、リルカ。ミーアは長女で、弟妹が5人ほど居るとのこと。
更に、驚くべき情報が。
「スナザ様は、ミーアちゃんの叔母様だったのですね! スナザ様は、私に武術を教えてくださった方なのですよ」
この時ばかりは、シエナも興奮を抑えきれず、話に割って入ってしまった。ミーアはビックリし、続いて大はしゃぎする。
「スナザ叔母さん、アタシの尊敬! アタシの憧れ! アタシの目標!」と人間語で繰り返す。
ミーアのシエナを見る目が、明らかに変わっている。
それまではいくら親しくなったとしても〝他人〟と認識していたのに、『シエナは、スナザの弟子である』と分かってからは、〝仲間〟を飛び越えて〝身内〟と捉えてくれるようになったみたいだ。
シエナも、一気にミーアを身近に感じてしまう。
フィコマシーも最初は呆気に取られていたが、事情が判明して以降はとても嬉しそうにしている。
「人の縁とは、思いも掛けぬところでつながっているものなんですね」
フィコマシーの言葉に、シエナもミーアも深く頷いた。
シエナは、女剣士やスナザと過ごした日々を脳裏に浮かべた。
懐かしさで心が満たされ、つい感傷的になってしまう。
(お2方は、サブローさんとミーアちゃんのように人間と猫族のペアだったわ……)
サブローとミーア。女剣士とスナザ。
どちらのペアも、種族の垣根を全く感じさせないほど、絆は強く、関係は良好だ。
もっとも、サブローがミーアへ物理的なツッコミ(蹴りとか)を入れる姿などは、想像もできないが……。
(先生たちは同性同士で、サブローさんとミーアちゃんは男女のペアだからかしら?)
メイドの少女は考える。もし、女剣士が男であったら……。
(スナザ様のツッコミが、より強烈になるだけね)
シエナは、そう結論づけた。
♢
深夜。
フィコマシーとミーアは、同じベッドで眠っている。豪華な、天蓋付きの寝台だ。
フィコマシーが「ミーアちゃん、私と一緒に休まない?」と誘ったところ、ミーアは躊躇いもなく承諾した。
丸々としているフィコマシーの隣で、ちょこんと横になっている。
シエナはドアの前に椅子を置き、腰掛けていた。不測の事態で侵入者が現れても、即座に対応できるように見張るためだ。
何と言っても、フィコマシーとシエナが襲われたのは昨日……いや、もう夜半を過ぎたから一昨日か? ……なのだ。警戒は、厳にすべきだろう。
フィコマシーは、静かに横たわっている。
シエナは、知っている。
フィコマシーは眠っている最中、寝息すら立てないのだ。『このまま、朝になってもお嬢様は目覚めないのでは……』と怖くなってしまう瞬間も、過去にはあった。
でも現在、シエナの心は平静だ。
フィコマシーの寝顔が、とても安らいでいるためだ。侯爵令嬢の隣には、猫族の少女が眠っている。その効き目は絶大なようである。
(ミーアちゃん、感謝いたします)
シエナは心の内で頭を下げた。
ミーアは、ニャムニャム寝言を口にしている。
猫族語を知らないシエナには意味を理解することは出来ないが、きっと可愛い内容なのだろうと思う。
ちなみに、ミーアは『ウサギ族の耳は長すぎるにゃ~。ゾウ族の鼻は長すぎるにゃ~。キリン族の首は長すぎるニャ~』などと呟いているのだが……。
今までも、シエナはフィコマシーの護衛任務をこなしてきた。
無論、ガードとしての働きなど、メイド本来の職責には含まれていない。
誰に命じられた訳でもない。シエナが、勝手に自分で決め、己に課したのだ。『何が起ころうと、お嬢様を守ってみせる!』と。
シエナは、勇んだ。気負った。頑張ってきた。
しかし、たった1人でフィコマシーを守りきれるのか、やはり不安で、心細い思いを常に抱いていたのも、偽りの無い事実。
けれど、今晩は違う。
フィコマシーを守っているのは、自分だけではない。
宿の庭では、サブローが部屋の窓を監視してくれている。異常は無いか、目を光らせてくれている。
そう……今、フィコマシーを守っているのは……自分1人では……ないのだ……。
(サブローさんが、一緒になって、お嬢様を守ってくれている……)
シエナの心は、喜びと安堵の感情で一杯になる。〝想い〟の海に、溺れてしまいそう。
(いけない、いけない! 気を抜いちゃダメよ、シエナ)
自らにそう言い聞かせ、気合いを入れ直す少女。暗闇の中、しっかりと目を凝らそうとする。
その瞬間、シエナは強烈な眠気に襲われた。
(え……? なんで……?)
状況の把握に思考が追いつかないうちに、抗いようもない力によって、シエナの瞼は閉じていく。
(眠っては……ダメ……)
♢
闇と沈黙に閉ざされた部屋の中へ、音も無く侵入者が現れた。
厳重に内側より鍵を掛けていたにもかかわらず、いつの間にかドアが開かれている。
黒ずくめの服装をした男は、椅子に腰掛けた状態で深い眠りに落ちているシエナの前を足音も立てずに通り過ぎ、そろそろとベッドへ近づいていった。
寝台に眠る、2人の少女――フィコマシーとミーア。
男はムニャムニャと寝言を漏らしているミーアへ奇妙なモノを見付けたような視線を向け、ついでフィコマシーへ鋭い眼差しを向けた。
横たわる侯爵令嬢へと、おもむろに手を伸ばす男。
しかし、その腕は見えない壁に遮られたかのようにフイに動きを止める。男はフィコマシーへは触れずに、舌打ちしつつ手を引っ込める。
侵入者はきびすを返し、今度はシエナへと歩み寄る。
目覚める気配をカケラも見せないシエナ。
男は腕を前方へと掲げ――そして、障害は無い。ニヤリと口の端を歪め、少女の細い首を握りつぶそうと――――
一閃。
男の指先がシエナの肌へ接触する寸前、白い光の刃が振り下ろされた。男の肘を切断するかの如き勢いで。
反射的に腕を引き寄せ、同時に男は背後へと跳び退く
「おおっと、危ない危ない。腕を切り落とされるところだったよ」
軽口を叩く男の眼前には、ククリを抜き放ったサブローが立っていた。




