ブタと白鳥
シエナ視点、続きます。
♢
サブローの素晴らしさを再認識したシエナ。
(サブローさんには、是非ともお嬢様の味方になってもらわねば!)とシエナは決意を新たにする。
そこへ、フィコマシーより声が掛かった。
「シエナは、サブローさんと仲良しですね」
お嬢様のからかいに、メイドはちょっと慌てる。
(もう、フィコマシーお嬢様ったら『シエナとサブローさんは、お似合いですね。まるで、恋人みたいです。結婚の予定はどうなってるんですか?』なんて。恥ずかしいことを仰るんだから!)
……フィコマシーが、いつそんな長ゼリフを口にした。
シエナの脳内捏造が酷すぎる。
誰か、この駄メイドを何とかしろ。
シエナが内心(イヤン、イヤン)と呟きつつ微妙に身体を捩っていると、フィコマシーが、自身とシエナの命を救ってくれた行為に対する礼をサブローへ述べ始めた。
貴族階級に属する侯爵令嬢がいくら自己の生命にかかわることとは言え、一介の庶民へ頭を下げるなど異例中の異例だ。
サブローも恐縮している。
(お嬢様……ご立派です)
シエナはそんなフィコマシーの謙虚な人柄を好ましく、そして誇りに思う。
何故、自分はフィコマシーへ忠誠を捧げているのか、その理由と意味を悟り直す。
サブローはフィコマシーへ返答しようとし、寸前にシエナへ眼差しを向けた。
(え? サブローさん!?)
ドギマギするシエナ。次の瞬間、彼女は更に驚かされることになる。
「フィコマシー様を助けるべく頑張っていたのは、誰よりもシエナさんですから。4人の襲撃者相手に1歩も怯まず戦うシエナさんの姿には、心揺さぶられるものがありました」
サブローは、確かにそう言ったのだ。
シエナが真実、サブローに心を奪われたのは、この時だったかもしれない。
今までシエナはフィコマシーを守るために懸命に励んできたが、彼女の努力を認めてくれたのは、当のフィコマシーと亡き侯爵夫人の2人のみであった。
もしオリネロッテの専属メイドに鞍替えしていれば、シエナははるかに楽な暮らしが出来ただろう。
オリネロッテは、現在も積極的に誘ってくれている。勧誘に応じるだけで、将来は安泰だ。
だが、シエナはフィコマシーの側より離れない。
敢えて損な道を選び続けるシエナを、人々は『馬鹿なメイドだ』と笑う。シエナは別にそれでも構わなかった。誰かに感心して欲しくて、シエナはフィコマシーに仕えている訳では無いのだから。
でも他者がシエナの尽力に理解を示し、褒めてくれるのなら、それはやっぱり素直に嬉しい。
『自分の生き方は、間違ってはいなかったんだ』と思える。まして、好意を寄せている相手よりの称賛であれば、尚更だ。
サブローは『シエナさんの姿には、心揺さぶられるものがありました』とまで口にしてくれた。
シエナにとって、これ以上の褒め言葉は存在しない。
(サブローさん……サブローさん……)
シエナは歓喜のあまり、胸が詰まってしまった。
胸中に、込み上げてくるものがある。
(今まで、フィコマシーお嬢様と2人で頑張ってきて良かった!)
シエナは、積年の苦労が報われた思いがした。
少年の温かいメッセージが、少女の心にしみ通る。
(『シエナさんの姿に心を奪われた』って、サブローさんが私に……。ヤダ、涙が出ちゃいそう)
……サブローのセリフが、微妙に違っているんだが。
『心を奪われた』のはシエナのほうなのに、主語を無意識のうちにすり替えてしまっている。
このメイド、そろそろポンコツ認定するべきだろう。
それとも、『案外チャッカリしている』と言うべきか。
続けてサブローは、フィコマシーとシエナの救出を積極的に勧めたのはミーアであることも教えてくれた。
(ミーアさん、良い子だわ)
ミーアは、シエナに戦い方を伝授してくれたスナザと同じ猫族の獣人だ。なので、シエナは始めからミーアに親しみを感じていた。
それによく見ると、単に同じ猫族であること以上にミーアとスナザは似ている。2人とも黒猫だし、人間に隔意が無い点も共通だ。ひょっとしたら、親族関係にあるのかもしれない。
(ミーアさん……ミーアちゃんとも、もっと仲良くなろう)とシエナは気合いを入れ直す。
さて、《サブロー籠絡作戦》再開だ。
シエナは、サブローの素性に探りを入れる。
よくよく考えると、サブローは不思議な少年だ。
顔立ちは平凡(シエナの目にはハンサムに見えている)ながら、黒髪で黒瞳。ベスナーク王国では滅多に見られない、髪質と瞳の色の組み合わせだ。
そして何より、シエナやフィコマシーと同じくらいの年齢であるにもかかわらず、あの強さ。
おそらく、シエナに武芸を教えてくれた女剣士やスナザよりも腕が立つに違いない。
つまりサブローは10代半ばにして、ベテラン冒険者を凌ぐ技量を有していることになる。
それほどの手練れでありながら、サブローからは〝強者の雰囲気〟というものが全く感じられない。戦闘をしていない普段のサブローは、ノホホーンとしている。
一見、何処にでも居るような普通の少年なのだ。群衆に紛れたら、あっと言う間に埋没してしまうだろう。
(どんな鍛え方をすれば、こんな少年が出来上がるのかしら?)
不可解に思ったシエナはいろいろな質問をしてみたが、サブローは『〝とある場所〟で複数の師匠に鍛えられた』と述べるばかりで、明確な回答をしてくれない。
どうやら修行場所や訓練内容の情報開示を、師匠たちに禁止されているらしい。
(なるほど。世界には、引退した勇士や世俗に飽いた賢者が集い、隠れ潜む場所もあると聞き及びます。サブローさんは、そんな勇士や賢者が秘かに鍛え上げた弟子なのかもしれません。それなら、サブローさんが武器の扱いに長けているだけでなく、魔法も使え、更に獣人の言語を自在に操れることにも得心がいきます)
メイドは、推測する。名探偵には、なれそうも無い。
(多彩な才能。加えて、人格の高潔さ。まさに『傑物』『俊英』『麒麟児』と呼ぶに相応しい、優れた少年ですね。けれど人間がより高みを目指すためには、能力だけでは不充分。多くの他者との触れ合いや経験も、必須です。故に、サブローさんの師匠たちは、秘蔵っ子である彼を敢えて手放し、世に送り出した……)
シエナの頭の中で、勝手な《サブローストーリー》が作り上げられていく。
無駄に壮大である。
(きっと、師匠たちはサブローさんを諭したに違いないわ。『サブローよ。厳しい修練の成果で、お前は確かに強くなった。だが、人間は強いだけではダメなのだ。世間を旅して、多くのモノをその目で見て、その手で触れてこい。様々な体験が、お前をより成長させてくれるはずだ。そして、サブロー。お前は旅路の果てに、きっと〝運命の少女〟に出会うだろう』とかなんとか)
おバカなメイドは、ハッとする。
(えええ!? 〝運命の少女〟って、もしかして。アワワワワワ。そ、そんなのダメよ! イケないわ。ちょっと待って。サブローさん、落ち着いて!)
落ち着かなければならないのは、シエナのほうである。
ぽんこつメイドに、緊急メンテナンスが必要だ。先程の戦闘で、頭のネジが数本抜け落ちてしまった可能性が高い。
サブローの年齢も判明した。シエナの1つ下の16歳。
(サブローさんが16歳で、私が17歳。ピッタリだわ!)とシエナは感激する。
……何が、ピッタリなんだ。
内面はアワアワ状態のくせに外面は完璧メイドを装う、シエナ。
彼女が王都におけるフィコマシーや自分の暮らしぶりについて懇切丁寧に説明していると、話の区切りを見計らったかのようにサブローが突如質問を投げかけてきた。
「先程、襲撃してきた男の1人が〝白鳥〟だの〝白豚〟だのと喚いていましたが、何か心当たりがおありですか?」
(サブローさん、酷い!)
シエナはショックを受けた。
少し気が利く者なら、『白豚』が誰を指しているかを察知することは出来るはずだ。現にマコルたち行商人は、この襲撃者の捨てゼリフについて耳に届かないフリをしていた。
にもかかわらず、今になって改めて訊いてくるなんて。
〝白豚〟や〝白鳥〟という呼び名がどれ程フィコマシーを傷つけてきたのかをサブローは知らないとはいえ、あんまりだ。
しかし、このことでサブローを責めるのはお門違いだろう。
悪いのはサブローとのお喋りに浮かれてしまい、対話のコントロールを怠った自分だとシエナは反省した。
事前にそれとなく『お嬢様の前では、話す事柄に気を付けてくださいね』とサブローへ注意を促すことも出来ただろうに。
何とか話題を代えようと焦るシエナに、フィコマシーが待ったを掛ける。
「〝白豚〟とは私のこと、そして〝白鳥〟とは妹のことですわ」
「お嬢様……」
(ご自身の口から、〝白豚〟の意味を告げるなんてどれほどお辛いか……)
シエナはフィコマシーの内心を思い遣り、この時ばかりはサブローのことを恨めしく感じた。
なのに、サブローは平然とした顔をしつつ語らい続ける。
「そうですか。フィコマシー様には妹君が居られるんですね。そしてフィコマシー様は『白豚』、妹君は『白鳥』と呼ばれていると」
「ええ……」
フィコマシーの声が悲しげに沈む。心なしか、丸い肩も落ちている。
(どうしてサブローさんは、わざわざ念を押すの? お願い、サブローさん、もう話を打ち切って!)
シエナはサブローに懇願の目を向けるが、少年は気付いてくれない。シエナの声なき哀訴も空しく、会話は続く。
「フィコマシー様も、大変ですね」
「……」
フィコマシーが苦しげだ。
(それは『美貌の白鳥と常に比べられる、白豚は哀れだ』という意味? 同情なの?)
シエナの心底で初めて、サブローへの不満が生まれた。
(悪気は無いのかもしれないけど、サブローさんは無神経過ぎる!)
どれほどサブローに好意を抱いたとしても、シエナにとって1番大切な人はフィコマシーなのだ。それだけは、何があっても譲れない。
憤慨したシエナが無理にでも話に割って入ろうとしたその時、サブローが意外な言葉を口にする。
「ふ~む。どうやら、妹君は凶暴で攻撃的な性格をしていらっしゃるようですね。物静かなフィコマシー様は、さぞかし気苦労が絶えないことでしょう。お察しいたします」
「え!?」「サブローさん?」
フィコマシーとシエナは、ポカンと口を開けてしまった。予想外すぎる、サブローのセリフ。
混乱のあまりどのように反応すれば良いのか分からない2人の少女を置き去りにして、黒髪の少年はシミジミと述懐する。
「白鳥ってヤツは、暴れん坊ですからね。僕も小さい頃、危うくつつき回されそうになったコトがあるんですよ。あれ以来、僕は白鳥が苦手なんです。アイツ等は物騒な目つきの上に、鳴き声もヘンテコリンで喧しいですしね。それに比べて、ブタは可愛いですよね。温厚だし、人懐っこいし。とっても、優しい目をしている」
サブローの話し方は、おためごかしに出任せを述べている風では無い。
そもそも、サブローがフィコマシーにお世辞を言う必要性は無いのだ。その表情も、暢気なまま。明らかに、本心を語っている。
「つ、つまり、サブローさんは白鳥よりもブタのほうが好きだと?」
シエナが急き込みつつ尋ねると、サブローは迷い無く首を縦に振った。
「もちろんです。ブタなら一緒に寝ても構いませんが、白鳥は見るのもイヤです」
「い、一緒に寝ても……」
フィコマシーがそう呟きながら、少し顔を赤くしている。なんか、ちょっと嬉しそう。
(え! なに、この展開? サブローさんは、ブタ好きなの? それとも、いわゆる〝無自覚なタラシ〟なの? お嬢様が、私の恋敵になっちゃうの?)
シエナは、またアワアワしてしまった。
更に、サブローより話を聞いたミーアが『そうなのニャ。ブタ族は猫族と友好的だけど、白鳥族は猫族と仲が悪いのニャ。白鳥族はお高くとまっていてイヤミなヤツらなのニャ』と宣う。
ミーアの意見を、サブローが通訳する。
フィコマシーは顔を綻ばせ、シエナは思わず噴き出してしまった。
4人の間に和やかな雰囲気が漂う。
いったん暗くなりかけた馬車の中の空気は、いつの間にかスッカリ明るさを取り戻していた。
律儀なフィコマシーが「妹のオリネロッテは、別に乱暴者では……」と訂正しかけたのでシエナはそれを遮り、「そうなんです。お嬢様の妹君は〝困ったさん〟なんです」とサブローたちへ告げた。
オリネロッテに恨みは無いが、この程度の意趣返しは許されるだろう。
それを耳にしたサブローとミーアが「やっぱ、白鳥はダメダメだな」『白鳥族には、自己反省が必要にゃ』と頷き合う。
サブローとミーアは、オリネロッテを実際に見たわけでは無い。絶世の美少女と出会ったら、アッサリと意見を変えてしまうかもしれない。
それでもフィコマシーを前にして『オリネロッテより、フィコマシーのほうが好ましい』と言ってくれた人は、シエナ以外では2人が始めてだったのだ。
〝くすり〟と。
フィコマシーが漏らした微かな笑い声を、シエナは聞き逃さなかった。
シエナは、思わずフィコマシーの顔を見つめてしまう。
フィコマシーが、遠慮がちながらも間違いなく笑っている。
作り笑顔じゃ無い。本物の笑顔で。
シエナの心の奥に、長い年月を掛けて降り積もってきた〝他人の悪意〟という名の霜。
濁った氷の結晶が、春の日差しを浴びて次第に溶けていく。
(まさか〝白豚と白鳥〟というあだ名を話題にしつつ、こんなにも晴れやかな気持ちになれる日が来るとは夢にも思わなかった……。お嬢様の心も、ほんのチョッピリだけど救われたかも)
今、フィコマシーは楽しそうにサブローやミーアと言葉を交わしている。
シエナは、その光景を眺めているだけで胸が一杯になってしまった。
サブローやミーアは、思ったことを、ただ口にしただけなのかもしれない。
でもそれが、フィコマシーとシエナにとって何よりの慰めであり励ましとなったのは確かな事実であった。
(サブローさん、ミーアちゃん、ありがとう)
シエナは、心の中で2人に深くお辞儀をした。
♢
ちなみに〝ブタと白鳥〟に関連してサブローが述べた内容は、掛け値無しの本心である。
サブローは幼い頃、両親に連れられて白鳥の群れを見物しに行ったことがあった。その際白鳥に追っかけ回された記憶は、サブローのトラウマなのだ。
白鳥は、翼を広げると約2メートルものデカさになる。
そんな怪物に襲われたら、恐怖ハンパない。
子育て中で気が立っていた白鳥のカップルに、親の目を盗んで不用意に近づいたサブローの自業自得なのだが。
サブローが、ブタに好意的なのにもチャンとした理由がある。
サブローの中学時代の友人(もちろん男)が、ミニブタをペットとして飼っていたのだ。
キレイ好きで賢いブタは、実のところペットに最適な動物だ。現にアメリカでは、犬や猫に並ぶ人気を誇っている。
友人も、〝ヒレポーク〟と名付けたブタのペットを猫可愛がりしていた。
『いくら何でも、ブタのペットにそのネーミングは……』とサブローは心の底よりヒレポークに同情したものだ。
あと、『ブタを猫可愛がりする』というカオスな字面の表現方法が成り立つ日本語が怖ろしい。
〝ブタ耳美少女〟のようなキワモノ系は敬遠してしまうサブローも、ブタさんペットの可愛さには見事にヤられてしまった。
ヒレポークの毛触りは滑らかで、そのつぶらな瞳はキュートだった。
友人宅でヒレポークとの戯れを満喫した、サブロー(中学2年生)。
帰路、ヒレポークの鳴き声『ぶひぶひ』がどうしても耳から離れず、秘かに男友達を恨んでしまった。
(あんな愛くるしいペットのブタを見てしまったら、とてもじゃないけど当分の間は豚カツやポーク巻きを食べることなど出来やしないよ。しばらくは、豚しゃぶもお預けだね。困ったもんだ。僕の神経は、繊細なんだぞ)
サブローはひとしきりプンプン怒った後、母親が作ってくれた晩ご飯の酢豚をペロリと平らげた。
ミニブタは〝ミニ〟と言えど、成長すると体重50キロぐらいにはなるそうです。
デカすぎる……。
シエナ視点は、今話でいったん終了です。次話からサブロー視点に戻ります。
読んでくださって、ありがとうございました。




