メイドのシエナ、17歳
シエナ視点、続きます。
♢
絶体絶命の窮地より自分を救ってくれた少年の名は「サブロー」であると、シエナはマコルと名乗る商人から聞かされた。
(サブロー……サブロー……サブローさん……)
灰色の髪の少女は、黒髪の少年の名前を何度も心の中で繰り返す。
一見普通の少年っぽい頼りない容姿にもかかわらず、襲撃者を圧倒したサブローの強さは、シエナの常識では測りきれないレベルだった。
(どのような少年なのだろう?)
シエナは、秘かにサブローの様子に目を走らせた。
現在、サブローは猫族の女の子と親密そうに話し込んでいる。
(サブローさんは、獣人に対して分け隔てをするような人柄では無さそうね)
シエナは、ホッとした。
ベスナーク王国は聖セルロドス皇国などと比較して、獣人に寛容な政策を採用している。それでも、貴族層や高齢者を中心に、獣人へ謂われ無き差別感情を露わにする人間は少なくない。
人間至上主義者とシエナは、意見が合わない。猫族の女冒険者に武芸を教授してもらって以来、シエナは獣人贔屓なのだ。
自分を救ってくれた、サブロー。
一山幾らのメイドに過ぎない自分には、眩しすぎる男性。
(初見は平凡な顔立ちと思っていたけど、よくよく見ればサブローさんは凜々しいわ。目は2つあるし、鼻と口は1つずつだし、耳は顔の両側に付いてるし。これって、もはや「ハンサム」と呼んでも構わない部類なんじゃ…………獣人にも気安く接しているし、性格も凄く良いに違いないわ)
フィコマシーお嬢様一筋に生きてきたシエナに、親しい男性など居なかった。仕事上の関係で顔を合わせる男はそれなりに存在したが、彼らのフィコマシーへの態度は例外なく無礼そのもの。
そのため、シエナは男という生物を〝敵〟の範疇に属するモノとして一括処理してきた。
ぶっちゃけ、シエナは初心だった。
村で猫族の少年たちにモテモテだったミーアより、はるかに異性を見極める能力に乏しい。
シエナは17歳なのに。
そろそろ、結婚適齢期に入ろうかという年頃なのに。
シエナのピンチに颯爽と現れたサブローは、彼女が初めて意識した『異性としての男性』なのである。
ナイーブ(?)な少女が高揚のあまり、目を曇らせてしまったのも無理からぬことだろう。
シエナはハッキリ自覚こそしていないものの、サブローに好感を抱いてしまっている。同時に、自分の期待を裏切るような行動を彼には取って欲しくない――そう、無意識のうちに願ってもいた。
取りあえず、獣人への対応は合格だ。
しかし重要なのは、フィコマシーお嬢様との接見である。もしサブローが少しでもフィコマシーを軽んじる振る舞いを見せれば、シエナが現在抱いている彼への好意は、たちまち雲散霧消してしまうに違いない。
シエナは、そうなるのがイヤだった。
もう少しだけで良い。〝ヒーローとしてのサブロー〟を眺めていたかった。
自分を、〝ヒーローに救われたヒロイン〟だと思っていたかった。
それが、ただの錯覚に過ぎないとしても。
すぐに覚めてしまう、泡沫の夢だとしても。
「シエナ。貴方は無事なの?」
馬車の中からフィコマシーの声が掛かる。
シエナの躊躇いにもかかわらず、フィコマシーは馬車の外に出てきてしまった。
使用人である己が身を案じてくれる女主人の優しさを嬉しく思いつつ、シエナはサブローがフィコマシーへ向かって如何なる態度を示すのか、恐る恐る窺った。
これまでフィコマシーに初めて会った男性は、その殆どが彼女の体型を嘲笑い、酷い場合は露骨なまでに嫌悪してきた。年配者はともかく、自分の感情を隠す術を知らない少年たちのフィコマシーとの接し方は、残酷そのものだった。
シエナは、その度にフィコマシーが表面上は何事も無い風を装いながら、内心深く傷つく様を見続けてきたのである。
(お願い、サブローさん。どうか、貴方はお嬢様を傷つけないで。私を失望させないで)
身勝手な押しつけであるとは分かっていても、シエナはそう祈らずにはいられなかった。
フィコマシーの姿を目の当たりにしたサブローは、ちょっと驚く。しかし、すぐに目元を綻ばせ、口もとを緩めた。
そこに、嘲りや蔑みの感情はカケラも存在しない。むしろ、温かさを感じさせる爽やかな表情だった。
動作も、礼節に適っている。
(サブローさん!)
シエナは、感激した。感謝した。感動した。感心した。感極まった。ドキドキ。
シエナの中におけるサブローの獲得点数が、急上昇する。
今までのサブローに対するシエナの評価は天井くらいの高さだった(ちなみに他の男性陣の評価の高さ――いや、低さは床下レベル)が、屋根を突き抜けて蒼天に届く勢いだ。
その後シエナは、マコルと今後の予定について検討し合った。
シエナは、マコルとの会話の最中も、サブローのことが気になって仕方がない。チラチラと、彼のほうに目が行ってしまう。
サブローは、ケガを負った敵へトドメを刺す行為には反対のようだ。シエナとしては、足手まといは始末してしまいたいのだが。
(さすが、サブローさん。優しいのですね。勇気があって、強くて優しい。お嬢様にもキチンと敬意を払ってくれる。まさに、〝理想の少年〟ではありませんか!)
シエナのサブロー推しは、どんどん加速する。
ミーアが一言『サブローの夢は、ハーレムにゃ』とシエナへ告げさえしたら、〝乙女の幻想〟という名のバブルの塔は呆気なく崩れ去っただろうに。
男性に不慣れな少女らしく、シエナは潔癖だった。
〝ハーレムを夢見る少年〟と〝ヒロインを救うヒーロー〟は、シエナの中では両立しない。
しかし幸か不幸か、『ハーレムは怖ろしい呪文』と思い込んでいるミーアが、シエナに〝サブローのお馬鹿な目標〟を教えることは無かった。
サブローについて、シエナの頭を悩ませている問題がもう1つある。
戦闘ののち、サブローは重傷を負って倒れている敵の手当てをしていたのだが、そのうちの1人に何か奇妙な治療を施していたようなのだ。
(よもや、あれは回復魔法? そんな馬鹿な。あれほどの戦士であるサブローさんが、同時に魔法使いであるなんて、あり得るはずが無いわ。まして回復魔法は、覚えるのが極めて難しい光系統に属しているのに。いくらサブローさんでも……でも……〝私のサブローさん〟なら、ひょっとして……)
『いつ、サブローがお前のモノになったんだ?』と、誰かがツッコむべきではなかろうか?
シエナの乙女モードは、既にブレーキが壊れかけた状態になっていた。
フィコマシーと2人きりの世界で生きてきたシエナに、異性との適度な距離感など掴める訳が無い。
フィコマシーも、襲撃者の命を奪うことに反対する。
(お嬢様とサブローさんは、心がキレイな、似たもの同士なんだわ。さすが、サブローさんだわ)
フィコマシーと猫族少女が、何やら仲良さげだ。お互い、ニコニコし合っている。
(サブローさんの連れである猫族の女の子も、お嬢様と気が合うようだわ。さすが、サブローさんだわ)
『いや。ミーアとフィコマシーの仲に、サブローは関係ないだろ?』とシエナにツッコむべき誰かも、やっぱり存在しない。
行商人一行のリーダーであるマコルは動けない襲撃者の処分を強硬に主張していたが、ミーアの嘆願を受けてその方針を一変させてしまった。残りの行商人たちも、ミーアの〝お願い〟の前に手も無く屈する。
彼らが、獣人偏愛集団――通称《ケモナー》であることは明白だった。
(まさか、サブローさんも!?)
シエナがサブローの顔を見ると、ハンサム(?)な少年は慌てたようにブルブルと首を横に振る。どうやらサブローは、ケモナーでは無いらしい。
メイドは安心した。安堵した。安眠したくなった。ネムネム。
シエナとしてはケモナーに対して特に思うところは無いものの、サブローがケモナーだと困ってしまう。イケメン(!)な少年が特殊な性癖を持っていたら、今後どのように付き合っていけば良いのか分からなくなってしまうためだ。
(良かった。サブローさんは、ケモナーじゃ無いみたい。獣人とは健全な関係なのね。さすが、サブローさんだわ)
シエナの脳内回路が、何をどう思案しても最後には『さすが、サブローさん』という結論に落ち着くようになってきた。
少し、マズい。かなり、ヤバい。むやみやたらに、アンポンタンだ。
そして浮かれ気味のシエナの頭の中で、素晴らしいアイデアが『ピコーン!』と閃く。
(そうだ! サブローさんに、フィコマシーお嬢様の味方になってもらおう)
バイドグルド家において、フィコマシーとシエナは孤立している。内にも外にも、味方は居ない。2人の周りにあるのは、無関心か悪意のみだ。
(もし、サブローさんが私たちに加勢してくれたら!)
メイドの少女は、夢想する。
サブローは、フィコマシーの体型を見ても動じなかった。それどころか、温かい眼差しを向けてくれた。包容力のある、立派な少年なのだ。
(あと、サブローさんは紅顔の美少年だし…………深い意味は無いけど…………)
『〝紅顔の美少年〟では無く、〝厚顔な性少年〟なのでは?』とメイドへツッコんであげる、親切な人の登場が切望される今日この頃。
(行商人のマコルさんが「ミーアちゃん」と呼んでいた猫族の女の子も、フィコマシーお嬢様に懐いてくれているみたい……)
2人には、是非ともお嬢様の側に居て欲しい。
春の日溜まりのような両名との触れ合いは、フィコマシーの傷ついた心を癒してくれるに違いない。
更に今回の襲撃で、何者かがフィコマシーか、あるいはオリネロッテの命を狙っている疑いが浮上した。
オリネロッテは、まだ良い。彼女は、バイドグルド家に全力で守られている。しかしフィコマシーを守る者は、実質シエナ1人。フィコマシーの安全を確保するためには、信頼できる護衛役がシエナ以外にも必要だ。
〝騎士の逃亡〟というあり得べからざる状況に直面し、シエナはバイドグルド家への期待を一切捨てていた。バイドグルド家の騎士など、何の役にも立たない。
その点、サブローは違う。強い上に、人格も素晴らしい。確かめてはいないものの、魔法を使える可能性まであるのだ。
もし、サブローがフィコマシーとシエナを今後も助けてくれるのなら、これほど心強いことは無い。
……シエナは、心のどこかでは分かっていた。
自分は、都合の良い妄想に浸っている。現実から逃避しているだけだ。
4人の襲撃者に囲まれ、逃げ場は無いと悟った瞬間の絶望感。思い出すだけでも、恐怖でシエナの身体は震える。
その〝恐怖と絶望〟を、粉々に打ち砕いてくれた少年。
人生の海で溺れかけた少女が、たまたま手繰り寄せた〝サブローという名の命綱〟に懸命にしがみつこうとしているだけなのだ。
それが、『シエナのサブローに対する想い』の真実。
今まで、シエナはたった1人でフィコマシーを守ってきた。そのことに、後悔は無い。
しかし、今後も単独でフィコマシーを守っていくのかと思うと、全身を極度の疲労が襲ってくる。
シエナは、無我夢中で走り続けてきた。これからも走り続ける意志は、確かにこの胸にある。
でも、到着地は見えない。ひょっとしたら辿り着く先なんて、無いのかもしれない。
けれど、守らなければならないフィコマシーに、弱気になった己の姿は絶対に晒せない。
それなら、せめて伴走者が欲しかった。疲れた時には励ましてくれて、水や食べ物を差し入れてくれたり、相談に乗ってくれたり、「最後まで一緒に居るよ」と言ってくれる人。
……もしかして、彼なら。
サブローなら、シエナが焦がれて止まない〝伴走者〟になってくれるのでは……?
灼熱の願望。だが、その色合いは、どこか淡い。
シエナは、理解している。
そんなの、ただの幻想だ。砂上の楼閣だ。
サブローにはサブローの人生があり、都合がある。
たまたまサブローが助けてくれたからって、何を自分は舞い上がっているんだ。
今この瞬間にも、彼が「それじゃ、ここでお別れです」と告げて、自分たちの前より去っていってもオカしくはないのである。
シエナには、サブローを引き留める権利など無い。立ち竦みつつ、見送るだけだ。
でも、まだサブローは、ここに居る。ならば、僅かなチャンスに懸けてみよう。
サブローとミーアを、何とかして味方に引き込むのだ。
襲撃者の1人がフィコマシーを「白豚」と罵るアクシデントが発生し、お嬢様には更に辛い思いをさせてしまった。
(フィコマシーお嬢様には、サブローさんとミーアちゃんが必要だわ)
シエナは、ますます決意を固くする。
シエナは企みの第1歩として、サブローとミーアを馬車の中に導き入れた。
馬車内部で、フィコマシー・シエナ・サブロー・ミーアは4人きりになる。
(まずは、成功だわ。閉じられた空間の中で一緒に過ごしたら、仲良くなれる可能性が高まるって話だし)
関係が悪化するリスクについては、メイドの少女はこれっぽっちも考えていなかった。
シエナは必死に思いを巡らせる。
問題は、この後だ。
ただお喋りを続けるだけでは、勧誘作戦は上手くいかないだろう。
サブローに味方になってもらうためには、彼にも何らかの利益を提示しなくてはならない。
しかし残念ながら、侯爵令嬢であってもバイドグルド家におけるフィコマシーの立場は弱い。貴族の一員としての権限など、殆ど無い。サブローを侯爵家に採用してもらえる確率は、ほぼゼロだ。
他の貴族や有力な職場への斡旋も、難しい。
加えてフィコマシーとシエナには、自由に使えるお金も皆無に等しい。現在のシエナの懐にあるのは、旅費の残りのみだ。
正直なところ、サブローと行商人一団に進呈すべき今回の救援への謝礼についてさえ、用意の見通しは立っていない。
(私たち……いえ、私がサブローさんに差し上げられるものは何? 男が欲しがるモノと言えば、地位、名誉、金、女……女……)
女。
〝そう言えば、自分は女だった〟とシエナは改めて認識した。当たり前である。シエナはメイドなのだから。男だったら、従僕だ。
(女……女としての、わ、私を使って、サブローさんをろ、ろ、ろろろ籠絡すれば……)
混乱しながらも、シエナは何故か試験で満点を取ったような気持ちになった。
もちろん、自分が美人では無いことをシエナは知っている。平凡な顔立ちに、スタイルも普通。男性とお付き合いした経験なんて無いから、異性の気を惹く方法についても全く知らない。
絶世の美少女であるオリネロッテなら、小首を傾げるだけであらゆる男性を意のままに出来るに違いない。
が、そんな芸当、シエナには逆立ちしたって不可能だ。
ならば、諦めるのか?
挑戦する前から〝サブロー〟を諦めるのか?
サブローとこのまま、〝サヨナラ〟しても良いのか?
そんなのイヤ! と、シエナは思う。
自分だって、〝女〟なのだ。
少女なのだ。
17歳なのだ。
旬なのだ。
ピチピチなのだ。
何だか良く分からないけど〝青春真っ盛り〟のはずなのだ。
ついでに、メイドなのだ。
レイピアの扱い方を教えてくれた女剣士のアドバイスを、シエナは思い出す。
♢
「戦い以外の場で男に勝つ方法も、女は知っておかなくちゃね」
「どんな方法があるの?」
「男に、頭で考えさせないようにするのさ」
「どこで考えさせるの?」
尋ねたシエナに、女剣士は断言する。
「下半身」
さすが、女剣士。一刀両断であった。
ちなみにその後、猫族女性のスナザが「年中男日照りのアンタが、なに見栄を張ってんのよ。シエナちゃんに〝アホが頭の中で、夢見る絵〟――脳内呆絵夢を語ってる暇があるなら、『男よ、天から降ってこい~』って雨乞いでもしてきたら? 早くしないと、干からびるわよ」とチャチャを入れ、女剣士と女冒険者の間で凄まじい死闘が展開された。
バイドグルド家の屋敷の庭で。
迷惑だった。
♢
(そ、そうよ! サブローさんに、下半身で考えてもらうのよ)
メイドの暴走は止まらない。
(恥ずかしいけど。とっても、とっても、と~っても恥ずかしいけど、これもお嬢様のためなんだから! 大丈夫。私には、出来る。私は『女』、私は『少女』、私は『17歳』。そして……そして、私は『メイド』! メイド頭も、常々言ってるじゃない。『メイドの真髄は〝ご奉仕〟にあり』って)
シエナは、自分を奮い立たせた。とんでもなく、間違った方向に。
オカしい……。
シエナさんの初期設定は、外面はモブだが内面は「クールで知的な」メイドさんだったのに……。




