チューは早すぎる(イラストあり)
シエナ視点、続きます。
★ページ下に、登場キャラのイメージイラストがあります。
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さて、サブローに『下半身で考えてもらう』ためには何をすれば良いのだろうか?
《サブロー城の攻略》という遠大な目標を掲げたものの、メイドスキルは達人レベルながら恋愛スキルはお子ちゃま未満のシエナには、サッパリ分からない。
取りあえず、サブローに身を寄せて「〝シエナ〟と呼んで」なんぞと言ってみた。
(やっぱり恋人同士は、互いの名前を呼び捨てにしあうのが基本よね)
シエナの頭の中では『サブローを味方にする』と『サブローと恋仲になる』という異なる目的が、ゴッチャになってしまっている。
まぁ、どっちの手段も〝色仕掛け〟なのだが。
そしてシエナの〝色仕掛けテクニック〟は、初級以下であった。剣術の訓練だったら、ひのき棒も持たせてもらえない哀れなステータス。
そもそも、色仕掛けとは何ぞや?
シエナには、理解不能の未知なる分野だ。
(こ、これから、どうしよう? チュ、チューすれば、良いのかしら?)
恋愛知識ゼロのシエナにとって、男女の恋愛行為と言えば、すなわち〝チュー〟なのだ。
5歳児未満の発想である。
でも、シエナの身体は17歳。知り合ったばかりの男性に口づけを迫ったりしたら、痴女確定だ。逮捕されてしまう。
さすがにシエナも、『チューは早すぎるのでは?』と思いとどまった。
〝乙女失格のクライシス〟を、間一髪で回避する。
では、どうする? サブローと一緒に居られる時間は、それほど長くは無いのだ。
城攻めに手間は掛けられない。拙速は、巧遅に勝るはずだ。
数年前、シエナは旅の女剣士と女冒険者に武芸を教わった。いざという時にフィコマシーを護れるだけの力が欲しかったためだ。
2人の師匠による教練が、シエナの為になったのは間違いない。
しかし、いささか弊害もあった。懸命に訓練に励む弟子を可愛く思った女剣士が、余計な智恵をシエナに付けてしまったのである。
シエナは、武術特訓の合間に交わした女剣士とのお喋りを思い出す。
女剣士は、恋愛の手管に関して妙にお姉さんぶり、シエナにイロイロなことを吹き込んだ。
女冒険者のスナザに言わせれば『シエナちゃんが疑いもせずに聞いてくれるから、アイツ、図に乗ってんのよ。アイツが恋愛についてベテランを気取るなんて、一種の詐欺だけどね』とのことだったが、現在のシエナにとって頼りになるのは、過去に女剣士がしてくれた妙ちきりんなアドバイスのみ。
その助言とは……。
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「良い? シエナ。男を〝落とす〟には、〝接触〟が何より大切。まずは、手を握る」
ある日、女剣士が唐突に語り出した。頼んでもいないのに、シエナに《取っておきの男性攻略法》を伝授してくれるという。
男になど関心が無いシエナには大きなお世話であったが、女剣士が〝アタイに任せておきな!〟って感じのドヤ顔なので、しょうが無しに耳を傾けることにする。
「握って、どうするの?」
そんなことして、何になるんだ。
(意味なんて、あるの?)とシエナは疑問に思う。
「女に手を握られたら、男は『この女性は、自分に気があるに違いない』と考えちまうんだ」
「そんな馬鹿なこと、ある訳ない」
シエナには、信じられない。
「本当なのさ。シエナは《パン食い競争亭》の噂を知ってる?」
「お店の名前は、聞いたことあります」
《パン食い競争亭》は王都にあるパン屋の1つ。
庶民街の端に店を構えているのだが、近年急激に売上げを伸ばして評判になっているのだ。
「《パン食い競争亭》が繁盛したのには、理由がある。もともとパンが美味しかったのもあるんだけど、それに加えて看板娘のユスティが〝女の武器〟を使った画期的な接客方法を導入したのさ」
「ど、どんな方法なんですか?」
シエナはドキドキした。
その時のシエナは10代前半の年齢で、恋愛未経験。したがって〝女の武器〟なるネーミングを聞いても、いまいちピンと来ない。
ただ、何やらいかがわしい単語の響きに、あらぬ妄想をかき立てられてしまった。
(〝女の武器〟と言うからには、きっと凄い最終兵器に違いないわ。やっぱり〝チュー〟なのかしら。〝チュー〟なのね。フケツだわ。ハレンチだわ。ヒワイだわ)
シエナの想像力なんて、そんなもんである。
チューを、過大評価しすぎだ。
だいたいパン屋の娘が客に接吻してまわったら、公序良俗紊乱罪に引っ掛かってしまう。店は営業自粛で売上げ激減、閉店コース一直線は免れない。
♢
ところで、現在の馬車内部における状況を考えると、シエナの恋愛スキルが全く成長していないことは明白だ。
『男女の恋愛=チュー』の図式を未だに信じ込んでいる、メイドの少女。17歳なのに、やっぱり恋愛未経験。
この数年間、何をやっていたんだ。
♢
10代前半なら、まだチューに過剰反応しても許される年頃だろう。ギリギリかもしれないが。
脳内をピンク色に染めて「イケナイことだわ。イケナイことだわ」と呟くシエナに、女剣士が告げた。
「ユスティは男の客に釣り銭を渡すとき、必ずギュッと手を握るんだ」
「え? それだけなんですか?」
シエナは、拍子抜けしてしまう。
「そう、それだけ。それだけで、男の客は倍増し、店の売上げも右肩上がりになった。しかも、ユスティは所帯持ちや彼女持ちの男の手は絶対に握らないんだ。必要最小限の接触で、釣り銭を渡してしまう。女性客の不興を買わないための用心なのさ。まったく、怖ろしい看板娘だぜ。まさしく〝魔性の女〟と呼ぶに相応しい」
シミジミと女剣士は慨嘆する。
「分かったかい、シエナ。男とは、とてつもなく単純な生き物なんだよ。シエナも気に入った男を見付けたら、まずは〝手を握る〟ことから始めるんだね」
シエナがコクコクと首を縦に振っているさなか、その場にスナザが通りかかった。
「また、アンタはシエナちゃんに適当なことを言ってるの? シエナちゃん、あんまり真に受けちゃダメよ」
「なんだよ、スナザ。これは、アタイの成功体験にも基づいている参考話だぞ」
「確か、アンタが気になる男の手を握ったら、アンタの握力が強すぎて、男は指を骨折してしまったってオチじゃなかったかしら?」
女剣士とスナザが訓練と称する殴り合いを始めたため、シエナはその場を後にした。
♢
今こそ、まさに女剣士のアドバイスを活かすとき!
シエナは右手をソロソロと伸ばし、サブローの左手をギュッと握ってみた。
サブローは一瞬ビクッとするが、手を振り解こうとはしない。
シエナの脳裏に、女剣士の教えが蘇る。
『もし男がシエナにカケラも興味が無いってんなら、手を握っても無反応か、迷惑そうな顔をするはずだ。握らせたままにしてるってことは、少なくともシエナを嫌ってはいない証さ。脈は、ある』
(サブローさんは、私が手を握っても拒否しなかった!)
17歳の少女の心が浮き立つ。
『男が手を握り返してきたら、ハッピーエンドだ。そのまま、ゴールまで行っちまえ!』と女剣士は声高らかに宣告していた。その確信に満ちた物言いに、シエナは『そうなんだ~。ゴールなんだ~』と納得した記憶が……。
女剣士の背後で、スナザが『騙されないで、シエナちゃん! ゴール手前で、と言うよりスタート直後に、常に崖から落ちている女のたわ言なんか、信じるに値しないわ!』と叫んでいたような……。
(空耳、空耳)とシエナは己を言いくるめる。
さすがに、サブローはシエナの手を握り返すことまではしてくれない。
でも、少女に手を握られた少年は明らかに身を固くしており、よく見ると顔も少し赤くなっている。
(サブローさんが、緊張している。私に〝女〟を感じてくれてるんだ!)
シエナは自身が平凡な容姿である事実をキチンと理解しているだけに、〝女〟としての自分に自信を持ってはいなかった。
だから、サブローが自分のアピールに僅かでも応じてくれたことに感激してしまう。
(えっと、手を握って……それから、何をすれば……?)
次なる手段に悩んだシエナは、再び女剣士の忠言を振り返る。
♢
「いいね、シエナ。手を握っても相手の男が拒まないようなら、コッチのもんだ。攻めて攻めて攻めまくれ。『疾きこと風の如く、侵掠すること火の如し』だ。落城するまで、昼夜を別たずに猛攻あるのみ!」
『徐かなること林の如く、動かざること山の如し』は、女剣士には関係ないらしい。ポイ捨てである。
孫子も草葉の陰で泣いている。
「け、けど相手の都合も考えないと……」
「シエナは、甘ちゃんだなぁ。戦闘と恋愛は、勝ったもんが総取りなんだ。メインディッシュは喰いまくるのがフードファイターの心得なのさ。〝相手の気持ち〟なんてデザートは、恋仲になった後に、ゆっくり味わえば良い」
女剣士は、肉食系女子であった。ついでに、フードファイターでもあった。
「別に、私はフードファイターじゃ無いんだけど……」
「それでな、シエナ。手繋ぎの後は、さりげなく腕を絡めるんだ」
「な、なるほど~」
「そして、おっぱいを男の身体に押し付けるのさ!」
「ええ!」
シエナは、仰天する。
「そ、そんなのダメです。フケツです。ハレンチです。ヒワイです。トンデモナイです。キョウテンド~チです。オテントー様が、ユルサナイです」
「シエナには、まだ早いかもな。これは、あくまで将来の話さ。でも覚えておくと良いよ。男ってのは、総じておっぱいに弱い。女におっぱいを押し付けられたら男の防御力は急速に低下し、従来の10分の1以下になっちまうんだ」
「そ、そんなに効果があるんですか……」
「ああ。《ベスナーク王国王立恋愛研究所》が1000組のカップルから聞き取り調査した結果なので、間違いない!」
女剣士が、自信満々に言い切る。
もちろん、そんな研究所は存在しない。そんな調査結果も存在しない。
「だから、シエナ。もしシエナがどうしても手に入れたい男を見付けたら、他の女にかっ攫われちまう前に〝おっぱい当ててんのよ作戦〟を決行するんだ。その勇気が、シエナの明るい未来を切り開く! アイタ!?」
鼻息荒く演説していた女剣士は、突然頭を押さえて蹲った。彼女の脳天に、スナザがかかと落としを喰らわせたからだ。
惚れ惚れするほど、見事な蹴りだった。
「アンタ、あんまりシエナちゃんにいい加減なことを教えるんじゃ無いわよ!」
「アタイは、シエナのためを思っていろいろアドバイスしているだけだぞ!」
「男と付き合っては3日で逃げられるアンタのアドバイスなんて、何の役に立つのよ。この間だって、男の冒険者に胸を押し付けて『あ、僕、そういうの間に合ってますんで』って断られたばっかりでしょ!」
「なんだとぉ~。あれは、たまたま運が悪かっただけだ。スナザは猫族で胸が無いからって、僻んでるだけだろ! スナザは〝おっぱい当ててんのよ作戦〟をしたくても出来ないもんね~」
「ひ、僻んでなんか無いにゃ! 胸に余計な脂肪分が付いてたって、戦いの邪魔になるだけだもにょ!」
動揺のためか、語尾が猫族語風になるスナザ。
「や~い、ペッタンコ。ペッタンペッタンお餅つき~。作ったお餅も、ペッタンコ~」(※注 ウェステニラにはお米もお餅もあります)
「もう、絶対許さないにゃん! つぶすニャ!」
「スナザは最初から、胸がつぶれてる~。可哀そ~」
「ニャ~!!!」
女剣士と女冒険者は、両人ともにヘトヘトになるまで3日3晩に渡って戦い続けていた。
シエナは「あの人たちは、私とは無関係です。知らない人たちです。赤の他人です」と周囲に説明しつつ『フケツだわ。私は将来好きな人が出来ても、そんなイヤらしい真似は絶対にしないわ』と固く心に誓った。
♢
そして現在、シエナは〝おっぱい当ててんのよ作戦〟を実行中である。
正直、凄く恥ずかしい。
顔より火が出る思いだ。
(これも、サブローさんに味方になってもらうためよ。頑張るのよ、シエナ!)
シエナは懸命に自分に言い聞かせつつ、ソッとサブローの顔を窺ってみた。
少年は硬直し、その顔は真っ赤になっている。
(効果あり! だわ)
女剣士の教えは、正しかったのだ。偉大な師匠だったのだ。『恋愛に関するアイツの与太話は聞き流しなさい。アイツは、脳みそも筋肉で出来てる女なんだからね』とスナザは忠告してくれたが、そんな事は無かったのだ。
シエナの心が弾む。妙にウキウキする。サブローが自分の一挙手一投足にイチイチ反応してくれることが、たまらなく嬉しい。
自分はただのメイドなのに
平凡な女なのに。
スタイルも普通なのに。
まるで〝魔性の女〟みたいだ。
(サブローさんは、初心なのね。可愛いわ)
いきなりの上から目線である。
少女は、自分のことは棚に上げた。
〝恋のベテラン〟気分を味わうシエナ。
(そう、私は女豹……)
増長にも、程がある。正気の沙汰では無い。
己を豹に喩えるとは、烏滸がましい。豹どころか子猫……ミーア以下のくせに。
シエナの恋愛攻撃力は、現時点においてもハムスターレベルなのだ。自覚せよ。
調子に乗ったロボロフスキーハムスター(地球最小のハムスター・2頭身)が「サブロー……」と本人感覚ではかなり色っぽい声を出しつつ、更なるモーションを仕掛けようとしたその時、少年の態度が急変する。
小動物の不可解な言動に、不審を覚えたのか?
「シエナさん」
サブローの冷静な声が車内に響く。
ハムスター=シエナがハッと我に返ると、サブローが穏やかな、それでいて断固とした顔つきで彼女を見つめていた。
(あ、ひょっとしてやり過ぎてしまった……)
少し怯えるメイドの少女に、少年が優しく語りかけてくる。
「知り合ったばかりの女性を呼び捨てにするのは……」と丁寧な口調で。
サブローは決して自分のほうから手を離したり、身を引いたりはしなかった。
全てをシエナの自主性に任せている。なおかつ、笑顔を絶やさず和やかな雰囲気を保つことで『いささかも、シエナのことを嫌ってはいない』と示し続けてくれている。
なんと配慮に満ちた人柄なのだろう。
(サブローさんは、やっぱり優しい……。それに、サブローさんは明らかに異性とのお付き合いに慣れている風では無かった。わ、私の手や胸に反応してくれてたし……。なのに、欲望に身を任せるような振る舞いをしなかった。きっと、サブローさんは純心な少年なんだわ。ううん、それだけじゃ無い。サブローさんは、紳士なんだわ。高潔なんだわ。清廉なんだわ。類い希な人格者なんだわ)
シエナのサブローへの想いは、ますます強まった。
少女が本物の〝恋のベテラン〟だったら、ヘタレでチキンな少年の本性を一発で見抜けただろうに。
サブローもシエナも、致命的なまでに恋愛スキルが低かった。
シエナ(妄想中)のイメージイラストは、LED様よりいただきました。ありがとうございます!
「何で女剣士が『風林火山』の格言を知ってるんだ?」というツッコミは、無しでお願いします。ウェステニラにも孫子みたいな軍略家が居たと言うことで……。
あとスナザは猫族ですが冒険者としての生活が長いので、姪のミーアと違って人間語はペラペラです。




